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2017/06/24

辻村深月「かがみの孤城」感想

 不登校の中学生男女七人が登場。七人いるので、ネグレクト、協調性のない性格、家庭内暴力、母親の情緒不安定、虚言癖など、不登校のきっかけとなる主なパターンは一通り網羅されている。

 特に主人公の受けたいじめは、いかにも「あるある」なパターン。誰が誰のことを好きかとか、誰のせいで誰の恋愛がうまくいかないだとか、この子が失恋したのはこいつのせいだとか、この男の子は、アタシのことが好きなのよあんたのことなんかちっとも好きじゃないのよ引っ込んでなさいとか、恋愛に関するあることないこと情報をまき散らし、私の味方になれば損はさせないけど、そうでなければ酷い目にあうわよ! わかってんのあんた!とか、まるで関ヶ原の合戦の前に、家康が書きまくった手紙攻撃みたいなことをクラスじゅうに実行する女子生徒。実際にこの手の人物は、どこの中学校のクラスでも最低一人以上はいるだろうと思われる。そうして女子中学生の間では、表に出ない形でこういう形の仲間外しが、毎日行われているのではなかろうか? 作中に「どこへ行ってもああいう嫌な奴はいる」みたいなことが書いてあるが、まさしくそうだと感じる。

 本作では、主人公たちは、かがみの孤城という、現実にはありえない架空の世界で、お互いの欠点に触れないよう気遣いながら、ゆるくて楽な人間関係を築いていく。そうして少しずつ心の傷を癒やしていくのだ。

 「かがみの孤城」は、ネットゲームの世界では友人が多く、とってもいい人!の演技をしている奴が、実社会では引き籠もりで、家から一歩も出られない・・・という、ありがちなパターンをメタファーとして表現しているように感じられる。

 本作では、七人が徐々にお互いの痛み、苦しさに気付き、相手の立場に立って考える客観性を身につけていく。自分だけでは思いつきもしなかった別のベクトルからの物の見方を身につけていくのだ。そして、お互いを助け合うことはできないのだろうかと、模索していく。このように、引き籠もりの主人公が、精神的にたくましく成長するストーリーは王道と言える。

 というわけで、本作は王道の主人公成長物語(ビルドゥングスロマン)なのだが、実は第一級のミステリー小説という側面も併せ持つ。このあたりが、「十二国記」などの過去の名作との大きな違いであり、本書の特徴でもある。

 特にヒントについてだが、最初からあそこにもここにも示されている。にも関わらず、最終場面まで私はそれに気付かなかった。そういうわけで、ラストの種明かしには正直驚いた。

 ラスト前で、七人がなぜ不登校になったか、その事情が克明に描かれる。このあたりはヒントだけ示し、あとは読者に想像させる手もあるのだが、本作ではリアルな描写があって、はじめてその後の種明かしに説得力が生まれるようになっている。

 一冊で二度おいしい。おすすめである。

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2017/06/18

ケン・リュウ「母の記憶に」感想

 2年前、「紙の動物園」で、日本のSFファンの心を鷲づかみにしたケン・リュウ氏のSF短編集第2弾。

 16編の短編が収められています。印象に残ったものの感想をいくつか。

 まず表題作の「母の記憶に」

 短編集ですが、この話が一番短い。「光速に近づくと時間の流れが遅くなる」という、SF好きまら誰もが知っている特殊相対性理論を、親子の絆というテーマでケン・リュウが扱うとどうなるか。読後の印象も鮮やかな作品です。

 「草を結びて環を銜(クワ)えん」と、「訴訟師と猿の王」の二編は、いずれも「揚州大虐殺」という、中国の歴史から一時封印されていた大事件に、真っ向からあらがって散っていった市井の人を主人公にしたもの。後者はタイトルからもわかるとおり、例の有名なスーパーモンキーが登場するのですが、この猿が超能力を使って事態を打破するような筋立てではないところが、キモとなっています。彼は徹底して主人公の傍観者として描かれるのですが、最後にこの猿が何をしたか・・・このあたりが実にケン・リュウらしいのですね。 決して歴史の表に残ることのない無名の人たちへの優しい眼差しが、しみじみとした読後感につながります。

 個人的にツボだったのは「重荷は常に汝とともに」

 ピラミッドに残された古代文字を読み解くのと同じように、惑星ルーラでかつて文明を築いた異星人の文字を解読する若き考古学者・・・ではなくてその彼女が主人公(笑)。ちなみに彼女の職業は、会計士。彼女が読み解いたルーラの散文詩、その本当の意味は・・・これが実に笑えます。しかも、こういうパターンって本当にありそうなところがすごい。あなたも是非、「重荷」が何のことなのか、推理してみてください。(ヒントはもうここに出してありますよ(笑))。

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2017/06/11

鳴海 風「円周率の謎を追う~江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」感想

 平成29年度読書感想文中学生の部第3弾。
 そこそこネタバレあります。

 実在の有名人物をもとにした小説です。ヨーロッパの数学者よりもずっと早くに、円周率に関する理論を発見しまくっていたという天才数学者・関孝和が主人公。彼の、幼少期から青年期にかけての資料はほとんど残っておらず、従って、どんな少年時代を過ごし、どんな性格で、どんな女性とおつきあいしていたかは、誰にもわかりません。というわけで、このあたり完全に作者が創作して書き上げたのが本書。

 まず関孝和少年期のキャラ設定。
 外見は背が低くて剣道も弱く、武士なのに体育会系ではない描き方。ならば勉強ができるのかと思いきや、引っ込み思案で口下手。論語も十分に理解できていない・・・というように、中学生の読者が読んだら親近感を抱くように描いてあります。ただし、何事も慎重に考えてから返答するというあたりから、なるほど、じっくり考えて考えて考え抜く性格で、だから最終的にはすごい業績をあげるのかと、読者はうなずくような仕掛けになっております。

 彼が通う数学塾の先生には香奈という娘があり、主人公よりちょっと年上(孝和15歳、香奈18歳)の、美人で積極的な女性として描かれます。肺の病にかかり、婚期を逃したという設定。当然主人公は積極的な香奈さんに引っ張られる形で、算学(江戸時代、数学の難問を絵馬に書いてお寺に奉納するのが流行っていた)に次々挑戦していくわけです。
 で、このあたりから既視感に襲われます・・・。いやこれ、江戸時代の天文学者を描いた「天地明察」と同じパターンだろ! もうちょっとヒネりが欲しいような・・・。まあでも、「天地明察」の重要な登場人物の一人が関孝和ですから、これは仕方ないところでしょうか。

 さて本書、全部で200ページ弱の短い小説なのですが、140ページを越えた辺りから、急に史実に忠実な書きっぷりになってきます。関孝和が壮年にさしかかる辺りからは、資料が結構残っていて、作者が勝手に書くわけにはいかないのでしょうね。結果、だんだんと小説ではなく、偉人伝っぽくなってきます。その淡々とした進行にはびっくりです。前半の頼りないキャラが、後半はやたらと分別のある人物に変わり、お家のために上司に言われるまま縁談をすすめ、所帯を持つのです。香奈さんも、後半は出番が少なくなったと思ったら、いつのまにか他の男の嫁になっていたり。前半あれだけ主人公とラブラブだったのは、一体何だったの(笑)。

 円周率の求め方についての説明はよくできていて、中学生にもすとんと理解できるでしょう。できれば本物の「大成算経」のコピーと、その読み方、それを現代の数学の数式に置き換えたものなんかを、資料として添えてくれたらなおよかったのに。でもそこまでやっちゃうと、完全にノンフィクションになっちゃいますか。

 「西洋の数学者は新しい理論を発見したら自分の名をつけて業績をアピールする。関を代表とする江戸時代の数学者はそんなこと考えもしなかった。彼らはただ数学が好きなだけであった」という西洋の数学者との比較で本書はしめくくられます。論語の「これを知るものは、これを好む者におよばない」と、ちょっと似てますか?
 まあでも、偉大な発見をしたら、やっぱりきちんと功績として残し、有名になり、皆から褒め称えられたいと思うのも、人間の自然な感情だと思うので、感想文を書くなら、このあたりをどう書くかでしょう。
 

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2017/06/04

キャシー・アッペルト&アリスン・マギー「ホイッパーウィル川の伝説」感想

 平成29年度読書感想文コンクール課題図書シリーズ第2弾! 海外文学です。

 著者名が二人ありますが、これは一人が人間視点の部分、もう一人がキツネ視点の部分、というように、完全分業制で書いているからです。そういうわけで、主人公は二人・・・いや一人と一匹います。さてその成否は・・・これについては後ほど。

 人間のほうの主人公は11歳の女の子ジュールズ。姉を事故で亡くし、その喪失感から立ち直れずにいます。ある日キツネに、生前の姉が通っていた秘密の場所へ導かれます。そこで、姉の本当の思いを知り、生きる力を取り戻すというストーリー。

 同時進行でキツネのストーリーも語られます。ある使命を帯びた若いメスのキツネが、その使命のために殉死します。残された兄キツネが、妹キツネを悼む、というストーリー。

 二つのストーリーに共通するのは、生き残った者が死んでいった者を悼み、その喪失感から立ち直るという点。

 あらすじだけ書くと、なんだか感動的な、素晴らしい話のような気がするかもしれません。が、しかし・・・

 まず主人公ジュールズのキャラ設定、自分のことで手一杯で、感情をうまくコントロールできない少女に、果たして、思慮深い読書好きの中学生が、感情移入できるでしょうか? できれば年齢設定を14歳くらいにして、もう少し客観的に自分を見るキャラにしてほしかったですね。読んでいてかなりイラッとします。

 次に、ジュールズの友人の兄、エルク。親友ジークがアフガニスタンで戦死し、その喪失感に苦しんでいるのですが、ある時森の奥で、ジークの死を悼むため、猟銃を21発も発砲!! ああ、アメリカってつくづく銃社会で、徴兵制のある国なんだなあと思いました。日本人の感覚では、野生動物の住む森の奥で21発も発砲なんてありえません。森の動物や精霊(本書では、森の精霊が存在するという設定)たちにケンカ売ってんのか? と思ってしまいます。この後、エルクは、森を騒がせた罰として、クマに食い殺されるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら読みました(そうはなりませんけど)。

 自然界と共生・共存するのではなく、自然は人間の力で征服するもの、という文化で育っているからなんでしょうね。なにしろ、アメリカは開拓民の国ですから。

 次にピューマ。どうしたピューマ。出番はそれで終わりか? エルクとのその後の関わりがほとんど描かれてないような気がします。エルクの心を救う役どころじゃあなかったの? これでは登場した意味がありません。

 次はクマ。臭いとか、バカとか、一方的に悪者として描かれています。なぜキツネとピューマは善き者で、クマは悪しき者なのか? 両者を分ける基準がわかりません。クマだって森の一員だぞ。作者の都合で勝手に差別するな!

 次に、キツネが言葉を喋る点。「他の何者かを助けるためにこの世に生まれてくる聖なる動物」である自分のことを「ケネン」という名詞で語るのです。人間がこういった生まれ変わりの概念に(事故死した姉がキツネに、戦死したジークがピューマに生まれ変わったと考えられるのですね)名前をつけるのはわかります、でもキツネが会話の中で使うか? ものすごい違和感です。聖なる動物なんだから、下手に擬人化せず、行動や背景描写で表現してほしかった。このあたりの描写のうまさについては、日本には優秀なファンタジー作家さんがたくさんいらっしゃるので、普段からそちらを読み込んでいる日本の中学生読者家さんにとっては、本作はおおいに不満を感じるものとなるでしょう。

 総じて、作者は二人とも、お互いのパートの欠点について、言いあえていないのではないかと想像されます。普通なら優秀な編集者が客観的な感想を作者に伝え、それをもとにして、作者は作品に手を加えるのでしょうが、本作はどうもそのあたりがあまりうまくいっていないような。

 二人でパートを分けて合作というのは、やはり難しいもののようです。

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