川上弘美「どこから行っても遠い町」感想
川上弘美の連作短編小説。それぞれの短編の主人公は別だが、ほぼ同じ町を舞台に、共通の脇役が何人も出てくる。そういう構成になっている。
作品中、まるで何かの詩を読むように、登場人物の一人がこうつぶやく。
『蛇は穴に入る
天は雨を降らす
土は雨に濡れる
人はやがて死ぬる
「な、なんですか、それは」
「おれの二番目のかみさんの、口癖」』
思うのだけれど、穴に頭から入った蛇は、出て行く時、しっぽから出て行く訳じゃあないだろう。ならば、どこかで方向転換をしているわけだ。ということは、穴はずっと細い穴のままじゃあないということなのか。きっと奥の方は広い部屋になっていて、そこで方向転換をするということなのだろう。
蛇は穴に入って、奥の部屋で丸まって眠る。
「蛇は穴に入る」という表現は、一般的には、冬眠の季節が来たことをさす。
人生には必ず冬の季節がやってくる。雨は時の経過、あるいは老いの比喩だろう。天は万人に平等に、時の経過と老いをもたらす。そして、人は死んでいく。
『誰も、おれを罰してはくれない。おれが、おれを罰することしかできない。おばさんが両手に提げていったつっかけは、小さかった。商店街の尽きたあとの道は、暗かった。おばさんはためらいなく、走りつづけていった。』
『つきあってよ、と言っていたおじさんの方は、しきりにあけみの機嫌をとりはじめた。あけみは、ほとんどおじさんを無視して、洗いものを続けた。あけみは六十歳を越えているように見えた。髪はまっ黒で、きれいにセットしてあった。』
ストーリーが語られ、まるで思い出したかのように、あるいは後付けのように、情景描写がなされる。川上弘美独特の表現形式である。普通は逆だろうと思う。だが、かえって印象が強まる。余韻の残り方が違う。
ストーリーそのものは、さしてドラマチックなわけではない。ドラマの展開のおもしろさで読む作品ではない。さまざまな比喩が多層的に重なり、人生の幸福とあやうさが、紙一重であることを、くっきりと浮かび上がらせている。
『いろいろなことなど、見たくない。つくづく、思った。でも、見なければ、生きてゆけない。そのことを、残念ながら、わたしはいつしか知るようになっていた。ここまで生きてくるあいだに。
「見たくないのに見るんだねー。」頭の中で、歌ってみる。』
見たくないものを、それでもちゃんと見て、そのぎりぎりの危ないところを、何とかかわしながら生きてゆく登場人物たち。ある程度人生経験を積んだ人が読むと、本書の良さがより一層理解できるのではないだろうか。


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