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2017/10/29

ベルンハルト・シュリンク「階段を下りる女」感想

 ドイツの小説。2014年に出版され、あちらではベストセラーになったとのこと。

 「階段を下りる女」というタイトルの絵を巡って、ドラマは始まる。画家シュヴィントと、絵のモデルであるイレーネ。絵の所有者兼イレーネの夫グントラッハ。そして絵の所有権を画家シュヴィントに戻すことと引き替えに、モデルのイレーネとグントラッハを復縁させるという契約書を作成するために雇われた弁護士の「ぼく」の四人が、主な登場人物。

 若い時の「ぼく」は、イレーネを夫グントラッハから解放し、さらに彼女と駆け落ちすることを夢想し、彼女の脱出劇に荷担する。だが、自由になったイレーネは「ぼく」の思い通りには行動しない。彼女は行方不明のまま、40年の月日が経つ。ここまでが第一部。

 第二部では、イレーネの住居を「ぼく」が突きとめ、訪れるシーンから始まる。そして、どうやらイレーネが重い病気を患っているらしいことに「ぼく」は気づく。

 そこで「ぼく」は突然、介護問題について語り出す。次のように。

「誰もが仕事はしなければならないわけだが、仕事を辞める時点を自分で決められるのが、本来は正しいあり方だろう。その時点が来たら、社会は三年間、彼が自分にふさわしく、快適だと思う生活に必要な金を払い続けるべきだ。そのあと、彼は人生に別れを告げなければならないが、どのようにして死ぬかは自分で決められる。そんな政策は実行不可能だとわかってはいる。だが、それが実行できれば我々の高齢化社会の問題が解決されるだけではない。その政策はすべての人に自分の人生をコントロールする権利を与えるだろう」

 驚いた。今の民主主義の国家では絶対に不可能な政策だから。だが、かつての日本では、例えば鎌倉時代の西行法師のように、自分の死期をコントロールしても構わない時代があった。そもそも仏教は、釈迦が、自分の死期をコントロールする入滅を行っている。生きる権利と同じように、死ぬ権利が皆にあったのだ。

 やがて、イレーネの家に、かつての夫グントラッハと、画家シュヴィントがやってきて、絵の所有権について議論を交わす。

 第三部でイレーネは、自分の人生に別れを告げる前に、自分の人生をコントロールする。思い残すことがないように。そして彼女は、どのようにして死ぬかを、自分で決めるのだ。

 「ぼく」は、もし40年前に、イレーネが自分と駆け落ちしていたら、どんな人生を送ることになったか、その空想を、病床のイレーネに聞かせる。その語りの中で、「ぼく」は自分の人生を、かつて確かに作ったはずの「砂の城」を思いだす。そしてどうやらその作業が「ぼく」の心の癒やしになっているようなのだ。

 若い時に絵のモデルだったイレーネ。40年の月日がたったということは、第二部以降のイレーネは、おそらく60歳後半。「ぼく」のほうはおそらく70歳前後。画家シュヴィントと、元夫のグントラッハにいたっては、おそらく80歳前後の高齢者と考えられる。つまり本作は、じいさんとばあさんが、自分の人生の最期をどうコントロールするかを描いた作品というように読むことができる。

 じいさんばあさんの最期の話なのに、読後感は実に美しい。

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2017/10/22

小野寺優「ラノベ古事記」感想

 太宰治の文庫本「人間失格」の表紙を、ラノベタッチにしたら売れたらしい。

 馬鹿売れした「キミスイ」とかの表紙も、ラノベタッチだし。

 今はなんでもラノベ風にすりゃあ売れる時代! という安直な発想のヤツかと思って読み始めたが、本作、ちょっと様子が違う。

 各章のページを開くとその裏に、「CHARACTER CHART」なるものがあり、主な登場人物のイラストと解説がある。稗田阿礼(ひえだのあれ)についての説明がこうだ。

「一度見たり聞いたりしたものは忘れない」という特殊能力を持っていたため、28歳の時に天武天皇にスカウトされ、日本の歴史や系譜を暗唱。

 なるほど彼は今で言うところのサヴァン症候群だったのか。納得!!

 そして「序」の部分。今まで古事記の「序」の部分は、読んだことがなかったので、今回初めてその内容を知った(後で調べてみると、本作は一見おちゃらけたように見せて、かなり正確に口語訳してあることにびっくり)。おかげですごく勉強になった!!

 いよいよ本編を読み始める。とりあえず本作は、古事記の上巻の最後までを描いている。最近読んだ古事記では、こうの史代氏の「ぼおるぺん古事記」の印象が強く残っているので、どうしてもそれとの比較になってしまう。

 読み終えての結論。

 「ぼおるぺん古事記」は、作者こうの史代氏による、女性視点の解釈。男性の身勝手さを描いた作品だった。

 対して本作は、男性視点の作品。原作に見え隠れする「下ネタ」と「萌え」要素を、包み隠さず正直にあらいざらいに表現したらこうなっちゃいましたみたいな。

 大国主命の、手当たり次第に女に手を出すプレイボーイ部分の描写で特にそれを感じた。彼の別名が「八千矛神(やちほこのかみ)」である理由も、本作をよんで初めて納得(笑)。そうか、矛を使いまくってあちこちの女性を(以下自主規制)。

 ほとんどどこの図書館にも置いてある日本古典文学全集「古事記」と読み比べると、さらに本作の面白さが増す。そうかこのシーンはこういう解釈も出来るのか!

 なるほど、こういう読み方もありだなと。

 最後にまとめとして「跋」の章がある。そこで右大臣、藤原不比等が元明天皇にこう言うのだ。

「・・・古事記にはこちらに不都合な話が多すぎます」

「オオクニヌシの神話なんて、天皇の前にも別の王権があったことを認めているようなものじゃないですか。そんなん、わざわざこちらが正式に認めなくてもいいでしょう」

 今まで、みんな心の中で思っていても、口に出してこなかったことを、本作はずばり言っちゃってる! この潔さ。ラノベ風だからこそ、できたのではないか?

 面白かった!

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2017/10/14

天野純希「信長嫌い」感想

 信長が主役ではなく、信長のせいでいろいろと苦労したり、苦汁をなめさせられたりした方々が主役の小説である。

 全部で七話。

 第一話=今川義元(説明いりませんね)

 第二話=真柄直隆(朝倉義景配下の武将。 姉川の戦いで徳川家と戦い討死)

 第三話=六角承禎(信長上洛時に観音寺城に立てこもり抵抗するも敗北)

 第四話=三好義継(信長上洛までは大阪と京都を支配。将軍足利義輝を殺害)

 第五話=佐久間信栄(信長配下の武将。のちリストラされる)

 第六話=百地丹波(信長を暗殺しようとしてことごとく失敗した忍者)

 最終話=織田秀信(信長の孫。幼名三法師。関ヶ原の戦いで西側につき、敗北)

 ほとんどの作品に共通するのは、信長というとてつもなく大きな存在の前に、自分の存在意義が見つけられず苦悩する主人公の姿。そこそこがんばって出世したり、所領を広げたりしてきたのに、信長と比較すると、とたんに自分がちっぽけに見えてきてしまう。さらに、信長の悪運のあまりの強さに、信長は天から必要とされているが、自分はまったく必要とされていない存在なのではないかと自己嫌悪ループに陥るのだ。実に気の毒である。

 ただ、作者は、主人公たちが、最終的には自分の人生に満足して終わるようにストーリーを組み立てる。よい人生だったかどうかは、結果で決まるのではない。人生の岐路で、自分で自分が嫌いになるような選択をしてこなかったか。自分の性格に正直な選択をしてきたか。そのあたりが本作のテーマとなっているようだ。主人公の一人は「そうか。結局のところ、自分は誰かに褒めてもらいたいだけだったのか」と気付いた時に、吹っ切れる。

 そういうわけで、人生の敗北者たちのストーリーであるにも関わらず、読後感は実にすがすがしい。

 (追記) 最近、資料を多角的に読むことで戦国時代を見直す動きが盛んになっている。例えば長篠の戦いで鉄砲三段撃ちはなかったとか。本作では足利将軍義輝が、塚原卜伝免許皆伝の剣豪として、畳に突き立てた名刀を次々と取り替えながら寄せ手を鮮やかに切り捨てる姿が描かれる。これはどうやら江戸時代の創作であるらしいのだが、作者はそのあたりには深く突っ込まず、テーマを貫くため、エンタテイメントのため割り切って書いているようだ。

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2017/10/07

岩下悠子「水底は京の朝」感想

 作者は「相棒」「科捜研の女」等テレビドラマの脚本家。本作が小説家としてのデビュー作。

 京都が舞台の小説。だから随所に京都的な、怪しげな美や闇が描写される。また、嵐山や鴨川の三角州、赤光寺など、京都の名所を背景としてドラマが展開される。となると、いかにして森見登美彦氏の作品と差別化を図るかがポイントとなろう。

 作者は本作に、ファンタジー小説の手法ではなく、ミステリードラマの手法を導入することで、独自の色を出すことに成功したと言える。

 全部で五話ある。各話では、前半で一つの事件なりドラマなりが示される。そして後半、そのドラマを複数の登場人物が、それぞれ違う視点から解釈する。話によっては3通りの解釈が出てきたりして、はたしてどれが真相なのかわからなくなってくる。料理対決のマンガでは、後から出した料理が勝つ! というお約束があるようだが、本作ではそれは通用しない。多層的な読みができるのだ。だから、読んでいて実に楽しかった。

 ミステリードラマの手法によくある、「幻影痛」や「ネクロフィリア」など、ちょっと変わった病名やら、ちょっとダークな趣味嗜好やらが、小難しそうな専門用語を伴って次々に出てくる。そうやって前半でしかけておいた様々な伏線が、後半で鮮やかに回収される。これは相当計算して書いてある。さすが、テレビドラマの脚本家!見事なものである。

 ヒロインが、よくあるすっとした美人ではなく、背が低くてちょっとぽっちゃり系なのも、京都らしくて好印象!

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2017/10/06

カズオ・イシグロ「私を離さないで」とPerfumeの「Spending all my time」

 カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。当ブログでも、以前「私を離さないで」(映画)を紹介したことがある。自分のお気に入りの作家さんがノーベル賞を受賞するのは、やはり嬉しいものである。

 さて、その「わたしを離さないで」だが、閉鎖された学園で健気に運命を受け入れる少女たちのイメージと、Perfumeの「Spending all my time」のPVのイメージがよく似ているという感想を、以前当ブログで書いた。その後、「Spending all my time」は、Perfumeの3人が、レコード会社を徳間からユニバーサルへ移籍する時の葛藤と決断を描いている、という解釈も書いた。

 来月、11月29日にはPerfumeのPV集第2弾が発売される。2012年当時のPerfumeのおかれた状況に思いを馳せながら、「Spending all my time」を鑑賞したい。

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2017/10/01

WOWOW「淵に経つ」感想

 なかなかに衝撃的な作品であった。

 まずは、浅野忠信が演じる八坂の不気味さ。刑務所でたたき込まれたのだろう、姿勢や所作は実に端正で、きちんとした敬語を使う。遺族へ書き送る手紙は、文面も文字も丁寧。ぴしっと折り目のついた白いカッターシャツを着て、おまけにオルガンも弾けるときたら、そりゃあ章江が徐々に心惹かれていくのも無理はない。今のダンナよりもよっぽど魅力的に見えたことだろう。

 それでいて、「ああ、すみません。明るくしておかないと眠れないんです」などと、不穏な雰囲気をきちんと描写。

 川遊びの時、八坂が本音を一瞬見せるシーン、見ていてゾクッとした。

 そして、赤いシャツ。八坂が本性を剥き出しにする、その映像が怖い。

 熱心なキリスト教徒として、まじめに生きてきた章江視点で本作を見ると、実にやるせない気持ちになる。夫の本性を見抜けなかった罪。夫と娘がありながら八坂に気持ちが傾いたことの罪。どちらも不可避に近い。それなのに、神は章江に過酷な罰を授ける。実に不条理である。

 古舘寛治が演じる利雄も恐ろしい。終盤で妻の章江に真実を告げるシーンがある。その時の開き直りっぷりが、この男も八坂に負けず劣らずの悪党であることを教えてくれる。とどめは「お前だって、八坂とできていたんだろ」 章江をどん底にたたき落とす。川遊びの時に撮った写真が、ラストの切れ味鋭い伏線となっている。

 エンディングのオルガンが、また効果抜群で困った。よく計算された作品だと思う。

 追記

 前半と後半の間には、8年の時間の経過がある。利雄と章江夫婦の加齢加減が、そのたるみ具合が、実に見事。あれだけ肉体をたるませるには、一ヶ月以上はかかりそう。撮影の時は、前半部分を先に撮ったのか、それとも後半部分を先に撮ったのか、知りたくなってきた。もし後半が先なら、前半部分撮影のために、相当過酷な肉体トレーニングを行ったのではなかろうか。ライザッ・・・のCMに出演できそうだ。

 

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