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2013/07/31

堀辰雄「風立ちぬ」感想

 宮崎駿の「風立ちぬ」を見る前に、もう一度堀辰雄の「風立ちぬ」を読み返してみようと思って本棚をひっくり返した。

 まずはタイトルとなったポール・ヴァレリーの詩の一節から。

「風立ちぬ いざ生きめやも」

「立ちぬ」の「ぬ」は過去の助動詞。
「生きめやも」の「めやも」は未来推量・意志の助動詞+係助詞(反語表現)+係助詞(詠嘆)
口語訳すると「風が吹いた。さあ、生きようか、いや生きねばならない」くらいになろう。

これらの文法、いずれも、中学校の国語の授業にさらっと出てくる。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
   藤原敏行 古今和歌集
銀も金も玉も何せむに、優れる宝子にしかめやも
   山上憶良 万葉集

 さて、本作、ほとんど夫婦しか登場しない。それなのに、作中夫婦の会話が少ない。男のモノローグが圧倒的に多いのだ。だから、女が本当はどう思っているか、それは本人に確かめなければ絶対わからないのだが、男は聞こうとしない。男が勝手に自分で悩んで落ち込んで苦しんでいる。さらに、男にとって都合の良い女に、勝手にはめこもうとしている。例えばこんな風に。
「お前はこの夏、偶然出逢った私のような者にもあんなに従順だったように、いや、もっともっと、お前の父や、それからまたそういう父をも数に入れたお前のすべてを絶えず支配しているものに、素直に身を任せきっているのではないだろうか?・・・・・・節子! そういうお前であるのなら、私はお前がもっともっと好きになるだろう。」
 男の側の一方的な思い込み小説の原点とも言えよう。
 また、本作は徹底的に生活臭を消している。軽井沢のホテルで食事をしたり、油絵を描いたり、一体いくらお金があればそんな生活ができますか・・・。一般ピープルには縁のない舞台設定となっている。
 しかも純愛の世界である。何しろ性の匂いが一切ないのだ。
 太宰治の「満願」と言う短編小説に、結核で療養中の主人の病状が回復し、医者からの許可をいただいた妻が、白い日傘をくるくるまわして歩くシーンがある。作者はその若い妻の姿を美しいと感じる。
 「風立ちぬ」はこれに比べると、まったく対照的だ。生がないから、性もない、ということだろうか。
 オタク男にとっての理想的な生活が描かれているように思える。今で言う「萌え~」の世界だ。結核にかかった薄幸の美少女、余命幾ばくもない彼女とは手を握って見つめ合うだけの関係。余計な肉体関係は持たなくてもよい。彼女はベッドの中で、弱々しく微笑むだけ。男の言うことに反論などもちろんしない・・・。リアルな肉体と自立心のある女性が苦手な現代の「萌え系男子」の理想の女性像・・・本作がその走りだったのか?
 そういう、念には念を入れて設定したことで、ピュアな精神愛の世界を築くことに成功したと言えるのだろう。

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コメント

「いざ生きめやも」
古文赤点の学生でしたので(^_^;)、いろいろ調べてました。

まず出たのが、堀辰雄誤訳説。
「め・やも」の「め」は未来推量、意志の「む」の已然形、「やも」は反語なので「生きようか、いやそんなことは出来ない」の意味になり、原詩の誤訳であるとするもの。

次が、「いざ」に重点をおいて、これが「む」に掛かることで「さあ、生きねばならない」という強い意志になるとともに、反語で不安感も表してるとする説。(Wikipediaの解説はこれでした)

他には、この言葉を「口の裡で繰り返していた」という状況に着目する説もありました。
もう死んでしまうことをわかっていながら、そんなことは口に出来ないという心理描写だというのです。
http://morinodiary.blog29.fc2.com/?m&no=453

この辺も含めて、堀辰雄は謎掛けをしてるんでしょうね。
ちなみにアニメの風立ちぬは、ネットの批評が見事にバラバラ。宮崎監督もさぞやニンマリしてることでしょう(笑)。

投稿: おひさま | 2013/08/06 10:09

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