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2017/08/24

江國香織「なかなか暮れない夏の夕暮れ」感想

 読書あるある! を、入れ子構造の劇中劇小説に応用しましたという感じ。

 本書の主人公・稔の趣味は読書。稔が読んでいる本のストーリーと、稔の周辺の人々のドラマが交互に語られるのだが、そのつなぎ目が唐突なのだ。例えば次のように・・・。

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何が起きたのかわから

「稔」

肩をつつかれ、見るとすぐそばに雀が経っていた。

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 一行目は稔が読んでいるハードボイルド小説である。読書に夢中になっているところに、妹の雀が突然訪問してきて、稔は現実世界にいきなり戻されるのだ。

 まさしく読書あるある! なのだ。読書好きなら、皆似たような体験をお持ちだろう。さらに劇中劇であるKGBがからんでくるハードボイルド小説がなかなかスリリングな展開で、「え、ここでお預け? この続き、どうなっちゃうの? 早く読ませてよ」殺生なのである。

 この、途中でぶった切るという感覚は、雀の絵はがきにも使われていて、一枚目が「今朝は時計草の実をた」・・・いや「た」って何? そうしてこの続きが二枚目に「べました」とあるのだ。

 稔の元妻である渚は、読書に夢中になるあまり、妻と会話をしようとしない稔との生活に嫌気がさして離婚したらしい。再婚した新しい夫は、稔とは正反対で、食事中、絶えずテレビのバラエティ番組を見ては、出演者たちが語るどうでもいい内容についての感想を妻の渚と共有したがる。渚は、こういうなんでもない日常が幸せなのだと思い込もうとする。失って初めて大切さに気がつくタイプのものだろうと。

 こういう人物を設定することで、本作は読書好きの幸せをさりげなく描くのだ。

 ついでに言うと、登場人物の多くが妙な恋愛をしている。由麻という女性は妻子持ちの男性と大恋愛ののち、彼の子どもを出産する。ところが赤ん坊との生活を送る内に、「結局のところ、彼は由麻に雷留を与えてくれたのだから、もう役目は終えているのだ」大恋愛がすっかり冷めてしまうのだ。

 劇中劇でもラウラはこう語る。「たぶん恋は全部過ちなんだわ」

 稔の親友の大竹にいたっては、妻へのストーカー行為が高じて・・・(笑)。生物の本来持っている、生殖活動に対する本能にあらがうことのできない人々が、たくさん登場する小説なのである。

 ラストの終わり方もなかなかよい。やっぱり読みかけの本は、きりのいいところまで読みたいよね。

 さて本書、登場人物がやたらと多いのに、その一覧表がない。というわけで作ってみた。これから本書を読もうというかたのお役にたてば幸いである。

劇中劇その一の登場人物

ラース=58歳 主人公

ゾーヤ=30歳前後のジャズシンガー、ラースの愛人

モーナ=ゾーヤの妹

エリック=ピアニスト、ゾーヤとトリオを組んでいた。

ソニア=エリックの妻

イサーク=エリックの旧友

オラフ=KGB、エリックからある証拠の品を回収するのが任務

マリーエ=KGB、オラフの仲間

劇中劇その二の登場人物

ナタリア=主人公、カリブ海の島に住む若い娘

ラウラ=ナタリアの幼なじみ

ジョニー=ラウラの恋人

ベンジャミン=ラウラの仕事先の上司で、ラウラの浮気相手でもある

プリニオ=ナタリアの兄。トニオというマフィアの子分

スコット=アメリカのギャング

本編の登場人物

稔=主人公、読書好き

雀=稔の姉、カメラマン

渚=稔の元妻、再婚して藤田姓に。

波十(はと)=稔と渚の間にできた娘、八歳、稔と同じく読書好き

藤田=渚の再婚相手、テレビが好き

淳子=稔の同級生、女性誌編集長、(ジュンジュン)

光輝=淳子のできのいい息子、大学生

大竹道郎=稔の親友、同級生、税理士

彩美=大竹の二度目の若い妻、(ヤミ)

加奈子=大竹の同級生

さやか=高校教師、56歳、チカと同居(レズ)

チカ=小料理店経営、52歳

真美=チカの店のアルバイト、学生

木村茜=稔が社長をしているソフトクリーム店の店員

由麻=茜の友人、藤枝という妻子ある男性の子(雷留)を出産

藤枝=妻子があるのに、由麻と浮気

雷留(らいる)=由麻と藤枝の子。名前は将来外国に行っても通りがよさそうだからという理由でつけられた

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2017/08/19

歌野晶午「Dの殺人事件、まことに恐ろしきは」感想

 江戸川乱歩の小説をリライトした短編集。

 やはり有名なのは「人間椅子」だろう。椅子の中に隠れるという、その発想自体が笑えるので、今までにあちこちで笑いのネタにされてきた作品。

 本作では「椅子? 人間!」というタイトルでリライトされている。

 女流作家と、その元カレの会話のやりとりでドラマは進む。当初は元カレがストーカーとして描かれる。そしてその元カレが、どうやら椅子の中に隠れているらしいことに女流作家が気付く。

 普通なら、女流作家がいかにしてこの気持ち悪いストーカー男を撃退するか! というドラマになりそうなものだが、そこはさすが歌野晶午。本作は思わぬ展開を見せる。途中から、本当に悪いのはストーカー男なのか、それとも女流作家なのか、判別がつかなくなってくるのだ。さらに読み進めると、女流作家のほうが悪人のような気がしてきて、ふと気がつくと、ストーカー男のほうを応援していたりする。もっとこの女に復讐してやればいい。もっと恐ろしい目にあわせてやればいい、とさえ思い始めるのだ。

 ストーカー男のメールの文末に(提案)とか、(遠い目)とか、(助言)とかあるのが、実に楽しい。最後の方で(予言)が出てきた時には「ジョジョの奇妙な冒険か?」と思わず突っ込んでしまった(笑)。

 ラストの、恐怖のどんでん返しの鮮やかさもお見事な、ピカレスクロマンなのである。

 「押し絵と旅する男」をリライトした「スマホと旅する男」も素晴らしい。アイドルに夢中になったストーカー男が(またストーカーだよ・・・笑)、彼女のデータを読み込ませたAIチャットプログラムをスマホにインストールして、いっしょにあちこち旅をするというストーリー。本作もラストのどんでん返しが実に鮮やか。そしてもの哀しい。

 いつまでも蒸し暑い、今年の夏の夜に、ぴったりな一冊である。

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2017/08/11

鈴木紀之「すごい進化」 ~一見すると不合理の謎を解く~ 感想

 進化論については中学~高校の授業で学びますし、過去にも進化についてはさまざまな本が出版されてきました。キリンの首がなぜ長くなったのか? とか、クジャクの雄の羽は(外敵に襲われる可能性が高まるのに)なぜあんなに派手なのか? とかについては、おそらくかなりの人がその理由を既に知っていると思います。

 というわけで本書、何が今までの本と違うのか。

 大きく二つあると思います。まずは筆者命名「いやいや進化論」!

 クリサキテントウムシは、まわりに栄養価の高いエサがあるのに、なぜあえて栄養価の低いエサを食べるのか? この不合理な行動を説明するために筆者が注目したのが「異種への誤った求愛」つまり、ナミテントウとクリサキテントウが同じ場所で生息し、異種交配があった時に、どちらがより多く子孫を残せるかに注目したのです。この部分の説明に、筆者は20ページ以上を費やしますが、ここがすごくおもしろい。

 例えば「オスのみさかいのなさ」という章があるのです。「自然界のオスには勝ち組と負け組がシビアにあらわれる」つまり、モテるオスはたくさんのメスと交尾できるが、「一度も交尾せずに生涯を終えるオスもいる」という事実が、人間のオスにもあてはまるようで,実に涙を誘います(笑)。さらに「こうした状況を前にして動物のオスはどのような行動をとるべきでしょうか。それは『ほんの少しのチャンスも逃さない』という意思決定です。」つまり、みさかいなくメスにアタックするというわけです。これを人間のオスにあてはめると・・・想像しただけで恐ろしいのでやめました(笑)。

 さらに読み進めると「ネアンデルタールとの交雑」という章があって、過去に我々の祖先であるホモ・サピエンスは、別種のネアンデルタールと交雑していたことが、DNA解析からわかったとあります。まさに人類のオスは「みさかいがない」ことを証明・・・。ああ、オスって、なんて哀しい生きものなんだ・・・。

 さてそこから筆者は、テントウムシにも同じようなことが起こった場合にどうなるかを知るために、カゴの中にオスとメスを入れて実験し、データをとったのです。その結果、クリサキテントウのメスは、まわりにたくさんナミテントウのオスがいると、同種のクリサキテントウのオスを見つけることができなくなり、ナミテントウのオスとばかり交尾して、結果的に子孫が残せなくなるのです。ナミテントウのメスはちゃんと、たくさんいるクリサキテントウのオスを避けて、同種のナミテントウのオスと交尾するのに。

 これを人間にはてはめると、白人の女性はまわりにたくさん黄色人種の男性がいても見向きもせずに白人の男性と交尾するんだけど、黄色人種の女性はまわりにたくさんの白人イケメン男子がいたら、そちらとばかり交尾し、同種の黄色人種男性とは交尾しないということ?・・・いや恐ろしい想像なので、これ以上は考えないようにします(笑)。

 こうしてクリサキテントウは、ナミテントウがたくさん生息している場所では子孫が増やせないということがわかりました。その結果、ナミテントウが食べないような、栄養価の低いエサを食べて生き延びることになったわけです。本当はクリサキテントウもナミテントウといっしょに栄養価の高いおいしいエサを食べたいのですが、同じ場所では子孫が残せないので、「いやいや」まずいエサを食べる方向に進化せざるを得なかった・・・これが「いやいや進化論」! なんて哀しい(笑)。「なりたい自分になるんだ」という、自分にとって都合のよい方向にばかり進化するわけではなくて、なりたくない自分にいやいや進化することもあるんだという衝撃の事実(笑)!

 もう一つ、本書の主張の新しさがあります。それは「役立たずなオス  性が存在する理由」という章です。

 有性生殖は、環境の変化や病気に対応するために有利、とか寄生生物に対抗するために有利、というのが従来の説でした。しかし、いずれの説も、自分のコピーをつくる無性生殖で子孫を残すほうが、効率の面で優れており、有性生殖の有利な理由を説明し切れていないというのが進化生物学者の共通認識なのだそうです。

 そこで筆者が注目したのが、無性生殖と有性生殖の両方を行う種です。ユウレイヒレアシナナフシという、擬態が上手で、もしオスと出会わなければ単性生殖でメスばかりを産むナナフシを観察したのです。すると、ナナフシのメスは、オスに発見されないようひたすら擬態をしているのですが、一度発見されたら、オスをキックし、オスが嫌うにおいを出すなど、徹底的に交尾を拒絶するのです。オスは対抗手段として交尾器の先端にカギのようなものがあり、なんとかしてメスの交尾器にそれを引っかけようとします。メスは交尾を拒否して単性生殖をしたい。オスは交尾して有性生殖したい・・・というわけです。つまりメスは「いやいやながら」交尾に応じ、有性生殖をしていることに。本来ならメスは無性生殖をしたいのだけれど、オスの存在により、「いやいやながら」有性生殖をしているという例を観察したわけです。そしてこれが、有性生殖を行う種がこれだけ繁栄した理由の一つではないかというのです。

 今年の夏も、たくさんのクマゼミのオスが、メスを求めて木のまわりを何周もぐるぐる飛び回っては、メスに抱きつく姿を見ました。ああ、あの行動は、本当はメスは嫌がっているのかもしれないなあ・・・。

 これを人間にあてはめると・・・いやいやすぐに人間にあてはめて考えるのは悪い癖ですね。やめましょう(涙)。

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2017/08/06

「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」感想

 8月23日発売予定キュウソネコカミの新曲「NO MORE 劣化実写化」冒頭部分をYou Tubeで聞くことが出来ます。「原作読んでんの」「監督どうすんの」「人間離れの再現できないマンガに手を出すな」などなど、笑える歌詞がぎっしり詰まっています。

 ネットでも「マンガ 実写化 失敗」で検索すると、出るわ出るわ(笑)。

 失敗理由として特に多く取り上げられるのが、 

1 キャスティングが自分のイメージと違った時(特に演技が下手な、売れているアイドルを起用した時)

2 監督が勝手に脚本を書き換えた時

のようです。

 さて、それでは今回のジョジョ、まず、1のキャスティングはどうだったでしょうか。以下に感想を述べたいと思います。

 広瀬康一:神木隆之介=よかったです。育ちが良くて、なんとなく頼りなさそうな雰囲気がぴったり。

 山岸由花子:小松菜奈=よかったです。美人なんだけど切れると怖そうな雰囲気がぴったり。

 虹村億泰:真剣佑=よかったです。美形なのにそれを表に出さず、単純で頭悪いけど男気のある役どころを見事に演じています。素晴らしい。

 空条承太郎:伊勢谷友介=私のイメージでは、空条承太郎はもっとマッチョな雰囲気だったので、あまりに胸が薄くて残念!

 山崎賢人:東方仗助=あごのラインがふっくらしていて、私のイメージと違います(笑)。

 次に2の、脚本の書き換えはどうでしょうか。以下に感想を・・・。

 じいさんとお袋、登場しすぎ。じいさんがパトロール中に町の若い無職青年に声をかけるシーンとか、家族で夕飯食べるシーンとか、じいさんの筋トレシーンとか、事件の切り抜き記事めくるシーンとか、葬儀シーンとか、あれ本当に必要? 全部カットしたらもっとテンポのよい作品になっただろうに。そうしたら、2時間のうち、最初の40分を片桐安十郎編に、次の40分を虹村兄弟編に、最後の40分を山岸由花子編に使えたのに・・・。じいさんとお袋の二人に有名ベテラン俳優(國村隼と観月ありさ)を使ったのが失敗ですね。無名でいいんですよ。そしたら俳優さんに気を遣わずばっさり登場シーンを減らせたのに。

 同じ事が、山田孝之演じる片桐安十郎にも言えます。これ、無名の役者が演じていたら、ここまで無意味なドラマを延々と見せられることもなかったのではないでしょうか? 我々は、原作にない片桐安十郎のドラマなんかには、これっぽっちも興味ないのです。それなのに、本作はうっかり山田孝之を使ってしまったため、監督は彼の出番を増やさざるをえなかったのでしょう。延々と、どうでもいいドラマを見せられるハメになってしまいます。

 そういうわけで、私が監督なら、片桐編で20分くらいは削りますね。

 ストーリーの順番も違います。いきなり広瀬君が山岸さんに出会うシーンから始まります。それなのに、広瀬君のスタンドも、山岸さんのスタンドも、今回は出番なし。これっていったいどういう意図? (今回の第一部は、山岸由花子は登場するだけで、ドラマ部分はまったくないのです。)第一部で広げた風呂敷は第一部で一通り収めていただかないと、観ている観客はものすごいフラストレーションが溜まるのでは? 

 最後に全体的な感想を。

 期待していたのはスタンドの活躍シーン。それなのにスタンドの出ている時間が少ない。下手な人間ドラマなんか、もうさんざん見飽きてるからいりません。それより、もっとスタンド見せて! もっと「ドララララ」聞かせて! そのためのCGなんじゃないの?

 今回、ジョジョシリーズの第四部を実写化したわけですが、なぜ第四部なのか、説得力がありません。やたらと感情移入しすぎて、テンポが重くなるシーンが多いのです。

 第一部~第三部と違って、第四部の主人公は、石仮面や赤石などの宿命に巻き込まれた過去の主人公のような悲壮感が薄い。また、第一部から第四部へと進むにつれて、敵を倒す手段が、肉体的な方法よりも頭脳パズル的な、知的な手段によるものが多くなる傾向にあります。例えば第3部の主人公のスタンドは、時間を止めることができるという、ほぼ無敵な能力を持っているのに、第4部の主人公たちのスタンドは、文字の擬音を実在化させるとか、一度壊したものを元通りにするとか、そのまま使ったのでは戦力として役に立たなさそうなものばかり。この、一見何の役にも立ちそうにない能力を、どう組み合わせて相手を倒すか、頭を使っての闘いになるわけです。(虹村弟のスタンドなんか、一番戦闘力がありそうなのに、残念ながら使い手の虹村弟が「お前、バカだろ」なために、うまく使いこなせていないあたり、絶妙なバランスとなっています。)

 つまり怒りに身を任せて肉体攻撃力的解決をはかる主人公ではなく、怒ってはいてもどこかでクールに計算する主人公、それが第四部の仗助です。それなのに、なんでこの映画の仗助は感情移入しすぎるの?

 せっかくスペインでロケしたのに、作品のテンポは日本独特の浪花節的重さでのったりべったり。からっと乾燥した空気感が感じられません。もったいない。

 

 ああでも、山岸由花子=小松菜奈の怖ーいぶち切れシーン見たさに、きっと第二部も観に行ってしまうんだろうなあ・・・。あ、これってひょっとして、監督の思惑通りになってる(笑)。

 

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