奥田英朗「オリンピックの身代金」感想
東京オリンピック開催で国民が皆浮かれる中、ダイナマイトを使って国家に反逆する一人の青年と、それを阻止する刑事達を描いたサスペンス巨編です。「イン・ザ・プール」で一躍有名になった奥田氏の新作。ただし、「イン・ザ・プール」の伊良部医師のような、饒舌なキャラは登場しませんし、おちゃらけたバカ騒ぎもいっさいありません。各描写も非常に抑制が利いていて、これが同じ作家なのかと思うほどです。
特にラストシーンなど、普通の作家ならあと10ページくらいは、ごちゃごちゃと書き足しそうな雰囲気がぷんぷんする終わり方なんですが、思い切って切り落としています。結果として、読後の感想は非常にずっしりと重いものになります。この後どうなったか、よく読むと、実はあちこちにそれとなく示してあるのです。ですから、作家がわざわざ書かなくても、読者はそのあまりに重い結末の意味を勝手に頭の中でイメージしてしまい、深いため息をつくという仕掛けになっています。
総ページ数は500ページを超すのにも関わらず、無駄を省いた文体のため、非常に密度の濃い作品となっています。犯人の視点で書かれた章と、それを追いかける刑事の視点で書かれた章とを交互に、時間差をつけて提示しており、読者は第三者的な視点から本事件を追いかけることができます。また、読んでいるうちに、どちらの側にも同じくらい感情移入してしまい、同じように肩入れしてしまいます。ラストで両者が交錯するシーンはまさに圧巻! 構成力の勝利です。
少し前に、映画「東京オリンピック」を見ました。聖火ランナーの走るシーンや、自衛隊機が空中に五輪の輪を描く開会式など、美しい映像が頭の中にくっきりと残っている状態で本書を読みました。おかげでラストシーンへの思い入れが半端じゃなくすごいものになってしまいました。また、本作の主人公が爆破テロの目標とする武道館や代々木体育館、東京タワーなど、日本が誇る建築物は、最近様々なメディアで再び脚光を浴びていることもあり、NHKの美術関連のテレビ番組などで何度も目にする機会が多く、この点も思い入れが深くなる要因となっています。
格差社会という言葉が生まれるほどに、高学歴高収入層と低学歴定収入層がくっきりと別れてしまいつつある現代の日本。以前は資本主義でありながら、終身雇用制度など、共産・社会主義的なシステムがあちこちにあり、一億総中流という言葉が生まれたほどですが、それがここに来て、アメリカ流競争社会に代表される目先の利益最優先システムを次々に導入した結果、格差がはっきり目に見えてわかるようになってしまいました。本作はだから、現代版「蟹工船」と言えばよいのでしょうか。でも時代設定は東京オリンピックですから、もう40年以上も前です。なぜ今東京オリンピックを舞台に、格差社会をテーマにした作品を提示するのか。今目に見える形で現れた格差社会は、実は40年以上前からその芽が発生しつつあったのではないか。
お国のために、オリンピックのために我慢しろ。それはわかる。でも現実に我慢を強いられるのは低学歴低収入層ばかり。この不公平を誰かが是正しなければならない。そしてそれは平成となった現在も同じなのだ。そのように読み取れる作品です。


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