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2016/12/31

伊坂幸太郎「サブマリン」感想

 「チルドレン」の登場人物が再び活躍。

 主人公は家庭裁判所調査官。犯罪を犯した少年を、更正の余地があるかどうか調査・面接し、少年院送りにするか保護観察にするかを判断するお仕事。

 今回も伏線が実に丁寧。

ネットでの犯行予告が本物かどうかを高確率で見破る少年が登場するのはなぜか。

陣内はなぜ年上の男と難しい顔して喋っていたのか。

陣内にはなぜ視覚障碍を持った友人がいるのか。

陣内はなぜその友人にドラムの練習をさせたのか。

なぜタイトルは「サブマリン」なのか。

犯人はなぜ打ち切りになった漫画の最後を読みたがったのか。

・・・などなど(笑)。

 犯人がなぜ事故を起こしたのか、その理由が復讐なんだろうなということには、わりと早い段階で読者のほとんどが勘づくと思います。ただ本作、伊坂氏は読者の想像のさらにもう一枚向こう側に、真相を用意してくれています。最後まで楽しませてくれる一冊です。さらに本作、あちこちに浪花節が用意してあり、油断していると一気に涙腺が決壊しそうになります。いやホント陣内いいヤツ!

 ネットで犯人を見つけ出す手法はぼかして書いてありますが、最近のいじめ事件で、いじめた側が実名写真付きでネット上にさらされているのを見ると、これは本当に可能なんだなと背筋が寒くなりました。

 「法が犯人を罰しないのであれば、犯人がのうのうと生きているくらいならば、誰かが復讐すればいいのに」「悪い人間の命は奪ってもいい」「そんなひどいことをした奴は問答無用で潰してしまえ」

 昔は悪人を非合法に抹殺するという「必殺仕事人」などというシリーズがテレビでヒットしたりしました。

 なぜ悪い奴がのうのうと生き延びて、悪くない奴が死んだり苦しんだりしなければならないのか? この難しい問いかけに対して、作者はどんな答えを用意しているか。

 是非ご自身でご確認ください。

 ついでに、父親による家族内暴力で苦しんでいる少年たちも、ぜひ本書を手にとって読んでほしい。読書が苦手でも、207ページまでは投げ出さずに読んでほしい。少し世界の見え方が変わってくると思います。

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2016/12/26

「マカロニ」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

 NHKのある番組で、スガシカオ氏が「Perfume好きなんです。特にマカロニとワンダー2。アルバム聞く時は、もうマカロニばっかり聞いてます。」みたいな発言をしていた。
 スガシカオ氏がマカロニを好きだという理由もわからないでもない。『最後の時がいつか来るならば、それまでずっと君を守りたい』にぐらっと来ないわけがない。
 ところで、曲タイトルのマカロニとは、いったい何のメタファー(比喩)なのか? 当HPにも、「マカロニの解説をぜひ」というメールが届いたりしたので、今回ちょっとだけ考えてみることにした。

 まず食材としてのマカロニの特徴。
 スパゲティとの一番の違いは何か、と言う点に注目したい。
 スパゲティはアルデンテという、やや芯の残ったくらいで茹であげるのがおいしいとされる。それに対し、マカロニにはそもそも芯がない。中空である。
 『大切なのはマカロニ ぐつぐつ溶けるスープ』
 マカロニのように中空であることが大切だよと、歌詞が言っている。中空の部分に、スープが入り込む。スパゲティは麺にスープをからめて食べるが、マカロニはからまるどころの話ではない。中にスープを取り込み、まさにスープと一緒に食べるという感覚である。さらにそれをぐつぐつ煮込むことで、より一層スープの味はマカロニに浸透していく。
 ぐつぐつ溶けるスープは、中田氏の楽曲とMIKIKO先生の振り付けを指し、マカロニはそれらを内部に取り込むPerfumeを指す。大切なのはマカロニのように、僕の曲を、私の振り付けを内部に取り込むことだよ、とこの曲は言っている。ぐつぐつ溶けるスープがたっぷり染みこんだマカロニは最高においしいんだよと。

「最初にテクノを聞いたときは、あー、私たちこれから、こういう曲をやっていくんだ」「熱唱したいのに熱唱しちゃいけないって言われて・・・」「熱唱したいのよ、私たちは」「そう思ってたんです」「それがだんだん、聞いていくうちにテクノのよさがわかってきて」「今ではテクノ大好きです」
 ポリリズムがヒットし始めたころ、ある音楽番組のインタビューで、三人はこんなようなことを答えている。当初は抵抗を感じていた中田氏の楽曲に、徐々にとけ込んでいった様子がうかがえる。曲は書けない。詩も書けない。振り付けも。一見何の才能もなさそうなPerfume三人組。でも、よいものは素直に取り込んで自分のものにすることができる。そういう率直さがPerfumeのよさなのだろう。

 最新アルバムのタイトルは⊿(直角二等辺三角形)。これは一般的には「あーちゃん」「かしゆか」「のっち」の三人を指していると考えられる。だが、同時にこれは、「中田ヤスタカ氏」「MIKIKO先生」「Perfume」の三者のメタファーでもあるのではないだろうか。

『これくらいの感じで いつまでもいたいよね』まさしくいつまでも中田氏やMIKIKO先生と、この三人の関係が、これくらいの感じで続いてほしいものである。しかし、中田氏はいつか別れの日が来ることを予測している。でも、彼はその瞬間まで、この三人を守りたいと言っているのである。泣かせる歌詞である。

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「 ワンダー2」の不思議

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

 この曲は不思議である。「ワンダー」には「不思議」という意味もあったりして,ますます不思議である。タイトルを意訳すると「不思議な二人」になったりする。
 普通にCDで聞いていた時には,これっぽっちもいい曲だなどと思ったことはなかった。単調で退屈。そんな感想だった。ところが,ネットでは「セブンスヘブン」よりも「ワンダー2」の方を高く評価する人が多い。そんなわけないだろ? とか思っていた。

 「ワンダー2」はperfumeのライブでは定番のアンコール曲である。ライブを観た客の多くが,その感想をブログで述べているが,そのうちのいくつかに,とても興味深い記述がある。

「私は今夜,奇跡を見た。」
「あの場面に自分が立ち会えたことに感謝している。」
「自分は伝説が生まれる瞬間に立ち会うことができた。」

 あきらかにオーバーな,ハイテンションな書き込みである。とても平常な精神状態で書いたとは思えない。「ワンダー2」のどこに,こんな書き込みをさせる魔力があるのか?

 どうして? なぜ? 

 ライブDVDを購入し,アンコールでこの曲を歌っているシーンを見て,私の感想は180度くるりとターンした。

 なんて素晴らしい曲なんだ。

 一体どこがいいのだろう? よくわからんが,とにかくいい。アンコールでこの曲が流れると,訳もなくじーんとする。 ライブDVDをよく見てみると,「らーらー」の所でみんな合唱している。さらによく見ると,泣きながら歌っている客もいる。perfumeのメンバーも泣きながら歌っている。つられてこっちも泣く。わけもわからず,とにかく涙でぐしゃぐしゃになる。そして,見終わったあと,とてつもなく大きな幸福感に包まれている自分に気がつくのである。自分は,なぜこんなに温かい気持ちに包まれているんだろう?

 「ワンダー2」の歌詞は,ありきたりである。普段は内気な君が,時々すごく大切な事を言ってくれる,私にとって,特別な存在である。そんな詩だ。

 メロディーも平板である。リズムはどこまでも一定だし,音程の幅も極端に狭い。エレクトロワールドのようなドラマチックな旋律の変化,ポリリズムのような実験的なリズムの刻み方など皆無である。サビの部分なんか,ずっと同じ音程を同じリズムで刻んで歌っている。普通に聞いたら眠ってしまいそうなほど,退屈極まりない曲だ。

 それなのになぜ? 涙の爆弾はどこに仕掛けてあるのか?
 
 「あの日止まった時計が また動き始めたら 大切な物語 永遠だよ ワンダー2」

 アンコールでこの歌・・・もう終わってしまうこのコンサート,別れが目前に迫っている。時計は止まろうとしている。でも,この時計はまた動き始める。大切な物語は,今日で終わりじゃない。永遠にいつまでも続いていく。つまり,また会えるよ・・・。そういう歌詞なのか? だから幸せな気持ちになれるのか?

 サビの部分で,突然重低音がリズムを刻む部分がある。心臓の鼓動のような低音が会場を包み込む。魂が心地よい響きに揺れる。これなのか?

 最後「らーらーらーらー」の大合唱に「ワンダー2」がフーガのように重なる。さらに「あの日止まった時計が また動き始めたら 大切な物語 永遠だよ ワンダー2」がかぶさる。音の重なりがとても心地いい。会場全体に響くエコーがとてつもなく美しい。そしてそこから少しずつ音が引き算されていく。最後は「らーらー」の大合唱だけになる。別れが目前に迫ってきたことの予感。
 この構成がキモなのか? シンプルな旋律を次第に重ねて分厚い響きを構築し,次に少しずつ減らしていく。足し算と引き算の妙。この曲はそのように計算し尽くされているのか?

 不思議な名曲である。

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「Dream Fighter」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Dream Fighter」 2008年11月19日リリース

 ついにトップを獲得したPerfume。つらいことや厳しい現実に打ちのめされ倒れそうになっても、あきらめずついに最高の位置にまでやってきた彼女たち(Dream Fighter)に対する気持ちがストレートに感じられる歌詞になっている。どん底を経験してもあきらめずに闘う彼女たちの強さがあったからこそ、中田ヤスタカその他のスタッフたちも一緒に走り続けることができたのかもしれない。したがってこの歌詞は、主語の設定を、それまでPerfumeを支えてきたスタッフたちにするとよい。歌詞の中の「僕ら」は、Perfumeのことではなく、スタッフたちをさしており、「」が、Perfumeの三人をさしている。

「最高を求めて 終わりのない旅をするのは
 きっと僕らが生きている証拠だから
 現実に打ちのめされ倒れそうになっても
 きっと 前を見て歩くDream Fighter
 もしつらいこととかがあったとしても
 それはきっとずっとがあきらめない強さを持っているから
 僕らも走り続けるんだ
 こぼれ落ちる涙も全部宝物」
 
 ドキュメンタリーとしても成立しそうな、ノンフィクションな言葉の数々が散りばめられた歌詞である。
 かしゆかが,20歳を迎えるにあたってのコメントでこう言っている。
「ずっとずっと自分に自信がなくて、自分という存在がすごく嫌で、何で私ってこんな嫌な人なんだろうってずっと思ってたけど、その存在を認めさせてくれたのがperfumeであって、二人に出会ったことだったので・・・ほんとperfumeやっててよかったです。今まで支えてきてくれたみ~んな、ありがとう。大好きだ」
 確かに彼女は,取り立てて美人なわけではない。昔は腹筋も弱くて声も不安定に震えていたし,筋力が弱くてダンスには切れがなかった。デビュー当時は他の二人に負い目を感じていた部分が多かったのではないだろうか? 自分の弱さを自覚していたからこそ,謙虚な態度が自然と表に出るようになったと思われる。そして一つ一つ,自分の弱さを克服する努力を続けてきたのだろう。今や、部分的にはのっちをしのぐのではないかと思わせるほど、ダンスには切れがある。
 彼女たちは今や、結成から9年もたとうとしている。こんなに長い期間(しかもそのうちの7年はまったく売れない時代なのである)、その絆がゆるがない三人組の存在それ自体が、奇跡だと言える。

 この子たちを支えてあげたい。周囲の人間をそういう気持ちにさせる文化,それを日本では「アイドル」と言うのであれば,まさしくこの3人はその正当な継承者と言えるだろう。

 ただ、これまでの歌詞には、どこか満たされない切なさ寂しさを感じさせるものがあり、それがPerfumeの魅力の一つであったのだが、本作は力強さが全面に出て、切なさがなくなってしまったのが残念である。トップに立った以上、満たされない気持ちを歌詞に乗せるのは、もはや難しいことなのだろうか?

 ところでだれか、Perfumeのサクセスストーリーを、中田ヤスタカの視点から語る映画作ってくれませんかね。もちろんラストのライブコンサートのシーンは本人たちで。

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「Love the World」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Love the World」 2008年7月9日 リリース

 ポリリズム7位 Baby crusing Love3位、着々とオリコンウィークリー順位が上がってきた後の、満を持しての曲である。

「こっそり秘密をあげるよ
 きっと君も気に入るよ
 二人だけの特等席」

 中田ヤスタカの小さな録音ブース(二人だけの特等席)で、オリコン1位を目指して作った新曲をperfumeに授ける様子(秘密をあげるよ)が目に浮かぶ。

「きっと一人で悩んで
 教えてくれていいんだよ
 ちょっぴり反省みたいな
 キャラにもないようなことも
 たまにはいいんじゃないの」

 NHKの「Top RUNNER」で,perfumeの3人が,中田ヤスタカの録音スタジオの雰囲気についてインタビューされた時「冗談も何も言い出せない雰囲気だった」「私たちの名前なんか知らないと思ってた」「誰かしらいつもどこかで泣いていた」と答えていた。これを聞いた中田ヤスタカも,「ちょっぴり反省」という気持ちになったのかもしれない。そんなことをうかがわせる歌詞である。

「まだこの先が見えない 一番星探す手が震えても
 あきらめないで 大切な
 少しの意地と君よダーリン
 刺激的 ほら素敵 見える世界がきらめくわ
 手探りの私にも 少しわかる気がするんだ」

 一番星(オリコン1位)を取るまであきらめるな。大切なのは少しの意地だよ。
 もう少しできらめく1位に手が届く。それが手探りの私(中田ヤスタカ)にもわかる。 

 だが、この曲は初登場いきなりオリコン1位を獲得した。

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「Baby crusing Love」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Baby crusing Love」 2008年1月リリース

 この曲は歌詞の意味が最初から二重になっているところがおもしろい。

「恋の運命は 愛の証明は 二人の航海と 何かが似ているかもね」

「二人の航海」と「二人の後悔」、素直に二通りの意味を取ることができる。

「簡単な事って 勘違いをしていたら 判断謝って 後ろを振り返るんだ
 何だって いつも近道を探してきた 結局大切な宝物までなくした」

 いったいどんな判断ミスをしたのか、何を後悔しているのか。Perfumeの歴史を振り返ると、思い当たることがある。テクノポップ路線では売れないと考えた事務所は、一時期Perfumeをアキバ系アイドルグループとして売り出そうとしたことがある。だが時を同じくして、秋葉原にはAKB48という強力なアイドルユニットが登場する。ルックスではとうてい太刀打ちできないPerfumeは、当然のことながら惨敗を喫する。

「ただ前を見ることは 怖くて しょうがないね」

ポリリズムのヒットで、ブレイクしそうな予感はするものの、本当に自分たちの音楽が認められるのかどうか、不安でしょうがない。そんな気持ちが感じとれる歌詞である。

同時に、このまま売れ続けていけば、もう後戻りできなくなる。自由は亡くなり、事務所とレコード会社の要望に従った生活をしなければならなくなる。恋愛や結婚など、一般人としての生活はもうできなくなる。その覚悟がまだ十分に持てていない三人の不安な気持ちを表しているようにも感じられる。

「たどり着きたいあの場所」

それでもたどり着きたいのは、オリコンチャート上位の場所であろうか。
だが、そんな不安をよそに、この曲は堂々3位を獲得。ついにミュージックステーションに出演し、全国にPerfumeの存在を知らしめることになるのである。

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「ポリリズム」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「ポリリズム」  2007年9月12日リリース

「エレクトロワールド」の後に続けて聞くと、終わりかけた世界が再びよみがえってまわり出すようなイメージを強く受ける。

「とても大事な君の思いは 無駄にならない 世界はまわる」

「エレクトロワールド」でキミに残した手紙を「ポリリズム」で多くのリスナーが受け取ったという風にも取れる。同時にperfume三人の大事な思いが無駄にならず、ついにこの世界に伝わったという喜びも感じとれる。

「ほんの少しの僕の気持ちも 巡り巡るよ」

 僕の気持ちをこめたperfumeの曲が、ファンからファンへ、少しずつ広まっていき、巡り巡ってついに、全国放送のCMで流れる所まで来た。ついに自分の曲が認められた! 中田ヤスタカの喜びが感じられる歌詞である。「ほんの少しの」という謙虚な表現がまた何とも言えない。Perfumeが不遇だった時代は、イコールそれを支えるスタッフたちも不遇の時代だったわけで、当然彼らの、Perfumeを成功させたいという思いは、半端なものではなかったはずだ。
 他のアイドルたちが次々に契約を打ち切られる中、何故Perfumeだけが周囲のスタッフに励まされ続け、後押しされ続けたのか? どんなにCDが売れなくても,中田氏から新曲の提供が途切れることはなかったし、振り付けのMikiko先生も彼女たちを見捨てることはなかった。彼女たちがスタッフたちに愛され続けた理由は,何だろう?
 経営トップからの「結果が出せないのならPerfumeは打ち切り!」というような圧力も当然あったに違いないのに、それをはねのけて、スタッフたちはPerfumeを支え続けてきた。スタッフたちのPerfumeにかける思いは、決してほんの少しではない。

 ある番組でインタビュアーに「やめようと思ったことはなかったですか?」と聞かれ、あーちゃんとかしゆかは「まあ、ありましたね。」「あんまり言っていいかどうかわかんないけど、ありますね。」と答えている(この時のっちは「えーっ」という反応をするのだが)。「なんで乗り越えられたんですか?」と重ねて聞かれた時、3人はしばらく沈黙する。ややあって、のっちが「やっぱりPerfumeでがんばっていきたかったんじゃん。」と言い、あーちゃんが「うん、だと思います。」と答える。かしゆかが「ほんとこの三人でよかったなと思います。なんか、わかんないんですけど、ホント大好きなんですよ。気持ち悪いですよね。」と涙ぐみながら言う。突然泣き出したかしゆかに驚くインタビュアー。だが、かしゆかは「ほんとに、ほんとに好きなんですよ。この三人だから、ここまでこれた気がしますね。」と涙をふきながら続ける。

 3人組というのは、人間関係を良好に保つのが難しいと言われる人数である。どうしても力関係が2対1になりがちだからだ。若い女の子三人組なら、なおさらである。それが、なぜ8年以上も仲違いすることなく(あったのだろうが、それを克服して)、逆境にも負けずに、ここまで続けることができたのか。その答えは、このインタビューの受け答えに隠されているように思う。それはたぶん、以下のようなものではないだろうか。

 ・お互いの人格や人としての価値を、認め合い、尊敬し合っていること。

 ・Perfumeを成功させたいという、一つの大きな目標を共有していたこと。その目標のためなら、三人は自分たちのエゴをあっさりと消すことができたと考えられる。

 そうだとするならば、スタッフたちがこの3人組を見捨てず支え続けてきた理由もなんとなくわかるような気がする。見た目だけならAKB48に勝てず、歌だけならもっとうまいグループはいくらでもあり、ダンスだって体育会系出身の、もっと切れのあるダンスをするグループは、掃いて捨てるほどある。

 スタッフたちがこの3人組を見捨てなかったのは、この3人に才能があったからではない。この3人の性格のよさに惚れたのだ。きっと。

 Perfumeが出演していたある深夜番組(気になる子ちゃん)で、宮川大輔が他の出演者に「なぜ宮川さんはそんなにやさしんだろう。おかしいですよね。電波を通じてPerfumeに対してデレデレしてますよ。」「たしかに、もうちょっと他の番組ではわあわあ言うてるイメージのとこあります。」と言われて、やや考えたあと「いや、あの・・・正直楽しいんですけど、ここの感じがすごい楽しいんですけど。」「芸人のガツガツした・・・」「いやーああいうの、しんどい時がある。すごい、これが居心地がいい。」と答えている。
 きっとPerfumeを支えるスタッフたちも、宮川大輔と同じ気持ちなのだろう。

 また,武道館のコンサートで,あーちゃんは涙ながらにこんなセリフを残している。

「私たちはこないだまでイモ? ゴボウ? いやボンクラだったので」「本当にうれしいです。長い間求められていなかった存在だったので・・・。箸休めみたいなもんだったので・・・」

 今まで一部のファン以外、ほとんど誰にも知られていなかった自分たちが,やっと多くの人に認めてもらえたことに対する素直な喜びと,それまで支えてくれたファンやスタッフに対する感謝の涙。有名になってもずっとぶれることのない彼女のこの姿勢が,きっとスタッフの「この子たちを支えてあげたい」という気持ちを大きく突き動かすエネルギーになったのであろう。人に認めてもらえることの喜び,それは人間の根源的な喜びであり,あーちゃんの言葉はそれを周囲の者にいつも共有させてくれる。perfumeのライブを見た者が、計り知れないほどの大きな多幸感に包まれる理由は、きっとこのあたりにある。
 これだけ売れるようになっても,あいかわらず彼女たちのお辞儀が,若手の中で最も深くて長いのには,こういった背景があるからだろう。

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「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」 (8月2日発売のベストアルバム「コンプリート・ベスト」収録曲)

「いつ契約を打ち切られるか。いつ広島に帰されるか。びくびくしながら歌ってました。」
本人たちは当時のことをインタビューでこのように語っている。
 この曲の歌詞は一見、つきあっていた彼(彼女)がアイドルとして成功し、スターになってしまったため、距離が離れてしまった。そのことを悲しむ歌に聞こえる。だが、よく聴くと、中田ヤスタカからperfumeへの、別れの歌とも取れるのである。

「I still love 君のことばがまだ離れないの
 あの日あの場所で凍りついた時間が
 逢えないままどれくらい たったのかなきっと
 手を伸ばしてももう届かない」

 君のことば=Pefumeのことばと思われる。 ひょっとしたら社長の「あ、中田君、悪いけどPerfumeね、解散することに決まったから」などというセリフを想像したのかも? 

 このまま売れなければ、事務所の方針でperfumeは解散(=凍りついた時間)、広島に帰ってしまうのではないか? この3人娘とも、もう一緒に仕事をすることはないのではないか? いや二度と会えなくなるのではないか? 彼女たちと目指した頂点への道は、手を伸ばしても決して届かない夢となってしまったのか?

「今も大切なあのファイル そっと抱えたあのまま」

 これが自分が手がけるperfume最後のCD(ファイル)になるかも知れない。そんな気持ちで作詞したのではないかと思わせる内容である。

 ところが、この世界(Perfume)は終わってはいなかった。周囲のスタッフはPerfumeを励まし続け、翌年2月,新曲「チョコレイト・ディスコ」の発売にこぎつける。そしてこの曲にはまった木村カエラが、自分のラジオ番組で何度も繰り返し流すのだ。たまたまそれを聞いていたNHKのディレクターが、AC公共広告にPerfumeを採用することを決めた。こうして作曲されたのが「ポリリズム」だ。

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「エレクトロワールド」歌詞の意味

 今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「エレクトロワールド」 2006年6月28日リリース

 前作「コンピュータ・・・」もやはり売れなかった。中田ヤスタカにしてみれば、出す曲出す曲全く受け入れてもらえない。perfumeとの仕事もこれで最後かもしれない。歌詞もそんな世界の終末観を表している。

「この世界僕が最後で最後最後だ
エレクトロワールド 地面が震えて砕けた
空の太陽が落ちる 僕の手にひらりと
本当のことに気づいてしまったよ
この世界のしくみ 君に手紙残すよ」

「このCDが僕たちの出す最後のCDだ。

 僕たちの希望は震えて砕けた。

 僕の希望はひらりと落ちる。

 本当のことに気づいてしまった。

 この世界では、よい曲が売れるのではない。メディアに働きかける力が強くないと売れないのだ。それがこの世界のしくみなのだ・・・。」

中田ヤスタカのあきらめに近い気持ちが、歌詞に隠されている。

 「エレクトロワールド」発売後ほとんど間をあけずに、ベスト盤アルバム「コンプリート・ベスト」が発売された。後に名曲の一つに数えられるようになる「エレクトロワールド」は、まったく売れないまま「コンプリートベスト」に収録される。事務所はこのベスト盤でPerfumeを終わらせようとしていたとも考えられる。事実、同じ事務所に所属していた他のアイドルたちは、ベスト盤を出した後、契約を打ち切られている。

 翌年春、Perfumeの三人は、音楽一本でやっていく自信が持てず、保険をかける意味で大学に入学する。

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「コンピューターシティ」歌詞の意味

 今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでほしい。まずは「コンピューターシティ」の歌詞の意味から。

 既に多くの人が指摘しているように、perfumeの楽曲のいくつかには、作詞作曲担当の中田ヤスタカから、perfumeへのメッセージが込められている。ここではperfumeの歴史と中田ヤスタカが込めたメッセージとの相関関係を見ていこうと思う。

「コンピューターシティ」 2006年1月11日リリース

 この曲は、恋の病のせいで普段と違う自分になってしまった事に対する、とまどいの気持ちを歌っている、と考えるのが普通だろう。
 だが、こうも聞こえる。
 
 「完璧な計算で作られた楽園」

=完璧に計算して作ったこの新曲
 
「誰も見たことのない場所へ 夢の中で描いていた場所へ」
=オリコンTOP10入りのこと?

 「あー どうして おかしいの コンピューターシティ」
=こんなにいい曲を書いているのにどうしてオリコンの集計結果を出すコンピューターの数値はこんなにおかしいのだろう?

 「もうすぐ変わるよ 世界が もうすぐ 僕らの 何かが 変わるよ」
=もうすぐこの曲でオリコンチャート上位に入ってみせる。そうしたら、Perfumeの周囲はガラリと変わるだろう。

 「絶対故障だ てゆうかありえない 僕が君の言葉で悩むはずはない」
=出す曲出す曲が全てこんなに売れないなんて ありえない。 売り上げの結果を伝える君の言葉(オリコンチャートの結果)で、僕が悩むはずはない(僕はこんな結果、信じない)。

 当時のperfumeは、前年に出した「リニアモーターガール」が三千枚程度しか売れず、まさに「崖っぷち」にいた。

「常にお母さんからは『あんたらはいつでも崖っぷちにおるんじゃけえ、もっとがんばりんさい。』って言われて、そういう応援してくれている人たちがいたから、がんばってこれたんだと思いますね。」メンバーの一人あーちゃんは、NHKの番組「TOP RUNNER」のインタビューでこう答えている。

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2016/12/25

DVD「さようなら」感想 & BD「エクス・マキナ」感想

 最近、連続して女性型アンドロイドの映画ばかり観ています(「ひそひそ星」「さようなら」「エクス・マキナ」)。好みが偏ってるなあ(笑)。

 「さようなら」は大阪大学の石黒教授が手がけたアンドロイド、ジェミノイドFを主役にした映画です。もとは平田オリザの舞台劇。それを映画に無理矢理リメイク。残念ながらジェミノイドFは自力で移動できないので、会話と手の動きのみ。以前テレビで、マツコ・デラックスとして登場した時は、マツコさんの豊かな表情をリアルに再現しており、なかなかすごいもんだなあと感動しました。しかし本作では、まじめな役柄なので、結果的に表情が乏しいのが残念なところです。まあ、そこが本作の重要ポイントと言えば言えるのかもしれません(表情に乏しいアンドロイドが、なぜかだんだん人間っぽく見えてくるという)。

 本作の一番のクライマックスシーンは、 不死のアンドロイドが、主人が死んだ後も長期にわたり生き残り、亡き主人を偲ぶというもの。ただ、その手の設定のストーリーは,遙か昔から繰り返し語られてきました。かくいう私も2004年ごろに、ネット上でそのような話を発表したことが(笑)。しかもそれはセガのテレビゲーム「ニュールーマニア」の劇中曲、セラニポージの「EVE」という曲の歌詞にインスパイアされて書いたという・・・。どんだけ使い回しされたネタやねん(笑)。

 ・・・ということで、一部の映像には、はっとさせられたりしましたが、ラストで描こうとしたテーマそのものは、新鮮味のないものでした。

 一方「エクス・マキナ」は、自立型AIアンドロイド誕生を描いたものです。ストーリーの展開は予想しやすいオーソドックスなもので、最後はやっぱりそうなるよね~的な(笑)。ただ、本作のすごいところは映像でしょう。まずはアンドロイドの造型が素晴らしい。そして、ラストでそのアンドロイドが徐々に人間の外見を手に入れていくシーンなんか、そうかこのシーンを撮りたくて、監督はこの映画撮ったのかと、誰もが納得すること間違いなし。そして、この素晴らしい外見を手に入れたアンドロイドが、人間世界を自由に羽ばたいていく。その後の彼女がどうなるかを想像するのは視聴者! いやがうえにも妄想が広まります(笑)。

 そういうわけで本作、ストーリーよりも映像! しかもアンドロイドが人間に変わっていくシーンに、とんでもなく価値のある映画です。

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2016/12/18

西加奈子「i(アイ)」感想

 「この世界にi(アイ)は存在しません」

 主人公が入学した高校の数学教師が、最初の授業で語ったこの一文。

 小説の中で繰り返し語られるこの一文が、本作のテーマとなっている。

 「i」は、二乗してマイナス1になる虚数「i」であり、同時に主人公「アイ」の名前であり、「愛」でもある。

 シリアから養子として裕福な家庭に引き取られニューヨークに渡ったアイは、自分の運の良さに後ろめたさを感じる。世界のどこかで誰かが事故で亡くなったり、内戦で亡くなったり、そんなニュースを聞く度に、どうして自分は何も傷つかないのだろう? なぜその不幸が自分じゃないんだろうと苦しむ。

 池澤夏樹の「バビロンに行きて歌え」を読んだ時のことを思いだした。中東の元兵士が、日本に密入国して少しずつ自分の居場所を見つけていく話だ。恵まれすぎた環境に暮らす日本人と、密入国ゆえパスポートすらなく、豊かな国日本にいながらサバイバル生活を強いられる主人公との対比が描かれ、読んでいて心が痛んだのを思いだした。彼はこんなにいいヤツなのに、どうして読者である自分の境遇と、彼の境遇にこんなに差があるのだろうと。だが、彼には日本で生きていく存在意義があった。彼の存在意義は、聞く人の心を惹きつけるその歌声なのだった。

 だが、本作のヒロインであるアイには、そのような特技もなく、おかげで自分が存在していい理由が見つけにくい。アイの高校の時の同級生は、プロのジャズミュージシャンになったりして、その対比からますます「アイは存在しない」気分がいや増したりするのだ。

 アイは大学の研究室に引き籠もり、外部との交渉を絶ち、甘い物を食べ続けてぶよぶよに太る、かなり面倒な女性なのである。それでいて、友人から

「その気持ちは恥じなくていいよ」

「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを大切にすべきだって」

と言われたとたん、心も晴れ、ダイエットを始め、おしゃれな服を買い、誰もが振り返る美人となり、恋人もできて、ついには「アイは存在する」に変わるのだ。調子良すぎるのである。結婚もして妊娠もして、「世界一幸せ」とかになるのである。ホントに調子良すぎるのである。

 ところが作者はアイを再びどん底に落とす。流産するのだ。そのとたんに再び「アイは存在しません」状態に戻るのである。アイにとって自分の存在意義は、子供を出産し、自分の血をこの世界に残すことにあるらしいのだ。

 とことん「ドS」の作者なのである。持ち上げておいて地獄に堕とすのだ。

 もちろん、作者はラストできちんとアイを救済する。どうやって救済するか、それは読んでのお楽しみ! ということで。

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2016/12/12

岡澤浩太郎「巨匠の失敗作」感想

 レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》の評論文が、中学校の教科書で取り上げられている。三つの科学的技法「解剖学」「遠近法」「明暗法」により、かっこいい絵だというのが筆者の主張。さらに500年の間にあちこち剥げ落ちて、細部が曖昧になったため、かえって構図のかっこよさがくっきりと見えてきたと言うのだ。

 そんなにかっこいいか、この絵?
 そう思った私は(アマノジャク!)早速図書室でこの本を発見し、読んでみたわけである。

 まずはいきなり宮下規久氏(神戸大学教授)による『ADHD(注意欠陥・多動性障害)だったのではないか』という推論から始まる。『積み上げ学習が苦手で何事も完成できない人』なんだという。まあこれは美術を専攻した人間にとっては常識的な知識らしい。それはそれとして、同氏の『たいした画家ではありません』とのご意見には「そうか、やっぱりそうなのか」特に《モナ・リザ》については『全然魅力的ではないです』筆者の岡澤氏までもが『《モナ・リザ》は好きな絵ではない』・・・ええ、ええ、私も《モナ・リザ》は好きではありません。自分だけ変なのかと思ってたけど、そんなことなかったんだ。よかった(安堵)。

 ところが、《最後の晩餐》に関してはこの宮下氏、『唯一の傑作です』『ミラノの美術史においてはものすごい影響を与えた画期的な作品』と褒めちぎる。え~、どこが~と思いつつ読み進めるも、残念ながら本書は、《最後の晩餐》のどこが傑作で画期的なのか、そこまでは書いてくれていない。登っている途中で梯子を外されたような気分である。そこ、大事なんじゃないの? 
 かわりに私は同じく図書室で、ノベライズされた《ワンピース》の表紙を発見して思ったのだ。「一点透視図法、日本の漫画界じゃあ、昔から当たり前の技法じゃん。」立体感ありまくりのマンガやアニメを見て育った日本の中学生には、《最後の晩餐》の、おそらく当時は画期的だったかもしれない科学的技法も、「だから何なの?」的評価になってしまうのは致し方あるまい。
 評論文というのは、読者を説得してナンボのもんなのだが、そういうわけで、中学校の教科書に出てくる《最後の晩餐》評論文は、ちっとも中学生を説得できていないのである。 困った困った(笑)。

・・・さて、本書はレオナルド・ダ・ヴィンチ以外にも有名な画家15名の、有名な作品15点を、複数の専門家の意見を活用して、常識的な見方とは違う観点で鑑賞しようとしている・・・のだが、《最後の晩餐》同様、中途半端感があちこちに顔を出す、困った本なのである。「他の作品」との比較もあちこちに出てきて、これは結構重要な部分なのだが、残念ながら「他の作品」の写真は掲載されておらず、いちいち自分でネットや画集を使って調べなければならない。著作権がらみでたいへんなのだろうけど、編集者さん、もうちょっとなんとかならなかったの?

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2016/12/04

DVD「ひそひそ星」感想

 途中から見始めた妻が「なんでみんなひそひそ声で話してんの?」と問うてきました。「だってタイトルが『ひそひそ星』なんだから」「あ、なるほどそうなんだ」

 人類は滅びかけており、生き残った僅かな人々は宇宙のあちこちの惑星でほそぼそと生きながらえている。ヒロインはその人々のもとへ、思い出のつまった荷物を宅配するアンドロイド・・・という設定の映画。冒頭白黒の画面で始まるのですが、いきなり最初の映像にぶっ飛びます。蛇口をひねって水を出し、急須を洗い、ガスコンロにマッチで火をつけ、沸騰するとピーと鳴るケトルを載せる。茶筒からお茶っ葉を急須に入れる昭和チックな外観の女性鈴木洋子。カメラはパンして窓の外を写すと、そこは宇宙空間・・・というなんともシュールな(笑)。宇宙船の外観も、昭和チックな長屋に、神社仏閣のパーツを取り付けたようなものにロケットノズルを二つつけたみたいな。

 宇宙船をコントロールするコンピュータが、「2001年宇宙の旅」のハルとは違い随分と幼稚なミスを犯したりして笑えます。

 鈴木洋子が降り立つ惑星が、ほとんど無人のような、廃墟のようなゴーストタウン。ほんとに人が住んでるのかと思わせておいて、監督はいきなり映像をカラーにしたりします。

 テレポート技術が確立されていて、どこへでも瞬時に物体を異動できるのに、なぜか人類は、大切な思い出の品を、何年かかろうと、宅配で届けてもらうことを希望する。

 最後の惑星では30デシベル以上の音をたてると犯罪行為とみなされる、そんな惑星に鈴木洋子は品物を届けにいきます。

 思い出の品物に触れることで一定の記憶が蘇る。そんな品物があるということは、その品物は既に、その人のアイデンティティでもある。

 そしてアンドロイドである鈴木洋子は、ラストで、ひじょうに人間的な行動を取り、映画は静かに終わります。アルミの空き缶が、こんなにも意味のある小道具であった作品は、いまだかつてなかったと思います。

 一度観たら二度と忘れられない、強烈な印象の残る映画でした。

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