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2012/06/10

井上ひさし「言語小説集」感想

 故・井上ひさし氏の、未刊行作品を集めたもの。タイトルどおり、言語の特性をネタにした短編集。
 一作目の「括弧の恋」なんかは、20年くらい前のワープロをネタにしているので、昔ワープロで、タッチしてから画面に文字が出るまでの微妙なタイムラグにいらいらした経験のある人なら、思わずにやりとするだろう。ネタが古いと言われればそうなんだけど。

 大笑いしたのは「見るな」
 東北のとある村、マレー語らしき言語が多く使われている所から、この村の祖先はマレー人ではないかという仮説を立てる話。よく似たようなトンデモ話は、今までにもたくさん聞いたことがある。有名なところでは、源義経が北海道経由で大陸に渡り、チンギスハーンとなって、鎌倉幕府にリベンジしにきたという話。北海道にはなんと、義経神社という神社が実在するほどである。案外その手の伝承の真相は、本作のような、男たちのくだらない企みのせいなのかもしれない。開けてみればな~んだという種明かし、面白かった。

 子どもは幼児の頃、鳥のように、さまざまなさえずりを行うという。やがて、母親が反応するさえずりが何かを学習し、それを繰り返していくことで、言語を習得するという。そんな説が本書では述べられている。
 さらに、人は脳のブローカ野にダメージを受けると、言語活動に支障をきたす。例えば、「子ども」→「とども」、「コップ」→「ポップ/コック/ポック」という具合に、似た音への置換が行われる、ということも、本書で紹介される。
 そういえば、うちの子が小さかったころ、「巨神兵」のことを「貯金兵」、「ただいま」を「おたいま」(おかえりとただいまを混同した?)、「お水」を「おじぶ」、「みどり」を「おりり」、そして「お茶」のことを「緑のお水=おりりのおじぶ」と言っていたなあと、懐かしく思い出した。
 本作では「言い損ない」と「言語生涯」の二作が、このような言い間違いをネタにして書いてある。そして、いずれも主人公が言い間違いをする原因は、脳の外傷などではなく、幼少期のトラウマによるものというところが、笑えるんだけど、ちょっと哀しい。父ちゃんも母ちゃんも、子どものいる前で、そんな話すんなよ。傷つくだろ。まったく、よってたかって子どもの心をねじ曲げるような事ばかりして。この小説にはまともな大人はいないのか(笑)?
 いずれの話も、笑いながら(怒りながら)言語の成り立ちの不思議さを深く考えてしまう、そんな小説集である。
   

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