2017/07/16

柚木麻子「BUTTER」感想

 直木賞候補作。

 モデルとなった木嶋佳苗は、「婚活連続殺人事件」の犯人として、5月に最高裁で死刑判決が出たばかり。

 本作では梶井真奈子(略してカジマナ)として登場する。

 前半は、獄中のカジマナから独占インタビューの許可をもらうために、彼女の言われるがままに、BUTTERを中心とした脂肪分たっぷりの食事を摂りまくり、どんどん太ってしまう女性記者の話がメイン。はたしてカジマナとつきあって次々に亡くなった男性3人は、自殺なのか? それともカジマナの手による他殺なのか? 

 ところが中盤から小説は、上記の謎解きなんかじゃなくて、女性が社会から求められている母親的立場というものの不条理さや不安定さをテーマとして描き始める。同時に、生活力がなく、自分で炊事洗濯家事一般がまったくできない、いや、やろうと思えばできるだけの能力があるのに、まったくしようとせず、女性に頼り切ってしまう男性たちへの批判も描かれる。なんだか俄然社会派小説っぽくなってくるのだ。

 ところがところが、終盤では、主人公たちは、心に抱えている闇の部分をカジマナによって曝け出され、糾弾され、精神崩壊直前まで追い込まれる。「あの人がああなったのは、自分があんなことをしたから。自分のせいであの人はああなってしまった。」その罪の意識を、カジマナは巧みに活用し、獄中から主人公たちをとことんまで追い詰める。「羊たちの沈黙カジマナバージョン」っぽい。

 前半はBUTTERの重さにくらくらしたが、後半は別の意味で、ものすごくヘビーな小説なのである。

 彼女たちがどうやってそこから立ち直っていくか。小説のタイトルが、そのヒントをきちんと示している。

 というわけで、本書はテーマが二転三転するので、一気読みすると印象が散漫に感じられる恐れがある。三分割して読むと、ちょうどよいかもしれない。一冊で三度おいしいと思えるかも。

 絵本「ちびくろサンボ」の、虎がバターになってしまった話は一体何の比喩なのか、その解釈がいくつかか出てくるのだが、前半のはなかなか面白かった。ただ、後半の、虎の骨についての解釈はちょっと無理があるかなと。

 あと、本書は多彩な比喩表現によって、BUTTERをたっぷり使った料理のおいしさを、読者にこれでもかと想像させてくる。 ストイックに節制することの愚かさを、かなりな説得力で描いた実におそろしい小説なのである。

 いやこれ読んだら、食べたくなるだろBUTTER!

 最後に、どうでもよい突っ込み。 

 作中で阿賀野にある三美神についての描写がある。「三人の働きものの乙女の銅像」だそうだ。カジマナが「複数の女が、それも美しい女が仕事をしながら仲良くできるわけがないし、三人いたら、絶対に一人は仲間外れになるに決まっているでしょう。乙女像がいずれもスレンダーであることも、許せませんでした」と語るシーン。11年前だったらこの部分、私は同意していただろう。しかし今は違う。美しくて仲の良い、しかもすごくよく働く三人の女性グループが、日本の音楽界に存在することを知っているからだ(彼女たちの存在そのものが奇跡だという意見もあるが)。

 

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2017/06/24

辻村深月「かがみの孤城」感想

 不登校の中学生男女七人が登場。七人いるので、ネグレクト、協調性のない性格、家庭内暴力、母親の情緒不安定、虚言癖など、不登校のきっかけとなる主なパターンは一通り網羅されている。

 特に主人公の受けたいじめは、いかにも「あるある」なパターン。誰が誰のことを好きかとか、誰のせいで誰の恋愛がうまくいかないだとか、この子が失恋したのはこいつのせいだとか、この男の子は、アタシのことが好きなのよあんたのことなんかちっとも好きじゃないのよ引っ込んでなさいとか、恋愛に関するあることないこと情報をまき散らし、私の味方になれば損はさせないけど、そうでなければ酷い目にあうわよ! わかってんのあんた!とか、まるで関ヶ原の合戦の前に、家康が書きまくった手紙攻撃みたいなことをクラスじゅうに実行する女子生徒。実際にこの手の人物は、どこの中学校のクラスでも最低一人以上はいるだろうと思われる。そうして女子中学生の間では、表に出ない形でこういう形の仲間外しが、毎日行われているのではなかろうか? 作中に「どこへ行ってもああいう嫌な奴はいる」みたいなことが書いてあるが、まさしくそうだと感じる。

 本作では、主人公たちは、かがみの孤城という、現実にはありえない架空の世界で、お互いの欠点に触れないよう気遣いながら、ゆるくて楽な人間関係を築いていく。そうして少しずつ心の傷を癒やしていくのだ。

 「かがみの孤城」は、ネットゲームの世界では友人が多く、とってもいい人!の演技をしている奴が、実社会では引き籠もりで、家から一歩も出られない・・・という、ありがちなパターンをメタファーとして表現しているように感じられる。

 本作では、七人が徐々にお互いの痛み、苦しさに気付き、相手の立場に立って考える客観性を身につけていく。自分だけでは思いつきもしなかった別のベクトルからの物の見方を身につけていくのだ。そして、お互いを助け合うことはできないのだろうかと、模索していく。このように、引き籠もりの主人公が、精神的にたくましく成長するストーリーは王道と言える。

 というわけで、本作は王道の主人公成長物語(ビルドゥングスロマン)なのだが、実は第一級のミステリー小説という側面も併せ持つ。このあたりが、「十二国記」などの過去の名作との大きな違いであり、本書の特徴でもある。

 特にヒントについてだが、最初からあそこにもここにも示されている。にも関わらず、最終場面まで私はそれに気付かなかった。そういうわけで、ラストの種明かしには正直驚いた。

 ラスト前で、七人がなぜ不登校になったか、その事情が克明に描かれる。このあたりはヒントだけ示し、あとは読者に想像させる手もあるのだが、本作ではリアルな描写があって、はじめてその後の種明かしに説得力が生まれるようになっている。

 一冊で二度おいしい。おすすめである。

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2017/06/18

ケン・リュウ「母の記憶に」感想

 2年前、「紙の動物園」で、日本のSFファンの心を鷲づかみにしたケン・リュウ氏のSF短編集第2弾。

 16編の短編が収められています。印象に残ったものの感想をいくつか。

 まず表題作の「母の記憶に」

 短編集ですが、この話が一番短い。「光速に近づくと時間の流れが遅くなる」という、SF好きまら誰もが知っている特殊相対性理論を、親子の絆というテーマでケン・リュウが扱うとどうなるか。読後の印象も鮮やかな作品です。

 「草を結びて環を銜(クワ)えん」と、「訴訟師と猿の王」の二編は、いずれも「揚州大虐殺」という、中国の歴史から一時封印されていた大事件に、真っ向からあらがって散っていった市井の人を主人公にしたもの。後者はタイトルからもわかるとおり、例の有名なスーパーモンキーが登場するのですが、この猿が超能力を使って事態を打破するような筋立てではないところが、キモとなっています。彼は徹底して主人公の傍観者として描かれるのですが、最後にこの猿が何をしたか・・・このあたりが実にケン・リュウらしいのですね。 決して歴史の表に残ることのない無名の人たちへの優しい眼差しが、しみじみとした読後感につながります。

 個人的にツボだったのは「重荷は常に汝とともに」

 ピラミッドに残された古代文字を読み解くのと同じように、惑星ルーラでかつて文明を築いた異星人の文字を解読する若き考古学者・・・ではなくてその彼女が主人公(笑)。ちなみに彼女の職業は、会計士。彼女が読み解いたルーラの散文詩、その本当の意味は・・・これが実に笑えます。しかも、こういうパターンって本当にありそうなところがすごい。あなたも是非、「重荷」が何のことなのか、推理してみてください。(ヒントはもうここに出してありますよ(笑))。

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2017/06/11

鳴海 風「円周率の謎を追う~江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」感想

 平成29年度読書感想文中学生の部第3弾。
 そこそこネタバレあります。

 実在の有名人物をもとにした小説です。ヨーロッパの数学者よりもずっと早くに、円周率に関する理論を発見しまくっていたという天才数学者・関孝和が主人公。彼の、幼少期から青年期にかけての資料はほとんど残っておらず、従って、どんな少年時代を過ごし、どんな性格で、どんな女性とおつきあいしていたかは、誰にもわかりません。というわけで、このあたり完全に作者が創作して書き上げたのが本書。

 まず関孝和少年期のキャラ設定。
 外見は背が低くて剣道も弱く、武士なのに体育会系ではない描き方。ならば勉強ができるのかと思いきや、引っ込み思案で口下手。論語も十分に理解できていない・・・というように、中学生の読者が読んだら親近感を抱くように描いてあります。ただし、何事も慎重に考えてから返答するというあたりから、なるほど、じっくり考えて考えて考え抜く性格で、だから最終的にはすごい業績をあげるのかと、読者はうなずくような仕掛けになっております。

 彼が通う数学塾の先生には香奈という娘があり、主人公よりちょっと年上(孝和15歳、香奈18歳)の、美人で積極的な女性として描かれます。肺の病にかかり、婚期を逃したという設定。当然主人公は積極的な香奈さんに引っ張られる形で、算学(江戸時代、数学の難問を絵馬に書いてお寺に奉納するのが流行っていた)に次々挑戦していくわけです。
 で、このあたりから既視感に襲われます・・・。いやこれ、江戸時代の天文学者を描いた「天地明察」と同じパターンだろ! もうちょっとヒネりが欲しいような・・・。まあでも、「天地明察」の重要な登場人物の一人が関孝和ですから、これは仕方ないところでしょうか。

 さて本書、全部で200ページ弱の短い小説なのですが、140ページを越えた辺りから、急に史実に忠実な書きっぷりになってきます。関孝和が壮年にさしかかる辺りからは、資料が結構残っていて、作者が勝手に書くわけにはいかないのでしょうね。結果、だんだんと小説ではなく、偉人伝っぽくなってきます。その淡々とした進行にはびっくりです。前半の頼りないキャラが、後半はやたらと分別のある人物に変わり、お家のために上司に言われるまま縁談をすすめ、所帯を持つのです。香奈さんも、後半は出番が少なくなったと思ったら、いつのまにか他の男の嫁になっていたり。前半あれだけ主人公とラブラブだったのは、一体何だったの(笑)。

 円周率の求め方についての説明はよくできていて、中学生にもすとんと理解できるでしょう。できれば本物の「大成算経」のコピーと、その読み方、それを現代の数学の数式に置き換えたものなんかを、資料として添えてくれたらなおよかったのに。でもそこまでやっちゃうと、完全にノンフィクションになっちゃいますか。

 「西洋の数学者は新しい理論を発見したら自分の名をつけて業績をアピールする。関を代表とする江戸時代の数学者はそんなこと考えもしなかった。彼らはただ数学が好きなだけであった」という西洋の数学者との比較で本書はしめくくられます。論語の「これを知るものは、これを好む者におよばない」と、ちょっと似てますか?
 まあでも、偉大な発見をしたら、やっぱりきちんと功績として残し、有名になり、皆から褒め称えられたいと思うのも、人間の自然な感情だと思うので、感想文を書くなら、このあたりをどう書くかでしょう。
 

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2017/06/04

キャシー・アッペルト&アリスン・マギー「ホイッパーウィル川の伝説」感想

 平成29年度読書感想文コンクール課題図書シリーズ第2弾! 海外文学です。

 著者名が二人ありますが、これは一人が人間視点の部分、もう一人がキツネ視点の部分、というように、完全分業制で書いているからです。そういうわけで、主人公は二人・・・いや一人と一匹います。さてその成否は・・・これについては後ほど。

 人間のほうの主人公は11歳の女の子ジュールズ。姉を事故で亡くし、その喪失感から立ち直れずにいます。ある日キツネに、生前の姉が通っていた秘密の場所へ導かれます。そこで、姉の本当の思いを知り、生きる力を取り戻すというストーリー。

 同時進行でキツネのストーリーも語られます。ある使命を帯びた若いメスのキツネが、その使命のために殉死します。残された兄キツネが、妹キツネを悼む、というストーリー。

 二つのストーリーに共通するのは、生き残った者が死んでいった者を悼み、その喪失感から立ち直るという点。

 あらすじだけ書くと、なんだか感動的な、素晴らしい話のような気がするかもしれません。が、しかし・・・

 まず主人公ジュールズのキャラ設定、自分のことで手一杯で、感情をうまくコントロールできない少女に、果たして、思慮深い読書好きの中学生が、感情移入できるでしょうか? できれば年齢設定を14歳くらいにして、もう少し客観的に自分を見るキャラにしてほしかったですね。読んでいてかなりイラッとします。

 次に、ジュールズの友人の兄、エルク。親友ジークがアフガニスタンで戦死し、その喪失感に苦しんでいるのですが、ある時森の奥で、ジークの死を悼むため、猟銃を21発も発砲!! ああ、アメリカってつくづく銃社会で、徴兵制のある国なんだなあと思いました。日本人の感覚では、野生動物の住む森の奥で21発も発砲なんてありえません。森の動物や精霊(本書では、森の精霊が存在するという設定)たちにケンカ売ってんのか? と思ってしまいます。この後、エルクは、森を騒がせた罰として、クマに食い殺されるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら読みました(そうはなりませんけど)。

 自然界と共生・共存するのではなく、自然は人間の力で征服するもの、という文化で育っているからなんでしょうね。なにしろ、アメリカは開拓民の国ですから。

 次にピューマ。どうしたピューマ。出番はそれで終わりか? エルクとのその後の関わりがほとんど描かれてないような気がします。エルクの心を救う役どころじゃあなかったの? これでは登場した意味がありません。

 次はクマ。臭いとか、バカとか、一方的に悪者として描かれています。なぜキツネとピューマは善き者で、クマは悪しき者なのか? 両者を分ける基準がわかりません。クマだって森の一員だぞ。作者の都合で勝手に差別するな!

 次に、キツネが言葉を喋る点。「他の何者かを助けるためにこの世に生まれてくる聖なる動物」である自分のことを「ケネン」という名詞で語るのです。人間がこういった生まれ変わりの概念に(事故死した姉がキツネに、戦死したジークがピューマに生まれ変わったと考えられるのですね)名前をつけるのはわかります、でもキツネが会話の中で使うか? ものすごい違和感です。聖なる動物なんだから、下手に擬人化せず、行動や背景描写で表現してほしかった。このあたりの描写のうまさについては、日本には優秀なファンタジー作家さんがたくさんいらっしゃるので、普段からそちらを読み込んでいる日本の中学生読者家さんにとっては、本作はおおいに不満を感じるものとなるでしょう。

 総じて、作者は二人とも、お互いのパートの欠点について、言いあえていないのではないかと想像されます。普通なら優秀な編集者が客観的な感想を作者に伝え、それをもとにして、作者は作品に手を加えるのでしょうが、本作はどうもそのあたりがあまりうまくいっていないような。

 二人でパートを分けて合作というのは、やはり難しいもののようです。

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2017/05/28

佐伯和人「月はぼくらの宇宙港」感想

 平成29年度読書感想文コンクール課題図書中学校の部、ノンフィクション分野です。

 表紙の絵が、なんとも昭和っぽいし、対象が小学生っぽい。作者は気に入っているようですが、今時の中学生は、この表紙ではおそらく手にしないでしょう。同じ作者の「世界はなぜ月をめざすのか」のほうがよっぽどマシです。

 ミニ実験コーナーというのが8つあり、「月面の足跡をつくってみよう」「レイ(クレーター周辺にできる白い筋)をつくってみよう」などを紹介してくれます。地球上で簡単に実験できるよう、工夫されているとは思いますが、困ったのはこれらのコーナーの写真に実験者として出てくる子供が、筆者の実の娘だというところ。全国に自分の子供の顔をさらしていますが、いいんでしょうか? 子供の今後の身の安全とか、ちゃんと考えた? 将来お年頃になった娘が、このことを後で恨みに思ったりする可能性とかも、考えた?

 さてこの本、コスパについての説明がなかなか楽しいです。ロケットで1キログラムの重さの物体を打ち上げるのにかかる金額が1億円! 金1キログラム500万円と比較して、いかにお金がかかりすぎるかを教えてくれます。当然宇宙から物質を持って帰るのにも1億円かかるわけです。つまり、月に貴重な資源があったとしても、それを地球に持って帰って利用するには、お金がかかりすぎて現実的ではない。

 どうやら、宇宙に関わる仕事は儲かりそうにありません。この本を普通に読んで、「宇宙開発の仕事をしたい」と思う中学生は少ないのではないでしょうか。

 だったらなぜ今、世界の各国は月を目指すのか。それは月の資源を使って月面基地を作るためのようです。月で手に入る資源があれば、いちいち高い金を払って材料を月面まで送らなくてもすむというわけです。

 この本は子供向けなので、説明はこのあたりで終わっています。なぜ中国が真剣に月面基地建設の計画を進めているのか? その理由については、政治的問題もあり、触れてはいません。

 さて、読書感想文を書くなら、その年に起こった印象的な出来事と絡めて書くのはお約束。当然ここは、北朝鮮のミサイル開発と絡めるべきでしょう。

 おそらく中国が月面に基地を作りたい理由は、月から地球を偵察するためでしょう。本書にも、人工衛星では地表に近すぎて、地球のごく一部しか見ることができないなどと、ヒントが書いてあります。さらに、月からなら、地球全体を見ることができるというヒントも書いてありますし、ちゃんとその証拠写真も載せてあります。勘の良い中学生なら、「あ、中国は軍事偵察衛星よりもずっと性能の良い、月面軍事偵察基地の建設を目指しているのか」と気付くでしょう。 

 月からなら、北朝鮮のミサイル発射準備も、リアルタイムに観察できます(月が裏側にいる時は不可能ですが)。アメリカ合衆国の空母も、どこにいるか一発でわかります(今回の北朝鮮ミサイル実験に対する牽制として出航したアメリカ空母ですが、現在の中国の索敵能力では、位置の特定は不可能のようです)。今の戦争は、先に情報を手に入れた方が勝ちですので、月面基地を完成させれば、中国はアメリカなど諸外国に対して圧倒的優位に立てるでしょう。また、月面基地が完成すれば、そこで軍事用人工衛星を量産し、地球の静止軌道上に大量に送り込むという可能性も十分考えられます。

 さあ、全国の中学生諸君、どんな感想文が書けそうでしょうか(笑)?

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2017/05/15

森絵都「みかづき」感想

 塾の黎明期である昭和36年から現在にいたるまでの、塾経営者親子三代にわたる物語。ページ数は466Pもあるが、なにせ三世代の物語だから、ストーリー展開は結構ぽんぽんと進む。気の強い女房に主導権を握られた主人公が、どうやって自分を取り戻すか? というドラマでもあるし、女系家族の親子三世代、女三姉妹の成長と確執と和解のドラマでもあるし、塾が日本社会で求められてきた役割の変遷を描いたドラマでもあるし、かなりてんこ盛りな印象。

 キャラ設定として笑えるのは、主人公の吾郎だろう。生徒個々の能力に応じた教材を用意し、できた! 解けた! という体験を何度もさせることで、自分で問題解決する姿勢を身につけさせるという、まさに今公教育が目指している「生きる力」の育成を、昭和36年に既にやっていたという先見性でまず持ち上げておいて、女癖の悪さで地に堕とす!

 塾の共同経営者として、ドSの女を登場させ、吾郎と対面させるのだが、なぜか吾郎は、それほどタイプじゃない彼女と結婚し、二人も子供を作ってしまう。それでいながら、攻撃的な性格の女房との毎日に息詰まった吾郎は、自分を癒やしてくれる心優しい古本屋の女に浮気する! という、なかなか笑える展開なのだ。

 嫌なタイプの女なのに、なんで結婚しちゃうかなあ・・・。しかも子供二人も作っちゃって・・・。

 この優柔不断さが、孫の一郎にもしっかり受け継がれているところが、また面白い。女性作家だからこそ、こんな設定の小説が書けたのではないだろうか? 男だったら、絶対こんな、男の立場が根本から揺らぐような書き方はしないと思う。 

 文部科学省が「ゆとり教育」に、実は何を求めていたのか? のあたりは、事実だとしたらずいぶんひどい話ではあるのですが、実際のところ、どうなんでしょう?

 個人的には、大学時代に綴り方教室を少々かじって教員になったので、最後のほうでそれが出てきた時には、正直うれしかったですね。

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2017/04/09

貫井徳郎「壁の男」感想

「ある北関東の小さな集落で、家々の壁に描かれた、子供の落書きのような奇妙な絵。
その、決して上手ではないが、鮮やかで力強い絵を描き続けている寡黙な男、 伊苅(いかり)に、ノンフィクションライターの「私」は取材を試みるが……。 彼はなぜ、笑われても笑われても、絵を描き続けるのか? 寂れかけた地方の集落を舞台に、孤独な男の半生と隠された真実が、 抑制された硬質な語り口で、伏せたカードをめくるように明らかにされていく。ラストには、言いようのない衝撃と感動が待ち受ける傑作長篇。」

というのが本作の紹介文。

で、読んでいて最初に思ったのが、次のようなこと。

 下手くそな絵が、人の心をとらえるようなことが、本当にあるのだろうか? 下手くそな絵は、どれだけその背景に人情ドラマがあろうが、所詮下手くそな絵でしかないのではないか? 

 こればかりは実際に絵を見てみないと判定できない。もちろん本作は小説だから、絵の情報については、どこまでも文字で描かれるので、実際の絵がどのようなものかは、読者の想像力お任せという、丸投げ状態。仕方ない。

 それでも、本作は随所に破壊的な説得力を持つ描写があり、読者をう~んと唸らせる。

 例えば、伊苅が高校生のころのエピソード。「才能がある人のほうが、ない人より偉いなんて誰が決めたんだ」「才能があるから偉いんじゃなく、何をするかが大事なんだ」

 技巧を凝らした絵を描く才能が偉いのではなく、絵を描くことで何を成し遂げたか、そちらのほうが大切だというのが、この小説のテーマであろう。下手くそな伊苅の絵を、以前から快く思っていなかった老人が、ある日、伊苅に言うのだ。

「以前、どうして家の壁に絵を描くんだとおれが文句を言ったとき、気持ちが明るくなるからだとあんたは答えたよな」「じゃあ、うちの壁にも絵を描いてくれないか」「壁に絵を描けば、気分が明るくなるんだろう? おれもこのくさくさした気分を明るくしたいんだよ」

 そしてラスト、伊苅が下手くそな絵をなぜ描くのか、その理由が明らかにされる。

 なかなかに感動的な小説なのである。

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2017/04/01

渡辺優「自由なサメと人間たちの夢」感想

 小説すばる新人賞受賞作家さんの新作。

 七つの短編集。

 基本的にメンヘラ女が主人公のものが多い。さすがにそればっかり七つも続くと読む方もつらくなると考えたのか、間にメンヘラ男の短編をいくつか挟むことで、うまくバランスを取っている(笑)。

 4作目の「彼女の中の絵」なんかは、一芸に秀でた物同士が出会い、お互いが自分の不得手な部分を補い合い、あらたなプロジェクトをスタートさせる瞬間に立ち会ったような読後感で、なかなか私好みの短編である。なぜこの手の話が私好みかというと、「中田ヤスタカ」と「MIKIKO先生」と「Perfume」も同じパターンで成功してきたからである(笑)。

 しかし本書の圧巻はなんといっても最後の二編であろう。「サメの話」と「水槽を出たサメ」である。この二編は連作短編となっており、「サメの話」のほうはメンヘラ女が主人公。「水槽を~」のほうは、サメが主人公である。

 どこがいいかというと、主人公の女が、サメの目を通して自分を客観視するようになるところがいいのだ。一方サメはサメで、自分が生まれた意味について考え、そしてラストで解答にたどり着く。その解答が実にいい。

 鷲田清一も評論文に書いていたが、人間は基本的には「誰からも必要とされていない」存在なのだ。早くそれに気付いたほうが「誰かに必要とされたい」という欲求から自由になり、その後の人生が楽になる。そして、それを知った上で、本作の解答にたどり着けるのだ!

 「あなたにしかできないことはなんですか」という問いに苦しんでいる全国の若者たちに、是非本作を読んでほしい。

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2017/03/20

アリス・マンロー「ジュリエット」感想

 カナダのノーベル文学賞作家による短編集。

 だが、そのうちの3作は、ジュリエットがヒロインの連作となっている。

 「チャンス」は彼女が大学院で古典を学んでいる時の、男の選択が描かれる。「すぐに」では未婚の母となったジュリエットの、母親や故郷の人々との距離の取り方が描かれ、「沈黙」では中年のキャリアウーマンとなったジュリエットの、娘との距離の取り方が描かれる。このように、女の一生で何度か出てくる人生の重要な選択シーンが次々に登場する。

 「東京タラレバ娘」というTVドラマは、「あの時ああしていたら・・・、こうすれば・・・」と過去を振り返っては、グダグダの泥沼状態に陥いり、そこから抜け出せない3人娘に向かって、「振り返るな、行け!」というナイスなアドバイスをする金髪イケメンという展開が、なかなか面白い。

 ジュリエットにも、タラレバ的な人生の分岐点がいくつも現れるのだが、このヒロインは振り返らないし、後悔しないのだ。どちらかというと、読者の方が「あんたあの時、ああしていたら」と、いらぬ忠告をしたくなるという(笑)。でもヒロインはそんな忠告、もし聞こえてもどこ吹く風みたいに、逞しく生きるのだろう。

 彼女の賢さがそうさせるのだろう。「賢い」というのは、人生の分岐点でどちらを選ぶか、きちんと自分で決断する力があり、そして自分で選択した結果は全て受け止めるだけの覚悟があることを言うのだということが、本作を読むとわかってくる。決して学力の高さとは関係ないのだ。

 魅力的なヒロインである。

 ちなみに私の好きなアルモドバル監督が、本作を映画化したそうである。是非観てみようと思う。

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