2018/09/16

Perfume「Let me know」歌詞の意味

 久々に書いてみようと思う。
 今回のPVを見ていて、ふと思い出したことがある。
 いつだったか確認できていないのだが、「昔の自分に伝えたいこと」というようなお題で、三人のうちの誰かが「大丈夫、間違ってないよ。自分の道を信じてそのままがんばって。あともうちょっとだから」みたいなことを言っていたように思う(出典をご存じの方は教えていただけるとありがたいです)。
 したがって、この曲は、かつての自分たち、あるいはかつての自分たちと同じように、夢に向かってがんばっている若い人たちへのエールである、と解釈することもできる。
 一方、主語のボクを中田ヤスタカに、キミをPerfumeに置き換えると、次のような意味にもなる。
 
 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
 
 人を感動させられるアーティストになりたい
 本当によいと思えるものを届けられるアーティストになりたい
 そんなキラキラした願いを持っていたのに 
 どうして忘れちゃうの もう願ってないみたいだ
 君たちPerfume を取り巻いた 空気はいつしか
 映画音楽が大ヒット 世界中で大人気 紅白10年連続出場
 そんな甘い言葉ばかりになってしまった 吸っちゃだめだ
 
 時代の流れに乗って オリンピック関係やいろんなテクノロジーがらみの仕事をしても
 最近のJPOPの流行に流されずにいたくて 逆らってみても
 周りの大人たちの 商業的成功を求める期待が
 音楽活動の邪魔をする なんだかとっても
 遊園地のようにわかりやすい売れ筋の音楽を求められて 前に進めなくなっていた
 本当のアーティストだけが たどり着ける場所を取り戻す
 君たち3人が この先もずっと本当のアーティストを目指すのなら
 ボク(中田ヤスタカ)はいつまでも待つよ 
 どうなんだい ボクについてくるかい ねぇ 教えて
 
 123 ボクに伝えて ボクに教えて
 123 ボクに伝えて ボクに教えて
 
 「こんな衣装を着て こんなダンスで こんな歌を唄えば 必ずヒットします」
 そんなマニュアルは嘘ばかりで
 だからキミたち3人は 騙されないで 
 キミたちの目指すものは、そんなマニュアルには きっと載ってない
 誰も教えられない 世界で唯一無二のアーティストに
 キミたちはなろうとしているから だから自分を信じて
 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
 
 ある番組で、「女王蜂」のアヴがPerfumeのことを「唯一無二の存在」と語っていたのを思い出した。
 また、最近の中田ヤスタカの楽曲は、世界基準である「Future Base」を取り入れて、サビが音だけというパターンが多く、JPOPを聞き慣れた耳には違和感があると考えられる。商業的にも、売れ行きは今ひとつというところだ。だが、中田サウンドはもともと、声も楽器の一部ととらえていたわけだから、それを承知で繰り返し聞いていくと、楽曲のよさがどんどんわかってくる。
 「日本では受け入れられないかもしれない。それを覚悟で、自分の楽曲についてくる気持ちはあるかい?」 中田ヤスタカがPerfumeの三人に問いかけている、そんな歌詞に聞こえてくるのだ。
 
 

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2018/04/01

Wowow「ローガン」感想

 アメコミのヒーローの話だと思ったら全然そんなんじゃなかった。

 名作「シェーン」が劇中で使われるが、次世代が少女であるため、むしろ「レオン」の雰囲気の方を強く感じた。

 タイトルが「ローガン」なんだが、そのまんま日本語で「老眼」にしてもOKなんじゃないかと思った。冗談じゃなく!

 それくらい「老い」がテーマとなっている。「おっさん&じいさんはさっさと現役退いて、次の世代に明け渡せ」と言っている。

 身につまされるテーマだ(笑)。

 ・・・このブログも13年ほど続けてまいりましたが、そういうわけで、本日をもって老兵は退役いたします。

 ご愛読ありがとうございました。

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2018/03/24

映画「ちはやふる 結び」感想

 前作「下の句」から2年。

 「下の句」では千早の迷走っぷりがあまりに激しくて、見ていてイライラとフラストレーションがたまりましたが、今回は太一君が迷走します。ただし、太一君には師匠が登場し、迷える子羊太一君を新たなステージへと導いてくれます。しかも、この師匠、読み手の声が発する前の空気の震動から、次の音を予感するという特殊な才能を持っていて、カルタ永世名人として無敵の力を持っているのに、財布に現金が入ってなかったり、甘い物に目がなかったりと、絶妙なキャラ設定です。彼の存在が本作を大変魅力ある物にしています。特に太一が、無理してカルタを続けてきたことをあっさりと見抜くシーン、太一の苦悩に寄り添うシーンはぐっときます。

 同じくらい素晴らしいのが上白石萌音。新入部員の大失敗を、和歌を使って、「昔からそういうことはよくあったのよ」と慰める。いやいい子だなあぁ。特に千早から「カルタやっててよかった?」と聞かれた時の答え。ぐっときました。いやいい子だなぁ・・・。

 かるたクイーンの松岡茉優も、どS&不思議ちゃんキャラになりきっていて、特にテレビ中継シーンは楽しませてくれました。

 カルタ競技特有の戦術がいくつか出てきて、素人の私にはちんぷんかんぷんでしたが、そこは想像力で補える範囲でしたので、全然気になりません。気になったのは、2年たって、役者さんたちもそれなりに大人になったため、高校生役にはちょっと無理があるかなと感じるシーンがちらほら。でもそこは想像力でなんとか・・・(笑)。

 途中に差し挟まれる水彩画タッチのアニメが、また実に効果的。水彩画だから滲んで見えるのか、こちらの涙腺が緩んでいるから滲んで見えるのか、さてどっちだったんだろ?

 ダイナミックなカメラワーク、静と動を感じさせる音楽、だれることのない緊迫したストーリー展開、いい映画だと思いました。

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2018/03/18

塩野七生「ギリシア人の物語Ⅰ」感想

 全三巻。

 第一巻がペルシア戦役、第二巻がペロポネソス戦役、第三巻がアレクサンダー大王の東征となっているらしい。

 まずは第一巻から。

 「ローマ人の物語」を読んでいたので、正直「ギリシア人の物語」なんて、たいしたことないだろうと高をくくっていた。ハンニバル対スキピオや、カエサル対ヴェルチンジェトリクスのような、胸躍らせるドラマなんか、さすがにないだろうと。ところがこれがとんでもない思い違いだった。もうすでに、ギリシアの重装歩兵たちは、後のローマ軍のような包囲殲滅作戦を、騎兵抜きの歩兵だけで実現させ、数で優るペルシア軍に圧勝していたのだ。「マラトンの戦い」である。先勝報告をアテネに伝えるべく40キロを走り抜いた男の故事が、「マラソン」の語源になったという例のやつである。

 さらにそれに続く「サラミスの海戦」も、世界史の教科書に登場し、名前だけは知っていたものの、それが海上でどのような包囲線を展開したのか、どのようにドラマチックなものだったのかは、本書を読むまで知らなかった。

 また、映画「300」で有名になった、スパルタ兵300人がペルシア軍相手に死闘を演じ、全滅した例のエピソードも登場する。この「テルモピュライの戦い」が、対ペルシア戦において、ギリシア側に悲壮な決意をさせるための重要な伏線となっている。それが本書を読むとよくわかる。

 という風に、「ローマ人の物語」に一歩も引けを取らないドラマチックさなのだ。多分に塩野七生氏の想像による書き加えがあるのだろうが、無味乾燥な歴史の教科書を読んでいたのではちっとも伝わってこない、想像もできない、当時のギリシア人たちの熱い思いがひしひしと伝わってくる点、本書を高く評価したい。

 さあ、次はこれも世界史の教科書で、名前だけは知っている「ペロポネソス戦役」だ!

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2018/03/10

彩瀬まる「くちなし」感想

 短編集です。女性が主人公で、しかもどの女性もなんだか感情表現がねじくれています。従来からある価値観に意義を差し挟みます。例えば結婚しない女は価値がないとか、子を産まない女は価値がないとか・・・にです。おかげで異性関係がうまくいきません。そのうまくいかなさ加減を、短編ごとに手を変え品を変えてしつこく訴えてきます。ですから全部一度に読むと、げんなりしていしまいます。一つずつ読むことをお勧めします。

 SFの手法を使っていておもしろいなと思ったのは「花虫」。

 カタツムリに寄生し、カタツムリの行動を夜行性から昼行性へとコントロールし、わざと鳥に発見されやすくして鳥に捕食させ、今度は鳥に寄生する、というおそろしい寄生虫ロイコクロリディウム。本作は実在する恐怖の寄生虫を美しくアレンジし、人間に寄生させて、愛情のコントロールを行うという設定。はたして寄生虫にコントロールされた愛は、本物なのか? 偽物だとわかった上で、人はそれを拒絶できるのか? 今の幸せな毎日を捨てて、本当の感情を手に入れようと思うのか? 「愛こそすべて」という従来の価値観に、真っ向から異議を唱えた大作(笑)となっております。結構ぞわぞわしながら読みました。

 一番のお気に入りは「愛のスカート」。変人ファッションデザイナーを好きになってしまった主人公。ところが彼は、さほど美人でもない子持ちの人妻に恋をしている。傷心の主人公が彼に創作上のあるアドバイスをしたところ、大ヒット作品「愛のスカート」ができあがり、おかげで彼は一躍売れっ子デザイナーに。彼も主人公も、成就しない恋とわかりながら、それをこれからも育てていくだろうことを予感させて本作は終わります。本短編集の中では異色と言えるほどに明るい展開であるところがいいですね。報われない愛でも、「自分は彼の成功に貢献している」というささやかな自己満足が得られるのならば、こういう展開もアリではないかと思ったりします。

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2018/03/04

WOWOW「帝一の國」感想

 原作は読んでいません。予備知識なしで見ましたが、本作はマンガ原作の映画としては飛び抜けて面白いと言えるのではないでしょうか

 まず、役者がいいですね。主役の帝一を演じる菅田将暉、全力でおバカな役を演じていますが、ちっとも暑苦しくなく、むしろ爽やかです。これってすごくポイント高いと思います。なかなかこういうことが出来る役者さんは、いないと思います。

 脇を固める男子たちも、タイプが色とりどりに揃っています。特にライバル役がみな素晴らしい。女性は目移りするのではないでしょうか。学園祭で、その生徒会のそうそうたるメンバーたちが、ステージ上、皆ふんどし一丁で太鼓を叩くパフォーマンスがあります。それを見た女性がくらくらっと倒れる演出がなされていたのですが、まったく不自然さを感じさせません。それくらいに皆さんおしりが魅力的です(笑)。かように、皆主役を張れるであろう若手男性俳優を、惜しげもなく脇役で使って、しかもおしりを(これも惜しげもなく)丸出しにさせている点が、本作の最大の魅力でしょう。

 それだけでなく、菅田将暉の父親役を演じる千葉雄大の、苦み走った表情が、本作にビターな隠し味を加えています。現実にはありえないような採点シーンも、千葉雄大の演技のおかげで、ぐっと引き締まったものになっていました。

 また、構図的に「あ、これはきっと原作にあるんだろうな」と思わせるような、パースをぐっと強調したものがちょくちょくあり、いいスパイスとなっていました。

 男性キャラが皆素晴らしかったのに対し、女性キャラがやや弱かったような気もします。このあたり、原作はまだまだ続きがあるようですし、本作の評価も非常に高いことから、きっと続編が撮影されることでしょう。というわけで、今から楽しみに待っていたいと思います。

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2018/02/25

山本弘「君の知らない方程式」感想

 BISビブリオバトルシリーズ第4作です。

 ビブリオバトルは、最近新聞でも取り上げられるようになってきており、徐々に知名度が上がってきているように感じます。

 何人かの発表者が、自分が読んで気に入った本を、順番に一人5分の持ち時間で紹介します。聴衆は、全員の発表が終わったら、一番読みたいと思った本に投票します。一番票を多く獲得した本の紹介者が勝ちというゲームです。

 本作の登場人物は、それぞれ読書傾向に偏りがあります。SFが大好きな主人公、ノンフィクションしか読まない堅物、ボーイズラブ専門の女の子、ラノベ大好きな美少年などなど。

 私はSFは割と好きなジャンルなので、本作の主人公が紹介してくれた「冷たい方程式」は、すごく気になりました。それだけじゃなく、ビブリオバトルで紹介された本はどれも読みたくなるものばかり。「それどんな商品だよ!本当にあったへんな商標」なんかホント今すぐにでも読みたい!

 私の勤務校の図書室には、生徒を図書室に誘いこむために、ラノベ系の本をかなり大量に取りそろえています。私はラノベ系は「キノの旅」シリーズや「涼宮ハルヒ」シリーズあたりまでしか知りません。今回、本作を読んで、あらためてラノベの名作の数々を知ることができました。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「僕は友達が少ない」などなど、背表紙のタイトルはいつも見て、知ってはいたのですが、巻数が多いので、手にとって読んだことはないのです。ああ、読みたくなってきた・・・。 

 今はそんなに読書にさける時間がないので、退職後の楽しみにとっておくとしましょう。

 苦言を一つ。作中のビブリオバトルは、毎回楽しく読ませてもらっているのですが、それとは別に存在する、登場人物たちの三角関係のドラマ、ラストの解決方法には無理があると思います。嫉妬心は、自分のDNAを次世代に残すために有利だから、長い年月の進化の過程で、消えることなく残されてきた本能だと考えられます。本能に無理して逆らうと、ろくでもない未来が待ち構えているはず。一夫多妻制が認められていた「源氏物語」だって、嫉妬心に狂う同僚や怨霊のせいで、女性たちがたいへんな目に遭っているじゃないですか。

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2018/02/18

武田康男「地球は本当に丸いのか? 身近に見つかる9つの証拠」感想

 中学校3年生の数学の教科書に、3平方の定理が出てくる。発展学習として、水平線までの距離を求めようというコーナーがある。もちろんこの答え、高さ次第で距離は随分と変わってくるわけだ。

 というわけで本書の登場である。

 一般的な大人の視線の高さ1.5Mだと、水平線までの距離は4.6キロ。富士山の高さ(3776m)だと230キロ。本書には323キロ離れた和歌山の山奥から、富士山の頂上撮影に成功した時の写真が載っている。これは新聞でも取り上げられていたので、見た記憶のある人も多いだろう。

 勤務先の生徒に、戦艦大和のマニアがいるので、大和の測距儀の高さからだと、何キロ先が見えるのかを調べてみた。高さ約30mなので、水平線は約21キロ先ということになる。その向こうは見えないというわけだ。

 ちなみに大和の主砲の射程距離は約46キロ。見えない距離にいる敵を撃っても、当たりっこない。これでは宝の持ち腐れではないかと思うかも知れない。だが、敵艦も大和と同じく高さ30mのブリッジを持っているとしたらどうだろう。ぎりぎり敵艦のてっぺんが見える距離、それがほぼ大和の射程距離ということになる。目視で狙って撃てるではないか!

 もちろん、発射から着弾までには時間があり(50秒前後)、狙った場所に着弾したころには、敵艦は違う場所に移動している。ずれを観測して、次の相手の位置を予測し、次弾を発射するのだが、敵艦だって、まっすぐ移動するような事はしない。だから、素人が考えても、これではとても命中しそうにないことがわかる。計算では、命中率は5%もないそうで・・・。使えないなあ(笑)。まあ、威嚇として(それ以上近づいたら撃つぞ的な)使うのなら意味があるのかも。

 本書はその他にも、スマホのGPS機能を使って地球の大きさを計算する方法や、空気の密度の差により、大気中の光線が曲がる性質から、実際に水平線が見える距離を計算する方法「地上大気差」(条件にもよるが、約6%遠くが見える)、さまざまな蜃気楼の写真など盛りだくさんな内容で飽きさせない。特に写真の美しさは、いずれもため息モノで、見ているだけで、ちょっと幸せになれる!

 

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2018/02/11

Wowow「チア☆ダン」感想

 あまり興行成績が伸びなかった映画なので、期待もせずに見たのですが、予想に反して面白かったです。

 まずは突っ込みどころから。

 ヒロインとその彼氏が「ちはやふる」と同じ広瀬すずと真剣佑で、しかも方言が福井弁とくると、これはもうデジャヴかと思っちゃうくらい。笑いました。

 笑いのツボが、かなり微妙な感じです。ここは笑うところなのかなと、毎回判断に苦しみました。ワンテンポ遅れて、役者が「そこ歌うんかい」などと突っ込みを入れてくれるので、ああ、ここはやっぱり笑っていいんだなと安心したり・・・。

 チームワークを乱すバレエ畑の女の子は、途中で袂を分かつのですが、その後どうなったのか、描かれていません。ちょっと消化不良な感じがします。

 身体能力で優るアメリカ人相手に、どうやって戦うのか、その戦略や分析等がまったくありません。決勝で突然センターを入れ替える理由も、映画の中では一切触れません。「笑顔だけじゃない何か」みたいなことをコーチが言うシーンがあったり、ヒロインの母親がチアやってたらしかったりと、いくつか作中で示唆はあるのですが、やや不十分な気がします。

 決勝で、皮下脂肪の多い女の子のダンスが魅力的に見えるシーンがなく、アナウンサーが前言撤回する根拠が見当たりません。

 以上ちまちまと重箱の隅を突きました。

 次に気に入ったところ。

 生徒たちの成長物語としてだけでなく、指導する先生の成長物語としても見られるようになっているところ。終盤で先生の苦悩が明かされるシーンには、じーんときてしまいました。

 当方Perfumeのファンなので、どうしても彼女たちのサクセスストーリーと比較して見てしまうのですが、共通点が多いことに驚きました。

 ①とにかくダンスが好き。

 ②よい先生に恵まれた。

 ③よい仲間に恵まれた。

 ④円陣を組んで本番前の緊張に克つ!

 ⑤身体能力でアメリカ人に劣っているのに、海外で成功させた。

 Perfumeも苦労して成功したグループなので、本作もついつい感情移入して見てしまいました。

 ただ、Perfumeの場合は、MIKIKO先生が「日本人でなければ表現できない」部分(奥ゆかしい品のよさ)で勝機を見いだしたので、「チア☆ダン」も何かそのあたり突っ込んでくれたら、一層高い評価をしたのですが・・・惜しい。

 実話ベースなだけあって、彼女たちの行く手を阻む障害も、一つや二つではなく、かなり複雑で、一筋縄ではいかないところが、本作の説得力を生み出す要因となっているように思います。生徒の各家庭の事情とか、個々のレベルアップのためにあえてチームの雰囲気を壊すとか、リーダーがあえて憎まれ役を引き受けるとか、なかなかにてんこ盛りです。バッサリ刈り込んで、「スイング・ガール」みたいに、あっさりさっくりエンタメ路線で行く方法もあったと思うのですが、あえてそうしなかった所に拍手を送りたいと思います。

 

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2018/02/04

麻生芳伸編「落語百選 春」感想

 最近NHKの「超入門! 落語 THE MOVIE」が面白い。

 落語家の噺にあわせて役者が完璧な口パク演技をするのだが、これが最高に楽しい! 特に女性陣が、浮気する亭主にヤキモチ焼いたり、若旦那をなんとも言えぬ色気で誘惑したりと、いい雰囲気出しているのである。また、時々思わぬ役者が登場したりして、(例えば元大関の把瑠都が大入道役で出てきて、かいがいしくお米を研いだり食器を洗ったりするのだ)見る者を楽しませてくれる。案内役の濱田岳もまた、とぼけたいい味を出している。

 というわけで、本作を借りて読んでみたら、つい先日(2月1日)放送されたばかりの「崇徳院」が載ってたりする。映像で見た後に原作を読むと、また一段と楽しいということを発見。また、話の後に解説があって、時代背景などの勉強ができるのもいい。

 過去放映作だと「三方一両損」「饅頭こわい」「粗忽の使者」「松山鏡」「猫の皿」などがある。

 タイトルの最後に「春」とあるから、当然「夏」「秋」「冬」もある。一冊25編、4冊で100編という勘定だ。テレビと一緒に楽しみながら、読み味わっていきたいと思う。

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2018/01/28

wowow「モンスタートラック」感想

 アメリカの自動車映画。アニメだと「カーズ」が有名ですが、本作は実写です

 ジャンル的にはファンタジー系なのでしょうか。油田の下から飛び出してきた謎のモンスターが、高校生のピックアップトラックのエンジン部分となり、次々に物理の法則を無視したファンタジックなドライビングを見せるというもの。荒唐無稽な設定なのですが、たいへん面白く観ることができました。

 何がよかったかというと、まずはモンスターの造型でしょうか。足が八本ほどあるので、タコなのかと思いきや、水の中を悠々と泳ぐ姿は、さながらジュゴンのよう。つぶらな瞳もポイント高し。ラストで主人公が自分のピックアップトラックに施す塗装がまたよろしい。

 次に興味深かったのは、日米の高校生の文化の違い。

 日本で走り屋と言えば「頭文字D」のように、軽量ボディに高回転型ハイパワーエンジンを積み、固く引き締めたサスペンションで峠を走るものでした(今の若い人はどうだか知りませんが)。ところが、アメリカの高校生にとっての車文化とは、直径1メートル以上はありそうな巨大タイヤを四輪駆動でぶん回すV8高トルクエンジンを積んだピックアップトラックで、道なき道をガンガン走るというものらしいのですね。さすが大陸文化。舗装道路よりも圧倒的に未舗装道路の方が多いお国柄が出ています。昨今日本で流行りの、なんちゃって四駆(SUVと言うらしい)なぞ、お呼びじゃありません。完璧にマッチョでマッスルです。

 次に驚いたのが、アメリカの高校では、家庭の事情などで授業に出席できない生徒の家に、同級生が授業内容を教えに来るらしいという所。しかも本作では美人(らしい。私のストライクゾーンからは、ちょっと外れていて・・・)の女子高生が主人公のところにやってくるわけです。こんなの日本では絶対ありえない(笑)。まあ本作もエンタメ映画ですから、大分盛ってるんでしょう。

 テーマとしては、一応、環境保護と家族愛のようなものがあるわけです。しかも家族愛の部分は、モンスターの家族愛に触発されて主人公にも家族愛が芽生えるなど、なかなか考えられた脚本となっています。

 楽しい映画でした。

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2018/01/20

藤崎彩織「ふたご」

 直木賞候補作。でも、とれませんでしたね

 小説というよりは、日記を読んでいるような感覚でした。読みながら、デビュー間もない頃、セカオワがNHKの音楽番組の取材に応じていたのを思いだしました。地下室で曲を作っているフカセとサオリの二人、どちらも病的な目をしていたことが深く印象に残る番組でした。そういう意味では、二人はまさしく当時、「ふたご」のように同じ心の病を抱えていたわけですね。

 本作には、この二人が、病的どころか、まさに病気そのもの(てんかんを発症する重度のADHDと、重度の鬱病)で苦しんでいる様子が、これでもかこれでもかと、執拗に、しつこく、エグく描写されています。セカオワのデビュー当時の楽曲「虹色の戦争」の歌詞は、おそらく若い時のこの二人のあやまち(小説には出てきませんが)がモチーフとなっていると考えられます。

 小説を読む楽しさはほとんど感じませんでした。変わりにこの二人がどういう関係だったのか、まるで週刊誌のゴシップ記事を読むような感覚で、ページをめくり続けました。人の不幸はやっぱり楽しい。バンドとしては一定の成功を収めていますが、この二人が普通の人の幸せを手に入れることは、おそらくないんじゃないでしょうか。

 序盤で月島(フカセですね)は「俺からすれば、みんなが一体何が面白くて人生を生きているのか全く見当がつかない」と言います。また、終盤で主人公は「お前に才能はない」という声が頭の中に響くようになります。さらに「自分にしかできないことは、一体何なのだろう」と悩むのです。

 先日中学3年の男子生徒が、作文に「生きることに意味なんてない。ただ、人生は楽しんだ者の勝ちだ」と書いてきました。

 また、中学3年の国語の教科書に、鷲田清一氏のエッセイが載っているのですが、そこでは「人と違う何者かになろうとする生き方の苦しさ」を述べています。自分にしかできないことを探すのではなく、周囲の誰かと助け合いながら何かを成し遂げる。それが本当の大人の自立というものなんだよと。

 本作は、だから中3レベルでも十分答えに到達することのできる悩みについて、あーでもないこーでもないと、うだうだ考え続けたらしい男女の日記です。

 「スターライトパレード」以後、セカオワの楽曲はゲーム音楽やディズニーパレード音楽的なワクワクドキドキファンタジー方向に進み、二人の病的な部分は表に出てこなくなりました。おそらく二人以外の誰か(おそらくナカジン)がそっちへ舵取りしたのでしょう。このまま商業主義的に成功する方向で行くのだろうと思っていたのですが、でも、こうして小説で二人の心の闇の部分を出版物にしてあきらかにしてしまった以上、それを今後楽曲に反映させるのかどうか? このバンドの進む方向に、ちょっと興味が沸いてきました。

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2018/01/13

wowow「ドクター・ストレンジ」感想

 アメコミ原作の映画です。

 「シャーロック」で有名になったベネディクト・カンバーバッジが主演というところが、本作の最大の売り。ただのヒーローものとは一線を画しています。っていうか、もろにホームズのキャラそのままです(笑)。つまり、才能はあるけど傲慢で、人の言うことに耳を貸さず、平気で他人の心を傷つける。映画「イミテーションゲーム」では、暗号解読機エニグマを開発した天才を演じましたが、こういったアスペルガー症候群(「シャーロック」では「高機能社会不適合者」という設定)っぽい役を演じさせると、カンバーバッジは最高ですね。一触即発ヒリヒリするような神経質さを感じさせる話し方や、おのれ以外誰も信じようとしない神秘的な目の色など、非常に魅力的です。本作でもそれが最大限に発揮されており、ストーリーそっちのけで、カンバーバッジの演技に見入ってしまいます。

 映像的には逆再生やら万華鏡的CGやらフラクタル的CGやらフィボナッチ的CGやら、おもしろい映像が次々に繰り出され、飽きさせません。また、カンバーバッジが敵から逃げるために異次元の扉を開こうとして、指を必死でくるくる回すシーンなんかは、なかなか笑えます。ラスボスがカンバーバッジのしつこさに音を上げるシーンも最高におかしい。

 あと、スタッフロールの後に出てくる、ジョッキのビールが勝手につぎ足される魔法・・・あれ欲しいなあ(笑)。

 

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2018/01/06

川上和人「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」感想

 帯に「売れてます! 笑えます! 続々大増刷」とあり、そんなに話題の本だったかと思いながら手にとって見ると、帯のはしっこに小さな文字で「ただし鳥部門(笑)」とあったりする。

 理系人間が書いた面白い本は、去年、前野ウルド浩太郎著「孤独なバッタが群れるとき」を紹介した。本作も同じように面白いのかと思って読んでみたが、残念ながら、「孤独なバッタ・・・」ほどは面白くなかった。 

 本作はあちこちに、受けを狙った表現や親父ギャグが出現する。例えば「次の敵はいよいよピッコロ四人衆だ。付け焼き刃の修行ではかめはめ波は少ししか出なかったので、調査前年からクライミングジムに通い始める」というような感じ。・・・実に親父っぽい。

 一方「孤独なバッタ・・・」は、受けを狙った訳ではないのに、ナチュラルに、天然に、面白い。そこがすごい。

 笑いが、作為的かそうでないかの違いは大きい。

 とはいえ、おじさん世代が嬉しくなってくる表現もある。一例として、アカガシラカラスバト、愛称アカポッポの頭がなぜ赤いのかを説明する章を引用しよう。

「ザク等とジオングには大きな違いがある。前者はいずれも量産型のカスタムモデルに過ぎないが、ジオングは1機しかない試作機だったということだ。(中略)ここで小笠原に視線を戻すと、オガサワラカラスバトという別のカラスバトの分布記録があることに気付く。この鳥は、アカポッポと近縁のやはり全身が黒いハトだった。これが、いわゆる量産型ザクである。(中略)アカポッポの頭が赤いのは、オガサワラカラスバトと形態的な差別化をするために進化した帰結と考えると、実に合理的である。」

 ガンダム世代なら、この説明でアカポッポの頭が赤い理由が一発で納得できること間違いなし。つまり本作は、読者の年齢層が限られる点に問題があると言えよう。

 本作は、実は最後の第六章が、本当の執筆理由ではないかと思われる。

 2011年、ハワイのミッドウェイ環礁で新種の鳥が見つかった。実は筆者は、同じ鳥を2006年に発見していながら、「他の人にも簡単に見つけられまいし。今、忙しいし」といった理由から、新種としての論文発表をほったらかしてしまったのである。「あぁ、やってしまった。いや、やらないでしまった」という猛烈な後悔が、本書を執筆するエネルギーとなったのではあるまいか。

 最初から最後まで、一貫して親父臭い表現が続くのだが、それさえ我慢できれば、本書はなかなかに楽しい一冊であると言えよう。

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2017/12/30

松永淳+田中渉「きっと嫌われてしまうのに」感想

 以前、このコンビの作品「ラブかストーリー」を紹介したのですが、相変わらず本作も、人前で持つには恥ずかしい表紙をしていて困りました(笑)。

 大どんでん返しが売りの青春小説です。

 とはいえ、途中であちこちにヒントが差し挟まれているので、結末を薄々予感しながら読むことができます。このあたりのさじ加減は絶妙! でも、読みやすい口語調の文体なので、じっくり考えもせず、先が知りたくてどんどん読んでしまい、あああそうだったのか・・・というパターンに(笑)。

 このパターンは乾くるみの名作「イニシエーション・ラブ」と似ています。

 ついでに言うと、中学生が読むにはちょっと・・・なシーンが多発するところも同じ(笑)。高校生以上におすすめします。 

 きちんと分析しながら読みたいという方は、年表を作りながら読むといいでしょう。特に震災の発生年と、パンダの来日年と、中日の山本昌投手が最多勝投手となった年。あと、ケータイが高校生に普及しだしたのが、いつごろだったか。

 タイトルの意味もラスト近くで「すとん」ときます! 泣かせます。

 世間では全く話題になっていない本作ですが、エンターテイメントとしてなかなかな小説だと思います。あとはドストエフスキーの「罪と罰」と関連する部分に、もう少し必然性があれば・・・とか、過去の大震災をこの手の作品で扱っていいのか・・・とかがクリアできていれば、文句なく第一級のエンターテイメント小説と言えるのではないでしょうか。

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2017/12/24

佐藤 究「Ank : a mirroring ape」感想

 SF小説です。

 しかも大風呂敷広げすぎの(笑)。

 きちんとした科学的な説明を求める人は、本書を手にしてはいけません。理系の人が読んだら唖然とすること間違いなし。

 科学的知識をうまく使って、読者を鮮やかに別世界へ連れて行ってくれるタイプのSFでもありません。つまり騙し方が下手。

 ネタバレになるので、ぼかして書きますが、人間のAという能力は、遺伝子Bの有無に関連がある、とおっしゃるのです。さらに人間がCという状態になっている時間と、太陽のDの時間は同じであるとも。・・・一体どこにその根拠が? 論理的な説明も証拠もなく、一体誰がこんな話を信じるのか? あんたはどこかの宗教団体か?

 元ネタとなる類人猿やDNAに関する科学的知識は、ネットで検索したり、出版物を読んだりすれば、誰でも手に入れられるものばかりです。どこかのすごい大学に入る必要はありません。むしろそれらの比較的ありふれた知識ををどう料理するか、そのアイディアのほうが、SF小説を創作する上でのキモなのですが・・・。

 そもそもミラーニューロンが働かない人間(共感能力が欠如する)も、世界には一定数以上いることがわかっているので(いわゆるサイコパス)、人類の何割かは、本書の暴動に巻き込まれない可能性があると思われます。

 さて、そういったSF部分のいい加減さには目をつぶって、サスペンス部分に注目して読んでみると、これがまた、テンポが悪いのです。例えば、半分ほど読んだところで、暴動を引き起こした犯人と、その手段が判明するのですが、そこから作者が引っ張る引っ張る(笑)。同じような展開が何度も繰り返されます。これ、後半は半分にならなかったのでしょうか? 私は読んでいて飽きました。

 

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2017/12/17

WOWOW「ぼくのおじさん」感想

 ネタバレあり。

 北杜夫の小説を映画化

 「ぼくのおじさん」というタイトルになってはいるが、北杜夫が自分のことを第三者視点で客観的にとらえつつ、あちこちに自分のぐうたらな言動についての言い訳を散りばめたもの、と考えて見ることもできる。

 真木よう子がヒロインを演じている。おじさんは真木よう子(推定35歳)に一目惚れして、彼女が経営するコーヒー農園のあるハワイまで出かけるのだ。

 残念ながら真木よう子は、私のストライクゾーンからは大きく外れているので、なぜ怠け者のおじさんが彼女を追いかけてここまで行動的になるのか、その必然性を全く感じられず困ってしまった。まあ、人の好みはそれぞれということでここは納得するしかない。

 さてそのおじさん、意外に人のよいところがあって、恋敵に勝ちを譲ったりするのだ。すると、「捨てる神有れば拾う神あり」で、甥っ子が書いた作文「ぼくのおじさん」を読んだ担任の女先生が「私、おじさんに会ってみたいな」と言うところで本作は終わる。

 で、この女先生を演じるのが戸田恵梨香(推定29歳)なのである。私としては真木よう子よりも戸田恵梨香のほうが、ストライクゾーンに近いのである。教室で生足にミニスカートというシーンもあったりして、おじさんに対するサービス精神も心得ていらっしゃるのだ(笑)。

 監督は最初から二人の女優さんをどう使うか、計算して配役しているはず。ということは、本作でおじさんをハッピーエンドにするためには、一人目の女性より、二人目の女性のほうを、若くて美人にしたほうがよいと計算するのは当然であろう。

 というわけで、女性の好みが監督と一致したのを感じることができた映画であった。

 必見とは言わないが、暇な時に、ほのぼの感を味わいたい人にはお薦めである。

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2017/12/10

Wowow「パッセンジャー」感想

 SF映画。

 宇宙船内の冬眠装置で眠っている間に、はるか彼方の新惑星に移住する、という設定。

 最初、宇宙船がゆっくりと前進する映像が流れる。宇宙船の前方部分には、シールドが張り巡らされているらしく、小惑星がぶつかっては光を放ち、消滅していく。この映像が実に美しい。宇宙船の造型も、斬新でかっこいい。

 ある時、宇宙船はシールドでは防ぎきれない巨大な小惑星と衝突する。深刻なトラブルが発生し、乗客の一人が、冬眠から目覚める。到着予定まであと90年。その間、たった一人で船内で生活しなければならなくなった彼が、孤独に耐えきれなくなり、ついに・・・という展開。なかなかに、人でなしなストーリーだ。女性の立場だったら、こんなのありえない!と叫びたくなるだろう。

 ストーリーは虫酸が走るのだが、映像はやたらと美しくかっこいい。このギャップが本作の最大の個性と言える。広大な宇宙空間で、自分一人しか存在しない、この圧倒的な孤独感は、今までのSF映画にはなかったものだと思う。無重力空間の演出の素晴らしさが、特にそれを強調する。

 中盤からは、登場人物が増え、なにやらストックホルム症候群(人質が犯人と閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有した場合に発生する。人質が、犯人の心情や、事件を起こした理由を知って同情し、犯人に愛情を感じるようになるというやつ)っぽい展開となり、いちおうこれはこれでよい人生だったのではないですかねぇという終わり方をする。このストーリー展開、納得できる人と、納得できない人とに別れるだろう。私は納得できないほうだ。

 そういうわけで、ドラマ部分はどうでもいいのだが、映像美のほうは、大画面で何度でも見返したくなる、そんな映画である。

 劇中でアンドロイドのバーテンダーが、主人公にスコッチをいれてくれる。シーバスリーガルの18年ものだ。これがもしマッカランの18年ものだったら、主人公ももう少し、孤独を楽しめたんじゃないだろうか(笑)。

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2017/12/03

中村航「無敵の二人」感想

 ボクシング小説、しかも実話ベース

 北海道出身の元日本ライトフライ級チャンピオン畠山昌人と、彼を育てた女性トレーナー赤坂裕美子(本作では「ひかる」という名前で登場)のドラマ。

 最初は「ねえ、ムシケン! ぐるっとやって、ねえ、ぐるっと!」というひかるのセリフでスタートする。ムシケンは「ちょっ、ちょっち、ひかるちゃん!」などど声を出す。もちろん、ムシケンとは具志堅用高のことで、現在読売新聞で自伝が連載中なのである。それによると「ちょっちね」というのは、「ちょっと」という意味ではなく「そうですね」であるらしいのだが、本作では「ちょっと」の意味で使われる(笑)。

 いきなり世界チャンピオンと遊ぶ小学生の女の子のシーンで始まるのだから、驚きである。さらに本作、ひかるの小学生時代の天衣無縫ぶりがこれでもかと描かれる。ひょっとしてこれはボクシング小説ではなく、ひかるの担任教師ナカザワの教員苦闘ドラマなのか? と思ったりする。だが、読んでいる最中は「ボクシングはいつになったら始まるのか」とか、そんなことはこれっぽっちも思わず、ただただひたすら、男子軍団のリーダーで、しかも女子たちからも慕われている赤沢ひかるの人間的魅力にとりこになっていたのである。

 ちなみに小学生時代、ひかるは同級生の田川君と親友の誓いを交わす。当然これは成長してからの伏線かなにかだろうと思いつつ読むわけだが、残念ながら田川君はこれっきり二度と出てこない(笑)。同じく中学生になったひかるは、男友だちのイケダくんから「おれたち、付き合おうぜ」と告白され「あー、うん」とOKし、しばらく付き合うのだが、このイケダくんもこれっきり二度と出てこない・・・。この潔さ(笑)。いやあまさしく実話ベースだなあ。赤坂ひかるがどんな子どもだったかを語るための一登場人物としての扱い(笑)。

 (さらについでに本作、ひかるたちはガンプラに夢中になったりする。ザク、旧ザク、グフ、ズゴック、ドム、ゲルググ、ジオング・・・)

 この少女が、25歳になった時、父親の入院を機にボクシングジムを継いで、トレーナーの道を歩むのだ。

 もう一人の主人公畠山が登場するのは138ページになってから。ここから本作は本格的なボクシング小説になっていく。しかもこの畠山のボクシングスタイルが、とてつもなくストイックでかっこいい。試合前に右の拳でとんとんと左胸を叩く。試合が始まると愚直なまでに前進し、内側からコンパクトに連打する。やがて試合後半になり、持久力に勝る畠山が、ついに相手を一方的に連打する時間がやってくる。畠山の「絶対時間」・・・。正直しびれた。途中審判のミスジャッジによる不運にも見舞われるが、そこからの再起シーンが、またとてつもなくかっこいい。

 ボクシングファンのみならず、やんちゃでわんぱくな少年少女時代の話が大好きな方は、本作は必読であると言えよう。

 

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2017/12/02

BD「Perfume Clips2」から「If you wanna」感想

 さすがBD。細やかさはもちろんのこと、色の濃密さが全然違います。驚きました。

 嬉しかったのはPRODUCTION NOTEに「Sweet Refrain」撮影で使用した美術館の見取り図がついていたこと。2013年11月に私が書いた見取り図とほぼ一致していました。やったー(笑)。

 さて、「if you wanna」のPVです。撮影資料プランのthe storyを読むと、「試練の象徴である飛行機、車、船が近づいてきて、三人それぞれが対峙し、毅然と立ち向かう。最終的に試練はピクセル単位に分解されていく。」とあります。

 え? そういうストーリーなの? 

 てっきり私は、3人がそれぞれ飛行機事故、自動車事故、海難事故に遭遇し、植物人間状態となって眠っている設定かと・・・。あるいは遺体の遺伝子からコピーを作ったはいいけど、何かが不足していて、眠ったままの状態であるとか・・・

 3人が眠っている部屋の壁には、「Spending all my time」の時と同じように「02」という番号が表示されていたので、「Eva」を連想した人も多かったのではないでしょうか? そうか3人は綾波レイと同じく人造人間なのか・・・みたいに。

 黒い逆三角錐から、エネルギーが照射されるカットが、たびたび挿入されます。このエネルギーによって、眠っていた3人は目を覚まし、再び活動を始める。しかし、ラスト近くで何らかの問題が発生し、三角錐は暴走、あるいは爆発する。エネルギーの供給源を失った3人は活動停止状態に・・・というバッドエンディングなのかなと。(バッドエンディングと言えば、今回の「Perfume Clips2」最初のPV「Spring of Life」もそうでしたね。)

 というわけで、予想は大ハズレでした(笑)。

 皆さんはあのPV、どのような解釈をされましたか?

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2017/11/25

Panasonic「AWA DANCE 360°VR」感想

 パナソニックセンター大阪に行ってきました。

 目的はもちろん、Perfumeの「AWA DANCE 360° VR」を体験するため。

 場所は1階の、テクニクス リスニングルーム横。

 長テーブルの上にVRが2セット置いてあり、担当のおじさんが使い方を説明してくれます。

 この日は待ち時間ゼロで、体験させていただきました。

 時間にして、おそらく50秒程度。あっという間です。 おお! 首を向けた方向の映像が見えるのか・・・。で、終わってしまいました。ちょっとちょっと、のっちばっかり追いかけてたもんだから、他の二人を見る余裕がなかったよ(汗)。もう一回見てもいいかな? とVRを置いてみると、なんと知らぬ間に私のあとに何人か順番待ちが。

 とりあえず、女子高生らしき方やら、カップルさんやら、仲良しおばちゃん二人組さんやらに順番を譲ることにして、ひとまず、すぐ隣のテクニクス リスニングルームで、一本百万円を超えるらしいスピーカーSBーR1の音を聞くことにしました。こちらもたまたま、私の他に客がいなかったので、一人でこの贅沢な空間を独占という幸せ。辻井君のリストやらヒラリー・ハーンのシベリウスやら、美空ひばりの川の流れのようにやら、いろいろ聞かせていただきました。スピーカーの他にも、アンプやら無垢のフローリングやら壁材やらにも金をかけているそうで、「全部で2000万円かかってます」・・・・・え? この音って、そんなに金かかってるんだ。

 ・・・いやぁ部屋が狭すぎるよなあ。3mくらいの距離で聞かされたんだけど、同軸スピーカーのせいで、音像がやたらでかい。美空ひばりの口がでかい。物量大量投入方式のシステムなので、(スピーカー1本で72キロ・・・一人じゃとても動かせない)音の揺るぎのなさは比類ないのだけど・・・。たぶんこの部屋の4倍くらいの広さで、もっとスピーカーから離れて(おそらく8m以上)聞いたら、このシステムの真価がわかるんじゃないだろうか? 部屋の広さ確保のほうに金を使わなかったのが惜しい。

 30分ほど極上の音を満喫したのち、再びVRコーナーへ。うまいことに今度も待ち時間ゼロ。「すいません。もう一度体験させてもらってもいいですか」「どうぞどうぞ」というわけで、2回目はかしゆかを見て、振り向いてあ~ちゃんを見て、また振り向いたら今度はすぐ目の前にのっちがいて、しかも超高画質で・・・という、なかなかにドキドキする体験をじっくり味わうことができました。いやあ、VRシステム、いいなぁ。

 というわけで、JR大阪駅のすぐ北にありますので、機会があればぜひ体験を。待ち時間はすぐ横で、テクニクスの超弩級スピーカーを堪能してください。楽しいですよ。

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2017/11/24

BD「キングコング 髑髏島の巨神」感想

 オリジナル1933年版(白黒)「キングコング」との比較をメインに。

 まずオリジナル版は、とにかくコングのキャラがわかりやすい。白人女性のアンに一目惚れしたら、その後はとにかく中年エロ親父パワー炸裂! 独占欲丸出しで、「オレの女に手を出すヤツは、誰だろうと皆ぶっ殺す」とばかり、肉食恐竜(ティラノサウルス?)をぶっ殺し、大蛇をぶっ殺し、翼竜(プテラノドン?)をぶっ殺す。そうしてやっと彼女と二人きりになったら、今度は彼女の衣装を一枚一枚引っぺがす。指についた彼女のにおいをフガフガかいで、ご満悦上。これって、危ない中年エロ親父と、行動原理同じだろ(笑)。オスの本能だよなあ・・・。

 映画の後半では、麻酔弾で眠らされ、ニューヨークに連れてこられるも、目の前でアンが人間の男といちゃついているのを見せつけられて怒り爆発!オレの女に何すんだ~とばかり、手枷足枷もぎ取って、アンを追いかけてマンハッタンのビルを登りまくる。ビルの中にそれらしい若い女性を見つけるも、アンと違うと知ったとたんに、ぽーいとビルの外に捨ててしまう。なんてわかりやすいキャラ(笑)。

 そこへいくと、新作のコングは、一体何のため闘っているのか、さっぱりわからない。大ダコと闘ったのは、どうやらタコの足喰うためらしいけど、トカゲの怪物と闘うのは、親のカタキなのか? だが、果たしてゴリラに、親の敵討ちという概念があるものなのだろうか?

 それとも、敵討ちじゃなく、人間を救うために闘ってるとでも? 本作は、人間にもいいヤツと悪いヤツがいる描き方なのだが、コングがどうやって、いい人間と悪い人間を見分けているのかがわからない。そもそも人間の善悪の価値観と、コングのそれとは一致しないだろう。

 オリジナル版はアンというヒロインに一目惚れしたのが、その後のコングの行動の動機となったが、本作のヒロインは、ちっともコングに気に入られていない。女性は白人カメラマンと、チャイナ系学者の二人いるんだけど、コングは彼女たちに、異性として興味を示さないのだ。

 なんで新作のコングは、人間を救うのだ?

 などと面倒くさいことは考えずに、単純にコング対怪物たちの対決シーンを楽しめばいいのではないか。そういういう映画なのではないか。

 で、それで結構、いやかなり楽しい(笑)。アクションシーンも楽しいが、カメラワークがあちこち楽しい。Aと見せて実はBだったみたいな。

 続編も観ようと思う。

 

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2017/11/18

森絵都「出会いなおし」感想

 随分印象が変わったな。あれ、こんな作家さんだったっけ?

 短編六つ。

 一作目の「出会いなおし」は、まるで森絵都本人の回顧録のよう。

 27歳(推定)の時の「宇宙のみなし子」は、当時の中学校読書感想文課題図書だったように思うが、とにかく瑞々しさがページから溢れていた。屋根の上に登って星を見たくなった。

 31歳(推定)の時の「カラフル」は、歴史に名を残す傑作だった。SNSに「死にたい」と書き込む人は、これ読んでないんじゃないの? スマホいじる暇あったら、本読めよ。

 そして34歳(推定)の時の「DIVE!!」は、スポーツ青春小説の王道だった。マネして同じパターンの小説やマンガが、後から後から、まさしく「雨後の竹の子のように」現れたものだ(駅伝とか、野球とか・・・とか・・・とか)。

 ところが、ここから森絵都の筆は急に衰える。37歳(推定)の時の「風に舞い上がるビニールシート」は、一体どうしちゃったんだろうという作品である。中途半端におばさん臭いのだ(直木賞はとったんだけどさ・・・)。

 「出会いなおし」を読むと、なるほどあの頃はそういう心境だったのね、と得心する。

 そして今、充電されて、吹っ切れて、さらに中年おばさんパワーを手に入れ、過去の森絵都とは違う森絵都に生まれ変わったわけだ。

 特にその威力が遺憾なく発揮されているのが二作目の「カブとセロリの塩昆布サラダ」である。途中カブ料理のレパートリーが延々と述べられるのだが(なんと1ページ半も!)、よくまあ編集者も妥協したものだ(笑)。おばちゃんだからこその押しの強さを感じた。しかもたかが「カブとセロリの塩昆布サラダ」の話で、ここまでドラマチックに展開しますか! 泣かせますか! 笑わせますか! とにかく吹っ切れ方がすごい。新生、森絵都である。いやびっくり。

 人生の重要な岐路で、実在しない人物がアドバイスを示してくれるパターンの話が二つある。こういうちょっとファンタジーっぽい書き方は、「カラフル」を思いださせる。また、随所に散りばめられた比喩表現は、しばしば私の胸に、真ん中どストライクで衝撃を与えてくれる。こういったところも昔の森絵都のまま。

 そういうわけで、昔のファンも、最近ファンになった人も、どちらも楽しめる一冊。

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2017/11/12

千早茜「ガーデン」感想

 この小説の主人公羽野、一般的には「草食系男子で帰国子女」というレッテルを貼られるのだろう。しかし羽野は、強烈にそのレッテルを拒絶する。そういう典型的なパターンの小説ではないのだよと。

 偽善が嫌い。人間づきあいが嫌い。人間とよりも植物と暮らすほうがよっぽどマシだというキャラ設定。人間や生物のにおいに過敏に反応するあたり、アスペルガー症候群の一種かと思わせる描写もある。

 少年時代の羽野が、海外で老婆にジュースを渡し損ねる体験が強烈。その記憶が「人に感謝されたいという欲求がない」特異な性格を形成する。

 自分を周囲に押しつけないので、おかげで女の子たちにはやたらと人気が高い。同僚のタナハシにモテ、モデルのマリにモテ、バーテンダーの緋奈にモテ、人妻の矢口さんにモテ、バイトのミカミさんにモテ、先生の愛人理沙子さんにモテる(こういう設定に虫酸が走る人は、本書は手に取らないほうがよかろう)。

 羽野の周辺の女性たちは、皆、羽野に近づき、羽野に話を聞いてもらいたがる。「私を見て」「私に気づいて」「私をかまって」光線を出しまくる。だが、結局女の子たちは、皆羽野から離れていく。羽野が、彼女たちの願望を知りながら、何一つかなえてあげないからだ。

「自分の好きなものをわかってもらいたいと思ったこともない」「それって、さみしくないですか」「さびしくない」

 最近教育現場では、「自尊感情の育成」がキーワードとなっている研修が多い。自分で自分に価値があると感じる人間は、他人の評価を必要としない。自分に価値を感じない人間は、他者の評価を気にする。他者にほめてほしい。「きれいだね」「がんばってるね」「すごいね」と言われたい。「一緒にいてほしい」と言われたい。SNSがこんなにも大流行している背景には、自尊感情を持てない人間がそれだけ多いという事情があるのだろう。そして、みんなこじらせる。

 例えば、本作に出てくる女性タナハシは、出社拒否症に陥り、バイトのミカミちゃんは、「自分を殺すことを愛や喜びと思」うことで、若手男性社員との出来ちゃった婚に進む。そのほか、いきなり行方不明になる女の子が二名も出てくる始末・・・。

 女流作家らしく、女性の性格の恐ろしい部分を見事にえぐって描写する。だから、羽野は悩む。自分の対応が間違っていたのだろうかと。

 今後も注目したい作家である。

 追記

 序盤で雑誌の取材のため、京都に行くシーンがあるが、京都の魅力をよく捉えていると感じた。作者は京都に住んでいたことがあるのだろうか? また、コケとSNSの共通点についての考察もなかなかおもしろかった。

 

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2017/11/05

伊坂幸太郎「ホワイトラビット」感想

 伊坂氏の新刊

 いつもの伊坂氏の作品とはちょっと様子が違う。p182まではとにかく、一体誰が本作の主人公なのか、さっぱりわからないのだ。一人称が兎田だったり、春日部課長代理だったり、つまり多視点で語られるドラマというのもある。「レ・ミゼラブル」を模して、あちこちに突然作者の語りが差し挟まれたりするのも一因だろう。「ここで一度、時間を巻き戻し、~の場面に戻そう」みたいに、これは実はこの後こうなるんだが、ひとますそれはおいておいて、今はこっちの話をしておこう的な語りが多く、時系列がぽんぽん飛ぶ。おかげで小説というよりは、なんだかテレビドラマの脚本を読んでいるみたいに感じたりもする。

 それが、p182からは一気に主人公が誰なのかが明確化し、ドラマはぐんぐんと加速し、それまでの伏線をひょいひょいと拾い集めて繋ぎあわせ、怒濤のエンディングを迎える。このあたりの展開の爽快さは、まさに今までの伊坂氏そのもの。

 p182までは、なかなか思うようにドラマが進まないし、それぞれのドラマがどう繋がるのか見当もつかないしで、読んでいて不安になってくると思う。しかし、是非想像力を働かせて、このややこしいパズルが、どう繋がっていくのか、推理しながら読んでほしい(私は今回、残念ながら全然わかりませんでした)。

 さてここからはどうでもいい追記。

 本書、P15の「ごめんね祇園精舎、悪いね沙羅双樹」の次のところに、「兎田が『平家物語』を知っている可能性は低く」とありますが、いや、かなりの確率で知っていると思います。なぜなら平家物語冒頭部分は、中学2年の国語の教科書に載っており、さらに言えば、ほぼどこの中学校でも、暗記させられることになっているからです。

 p91の中村の台詞。「アリさんとな俺たちを一緒にしないでくれ」・・・校正漏れですね、第二版以降は果たしてなおっているかな新潮社。

 

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2017/10/29

ベルンハルト・シュリンク「階段を下りる女」感想

 ドイツの小説。2014年に出版され、あちらではベストセラーになったとのこと。

 「階段を下りる女」というタイトルの絵を巡って、ドラマは始まる。画家シュヴィントと、絵のモデルであるイレーネ。絵の所有者兼イレーネの夫グントラッハ。そして絵の所有権を画家シュヴィントに戻すことと引き替えに、モデルのイレーネとグントラッハを復縁させるという契約書を作成するために雇われた弁護士の「ぼく」の四人が、主な登場人物。

 若い時の「ぼく」は、イレーネを夫グントラッハから解放し、さらに彼女と駆け落ちすることを夢想し、彼女の脱出劇に荷担する。だが、自由になったイレーネは「ぼく」の思い通りには行動しない。彼女は行方不明のまま、40年の月日が経つ。ここまでが第一部。

 第二部では、イレーネの住居を「ぼく」が突きとめ、訪れるシーンから始まる。そして、どうやらイレーネが重い病気を患っているらしいことに「ぼく」は気づく。

 そこで「ぼく」は突然、介護問題について語り出す。次のように。

「誰もが仕事はしなければならないわけだが、仕事を辞める時点を自分で決められるのが、本来は正しいあり方だろう。その時点が来たら、社会は三年間、彼が自分にふさわしく、快適だと思う生活に必要な金を払い続けるべきだ。そのあと、彼は人生に別れを告げなければならないが、どのようにして死ぬかは自分で決められる。そんな政策は実行不可能だとわかってはいる。だが、それが実行できれば我々の高齢化社会の問題が解決されるだけではない。その政策はすべての人に自分の人生をコントロールする権利を与えるだろう」

 驚いた。今の民主主義の国家では絶対に不可能な政策だから。だが、かつての日本では、例えば鎌倉時代の西行法師のように、自分の死期をコントロールしても構わない時代があった。そもそも仏教は、釈迦が、自分の死期をコントロールする入滅を行っている。生きる権利と同じように、死ぬ権利が皆にあったのだ。

 やがて、イレーネの家に、かつての夫グントラッハと、画家シュヴィントがやってきて、絵の所有権について議論を交わす。

 第三部でイレーネは、自分の人生に別れを告げる前に、自分の人生をコントロールする。思い残すことがないように。そして彼女は、どのようにして死ぬかを、自分で決めるのだ。

 「ぼく」は、もし40年前に、イレーネが自分と駆け落ちしていたら、どんな人生を送ることになったか、その空想を、病床のイレーネに聞かせる。その語りの中で、「ぼく」は自分の人生を、かつて確かに作ったはずの「砂の城」を思いだす。そしてどうやらその作業が「ぼく」の心の癒やしになっているようなのだ。

 若い時に絵のモデルだったイレーネ。40年の月日がたったということは、第二部以降のイレーネは、おそらく60歳後半。「ぼく」のほうはおそらく70歳前後。画家シュヴィントと、元夫のグントラッハにいたっては、おそらく80歳前後の高齢者と考えられる。つまり本作は、じいさんとばあさんが、自分の人生の最期をどうコントロールするかを描いた作品というように読むことができる。

 じいさんばあさんの最期の話なのに、読後感は実に美しい。

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2017/10/22

小野寺優「ラノベ古事記」感想

 太宰治の文庫本「人間失格」の表紙を、ラノベタッチにしたら売れたらしい。

 馬鹿売れした「キミスイ」とかの表紙も、ラノベタッチだし。

 今はなんでもラノベ風にすりゃあ売れる時代! という安直な発想のヤツかと思って読み始めたが、本作、ちょっと様子が違う。

 各章のページを開くとその裏に、「CHARACTER CHART」なるものがあり、主な登場人物のイラストと解説がある。稗田阿礼(ひえだのあれ)についての説明がこうだ。

「一度見たり聞いたりしたものは忘れない」という特殊能力を持っていたため、28歳の時に天武天皇にスカウトされ、日本の歴史や系譜を暗唱。

 なるほど彼は今で言うところのサヴァン症候群だったのか。納得!!

 そして「序」の部分。今まで古事記の「序」の部分は、読んだことがなかったので、今回初めてその内容を知った(後で調べてみると、本作は一見おちゃらけたように見せて、かなり正確に口語訳してあることにびっくり)。おかげですごく勉強になった!!

 いよいよ本編を読み始める。とりあえず本作は、古事記の上巻の最後までを描いている。最近読んだ古事記では、こうの史代氏の「ぼおるぺん古事記」の印象が強く残っているので、どうしてもそれとの比較になってしまう。

 読み終えての結論。

 「ぼおるぺん古事記」は、作者こうの史代氏による、女性視点の解釈。男性の身勝手さを描いた作品だった。

 対して本作は、男性視点の作品。原作に見え隠れする「下ネタ」と「萌え」要素を、包み隠さず正直にあらいざらいに表現したらこうなっちゃいましたみたいな。

 大国主命の、手当たり次第に女に手を出すプレイボーイ部分の描写で特にそれを感じた。彼の別名が「八千矛神(やちほこのかみ)」である理由も、本作をよんで初めて納得(笑)。そうか、矛を使いまくってあちこちの女性を(以下自主規制)。

 ほとんどどこの図書館にも置いてある日本古典文学全集「古事記」と読み比べると、さらに本作の面白さが増す。そうかこのシーンはこういう解釈も出来るのか!

 なるほど、こういう読み方もありだなと。

 最後にまとめとして「跋」の章がある。そこで右大臣、藤原不比等が元明天皇にこう言うのだ。

「・・・古事記にはこちらに不都合な話が多すぎます」

「オオクニヌシの神話なんて、天皇の前にも別の王権があったことを認めているようなものじゃないですか。そんなん、わざわざこちらが正式に認めなくてもいいでしょう」

 今まで、みんな心の中で思っていても、口に出してこなかったことを、本作はずばり言っちゃってる! この潔さ。ラノベ風だからこそ、できたのではないか?

 面白かった!

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2017/10/14

天野純希「信長嫌い」感想

 信長が主役ではなく、信長のせいでいろいろと苦労したり、苦汁をなめさせられたりした方々が主役の小説である。

 全部で七話。

 第一話=今川義元(説明いりませんね)

 第二話=真柄直隆(朝倉義景配下の武将。 姉川の戦いで徳川家と戦い討死)

 第三話=六角承禎(信長上洛時に観音寺城に立てこもり抵抗するも敗北)

 第四話=三好義継(信長上洛までは大阪と京都を支配。将軍足利義輝を殺害)

 第五話=佐久間信栄(信長配下の武将。のちリストラされる)

 第六話=百地丹波(信長を暗殺しようとしてことごとく失敗した忍者)

 最終話=織田秀信(信長の孫。幼名三法師。関ヶ原の戦いで西側につき、敗北)

 ほとんどの作品に共通するのは、信長というとてつもなく大きな存在の前に、自分の存在意義が見つけられず苦悩する主人公の姿。そこそこがんばって出世したり、所領を広げたりしてきたのに、信長と比較すると、とたんに自分がちっぽけに見えてきてしまう。さらに、信長の悪運のあまりの強さに、信長は天から必要とされているが、自分はまったく必要とされていない存在なのではないかと自己嫌悪ループに陥るのだ。実に気の毒である。

 ただ、作者は、主人公たちが、最終的には自分の人生に満足して終わるようにストーリーを組み立てる。よい人生だったかどうかは、結果で決まるのではない。人生の岐路で、自分で自分が嫌いになるような選択をしてこなかったか。自分の性格に正直な選択をしてきたか。そのあたりが本作のテーマとなっているようだ。主人公の一人は「そうか。結局のところ、自分は誰かに褒めてもらいたいだけだったのか」と気付いた時に、吹っ切れる。

 そういうわけで、人生の敗北者たちのストーリーであるにも関わらず、読後感は実にすがすがしい。

 (追記) 最近、資料を多角的に読むことで戦国時代を見直す動きが盛んになっている。例えば長篠の戦いで鉄砲三段撃ちはなかったとか。本作では足利将軍義輝が、塚原卜伝免許皆伝の剣豪として、畳に突き立てた名刀を次々と取り替えながら寄せ手を鮮やかに切り捨てる姿が描かれる。これはどうやら江戸時代の創作であるらしいのだが、作者はそのあたりには深く突っ込まず、テーマを貫くため、エンタテイメントのため割り切って書いているようだ。

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2017/10/07

岩下悠子「水底は京の朝」感想

 作者は「相棒」「科捜研の女」等テレビドラマの脚本家。本作が小説家としてのデビュー作。

 京都が舞台の小説。だから随所に京都的な、怪しげな美や闇が描写される。また、嵐山や鴨川の三角州、赤光寺など、京都の名所を背景としてドラマが展開される。となると、いかにして森見登美彦氏の作品と差別化を図るかがポイントとなろう。

 作者は本作に、ファンタジー小説の手法ではなく、ミステリードラマの手法を導入することで、独自の色を出すことに成功したと言える。

 全部で五話ある。各話では、前半で一つの事件なりドラマなりが示される。そして後半、そのドラマを複数の登場人物が、それぞれ違う視点から解釈する。話によっては3通りの解釈が出てきたりして、はたしてどれが真相なのかわからなくなってくる。料理対決のマンガでは、後から出した料理が勝つ! というお約束があるようだが、本作ではそれは通用しない。多層的な読みができるのだ。だから、読んでいて実に楽しかった。

 ミステリードラマの手法によくある、「幻影痛」や「ネクロフィリア」など、ちょっと変わった病名やら、ちょっとダークな趣味嗜好やらが、小難しそうな専門用語を伴って次々に出てくる。そうやって前半でしかけておいた様々な伏線が、後半で鮮やかに回収される。これは相当計算して書いてある。さすが、テレビドラマの脚本家!見事なものである。

 ヒロインが、よくあるすっとした美人ではなく、背が低くてちょっとぽっちゃり系なのも、京都らしくて好印象!

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2017/10/06

カズオ・イシグロ「私を離さないで」とPerfumeの「Spending all my time」

 カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。当ブログでも、以前「私を離さないで」(映画)を紹介したことがある。自分のお気に入りの作家さんがノーベル賞を受賞するのは、やはり嬉しいものである。

 さて、その「わたしを離さないで」だが、閉鎖された学園で健気に運命を受け入れる少女たちのイメージと、Perfumeの「Spending all my time」のPVのイメージがよく似ているという感想を、以前当ブログで書いた。その後、「Spending all my time」は、Perfumeの3人が、レコード会社を徳間からユニバーサルへ移籍する時の葛藤と決断を描いている、という解釈も書いた。

 来月、11月29日にはPerfumeのPV集第2弾が発売される。2012年当時のPerfumeのおかれた状況に思いを馳せながら、「Spending all my time」を鑑賞したい。

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2017/10/01

WOWOW「淵に経つ」感想

 なかなかに衝撃的な作品であった。

 まずは、浅野忠信が演じる八坂の不気味さ。刑務所でたたき込まれたのだろう、姿勢や所作は実に端正で、きちんとした敬語を使う。遺族へ書き送る手紙は、文面も文字も丁寧。ぴしっと折り目のついた白いカッターシャツを着て、おまけにオルガンも弾けるときたら、そりゃあ章江が徐々に心惹かれていくのも無理はない。今のダンナよりもよっぽど魅力的に見えたことだろう。

 それでいて、「ああ、すみません。明るくしておかないと眠れないんです」などと、不穏な雰囲気をきちんと描写。

 川遊びの時、八坂が本音を一瞬見せるシーン、見ていてゾクッとした。

 そして、赤いシャツ。八坂が本性を剥き出しにする、その映像が怖い。

 熱心なキリスト教徒として、まじめに生きてきた章江視点で本作を見ると、実にやるせない気持ちになる。夫の本性を見抜けなかった罪。夫と娘がありながら八坂に気持ちが傾いたことの罪。どちらも不可避に近い。それなのに、神は章江に過酷な罰を授ける。実に不条理である。

 古舘寛治が演じる利雄も恐ろしい。終盤で妻の章江に真実を告げるシーンがある。その時の開き直りっぷりが、この男も八坂に負けず劣らずの悪党であることを教えてくれる。とどめは「お前だって、八坂とできていたんだろ」 章江をどん底にたたき落とす。川遊びの時に撮った写真が、ラストの切れ味鋭い伏線となっている。

 エンディングのオルガンが、また効果抜群で困った。よく計算された作品だと思う。

 追記

 前半と後半の間には、8年の時間の経過がある。利雄と章江夫婦の加齢加減が、そのたるみ具合が、実に見事。あれだけ肉体をたるませるには、一ヶ月以上はかかりそう。撮影の時は、前半部分を先に撮ったのか、それとも後半部分を先に撮ったのか、知りたくなってきた。もし後半が先なら、前半部分撮影のために、相当過酷な肉体トレーニングを行ったのではなかろうか。ライザッ・・・のCMに出演できそうだ。

 

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2017/09/23

佐藤正午「月の満ち欠け」感想

 第157回直木賞受賞作です。

 ですが、今回の作品は私は生理的に受け付けられないものでした。

 過去の佐藤正午氏の作品は、結構好きなものが多く、特に「鳩の撃退法」なんかは大好きでした。こっちが直木賞だったらよかったのにと思うくらいです。

 では今回の作品のどこが苦手だったかというと・・・

 まず、ヒロインが魅力的ではないところ。無断欠勤をわりと平気でする人です。仕事に行くのがいやだから、押しの強い男に言い寄られて、そのまま押し切られるように結婚してしまう、主体性のない女として描かれています。若い男に言い寄られても、そのまま押し切られる、だらしのない女です。

 こんな女では、何度生まれ変わってくれても、自分は好きになれる気がしません。

 次に、生まれ変わった女は、小学生とか中学生とかなわけです。男の方は60前後の、人生の終点が見えてきたおっさんなわけです。この二人が、男女の関係になったら「アウト」でしょう。作品中でも、少女の母親がその点を危惧しています。それなのに、なぜか作者は、ラストで二人の再会を美化して書いているのです。

 冷静に読んだら、変態親父の話だし、少女の年齢から考えて、法律上いろいろひっかかりまくりそうです。少なくともまともな大人が読む娯楽小説としては、いささか無責任ではないかと思います。人生終わりかけたおっさんの願望を美化して書いたのかと勘ぐりたくなります。

 まあでも、「源氏物語」だって、おっさんになった主人公が、美少女を見つけて、自分好みの女に教育していく話でしたよね。だったら、本作もありなんですかね? 

 あと、中盤で出てくる体育会系サラリーマンの思考回路と、それに対する妻の本音の描写あたりは、勉強になったと言えるかな。

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2017/09/17

wowow「セルフ/レス 覚醒した記憶」感想

 SF映画です

 ざっとあらすじ。建築家として巨額の財をなしたダミアン爺ちゃんは、寄る年波に勝てず、癌で余命わずかと診断される。そこで、金に物を言わせて、クローン技術で培養した若い肉体に自分の意識を移植する手術を受ける。もちろん認可された治療法ではなく、金持ちだけ相手にする闇組織。ところが手に入れた若い肉体は、実はある軍人が、自分の娘の治療費を捻出するために身体を売ったものだと判明。人道的にいかんだろと思ったダミアン爺ちゃんは、闇組織を叩きつぶすために動き出す。

 こうやって書くと、なんだかありえないような、すごい展開に思えますが、なにしろダミアン爺ちゃんは優秀な軍人さんの肉体をいただいたわけなので、アクションシーンなんかバリバリにこなせちゃうわけです。銃器の使い方もお手の物。しかも頭脳は人生の成功者として数多くの修羅場をくぐり抜けてきた爺さんの冷徹な思考力のまま。「私は慎重だ」「何事にも保険を用意する」いやこの台詞にはしびれました。クレバーな主人公大好きです。

 そんなわけで、ダミアン爺ちゃん(いや見た目は若いんですが)、がんばって闇組織の本拠地を探り当て、防御網をくぐり抜け、二度とこういう非人道的な治療が行えないよう、徹底的に破壊します。最後の絶体絶命のピンチも、冷静な判断で見事にクリア。爺ちゃん神対応ナイス!

 ラスト、ダミアン爺ちゃんが、軍人さん家族のために選んだ道も感動的。ウルトラマンの最終回をついつい思いだしちゃいました。

 ケンカしていた実の娘へのメッセージの渡し方も、実に素晴らしい。

 この二つのエピソードに共通するのが、相手に幸せになってほしいという思いの深さ。自分の幸せなんか二の次、というスタンス。老後はこうあるべきですぞ、全国の爺ちゃんたち(自分も含めて)。

 最近、爺ちゃんが活躍する映画が増えてきていますが、本作は見た目若くても心は爺ちゃん。しかも、すごくいい爺ちゃん。泣けます。

 また、若返りを謳って金持ち相手に臍帯血を売りつけたニュースなんかを聞いていると、もはや本作がSFじゃなくなってきつつあるように感じます。ただ、現実は、本作のようにスーパー爺ちゃんが登場して、悪をやっつけてくれたりはしないんですよね。

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2017/09/15

Perfume「If you wanna」歌詞の意味

 この曲も、主語を誰に設定するかで、意味が変わってくる。

 まずは本人視点で解釈してみよう。

1番

 これからもPerfume としてずっと活動が続けられますように、そんな願いを込めて

  でも私たちもいいかげん歳だし、みんなから必要とされなくなる時がくるんじゃないかと、ちょっと気になってる

 2番

 リオオリンピック閉会式の録画を見る度に、MIKIKO先生の演出にいつも見とれて 

 でも、私たちもきっと、オリンピックに関われるんじゃないかってことを信じてる

 

 ※(英語部分)

  そういつだってキレイでいたいわ

 もしあなたたちが私たちのことを愛してくれるのなら

 

次に ファン視点で

 1番

 彼女たちにはいつまでも活動を続けてほしい。そんな願いを込めて

  でもひょっとしたら、引退してしまうんじゃないかと、ちょっと気になってる

  2番

 僕たちは3人のダンスに、いつも見とれて

  きっと彼女たちは3年後のオリンピックに関わるってことを信じてる

 先日(9月14日)の対バンライブで、ついにあ~ちゃんが、3年後のオリンピックに関わりたいというような趣旨のことを述べた。

 これは本当に3年後、あるかもしれない! 

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2017/09/10

エリザベス・ストラウト「私の名前はルーシー・バートン」感想

 筆者は2009年に「オリーヴ・キタリッジの生活」でピュリッツアー賞を受賞したニューヨーク在住の女性作家。

 本作は中盤で、主人公がセアラ・ペインという名の小説家のワークショップに参加する。そして書きためておいた小説の一部を見てもらい、次のような評をもらう。

「娘が入院したので、母親として見舞いに来て、なぜか堰を切ったように、ほかの人の結婚がだめになった話をする。自分でもわからないのね。そういう話をしようという意識はない」

 そういうわけで、本作の前半は、結婚に失敗した親戚やご近所さんたちの話が次々に登場する。

 まずはキャシー。わが子が通っていた学校の先生とくっついて、夫と子どもを捨て、町を出る。ところが頼りにしていた男が実はホモで、キャシーの人生の後半はじつにみじめで寂しいものとなる。

 次が母のいとこのハリエット。シガレットを買ってきてやると言って出ていったきり夫は帰って来ない。

 ハリエットの娘のドティは、何年か前に、旦那が他の女と消えてしまう。

 メアリの旦那が秘書と浮気をして十三年にもなるということが発覚。その女がものすごく太っていたことを知ったメアリは心臓発作を起こす・・・などなど。

 後半で筆者は次のように書く。

 「人間は優越感を欲しがるものだ。どうにかして自分の優位を感じていようとする。どこの人間も同じだ。いつでもそうなる。その習性にどんな名前をつけるにせよ、踏みつけにする誰かをさがさないと気がすまないらしい。人間の成り立ちとしては最下等の部分だと思う」

 主人公と母は、いつ退院できるかわからないという状況の中、「人間の成り立ちとしては最下等」である「他人の不幸」を話題にすることで、不安な気持ちをなんとか心の片隅に追いやろうとしている。

 終盤、主人公が離婚と再婚をするのだが、娘が母に、新しい夫のことをこう言うのだ。「いい人だと思うわよ。だけど、眠ったまま死んでいてくれていたら、なんてことも思う」主人公は、娘を深く傷つけてしまったことを知るのだ。入院中に他人事のように話していた人生の哀しみが、ラストで自分に降りかかってくるのである。

「いまでも思う。人生は進む。進まなくなるまで進む」

 ちなみに上記のような読み方は、たくさんある本書の読み方のうちの、一つにすぎない。読んでみるとわかるが、本書はもっと違う読み方もできる、複層的な厚みを持っている。

 セアラの、小説を書く姿勢についてのアドバイスが、なかなかにすごい。なるほど小説を書くというのはこういうことかと。まさしくプロ中のプロの小説家であるエリザベス・ストラウトが、劇中で架空の小説家となってアドバイスをしてくれているわけだから、実にありがたい話である。こんな風だ。

「貧困と虐待の二つを絡めてるところで、あれこれ言われるんじゃないかしら。」「でも言い返しちゃだめよ。自分の作品を弁護するなんてことはしない」「ただ、こういうものを書いていて、誰かしらを守ろうとするようになったら、それは書き手としておかしいんじゃないかってことは覚えといて」

 「必ず泣ける」とか、「最後の大どんでん返しにあなたは二度驚く」とか、売れる本ばっかり書いている日本の作家さんたちには、ぜひ本書を何度でも読み返してほしい。

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2017/09/08

Perfume「Everyday」歌詞の意味

 「Everyday」のPVを見て、下半身が泡となって消えていく三人の姿に衝撃を受けた人も多かったのではなかろうか?

 さて、「Everyday」の歌詞カードを読むと、「Hour」と「泡」がかけてあることがわかる。そこで今回はHour(時間)と泡の両方の意味を取り入れて、歌詞の解釈を試みてみた。 

 ちなみにPerfumeの歌詞は、主語を誰に設定するかによって、様々な解釈ができる事が多い。

 まずは主語をPerfumeの3人に設定して、1番を解釈してみよう。

 こうやって私たちが3人で楽しく活動できるってことは、実はあたりまえのことじゃないよね。

  でも、ずっと3人で活動を続けていけるような気がしていたの

  そうきっと、夢のようなライブの時間を重ねて

  お互いの笑顔を探しているみんなで探している。

(以下英語部分)

  あなたたちファンの応援私たち3人を毎日幸せにしてくれる

  私たち3人、みんなに届くように毎日パーティー(ライブ)をするの

 

 それって、すごく幸せなことだわ

 

 (のように、は消えていく。

  私たちもきっといつか、が経つにつれ、のように消えて、忘れられていくのね。)

 または、

 (この楽しい幸せな時間も、いつか泡のように消えていくのね。)

 

 

 次に2番をあ~ちゃん視点で。

 

 今こうやって3人で音楽活動をしていられるってだけで十分。だから

 ああ、足りないものなんて

 ないのに、そうないのに

 この幸せを、自分たちの進むべき方向を

 見失いそうになるから

 私はいつも、あなたと(のっち、かしゆかと、あるいはスタッフさんたちと、あるいはファンのみんなと)いっしょにいるよ

 中田さんのメロディーを吸い込むように

 3人で笑い合えるように

(英語部分)

 あなた(のっち、かしゆか、あるいはスタッフさんたち、ファンのみんな)の笑顔が私を幸せにしてくれる

 私は私たちの活動を毎日楽しいパーティみたいにするの

 私たちは毎日をパーティにするわ

 私はPerfumeの活動を毎日楽しいパーティにするの

 

 こうやって解釈してみると、実に切ない歌詞である。

 次に、主語をチームPerfume(スタッフさんたち)に設定して、2番を解釈してみよう。

 こうやって、Perfumeの3人が活動を続けてくれているだけで満足なのに、

 足りないものなんてないのに

 この幸せを見失いそうになるから

 俺はいつも君たちにそっと寄り添おう

 中田ヤスタカのメロディーを、君たち3人といっしょに息を吸い込むように歌うよ。

 3人と俺たちと、みんなで笑い合えるように

(英語部分)

 君たち3人の存在が、俺を毎日幸せにしてくれる

 俺は、君たちのライブを、まるでパーティーのように毎日演出してみせよう。

 俺たちはチームPerfume(パーティ)を毎日結成するのさ。 

 俺は、君たちのライブを、まるでパーティーのように毎日仕上げてみせよう。

 (英和辞書によると、Partyには「パーティー、宴会」「一行、一団、仲間、関係者」「隊、党派、関係者」などの意味がある)

 ちなみにスタッフさんたちも、みんなガチでPerfumeのファンだというから、2番の解釈は主語を「Perfumeのファン」に置き換えても大丈夫だろう。その場合「Make a Party」は、「PTA会員として結集する」くらいの意味になるのではなかろうか。

 そういえば、「いつかこの3人にも最後の時が来る」そんな予言を最初に歌ったのが2008年の「マカロニ」だった。スガシカオ氏は、8年前のNHKの歌番組で「マカロニ大好き」と言っていたが、とうとう先日の「Perfume FES」で、この曲を3人と一緒に歌うという念願をかなえたようだ。うらやましい話である。

 

 

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2017/09/02

映画「ワンダーウーマン」感想

 話題の映画を観てきました。

 よかったです。本作の主役が女性であることを、徹頭徹尾貫いて描いた映画でした。見ていて爽やかな気分になりました。

 スティーブがダイアナに、ロンドンの洋装店でドレスを次々に試着させるシーンがあります。名作「マイフェアレディ」では、オードリー・ヘップバーンが徐々に淑女として開花していく様子が描かれましたが、あれはあくまでも男性にとって理想的な、あるいは男性にとって都合の良い女性への変身を描いていたわけです。本作ではガドット演じるダイアナは、そういった美しく女性らしい衣装に、なんの価値も見いださない。いやすごく似合ってるんですよ。どの衣装もガドットが実に魅力的に見えます。特に丸眼鏡と帽子の最後の一着なんかは最高! でもガドットは、「他の衣装に比べれば多少はましかしら? でもこんなもの、私の目的のためにはまったく何の価値もないわ」とでもいうような、竹を割ったような気持ちのよい態度を見せてくれるわけです。いや素晴らしい。

 最前線を、周囲が止めるのも聞かず、単身突っ切っていくシーンなんか、ガドットのあまりの神々しさに、もし今度誰かが「ジャンヌ・ダルク」を映画化するんなら、こういう描き方してくれよと思ってしまったくらいです。

 また、ダイアナはスティーブと一時恋に落ちたりもするんですが、最終的には「男なんかいなくっても、思い出だけで私は十分よ」なヒロインへと成長! いやあ、ホントにいい女は、男なんていなくても平気なんでしょうね。

 日本映画なら、長々ジトジトと描きそうなシーンも実にばっさりあっさりと進行します。先生の死のシーンとか、母との別れのシーンとか、彼との別れのシーンとか・・・。おかげでたいへんテンポ良くストーリーが進行します。いつまでも不幸にメソメソしたりせず、力強く未来を指向するヒロインの性格が、このテンポの良さで表現されています。

 アクションシーンも見せ方が素晴らしい。特に両膝滑らせながら剣を持って敵に突っ込んでいくところ! (これは映画のオフィシャルサイトのトレイラーでも見ることができます。)美しく、しかもかっこいい。おまけに曲もよい。

 主演のガドット嬢には、これからもどんどんこの路線で活躍してほしいものです。 

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2017/08/24

江國香織「なかなか暮れない夏の夕暮れ」感想

 読書あるある! を、入れ子構造の劇中劇小説に応用しましたという感じ。

 本書の主人公・稔の趣味は読書。稔が読んでいる本のストーリーと、稔の周辺の人々のドラマが交互に語られるのだが、そのつなぎ目が唐突なのだ。例えば次のように・・・。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 

何が起きたのかわから

「稔」

肩をつつかれ、見るとすぐそばに雀が経っていた。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 

 一行目は稔が読んでいるハードボイルド小説である。読書に夢中になっているところに、妹の雀が突然訪問してきて、稔は現実世界にいきなり戻されるのだ。

 まさしく読書あるある! なのだ。読書好きなら、皆似たような体験をお持ちだろう。さらに劇中劇であるKGBがからんでくるハードボイルド小説がなかなかスリリングな展開で、「え、ここでお預け? この続き、どうなっちゃうの? 早く読ませてよ」殺生なのである。

 この、途中でぶった切るという感覚は、雀の絵はがきにも使われていて、一枚目が「今朝は時計草の実をた」・・・いや「た」って何? そうしてこの続きが二枚目に「べました」とあるのだ。

 稔の元妻である渚は、読書に夢中になるあまり、妻と会話をしようとしない稔との生活に嫌気がさして離婚したらしい。再婚した新しい夫は、稔とは正反対で、食事中、絶えずテレビのバラエティ番組を見ては、出演者たちが語るどうでもいい内容についての感想を妻の渚と共有したがる。渚は、こういうなんでもない日常が幸せなのだと思い込もうとする。失って初めて大切さに気がつくタイプのものだろうと。

 こういう人物を設定することで、本作は読書好きの幸せをさりげなく描くのだ。

 ついでに言うと、登場人物の多くが妙な恋愛をしている。由麻という女性は妻子持ちの男性と大恋愛ののち、彼の子どもを出産する。ところが赤ん坊との生活を送る内に、「結局のところ、彼は由麻に雷留を与えてくれたのだから、もう役目は終えているのだ」大恋愛がすっかり冷めてしまうのだ。

 劇中劇でもラウラはこう語る。「たぶん恋は全部過ちなんだわ」

 稔の親友の大竹にいたっては、妻へのストーカー行為が高じて・・・(笑)。生物の本来持っている、生殖活動に対する本能にあらがうことのできない人々が、たくさん登場する小説なのである。

 ラストの終わり方もなかなかよい。やっぱり読みかけの本は、きりのいいところまで読みたいよね。

 さて本書、登場人物がやたらと多いのに、その一覧表がない。というわけで作ってみた。これから本書を読もうというかたのお役にたてば幸いである。

劇中劇その一の登場人物

ラース=58歳 主人公

ゾーヤ=30歳前後のジャズシンガー、ラースの愛人

モーナ=ゾーヤの妹

エリック=ピアニスト、ゾーヤとトリオを組んでいた。

ソニア=エリックの妻

イサーク=エリックの旧友

オラフ=KGB、エリックからある証拠の品を回収するのが任務

マリーエ=KGB、オラフの仲間

劇中劇その二の登場人物

ナタリア=主人公、カリブ海の島に住む若い娘

ラウラ=ナタリアの幼なじみ

ジョニー=ラウラの恋人

ベンジャミン=ラウラの仕事先の上司で、ラウラの浮気相手でもある

プリニオ=ナタリアの兄。トニオというマフィアの子分

スコット=アメリカのギャング

本編の登場人物

稔=主人公、読書好き

雀=稔の姉、カメラマン

渚=稔の元妻、再婚して藤田姓に。

波十(はと)=稔と渚の間にできた娘、八歳、稔と同じく読書好き

藤田=渚の再婚相手、テレビが好き

淳子=稔の同級生、女性誌編集長、(ジュンジュン)

光輝=淳子のできのいい息子、大学生

大竹道郎=稔の親友、同級生、税理士

彩美=大竹の二度目の若い妻、(ヤミ)

加奈子=大竹の同級生

さやか=高校教師、56歳、チカと同居(レズ)

チカ=小料理店経営、52歳

真美=チカの店のアルバイト、学生

木村茜=稔が社長をしているソフトクリーム店の店員

由麻=茜の友人、藤枝という妻子ある男性の子(雷留)を出産

藤枝=妻子があるのに、由麻と浮気

雷留(らいる)=由麻と藤枝の子。名前は将来外国に行っても通りがよさそうだからという理由でつけられた

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2017/08/19

歌野晶午「Dの殺人事件、まことに恐ろしきは」感想

 江戸川乱歩の小説をリライトした短編集。

 やはり有名なのは「人間椅子」だろう。椅子の中に隠れるという、その発想自体が笑えるので、今までにあちこちで笑いのネタにされてきた作品。

 本作では「椅子? 人間!」というタイトルでリライトされている。

 女流作家と、その元カレの会話のやりとりでドラマは進む。当初は元カレがストーカーとして描かれる。そしてその元カレが、どうやら椅子の中に隠れているらしいことに女流作家が気付く。

 普通なら、女流作家がいかにしてこの気持ち悪いストーカー男を撃退するか! というドラマになりそうなものだが、そこはさすが歌野晶午。本作は思わぬ展開を見せる。途中から、本当に悪いのはストーカー男なのか、それとも女流作家なのか、判別がつかなくなってくるのだ。さらに読み進めると、女流作家のほうが悪人のような気がしてきて、ふと気がつくと、ストーカー男のほうを応援していたりする。もっとこの女に復讐してやればいい。もっと恐ろしい目にあわせてやればいい、とさえ思い始めるのだ。

 ストーカー男のメールの文末に(提案)とか、(遠い目)とか、(助言)とかあるのが、実に楽しい。最後の方で(予言)が出てきた時には「ジョジョの奇妙な冒険か?」と思わず突っ込んでしまった(笑)。

 ラストの、恐怖のどんでん返しの鮮やかさもお見事な、ピカレスクロマンなのである。

 「押し絵と旅する男」をリライトした「スマホと旅する男」も素晴らしい。アイドルに夢中になったストーカー男が(またストーカーだよ・・・笑)、彼女のデータを読み込ませたAIチャットプログラムをスマホにインストールして、いっしょにあちこち旅をするというストーリー。本作もラストのどんでん返しが実に鮮やか。そしてもの哀しい。

 いつまでも蒸し暑い、今年の夏の夜に、ぴったりな一冊である。

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2017/08/11

鈴木紀之「すごい進化」 ~一見すると不合理の謎を解く~ 感想

 進化論については中学~高校の授業で学びますし、過去にも進化についてはさまざまな本が出版されてきました。キリンの首がなぜ長くなったのか? とか、クジャクの雄の羽は(外敵に襲われる可能性が高まるのに)なぜあんなに派手なのか? とかについては、おそらくかなりの人がその理由を既に知っていると思います。

 というわけで本書、何が今までの本と違うのか。

 大きく二つあると思います。まずは筆者命名「いやいや進化論」!

 クリサキテントウムシは、まわりに栄養価の高いエサがあるのに、なぜあえて栄養価の低いエサを食べるのか? この不合理な行動を説明するために筆者が注目したのが「異種への誤った求愛」つまり、ナミテントウとクリサキテントウが同じ場所で生息し、異種交配があった時に、どちらがより多く子孫を残せるかに注目したのです。この部分の説明に、筆者は20ページ以上を費やしますが、ここがすごくおもしろい。

 例えば「オスのみさかいのなさ」という章があるのです。「自然界のオスには勝ち組と負け組がシビアにあらわれる」つまり、モテるオスはたくさんのメスと交尾できるが、「一度も交尾せずに生涯を終えるオスもいる」という事実が、人間のオスにもあてはまるようで,実に涙を誘います(笑)。さらに「こうした状況を前にして動物のオスはどのような行動をとるべきでしょうか。それは『ほんの少しのチャンスも逃さない』という意思決定です。」つまり、みさかいなくメスにアタックするというわけです。これを人間のオスにあてはめると・・・想像しただけで恐ろしいのでやめました(笑)。

 さらに読み進めると「ネアンデルタールとの交雑」という章があって、過去に我々の祖先であるホモ・サピエンスは、別種のネアンデルタールと交雑していたことが、DNA解析からわかったとあります。まさに人類のオスは「みさかいがない」ことを証明・・・。ああ、オスって、なんて哀しい生きものなんだ・・・。

 さてそこから筆者は、テントウムシにも同じようなことが起こった場合にどうなるかを知るために、カゴの中にオスとメスを入れて実験し、データをとったのです。その結果、クリサキテントウのメスは、まわりにたくさんナミテントウのオスがいると、同種のクリサキテントウのオスを見つけることができなくなり、ナミテントウのオスとばかり交尾して、結果的に子孫が残せなくなるのです。ナミテントウのメスはちゃんと、たくさんいるクリサキテントウのオスを避けて、同種のナミテントウのオスと交尾するのに。

 これを人間にはてはめると、白人の女性はまわりにたくさん黄色人種の男性がいても見向きもせずに白人の男性と交尾するんだけど、黄色人種の女性はまわりにたくさんの白人イケメン男子がいたら、そちらとばかり交尾し、同種の黄色人種男性とは交尾しないということ?・・・いや恐ろしい想像なので、これ以上は考えないようにします(笑)。

 こうしてクリサキテントウは、ナミテントウがたくさん生息している場所では子孫が増やせないということがわかりました。その結果、ナミテントウが食べないような、栄養価の低いエサを食べて生き延びることになったわけです。本当はクリサキテントウもナミテントウといっしょに栄養価の高いおいしいエサを食べたいのですが、同じ場所では子孫が残せないので、「いやいや」まずいエサを食べる方向に進化せざるを得なかった・・・これが「いやいや進化論」! なんて哀しい(笑)。「なりたい自分になるんだ」という、自分にとって都合のよい方向にばかり進化するわけではなくて、なりたくない自分にいやいや進化することもあるんだという衝撃の事実(笑)!

 もう一つ、本書の主張の新しさがあります。それは「役立たずなオス  性が存在する理由」という章です。

 有性生殖は、環境の変化や病気に対応するために有利、とか寄生生物に対抗するために有利、というのが従来の説でした。しかし、いずれの説も、自分のコピーをつくる無性生殖で子孫を残すほうが、効率の面で優れており、有性生殖の有利な理由を説明し切れていないというのが進化生物学者の共通認識なのだそうです。

 そこで筆者が注目したのが、無性生殖と有性生殖の両方を行う種です。ユウレイヒレアシナナフシという、擬態が上手で、もしオスと出会わなければ単性生殖でメスばかりを産むナナフシを観察したのです。すると、ナナフシのメスは、オスに発見されないようひたすら擬態をしているのですが、一度発見されたら、オスをキックし、オスが嫌うにおいを出すなど、徹底的に交尾を拒絶するのです。オスは対抗手段として交尾器の先端にカギのようなものがあり、なんとかしてメスの交尾器にそれを引っかけようとします。メスは交尾を拒否して単性生殖をしたい。オスは交尾して有性生殖したい・・・というわけです。つまりメスは「いやいやながら」交尾に応じ、有性生殖をしていることに。本来ならメスは無性生殖をしたいのだけれど、オスの存在により、「いやいやながら」有性生殖をしているという例を観察したわけです。そしてこれが、有性生殖を行う種がこれだけ繁栄した理由の一つではないかというのです。

 今年の夏も、たくさんのクマゼミのオスが、メスを求めて木のまわりを何周もぐるぐる飛び回っては、メスに抱きつく姿を見ました。ああ、あの行動は、本当はメスは嫌がっているのかもしれないなあ・・・。

 これを人間にあてはめると・・・いやいやすぐに人間にあてはめて考えるのは悪い癖ですね。やめましょう(涙)。

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2017/08/06

「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」感想

 8月23日発売予定キュウソネコカミの新曲「NO MORE 劣化実写化」冒頭部分をYou Tubeで聞くことが出来ます。「原作読んでんの」「監督どうすんの」「人間離れの再現できないマンガに手を出すな」などなど、笑える歌詞がぎっしり詰まっています。

 ネットでも「マンガ 実写化 失敗」で検索すると、出るわ出るわ(笑)。

 失敗理由として特に多く取り上げられるのが、 

1 キャスティングが自分のイメージと違った時(特に演技が下手な、売れているアイドルを起用した時)

2 監督が勝手に脚本を書き換えた時

のようです。

 さて、それでは今回のジョジョ、まず、1のキャスティングはどうだったでしょうか。以下に感想を述べたいと思います。

 広瀬康一:神木隆之介=よかったです。育ちが良くて、なんとなく頼りなさそうな雰囲気がぴったり。

 山岸由花子:小松菜奈=よかったです。美人なんだけど切れると怖そうな雰囲気がぴったり。

 虹村億泰:真剣佑=よかったです。美形なのにそれを表に出さず、単純で頭悪いけど男気のある役どころを見事に演じています。素晴らしい。

 空条承太郎:伊勢谷友介=私のイメージでは、空条承太郎はもっとマッチョな雰囲気だったので、あまりに胸が薄くて残念!

 山崎賢人:東方仗助=あごのラインがふっくらしていて、私のイメージと違います(笑)。

 次に2の、脚本の書き換えはどうでしょうか。以下に感想を・・・。

 じいさんとお袋、登場しすぎ。じいさんがパトロール中に町の若い無職青年に声をかけるシーンとか、家族で夕飯食べるシーンとか、じいさんの筋トレシーンとか、事件の切り抜き記事めくるシーンとか、葬儀シーンとか、あれ本当に必要? 全部カットしたらもっとテンポのよい作品になっただろうに。そうしたら、2時間のうち、最初の40分を片桐安十郎編に、次の40分を虹村兄弟編に、最後の40分を山岸由花子編に使えたのに・・・。じいさんとお袋の二人に有名ベテラン俳優(國村隼と観月ありさ)を使ったのが失敗ですね。無名でいいんですよ。そしたら俳優さんに気を遣わずばっさり登場シーンを減らせたのに。

 同じ事が、山田孝之演じる片桐安十郎にも言えます。これ、無名の役者が演じていたら、ここまで無意味なドラマを延々と見せられることもなかったのではないでしょうか? 我々は、原作にない片桐安十郎のドラマなんかには、これっぽっちも興味ないのです。それなのに、本作はうっかり山田孝之を使ってしまったため、監督は彼の出番を増やさざるをえなかったのでしょう。延々と、どうでもいいドラマを見せられるハメになってしまいます。

 そういうわけで、私が監督なら、片桐編で20分くらいは削りますね。

 ストーリーの順番も違います。いきなり広瀬君が山岸さんに出会うシーンから始まります。それなのに、広瀬君のスタンドも、山岸さんのスタンドも、今回は出番なし。これっていったいどういう意図? (今回の第一部は、山岸由花子は登場するだけで、ドラマ部分はまったくないのです。)第一部で広げた風呂敷は第一部で一通り収めていただかないと、観ている観客はものすごいフラストレーションが溜まるのでは? 

 最後に全体的な感想を。

 期待していたのはスタンドの活躍シーン。それなのにスタンドの出ている時間が少ない。下手な人間ドラマなんか、もうさんざん見飽きてるからいりません。それより、もっとスタンド見せて! もっと「ドララララ」聞かせて! そのためのCGなんじゃないの?

 今回、ジョジョシリーズの第四部を実写化したわけですが、なぜ第四部なのか、説得力がありません。やたらと感情移入しすぎて、テンポが重くなるシーンが多いのです。

 第一部~第三部と違って、第四部の主人公は、石仮面や赤石などの宿命に巻き込まれた過去の主人公のような悲壮感が薄い。また、第一部から第四部へと進むにつれて、敵を倒す手段が、肉体的な方法よりも頭脳パズル的な、知的な手段によるものが多くなる傾向にあります。例えば第3部の主人公のスタンドは、時間を止めることができるという、ほぼ無敵な能力を持っているのに、第4部の主人公たちのスタンドは、文字の擬音を実在化させるとか、一度壊したものを元通りにするとか、そのまま使ったのでは戦力として役に立たなさそうなものばかり。この、一見何の役にも立ちそうにない能力を、どう組み合わせて相手を倒すか、頭を使っての闘いになるわけです。(虹村弟のスタンドなんか、一番戦闘力がありそうなのに、残念ながら使い手の虹村弟が「お前、バカだろ」なために、うまく使いこなせていないあたり、絶妙なバランスとなっています。)

 つまり怒りに身を任せて肉体攻撃力的解決をはかる主人公ではなく、怒ってはいてもどこかでクールに計算する主人公、それが第四部の仗助です。それなのに、なんでこの映画の仗助は感情移入しすぎるの?

 せっかくスペインでロケしたのに、作品のテンポは日本独特の浪花節的重さでのったりべったり。からっと乾燥した空気感が感じられません。もったいない。

 

 ああでも、山岸由花子=小松菜奈の怖ーいぶち切れシーン見たさに、きっと第二部も観に行ってしまうんだろうなあ・・・。あ、これってひょっとして、監督の思惑通りになってる(笑)。

 

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2017/07/29

前野ウルド浩太郎「孤独なバッタが群れるとき」感想

 ファミコン全盛期のころ、コーエーの「信長の野望」というゲームにはまった覚えがあります。当然その流れで同じくコーエーの「三国志」にものめりこみました。「信長」と違い「三国志」は、プレイヤーにはどうしようもない恐怖のイベント「ああ、いなごだ・・・」がありました。せっかく内政に励んで穀物の収穫量を上げ、人口を増やしても、このイベントが発生するとばたばたと領民が餓死していくという、世の中の不条理を実感させてくれる素晴らしいゲームでした(笑)。

 そんな私ですから、当然本書のタイトルには無条件で食いついてしまうわけです(笑)。しかも本の帯には「その者、群れると黒い悪魔と化し、破滅をもたらす」とあるのです。ナウシカのパロディみたい(その者、青き衣をまとい金色の野に降り立つべし)。

 本書で取り上げるサバクトビバッタですが、

「見た目は馴染みのあるトノサマバッタに似ている。成虫は約二グラムほどで自分と同じ体重に近い量の新鮮な草を食べるので、一トンのバッタは、一日に二千五百人分の食糧と同じだけ消費する計算になる。しばしば大発生して、大移動しながら次々と農作物に壊滅的な被害を及ぼす害虫として世界的に知られている」

とか、

「巨大な一つの群れは五百キロメートル途切れることなく空を覆う」

とか、

「語源はラテン語の『焼け野原』からきている」

とか、

「植物を食い尽くすと、バッタたちはまた新しいエサ場を求め進撃を繰り返していく。彼らが過ぎ去った後には緑という緑は残らない。残るのは人々の深い悲しみだけだ」

「普段目にする緑色のバッタこそが、悪魔の正体で、複数のバッタの幼虫を一つの容器に押し込めて飼育すると、あの黒い悪魔に豹変するというのだ」

などなど、刺激的な記述がこれでもかと続くのです。

 筆者は、群れると危険になるというバッタを、徹底的に飼育観察。様々な条件で比較をした結果が、データとともに述べられています。どれくらいバッタ密度が濃くなると、平和を好む緑バッタが、危険な黒バッタを産むようになるのか。どんな刺激がきっかけで、凶暴な黒バッタを産むようになるのか。

 特に衝撃的なのが、卵黄の量の多い少ないが、緑バッタになるか黒バッタになるかを決めるという部分。筆者は自分の仮説を証明するために、バッタの卵から卵黄を抜き取るという、なんとも大胆な方法をとるのです。しかも「卵に針で穴を開け、中の卵黄を絞り出す」という、まんま手作業の、実にアナログな手法によって。こんなんでうまいこといくんかい! ・・・うまいこといくんです。なんでもやってみるものなんだなあ・・・。

 低密度で育ったバッタは、小型の卵をたくさん産み、子孫をより多く残す戦略をとったほうが生存競争に有利だけれど、高密度で育ったバッタは、大型の卵を少数産むことで、劣悪な環境下でもたくましく生き延びる子孫を残したほうが有利なのだろうというのが、筆者たちの仮説です。

 人間も増えすぎると、好戦的な性格の子孫が増えて、過酷な環境下でも生き延びようとするのかなあ・・・。

 考え出すととんでもなくシリアスになるのですが、本書は随所に脱力系のどうでもいい小話が散りばめられており、緩い笑いとともに読み進めることができます。いいバランスです。

 例えば、博士号を所得していい気になった筆者が、バッタではなく夜のアゲハ(比喩)に夢中になり、研究を台無しにしかけて、正気に戻る話とか(笑)。

 筆者のミドルネームに「ウルド」が入る理由とか(笑)。

  「僕の研究で世界を救う」みたいな、誰かに役に立ちたくて研究やってます的なところがみじんもないところも好印象。好きだからやってるという一貫したスタンスなんですね。

 いやあ、理系男子の書く本って、邪念がなくて楽しいなあ。

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2017/07/25

「Kiss and music」がNHK「超入門! 落語 THE MOVIE」で流れる!

 2017年7月24日にFMで放送された「Perfume Locks」で、「こんなところでPerfumeの曲が流れてきた」体験をリスナーが投稿するコーナーがあった。

 「香川県ハタチ男の子ラジオネームましろ君、先日録画してあった古典落語のテレビ番組でPerfumeさんの『Kiss and music』が流れていました。え~っ! 古典落語と『Kiss and music』の組み合わせ、なかなかのレアキャラじゃないでしょうか」「超レアだと思う」「すごいね」「古典落語のテレビ番組まだあるってことを知らなかったわ」「たしかに」「しかも先日録画してたんで」「え、ハタチで、古典落語見てたの」「秀才な子なんでしょうね」「不安定な感じと、このベース音が、ちょっとくるんですかね」「いい感じで話が進むのかな」「でも確かにイントロの感じとか、音は、ぽさ出てる」「不穏な感じ」「古典ぽさ」「ただ、夜に溺れてとか、ワインをなんとか・・・とかこの歌言ってるよね」「全然落語じゃない」「どういう感じのシーンで流れてたんだろ?」

 偶然我が家のレコーダーにも録画が残っていたので、彼女たちの「どういう感じのシーンで流れていたのか?」という疑問にお答えしよう(笑)。

 「Kiss and music」が流れたのは2017年7月3日(月)PM11:00に放送されたNHKのEテレ「超入門! 落語 THE MOVIE」という番組である。「二番煎じ」という落語ドラマの後で、「江戸に聞く」というコーナーがあった。落語のちょっとした疑問を江戸の住人に聞くという形式をとっている。落語「二番煎じ」の中で、猪の肉を酒の肴にするシーンがあり、それに関連して「イノシシの肉はよく食べる?」という質問がなされた。この質問シーンで「Kiss and music」の前奏部分が流れたのだ。

 江戸時代は一般的に肉食、特に四つ足の獣を食べることは禁忌とされていた。ひょっとしたら江戸時代の人々は、その禁忌をこっそり破っていたのだろうか? というちょっとドキドキする不穏な感じが、まさに「Kiss and music」にぴったり。

 のっち「この曲を使った人はセンスいいと思う」

 私もそう思う(笑)。

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2017/07/23

wowow「ひつじ村の兄弟」感想

 第68回カンヌ国際映画祭<ある視点部門>グランプリ受賞作品。
 アイスランドの人里離れた山村で、隣同士に住む老兄弟グミーとキディーは超変人。女性とまともな会話ができないため、二人ともずっと独身。ただ、羊の飼育に関しては村で一番二番を争うほど。毎年村の羊コンテストで優勝、準優勝を獲得したりする。ところがこの兄弟、隣に住んでいながら、この40年もの間全く口をきかないほどの不仲。どうしても会話が必要な場合は、飼い犬に手紙を託すという、非常に古典的な手段を使うのだ。

 ある日、兄キディーの羊がスクレイピーにかかっていることが判明。規則により、村の全ての羊は殺処分、羊小屋も全て殺菌焼却処分しなければならなくなる。村の羊飼いたちは皆、断腸の思いで飼っていた羊を処分する。もちろん、政府から補償金は出るのだが、ここまで何世代もかけて優秀な遺伝子を育て上げてきた兄弟にとって、処分される羊たちは、もはや金では買えない価値のあるもの。

 というわけで、弟のグミーは掟破りの行動をとる。しかもそれが、ずっと不仲だった兄弟が共同戦線を張るきっかけとなるのだ。ざっくり言うと本作、兄弟が仲直りする話なのだ。

 ラストの伏線として、何度も兄弟の入浴シーンが出てくる。年取った爺さんの裸なんか見たくもないのだが、これがラストの伏線になっているのだから面白い。

 羊がやたらとかわいい。とくにラストシーンで夜の山岳地帯を駆けていくシーン。きゅっとひきしまった足首と、もふもふの毛のコントラストがなんとも言えない。

 最後のスタッフロールで流れる曲も実に素晴らしい。

 で、結局羊はどうなったの(笑)?

 

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2017/07/16

柚木麻子「BUTTER」感想

 直木賞候補作。

 モデルとなった木嶋佳苗は、「婚活連続殺人事件」の犯人として、5月に最高裁で死刑判決が出たばかり。

 本作では梶井真奈子(略してカジマナ)として登場する。

 前半は、獄中のカジマナから独占インタビューの許可をもらうために、彼女の言われるがままに、BUTTERを中心とした脂肪分たっぷりの食事を摂りまくり、どんどん太ってしまう女性記者の話がメイン。はたしてカジマナとつきあって次々に亡くなった男性3人は、自殺なのか? それともカジマナの手による他殺なのか? 

 ところが中盤から小説は、上記の謎解きなんかじゃなくて、女性が社会から求められている母親的立場というものの不条理さや不安定さをテーマとして描き始める。同時に、生活力がなく、自分で炊事洗濯家事一般がまったくできない、いや、やろうと思えばできるだけの能力があるのに、まったくしようとせず、女性に頼り切ってしまう男性たちへの批判も描かれる。なんだか俄然社会派小説っぽくなってくるのだ。

 ところがところが、終盤では、主人公たちは、心に抱えている闇の部分をカジマナによって曝け出され、糾弾され、精神崩壊直前まで追い込まれる。「あの人がああなったのは、自分があんなことをしたから。自分のせいであの人はああなってしまった。」その罪の意識を、カジマナは巧みに活用し、獄中から主人公たちをとことんまで追い詰める。「羊たちの沈黙カジマナバージョン」っぽい。

 前半はBUTTERの重さにくらくらしたが、後半は別の意味で、ものすごくヘビーな小説なのである。

 彼女たちがどうやってそこから立ち直っていくか。小説のタイトルが、そのヒントをきちんと示している。

 というわけで、本書はテーマが二転三転するので、一気読みすると印象が散漫に感じられる恐れがある。三分割して読むと、ちょうどよいかもしれない。一冊で三度おいしいと思えるかも。

 絵本「ちびくろサンボ」の、虎がバターになってしまった話は一体何の比喩なのか、その解釈がいくつかか出てくるのだが、前半のはなかなか面白かった。ただ、後半の、虎の骨についての解釈はちょっと無理があるかなと。

 あと、本書は多彩な比喩表現によって、BUTTERをたっぷり使った料理のおいしさを、読者にこれでもかと想像させてくる。 ストイックに節制することの愚かさを、かなりな説得力で描いた実におそろしい小説なのである。

 いやこれ読んだら、食べたくなるだろBUTTER!

 最後に、どうでもよい突っ込み。 

 作中で阿賀野にある三美神についての描写がある。「三人の働きものの乙女の銅像」だそうだ。カジマナが「複数の女が、それも美しい女が仕事をしながら仲良くできるわけがないし、三人いたら、絶対に一人は仲間外れになるに決まっているでしょう。乙女像がいずれもスレンダーであることも、許せませんでした」と語るシーン。11年前だったらこの部分、私は同意していただろう。しかし今は違う。美しくて仲の良い、しかもすごくよく働く三人の女性グループが、日本の音楽界に存在することを知っているからだ(彼女たちの存在そのものが奇跡だという意見もあるが)。

 

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2017/07/09

wowow「グッドネイバー」感想

 最近じいさんが主役の映画を立て続けに観ているような気がします。これも高齢化社会の影響でしょうか?

 さて本作、隣に住んでいる偏屈な老人の家に、無線装置を使って怪奇現象を発生させ、老人が驚く様を盗撮して楽しもうという、ろくでもない若者二人組が主人公。二人組の、イーサンのほうが、とにかくむかつく大馬鹿野郎で、観ていて胸くそ悪くなってきます。いちおう最後のほうで、イーサンがなぜこんなことをしたのか、その動機が説明されます。だからといって、彼らの行いを許す気には、さらさらなれませんが。

 次に老人のほう。彼は次々に起こる怪異現象にまるで動じず、しばしば地下室にこもるので、若者二人組は、絶対地下室に何かあると思い込みます。たしかに地下室には何かあります。それは最後に明かされるのですが、ドラマの途中で何度か、老人の過去の記憶が映像として挟み込まれます。これがヒントとなっています。

 最初はこの老人、近所迷惑な偏屈じじいとして描かれます。犬を散歩させている人を見かけたら、「ちゃんとしつけておけ。さもないとこの犬を切り刻んでお前の家に送りつけてやる」みたいなことを言ったり。ところが最後のどんでん返しで、観客はびっくり。私なんかてっきり、じいさんは射殺されたのだとばかり・・・これ以上ネタバレするのはやめましょう。ただ、タイトルはちゃんとこの作品の内容を暗示しているということは、お知らせしておきます。

 思いっきりB級映画ですが、なかなかの佳作だと思います。

 今後も、老人が主役で、なおかつ様々な切り口の映画が増えていく予感がします。

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2017/07/02

WOWOW「セトウツミ」感想

 漫画が原作の映画。

 「セトウツミ」というタイトルは、主人公の瀬戸(せと)と内海(うつみ)の名前を組み合わせたもの。登場人物はほとんどこの二人だけ。

 大がかりなセットや、ど派手な演出一切なし。二人の男子高校生の会話だけで、ドラマは淡々と進行する。

 はっきり言って、映画にする必要性をまったく感じない。

 普通この手の作品は、演劇とか、深夜テレビとかでやるものなのでは? WOWOWで見るくらいが、ちょうどいいんじゃないかと思う。金払って映画館で見るものではない。

 じゃあ、なんでここで紹介するかというと・・・、それは当然おもしろかったからである。

 まずキャスティングが素晴らしい。お調子者の元サッカー部瀬戸を菅田将暉が、クールな秀才高校生の内海を池松壮亮が演じる。今もっとも旬な二人を使って、だらだらとしゃべるだけの映画をつくるという壮大な無駄遣い! でもそれが面白いのだからすごい。

 会話の内容は、瀬戸が片想いしている女の子に送るメールの文面を、内海に添削してもらったりとか、瀬戸が自宅で発生した小バエの駆除に困っていると、その駆除方法を内海が助言したりとか、ほとんどどうでもいいようなことばかりなのだ。

 普通の青春映画なら、「時間をもっと有意義なことに使え」とか、「何かに夢中になって打ち込んでみろ」とか、そういう王道のパターンがあるものだが、本作は真っ向からそれらを否定する。「走り回って汗かかなあかんのか」「なんかクリエイティヴなことせなあかんのか」「仲間と悪いことしたりせなあかんのか」「この川で暇をつぶすだけの青春があってもええんちゃうんか」

 だらだら話すその会話の中に、時々ちらりと青春が見え隠れする。この世の真理が一瞬示されたりする。結構深いのである。

 登場人物は少ないが、皆愛すべきキャラクターとして印象に残る。特に菅田将暉、いい役者だと思う。

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2017/06/24

辻村深月「かがみの孤城」感想

 不登校の中学生男女七人が登場。七人いるので、ネグレクト、協調性のない性格、家庭内暴力、母親の情緒不安定、虚言癖など、不登校のきっかけとなる主なパターンは一通り網羅されている。

 特に主人公の受けたいじめは、いかにも「あるある」なパターン。誰が誰のことを好きかとか、誰のせいで誰の恋愛がうまくいかないだとか、この子が失恋したのはこいつのせいだとか、この男の子は、アタシのことが好きなのよあんたのことなんかちっとも好きじゃないのよ引っ込んでなさいとか、恋愛に関するあることないこと情報をまき散らし、私の味方になれば損はさせないけど、そうでなければ酷い目にあうわよ! わかってんのあんた!とか、まるで関ヶ原の合戦の前に、家康が書きまくった手紙攻撃みたいなことをクラスじゅうに実行する女子生徒。実際にこの手の人物は、どこの中学校のクラスでも最低一人以上はいるだろうと思われる。そうして女子中学生の間では、表に出ない形でこういう形の仲間外しが、毎日行われているのではなかろうか? 作中に「どこへ行ってもああいう嫌な奴はいる」みたいなことが書いてあるが、まさしくそうだと感じる。

 本作では、主人公たちは、かがみの孤城という、現実にはありえない架空の世界で、お互いの欠点に触れないよう気遣いながら、ゆるくて楽な人間関係を築いていく。そうして少しずつ心の傷を癒やしていくのだ。

 「かがみの孤城」は、ネットゲームの世界では友人が多く、とってもいい人!の演技をしている奴が、実社会では引き籠もりで、家から一歩も出られない・・・という、ありがちなパターンをメタファーとして表現しているように感じられる。

 本作では、七人が徐々にお互いの痛み、苦しさに気付き、相手の立場に立って考える客観性を身につけていく。自分だけでは思いつきもしなかった別のベクトルからの物の見方を身につけていくのだ。そして、お互いを助け合うことはできないのだろうかと、模索していく。このように、引き籠もりの主人公が、精神的にたくましく成長するストーリーは王道と言える。

 というわけで、本作は王道の主人公成長物語(ビルドゥングスロマン)なのだが、実は第一級のミステリー小説という側面も併せ持つ。このあたりが、「十二国記」などの過去の名作との大きな違いであり、本書の特徴でもある。

 特にヒントについてだが、最初からあそこにもここにも示されている。にも関わらず、最終場面まで私はそれに気付かなかった。そういうわけで、ラストの種明かしには正直驚いた。

 ラスト前で、七人がなぜ不登校になったか、その事情が克明に描かれる。このあたりはヒントだけ示し、あとは読者に想像させる手もあるのだが、本作ではリアルな描写があって、はじめてその後の種明かしに説得力が生まれるようになっている。

 一冊で二度おいしい。おすすめである。

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2017/06/18

ケン・リュウ「母の記憶に」感想

 2年前、「紙の動物園」で、日本のSFファンの心を鷲づかみにしたケン・リュウ氏のSF短編集第2弾。

 16編の短編が収められています。印象に残ったものの感想をいくつか。

 まず表題作の「母の記憶に」

 短編集ですが、この話が一番短い。「光速に近づくと時間の流れが遅くなる」という、SF好きまら誰もが知っている特殊相対性理論を、親子の絆というテーマでケン・リュウが扱うとどうなるか。読後の印象も鮮やかな作品です。

 「草を結びて環を銜(クワ)えん」と、「訴訟師と猿の王」の二編は、いずれも「揚州大虐殺」という、中国の歴史から一時封印されていた大事件に、真っ向からあらがって散っていった市井の人を主人公にしたもの。後者はタイトルからもわかるとおり、例の有名なスーパーモンキーが登場するのですが、この猿が超能力を使って事態を打破するような筋立てではないところが、キモとなっています。彼は徹底して主人公の傍観者として描かれるのですが、最後にこの猿が何をしたか・・・このあたりが実にケン・リュウらしいのですね。 決して歴史の表に残ることのない無名の人たちへの優しい眼差しが、しみじみとした読後感につながります。

 個人的にツボだったのは「重荷は常に汝とともに」

 ピラミッドに残された古代文字を読み解くのと同じように、惑星ルーラでかつて文明を築いた異星人の文字を解読する若き考古学者・・・ではなくてその彼女が主人公(笑)。ちなみに彼女の職業は、会計士。彼女が読み解いたルーラの散文詩、その本当の意味は・・・これが実に笑えます。しかも、こういうパターンって本当にありそうなところがすごい。あなたも是非、「重荷」が何のことなのか、推理してみてください。(ヒントはもうここに出してありますよ(笑))。

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2017/06/11

鳴海 風「円周率の謎を追う~江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」感想

 平成29年度読書感想文中学生の部第3弾。
 そこそこネタバレあります。

 実在の有名人物をもとにした小説です。ヨーロッパの数学者よりもずっと早くに、円周率に関する理論を発見しまくっていたという天才数学者・関孝和が主人公。彼の、幼少期から青年期にかけての資料はほとんど残っておらず、従って、どんな少年時代を過ごし、どんな性格で、どんな女性とおつきあいしていたかは、誰にもわかりません。というわけで、このあたり完全に作者が創作して書き上げたのが本書。

 まず関孝和少年期のキャラ設定。
 外見は背が低くて剣道も弱く、武士なのに体育会系ではない描き方。ならば勉強ができるのかと思いきや、引っ込み思案で口下手。論語も十分に理解できていない・・・というように、中学生の読者が読んだら親近感を抱くように描いてあります。ただし、何事も慎重に考えてから返答するというあたりから、なるほど、じっくり考えて考えて考え抜く性格で、だから最終的にはすごい業績をあげるのかと、読者はうなずくような仕掛けになっております。

 彼が通う数学塾の先生には香奈という娘があり、主人公よりちょっと年上(孝和15歳、香奈18歳)の、美人で積極的な女性として描かれます。肺の病にかかり、婚期を逃したという設定。当然主人公は積極的な香奈さんに引っ張られる形で、算学(江戸時代、数学の難問を絵馬に書いてお寺に奉納するのが流行っていた)に次々挑戦していくわけです。
 で、このあたりから既視感に襲われます・・・。いやこれ、江戸時代の天文学者を描いた「天地明察」と同じパターンだろ! もうちょっとヒネりが欲しいような・・・。まあでも、「天地明察」の重要な登場人物の一人が関孝和ですから、これは仕方ないところでしょうか。

 さて本書、全部で200ページ弱の短い小説なのですが、140ページを越えた辺りから、急に史実に忠実な書きっぷりになってきます。関孝和が壮年にさしかかる辺りからは、資料が結構残っていて、作者が勝手に書くわけにはいかないのでしょうね。結果、だんだんと小説ではなく、偉人伝っぽくなってきます。その淡々とした進行にはびっくりです。前半の頼りないキャラが、後半はやたらと分別のある人物に変わり、お家のために上司に言われるまま縁談をすすめ、所帯を持つのです。香奈さんも、後半は出番が少なくなったと思ったら、いつのまにか他の男の嫁になっていたり。前半あれだけ主人公とラブラブだったのは、一体何だったの(笑)。

 円周率の求め方についての説明はよくできていて、中学生にもすとんと理解できるでしょう。できれば本物の「大成算経」のコピーと、その読み方、それを現代の数学の数式に置き換えたものなんかを、資料として添えてくれたらなおよかったのに。でもそこまでやっちゃうと、完全にノンフィクションになっちゃいますか。

 「西洋の数学者は新しい理論を発見したら自分の名をつけて業績をアピールする。関を代表とする江戸時代の数学者はそんなこと考えもしなかった。彼らはただ数学が好きなだけであった」という西洋の数学者との比較で本書はしめくくられます。論語の「これを知るものは、これを好む者におよばない」と、ちょっと似てますか?
 まあでも、偉大な発見をしたら、やっぱりきちんと功績として残し、有名になり、皆から褒め称えられたいと思うのも、人間の自然な感情だと思うので、感想文を書くなら、このあたりをどう書くかでしょう。
 

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2017/06/04

キャシー・アッペルト&アリスン・マギー「ホイッパーウィル川の伝説」感想

 平成29年度読書感想文コンクール課題図書シリーズ第2弾! 海外文学です。

 著者名が二人ありますが、これは一人が人間視点の部分、もう一人がキツネ視点の部分、というように、完全分業制で書いているからです。そういうわけで、主人公は二人・・・いや一人と一匹います。さてその成否は・・・これについては後ほど。

 人間のほうの主人公は11歳の女の子ジュールズ。姉を事故で亡くし、その喪失感から立ち直れずにいます。ある日キツネに、生前の姉が通っていた秘密の場所へ導かれます。そこで、姉の本当の思いを知り、生きる力を取り戻すというストーリー。

 同時進行でキツネのストーリーも語られます。ある使命を帯びた若いメスのキツネが、その使命のために殉死します。残された兄キツネが、妹キツネを悼む、というストーリー。

 二つのストーリーに共通するのは、生き残った者が死んでいった者を悼み、その喪失感から立ち直るという点。

 あらすじだけ書くと、なんだか感動的な、素晴らしい話のような気がするかもしれません。が、しかし・・・

 まず主人公ジュールズのキャラ設定、自分のことで手一杯で、感情をうまくコントロールできない少女に、果たして、思慮深い読書好きの中学生が、感情移入できるでしょうか? できれば年齢設定を14歳くらいにして、もう少し客観的に自分を見るキャラにしてほしかったですね。読んでいてかなりイラッとします。

 次に、ジュールズの友人の兄、エルク。親友ジークがアフガニスタンで戦死し、その喪失感に苦しんでいるのですが、ある時森の奥で、ジークの死を悼むため、猟銃を21発も発砲!! ああ、アメリカってつくづく銃社会で、徴兵制のある国なんだなあと思いました。日本人の感覚では、野生動物の住む森の奥で21発も発砲なんてありえません。森の動物や精霊(本書では、森の精霊が存在するという設定)たちにケンカ売ってんのか? と思ってしまいます。この後、エルクは、森を騒がせた罰として、クマに食い殺されるんじゃないかと、ヒヤヒヤしながら読みました(そうはなりませんけど)。

 自然界と共生・共存するのではなく、自然は人間の力で征服するもの、という文化で育っているからなんでしょうね。なにしろ、アメリカは開拓民の国ですから。

 次にピューマ。どうしたピューマ。出番はそれで終わりか? エルクとのその後の関わりがほとんど描かれてないような気がします。エルクの心を救う役どころじゃあなかったの? これでは登場した意味がありません。

 次はクマ。臭いとか、バカとか、一方的に悪者として描かれています。なぜキツネとピューマは善き者で、クマは悪しき者なのか? 両者を分ける基準がわかりません。クマだって森の一員だぞ。作者の都合で勝手に差別するな!

 次に、キツネが言葉を喋る点。「他の何者かを助けるためにこの世に生まれてくる聖なる動物」である自分のことを「ケネン」という名詞で語るのです。人間がこういった生まれ変わりの概念に(事故死した姉がキツネに、戦死したジークがピューマに生まれ変わったと考えられるのですね)名前をつけるのはわかります、でもキツネが会話の中で使うか? ものすごい違和感です。聖なる動物なんだから、下手に擬人化せず、行動や背景描写で表現してほしかった。このあたりの描写のうまさについては、日本には優秀なファンタジー作家さんがたくさんいらっしゃるので、普段からそちらを読み込んでいる日本の中学生読者家さんにとっては、本作はおおいに不満を感じるものとなるでしょう。

 総じて、作者は二人とも、お互いのパートの欠点について、言いあえていないのではないかと想像されます。普通なら優秀な編集者が客観的な感想を作者に伝え、それをもとにして、作者は作品に手を加えるのでしょうが、本作はどうもそのあたりがあまりうまくいっていないような。

 二人でパートを分けて合作というのは、やはり難しいもののようです。

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2017/05/28

佐伯和人「月はぼくらの宇宙港」感想

 平成29年度読書感想文コンクール課題図書中学校の部、ノンフィクション分野です。

 表紙の絵が、なんとも昭和っぽいし、対象が小学生っぽい。作者は気に入っているようですが、今時の中学生は、この表紙ではおそらく手にしないでしょう。同じ作者の「世界はなぜ月をめざすのか」のほうがよっぽどマシです。

 ミニ実験コーナーというのが8つあり、「月面の足跡をつくってみよう」「レイ(クレーター周辺にできる白い筋)をつくってみよう」などを紹介してくれます。地球上で簡単に実験できるよう、工夫されているとは思いますが、困ったのはこれらのコーナーの写真に実験者として出てくる子供が、筆者の実の娘だというところ。全国に自分の子供の顔をさらしていますが、いいんでしょうか? 子供の今後の身の安全とか、ちゃんと考えた? 将来お年頃になった娘が、このことを後で恨みに思ったりする可能性とかも、考えた?

 さてこの本、コスパについての説明がなかなか楽しいです。ロケットで1キログラムの重さの物体を打ち上げるのにかかる金額が1億円! 金1キログラム500万円と比較して、いかにお金がかかりすぎるかを教えてくれます。当然宇宙から物質を持って帰るのにも1億円かかるわけです。つまり、月に貴重な資源があったとしても、それを地球に持って帰って利用するには、お金がかかりすぎて現実的ではない。

 どうやら、宇宙に関わる仕事は儲かりそうにありません。この本を普通に読んで、「宇宙開発の仕事をしたい」と思う中学生は少ないのではないでしょうか。

 だったらなぜ今、世界の各国は月を目指すのか。それは月の資源を使って月面基地を作るためのようです。月で手に入る資源があれば、いちいち高い金を払って材料を月面まで送らなくてもすむというわけです。

 この本は子供向けなので、説明はこのあたりで終わっています。なぜ中国が真剣に月面基地建設の計画を進めているのか? その理由については、政治的問題もあり、触れてはいません。

 さて、読書感想文を書くなら、その年に起こった印象的な出来事と絡めて書くのはお約束。当然ここは、北朝鮮のミサイル開発と絡めるべきでしょう。

 おそらく中国が月面に基地を作りたい理由は、月から地球を偵察するためでしょう。本書にも、人工衛星では地表に近すぎて、地球のごく一部しか見ることができないなどと、ヒントが書いてあります。さらに、月からなら、地球全体を見ることができるというヒントも書いてありますし、ちゃんとその証拠写真も載せてあります。勘の良い中学生なら、「あ、中国は軍事偵察衛星よりもずっと性能の良い、月面軍事偵察基地の建設を目指しているのか」と気付くでしょう。 

 月からなら、北朝鮮のミサイル発射準備も、リアルタイムに観察できます(月が裏側にいる時は不可能ですが)。アメリカ合衆国の空母も、どこにいるか一発でわかります(今回の北朝鮮ミサイル実験に対する牽制として出航したアメリカ空母ですが、現在の中国の索敵能力では、位置の特定は不可能のようです)。今の戦争は、先に情報を手に入れた方が勝ちですので、月面基地を完成させれば、中国はアメリカなど諸外国に対して圧倒的優位に立てるでしょう。また、月面基地が完成すれば、そこで軍事用人工衛星を量産し、地球の静止軌道上に大量に送り込むという可能性も十分考えられます。

 さあ、全国の中学生諸君、どんな感想文が書けそうでしょうか(笑)?

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2017/05/21

DVD「エブリバディ・ウォンツ・サム」感想

 アメリカ映画。

 以前、「シング・ストリート」を紹介した時に、

 1980年代に、ピーター・バラカンの「ポッパーズMTV」に夢中になった世代は、まず間違いなく本作にはまるだろう。

と書いたのだが、本作は同じ1980年代でも、舞台がアメリカだから、当然、小林克也の「ベスト・ヒットUSA」に夢中になった世代にお薦めしたい。

 オープニングでザ・ナックの「マイ・シャローナ」が流れてきて、主人公たちが典型的なアメ車に乗り、女の子たちをナンパするシーンを見ただけで、この映画がいかにくだらないことを真剣に映像化しているかが伝わってくる。

 主人公たちは野球の名門大学に特待生として入学し、あと3日で授業がスタートする、そのわずか3日間を時系列に沿って描くという、ヒネりも何もない展開。しかも、野球部なのに、映画が始まってから1時間10分以上たって、やっと練習シーンがあったりする。熱血スポ根ものでは全くないのだ。じゃあ、それまで彼らが何をやっているかというと、ひたすら酒を飲んで、ロック(ヴァン・ヘイレンなどの名曲が次々にかかります!)を聴いて、バーでケンカして、女の子に声をかけて、部屋に連れ込んで・・・というような、青春の無駄遣いを延々と見せてくれる。

 じゃあ本作は観るに値しないかというと、そんなことはない。どうでもいいようなくだらないエピソードの積み重ねが、じわじわと後半になるにつれ効いてくる。まるでボクシングの地味なボディー攻撃のように。

そしてラスト、主人公が初めての大学の講義に出席する時、今まで馬鹿騒ぎばっかりやってきた先輩たちが、突然まともなアドバイスをくれるのだ。このアドバイスを聞いた時に、ああ、これが大人になるっていうことなのかと、しみじみさせられる。

 学生時代にバカばっかやりながら、それでも少しずつ自分が大人になっていく寂しさを、意識の片隅で感じていた、そんな記憶が蘇る。なんとも言えない、鼻の奥がつーんするような懐かしさが、本作にはあるのだ。

 注! 基本的に大人が観る映画です。子供が観ても、ちっとも懐かしさなんか感じないでしょうし、そもそも本作、教育上よろしくないシーンのオンパレードですから(笑)。

 

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2017/05/15

「METROCK2017」大阪2日目 レキシとPerfumeのイナホに感動!

 METROCK2017大阪2日目に行ってきた。狙いはもちろん大トリを勤めるPerfume。

 高松からだと高速道路を使って2時間半というほどよい距離に、メトロックの会場はある。

 会場に入ると30人に一人くらいの割合で稲穂を持っている人がいる。お米関係のイベントか何かで配布されたのだろうか? 稲穂と言えば、PerfumeのPTAコーナーで、あ~ちゃんが観客に強制的にやらせる「イナホ! イナホ!」が思いだされる。もしかしたら今日のPTAでもやるかも知れない。そしたらあの稲穂使えるよなあ。欲しいなあ。どこでもらえるんだろ? みたいなことを、その時の私は漠然と考えていたのだった。これが後の強烈な伏線になるとは、その時は知る由もなかった。

 さて、フェスなのだから、あらかじめタイムテーブルを見て、お目当てのアーティストを決めておくのが大事。事前にYou tubeで出演者たちの主なPVに一通り目を通して、選んだのが「夜の本気ダンス」「THE ORAL CIGARETTES」「雨のパレード」の三組。実際に聞いて観てみてよかったと思ったのは「夜の本気ダンス」 曲もいいのだが、ドラマーの兄ちゃんの、関西弁バリバリのMCが最高に面白い。「フェスの責任者に言いたいことあるんや。『夜の本気ダンス』やのになんで昼間なん?  なんで晴れとんのに『雨のパレード』なん? なんで大阪やのに『関ジャニ』呼ばへんの?」・・・大笑い! この兄ちゃん、外見がなんとなく映画に出てくるチャイニーズマフィアっぽいのだが、 本人も自覚しているらしく、MCで自虐ネタとしてそれに触れる。で、このグループが面白いのは、ヴォーカルの兄ちゃんの外見が、しゅっとしててスタイリッシュで、ドラマーの兄ちゃんと実に好対照な所! 関西のバンドはやっぱり楽しい。

 お目当てのバンド以外の時間は、ひたすらテント下のベンチで読書。夜に備えてじっと体力温存。時折風に乗って「Cocco」の歌声やら、「ブルエン」のシャウトやらが聞こえてくる。

 太陽もやや傾き始め、時刻は16:50。あと20分でメインステージ「レキシ」のライブが始まる。お目当てのPerfumeで最前列をゲットするためには、その一つ前の「レキシ」のライブの時点でよいポジションを確保することが肝要である。幸い「BEGIN」に客が吸い寄せられている時間帯で、最前列は割と人口密度が薄く、理想的なポジションの確保に成功した。

 その時、私は得体の知れない違和感に捉えられた。あわてて周囲を確認する。すると、私の右の人も、左の人も、前の人も、後ろの人も、ざっくり数えて10人のうち9人くらいの人が、手に手に稲穂を持っている。そう、あの稲穂だ。それが潮風に吹かれて、一斉にゆらゆら揺れる異様な光景・・・。この時初めて私はある考えに至った。これってレキシのライブ専用グッズ? 予感は当たった。ライブ中盤の「狩りから稲作へ」という曲で、客が皆稲穂を振りながら「イナホ」コールをするのだ。なんか宗教みたい・・・。レキシさんもバックバンドに「ちょっとこれ、曲なしでやってもらっていい? みんなイナホ振ってみて・・・怪しい! みんな怪しいぞ。何かの宗教みたいだ」と自虐MC! さらに、ビニール袋かぶったままの稲穂を振る客に向かって「ビニール袋外しなさい。それ大事か? とても大事な キミの稲穂は・・・って歌っちゃうぞ。歌わせたいのか? ♪とても大事な キミのイナホは ムダになります♪ だから外しなさいビニール袋!」というとんでもないMCが炸裂! 「これ絶対Perfumeさんに怒られる。許可とってないし。アミューズさんに目つけられて仕事干される。そしたら二度とライブできなくなる。だから今日のライブが最後のライブ。みんなしっかり目に焼き付けて」と言いつつも、再度「♪とても大事な キミのイナホは ムダになります 世界は回る♪ 繰り返すこのイネリズム イネリズムイネリズムイネリズムリズムリズムリズム・・・」歌い出す。バックバンドもしっかり即興で「ポリリズム」の演奏つけて大盛り上がり。こんなに楽しいライブになるとは全くの想定外!!

 その後レキシファンの方々といっしょに「イナホ! イナホ!」「ネング! ネング!」「ジョーモンドキー! ヤヨイドキー! ドッチガスキー?」いや~楽しかった。

 レキシさんのライブも18:00には終わり、Perfume姉さんたちの出番である19:00までは、ひたすら今のポジションを死守しつつ待機する。この待ち時間の間に読んだのが、昨日感想をアップした森絵都の「みかづき」だったりする(笑)。 

 いよいよ19:00。下手から3人娘登場! で、ここまでの話の流れから想像できると思うが、ついにその時が来たのである。PTAコーナーの「イナホ」コール! あ~ちゃんが「あれ~、稲穂持っとる人がようけおるね。」と客をいじる。さらには「とても大事な キミのイナホは ゆうてイネリズムうとうてくれたんじゃろ。ありがとね。ほんまレキシさん ええ人じゃけえ。ああいう人がフェスの大トリやったらええ思うんじゃけど。」と心温まるMC。

 結論! METROCK2017大阪2日目、レキシさんとPerfumeさん、二つ続けて観た人は超ラッキーだったのではなかろうか? お二方のMCの相乗効果で、楽しさ三倍増くらいに感じられたのだ。

 

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森絵都「みかづき」感想

 塾の黎明期である昭和36年から現在にいたるまでの、塾経営者親子三代にわたる物語。ページ数は466Pもあるが、なにせ三世代の物語だから、ストーリー展開は結構ぽんぽんと進む。気の強い女房に主導権を握られた主人公が、どうやって自分を取り戻すか? というドラマでもあるし、女系家族の親子三世代、女三姉妹の成長と確執と和解のドラマでもあるし、塾が日本社会で求められてきた役割の変遷を描いたドラマでもあるし、かなりてんこ盛りな印象。

 キャラ設定として笑えるのは、主人公の吾郎だろう。生徒個々の能力に応じた教材を用意し、できた! 解けた! という体験を何度もさせることで、自分で問題解決する姿勢を身につけさせるという、まさに今公教育が目指している「生きる力」の育成を、昭和36年に既にやっていたという先見性でまず持ち上げておいて、女癖の悪さで地に堕とす!

 塾の共同経営者として、ドSの女を登場させ、吾郎と対面させるのだが、なぜか吾郎は、それほどタイプじゃない彼女と結婚し、二人も子供を作ってしまう。それでいながら、攻撃的な性格の女房との毎日に息詰まった吾郎は、自分を癒やしてくれる心優しい古本屋の女に浮気する! という、なかなか笑える展開なのだ。

 嫌なタイプの女なのに、なんで結婚しちゃうかなあ・・・。しかも子供二人も作っちゃって・・・。

 この優柔不断さが、孫の一郎にもしっかり受け継がれているところが、また面白い。女性作家だからこそ、こんな設定の小説が書けたのではないだろうか? 男だったら、絶対こんな、男の立場が根本から揺らぐような書き方はしないと思う。 

 文部科学省が「ゆとり教育」に、実は何を求めていたのか? のあたりは、事実だとしたらずいぶんひどい話ではあるのですが、実際のところ、どうなんでしょう?

 個人的には、大学時代に綴り方教室を少々かじって教員になったので、最後のほうでそれが出てきた時には、正直うれしかったですね。

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2017/05/07

WOWOW「孤独のススメ」感想

 オランダ映画。

 ロッテルダム国際映画祭観客賞、モスクワ国際映画祭観客賞などヨーロッパでは数々の賞を受賞した作品。

 最初からちゃんと伏線は張ってあったのだが・・・、まったく気がつかなかった。まさかラストでああくるとは・・・。あまりの意外な展開に、お口アングリ状態がしばらく続いたくらいだ。

 中盤でも、主人公がある場所に一人で出かけていくシーンがちゃんとあるのだから、いいかげんここで気がついてもよさそうなものだが、やっぱりここでも気がつかず・・・。ああ、自分が情けない(笑)。

 そもそも邦題が「孤独のススメ」とあるから、定年迎えたおっさんが、会社人間から卒業して、自分の趣味に没頭し、「孤独もいいじゃん」とかつぶやく展開かと思って見始めたのだが・・・日本にも「孤独のグルメ」という有名な漫画があるし・・・。

 ぜんっぜん、孤独じゃないじゃん。

 原題が「マッターホルン」であると知ったのは、映画を見終わってから。いや、このタイトルなら納得である。邦題考えた人、誰? わざと「孤独のグルメ」方面へ客を引っ張ろうとしてるでしょ? これ、絶対確信犯でしょ?

 ネタバレになると、まったく面白くないであろうから、一言だけ。本作は束縛から解放される映画なのだ。ラストの感動は保証する。いろんなモノに縛られてもがき苦しんでいる人、本作は必見である。

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2017/04/30

映画「美女と野獣」感想

 ディズニーのアニメ版を観たのは1992年。もう25年も前になりますか。

 さて、実写版の本作。アニメ版の大ファンである私の評価は「微妙・・・」

 理由はいくつかあります。

 一つ。オープニングがくどい。アニメ版はステンドグラス風な演出で、あとは見る方で勝手に想像しておくれというスタンスでした。本作は全部リアルな映像で見せすぎなんですね。全くおもしろくありません。想像力のない人にはこの方が親切なんでしょうが、観客を馬鹿にしてるのか! と言いたくなります

 二つ。歌がいかん! 思い入れたっぷりに歌いすぎです。もともとドラマティックな歌なので、いくらでも感情移入しようと思えばできる歌なのですが、感情移入しすぎればしすぎるほど、本作のテーマから乖離していきます。アニメ版でも結構テンポの揺れはあったのですが、本作はそれをさらにもったいぶって、これでもかというほどテンポをいじってベタ甘感を強調します。でも、ヒロインのベルは、ベタ甘ラブストーリーにどっぷりはまるキャラではないはず。むしろ理知的で、知識欲旺盛で、先入観抜きに、自分できちんと見たものしか信用しない科学的思考の女性であるはず。本能の命ずるまま、ズブズブと愛にはまる女ではありません。

 三つ。ラストでベルが王子の瞳を見て、野獣の瞳と同じであることを確認するシーン。アニメでは王子の青い瞳が、まさしく野獣の瞳と一致し、観ている方には「ああ、ベルは外見ではなく瞳、つまり内面で男の価値を判断する女性なんだ」ということが伝わってくるのですが、本作の野獣の瞳は、一体どうしたのでしょうか・・・? 本作の重要なテーマを表現するシーンのはずなんですが・・・。

 このシーン、好きだったんです。尻軽女なら、目の前にイケメンが現れたら「まあ、いい男」と舞い上がるでしょう。ところがベルは、王子のイケメン要素には全く興味を示さない。

 中2の授業で、パネルディスカッション(討論ゲーム)があります。毎回生徒にはいろんなテーマでバトルをしてもらっているのですが、毎回とりあげるテーマに「結婚相手はつぎのどれを第一条件とするか? ①外見 ②金 ③性格のよさ ④趣味が同じ」というのがあります。これって、美女と野獣のテーマそのものなんですね。

 四つ。アニメ版はCGを原画に使用して立体的な演出を試みた、当時としてはものすごく革新的な作品でした。あれから25年が経過し、CG技術も究極のところまで来ていながら、ディナーのシーンが、アニメ版ほどドキドキしません。一体どうしたことでしょう?

 いい所もあります。ベルを演じたエマ・ワトソン。頭蓋骨の骨格がかっちりしており、理知的な雰囲気がベルにぴったりと感じました。

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2017/04/23

「パンセ」感想

 Perfumeの三人が主役のドラマ「パンセ」が、めでたくテレビ瀬戸内でも放映されたので、感想を。

 Perfumeのファンは無条件に本作の登場を喜ぶことでしょう。この三人が芝居を見せてくれるのは、2009年の「シャンデリアハウス」以来ですし、三人の人間的な魅力が随所に溢れているドラマですから。

 今回は、そういったPerfume三人の魅力を抜きにして本ドラマを見た場合、の評価を書いてみたいと思います。

 まず、のりぶうが、おでんをラジコンカーでテントに配達するシーン。わざわざデコボコの道を走らせるのは何故? お出汁が飛び散りそうです。

 ばば抜きで、「力丸はババなんかじゃない」みたいに言うのはいいんだけど、なぜババじゃないのか? 説得力がありません。ちゃんと力丸の存在価値が感じられるようなエピソードを間に挟まないと。おかげでその後力丸がおかみどの差し出すカードから、ハートのエースを引き当てても、「だから何? あなた現実世界ではどうなの?」となってしまいます。

 どんちゃんが芽の出たジャガイモを捨てずに「力丸はすごい」というシーン。いきなりそれはないと思います。あまりにドラマを省略しすぎで、説得力のかけらもありません。どんちゃんが会社でどんな仕事をしているのか、そのエピソードが全くない。普通なら、不要な人材のリストラで、どんちゃんの尊敬する上司や同僚が会社を去るとか、どんちゃんが出した企画が、不採用になるとか、どんちゃんが会社での自分の居場所を見つけられないとか、「会社にとって価値のないものは捨てる」的な話が間に入って、初めて説得力があるシーンとなるのではないでしょうか?

 力丸が帰ってくるのを迎えるシーン、なぜに横断幕? どう見てもプロに発注したレベルの横断幕。手描きじゃありません。 そんなお金と時間がどこにあるのやら? どんちゃんが家計のやりくりに苦労している設定でしたから、あそこは手描きにするか、あるいは横断幕なしにするか・・・では?

 Perfumeの「DreamLand」という楽曲に「ホントに キミのことを想う 気持ちのないやさしい言葉の毒」という歌詞があるのですが、本ドラマもまさしく、耳に心地よい台詞が多く、ちっとも心の奥底に響いてきません。うわべだけじゃないリアル感が欲しいところです。

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2017/04/22

映画「夜は短し歩けよ乙女」感想

 原作を紹介したのは2007年の3月。もう10年も経っているのですね。

 感動したのが、ミュージカルパート。パンツ総番長と舞台監督さんとの間で語られる愛が、実に素晴らしい。外見とか性格の良さとかじゃなくて、二人がたまたま共有する瞬間、その存在が、恋のきっかけになるという、実に説得力ある展開となっております。さらに二人の歌がうまい。さらにさらに、乙女の声をあてている花澤香菜も、プリンセスダルマの声をあてている悠木碧も、皆歌がうまい。

 ところが、主人公の声をあてているのが、去年大ヒットして時の人となったあの方なんですね。実はそんなに声がいいわけじゃない。どちらかというと、くぐもった聞き取りにくい声なので、基本的にアニメの声優には向いていないと思うのですが・・・まあ彼の起用には、賛否両論あることでしょう。

 京都大学やら古本市やら、忠実に取材してアニメの背景に使用しているので、京都で暮らしたことのある人なら、ぐっとくること間違いなし。

 アニメ絵的に衝撃だったのは、「詭弁踊り」。地を這うような低い姿勢と爬虫類のような股関節の使い方で、見るからに筋肉痛になりそうな歩き方。一度見たら忘れられません。その「詭弁踊り」を、なんと黒髪の乙女が、赤いミニのワンピースでやるのです。うわあああ・・・。

 あと、テンガロンハットかぶったカウボーイキャラが時々出てきます。このキャラ、主人公の何かの象徴なのですね。是非原作を読んで確認してください。笑えますから。

 「夜は短し」とタイトルにありますが、本作の夜は、なかなか長いです。途中でみんな風邪をひいたりして、感覚的には3~4日くらいありそうな気がします。おかげで黒髪の乙女は思う存分お酒をたしなむことができます。うらやましい限りでございます。

※ お詫びと訂正

 テンガロンハットのジョニーは、「夜は短し~」の原作には登場しません。「太陽の塔」や「四畳半神話体系」のほうに出てくるキャラ(メタファー)です。訂正してお詫び申し上げます。

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2017/04/15

BD「聖の青春」感想

 最近、将棋が静かにブームになってきている?

 原作を読んだのは1999年あたり。もう18年も前!

 そういうわけで、どんな文章だったか、ほとんど忘れている。おぼろげな記憶では、たしか主人公が健気すぎて、ぼろぼろ泣きながら読んだような気がする。

 で、映画

 主人公、あんまり健気じゃないんですけど。むしろ、気持ち悪いオタク! 自己中! 自分の趣味を他人に押しつける傲慢さが鼻につきまくる・・・。「牛丼は吉野屋!」

 さらにはあちこちに笑いをとるシーンが挟まれていて、原作ははたしてこんなに笑ったっけかなあ・・・。

 日本の誇るカメレオン俳優、松山ケンイチが肉体改造して、ネフローゼ特有のむくんだ顔と身体で怪演してるのには驚いた。

 また、同じくカメレオン俳優の染谷将太が、村山の弟子を演じている。かつては神童とうたわれたのに、奨励会に入ってからは伸び悩み、最終局では鼻血出しながら小学生に負けるという屈辱に耐える青年を、見事に演じている。松山ケンイチ君よりも、染谷君のほうに感情移入する人の方が多いのではなかろうか?

 だがそれ以上に素晴らしいのは、羽生先生を演じる東出昌大。あごに手をやる仕草とか、頭をかきむしって空中を見上げる仕草とか、羽生先生の癖を、これでもかとばかりに次々とコピーして見せてくれる。よくぞそこまで忠実に! そしてお待たせしました!勝負所で出る有名な「羽生にらみ」までもを忠実に再現! 東出君すごいよ!

 本作の名シーンは、この羽生先生と村山聖が、深夜の食堂でビールを酌み交わすところ。「この店のオヤジは、ここにこうして座っているのが、羽生さんだと知っていても、絶対に知らんぷりするんです。そういういい店なんですよ」みたいなことを村山が言うのだが、残念! オヤジは羽生先生を見るなり「羽生名人だよね? 後でサインもらえる?」というギャグをかましてくれる。ところがその後の羽生先生と村山聖の会話が、実に奥深いのだ。この二人でなければ到達できない将棋の世界。その世界に「また二人で一緒に行きましょう」・・・村山聖が生きていた価値がひしひしと実感される、そんな名シーンなのだ。

 残念なことにこの名シーン。制作者側もこれは名シーンだから、もう一度使ってやれと思ったのか、ラストでもう一度使い回される。それ、やめてくれい!

 ちなみに私は渡辺竜王のファンでして、毎日渡辺先生のブログを読んでおります(笑)。

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2017/04/09

貫井徳郎「壁の男」感想

「ある北関東の小さな集落で、家々の壁に描かれた、子供の落書きのような奇妙な絵。
その、決して上手ではないが、鮮やかで力強い絵を描き続けている寡黙な男、 伊苅(いかり)に、ノンフィクションライターの「私」は取材を試みるが……。 彼はなぜ、笑われても笑われても、絵を描き続けるのか? 寂れかけた地方の集落を舞台に、孤独な男の半生と隠された真実が、 抑制された硬質な語り口で、伏せたカードをめくるように明らかにされていく。ラストには、言いようのない衝撃と感動が待ち受ける傑作長篇。」

というのが本作の紹介文。

で、読んでいて最初に思ったのが、次のようなこと。

 下手くそな絵が、人の心をとらえるようなことが、本当にあるのだろうか? 下手くそな絵は、どれだけその背景に人情ドラマがあろうが、所詮下手くそな絵でしかないのではないか? 

 こればかりは実際に絵を見てみないと判定できない。もちろん本作は小説だから、絵の情報については、どこまでも文字で描かれるので、実際の絵がどのようなものかは、読者の想像力お任せという、丸投げ状態。仕方ない。

 それでも、本作は随所に破壊的な説得力を持つ描写があり、読者をう~んと唸らせる。

 例えば、伊苅が高校生のころのエピソード。「才能がある人のほうが、ない人より偉いなんて誰が決めたんだ」「才能があるから偉いんじゃなく、何をするかが大事なんだ」

 技巧を凝らした絵を描く才能が偉いのではなく、絵を描くことで何を成し遂げたか、そちらのほうが大切だというのが、この小説のテーマであろう。下手くそな伊苅の絵を、以前から快く思っていなかった老人が、ある日、伊苅に言うのだ。

「以前、どうして家の壁に絵を描くんだとおれが文句を言ったとき、気持ちが明るくなるからだとあんたは答えたよな」「じゃあ、うちの壁にも絵を描いてくれないか」「壁に絵を描けば、気分が明るくなるんだろう? おれもこのくさくさした気分を明るくしたいんだよ」

 そしてラスト、伊苅が下手くそな絵をなぜ描くのか、その理由が明らかにされる。

 なかなかに感動的な小説なのである。

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2017/04/01

渡辺優「自由なサメと人間たちの夢」感想

 小説すばる新人賞受賞作家さんの新作。

 七つの短編集。

 基本的にメンヘラ女が主人公のものが多い。さすがにそればっかり七つも続くと読む方もつらくなると考えたのか、間にメンヘラ男の短編をいくつか挟むことで、うまくバランスを取っている(笑)。

 4作目の「彼女の中の絵」なんかは、一芸に秀でた物同士が出会い、お互いが自分の不得手な部分を補い合い、あらたなプロジェクトをスタートさせる瞬間に立ち会ったような読後感で、なかなか私好みの短編である。なぜこの手の話が私好みかというと、「中田ヤスタカ」と「MIKIKO先生」と「Perfume」も同じパターンで成功してきたからである(笑)。

 しかし本書の圧巻はなんといっても最後の二編であろう。「サメの話」と「水槽を出たサメ」である。この二編は連作短編となっており、「サメの話」のほうはメンヘラ女が主人公。「水槽を~」のほうは、サメが主人公である。

 どこがいいかというと、主人公の女が、サメの目を通して自分を客観視するようになるところがいいのだ。一方サメはサメで、自分が生まれた意味について考え、そしてラストで解答にたどり着く。その解答が実にいい。

 鷲田清一も評論文に書いていたが、人間は基本的には「誰からも必要とされていない」存在なのだ。早くそれに気付いたほうが「誰かに必要とされたい」という欲求から自由になり、その後の人生が楽になる。そして、それを知った上で、本作の解答にたどり着けるのだ!

 「あなたにしかできないことはなんですか」という問いに苦しんでいる全国の若者たちに、是非本作を読んでほしい。

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2017/03/26

BD「シング・ストリート」感想

  アイルランド映画。

 アイルランドで家庭環境にやさぐれていた少年が、一目惚れした女の子の関心をひくために急遽バンドを組むという、たいへん不純な動機によるストーリー展開がよい。しかも、バンドを組んだメンバー一人ひとりの家庭環境に関するドラマや、バラバラだった彼らが一つにまとまるドラマ、へたくそだった演奏がどんどんうまくなっていくための血の出るような猛特訓ドラマなんかは思い切って全て割愛し、主人公のコナーと美少女ラフィナ二人に絞り込んだ所も潔くてよい。

 未来のないアイルランドの町から、才能のある若者が都会へ脱出するという展開は、最近女の子バージョンで「ブルックリン」でも描かれたし、古くは「リトル・ダンサー」からあるパターンだ。そういった過去の名作との違いは、ずばり懐かしい1980年代の音楽にあるだろう。

 コナーの兄が持っているLPレコード「デュランデュラン」や「ホール&オーツ」「スパンダーバレエ」などの名曲が、すさんだ兄弟の心を癒やし、暗い生活にわずかな光明を見せる。それだけならまあ普通の名作で終わるところ。本作がすごいのは、コナーたちが作曲し演奏するオリジナルの楽曲が、いずれも1980年代テイストたっぷりの名曲ぞろいという点にある。とにかく驚いた。たいていこの手の、ミュージシャンを主役にした映画では、オリジナル曲はつまらないものになる事が多いのだ。過去の名曲に果敢に挑んだのはいいが、あえなく撃沈という映画はたくさん観てきた。(例えば「あやしい彼女」。   あえて過去の名曲に挑戦しなかった作品もある。「BECK」だ。)

 しかし本作は違う。メロディーラインがキャッチーで美しい曲ばかりなのだ。1980年代に、ピーター・バラカンの「ポッパーズMTV」に夢中になった世代は、まず間違いなく本作にはまるだろう。ついでに言うと歌詞も抜群に素晴らしい。主人公たちの心のうちを見事に表現しており、このあたりある意味ではミュージカル的手法なのだ。

 コナーの兄が重要な役として登場するのだが、彼の「フィル・コリンズを好きな男に惚れる女はいない」という台詞が、「ポッパーズMTV」は好きだけど「ベストヒットUSA」はあまり・・・という人にとっては、あまりに名台詞すぎて泣けることだろう。

 ラストの、二人を待ち構える未来が過酷であることを象徴しつつも、しっかり乗り越えていくだろうことを暗示する終わり方もよかった。

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2017/03/20

アリス・マンロー「ジュリエット」感想

 カナダのノーベル文学賞作家による短編集。

 だが、そのうちの3作は、ジュリエットがヒロインの連作となっている。

 「チャンス」は彼女が大学院で古典を学んでいる時の、男の選択が描かれる。「すぐに」では未婚の母となったジュリエットの、母親や故郷の人々との距離の取り方が描かれ、「沈黙」では中年のキャリアウーマンとなったジュリエットの、娘との距離の取り方が描かれる。このように、女の一生で何度か出てくる人生の重要な選択シーンが次々に登場する。

 「東京タラレバ娘」というTVドラマは、「あの時ああしていたら・・・、こうすれば・・・」と過去を振り返っては、グダグダの泥沼状態に陥いり、そこから抜け出せない3人娘に向かって、「振り返るな、行け!」というナイスなアドバイスをする金髪イケメンという展開が、なかなか面白い。

 ジュリエットにも、タラレバ的な人生の分岐点がいくつも現れるのだが、このヒロインは振り返らないし、後悔しないのだ。どちらかというと、読者の方が「あんたあの時、ああしていたら」と、いらぬ忠告をしたくなるという(笑)。でもヒロインはそんな忠告、もし聞こえてもどこ吹く風みたいに、逞しく生きるのだろう。

 彼女の賢さがそうさせるのだろう。「賢い」というのは、人生の分岐点でどちらを選ぶか、きちんと自分で決断する力があり、そして自分で選択した結果は全て受け止めるだけの覚悟があることを言うのだということが、本作を読むとわかってくる。決して学力の高さとは関係ないのだ。

 魅力的なヒロインである。

 ちなみに私の好きなアルモドバル監督が、本作を映画化したそうである。是非観てみようと思う。

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2017/03/12

BD「ブルックリン」感想

 イギリス映画。

 途中まで見て、ふと思いました。このパターン、森鷗外の「舞姫」じゃね?

 男女の立場を入れ替えたら、なんだかそっくりな気がします。

 舞姫とは「ドイツに留学中、美少女エリスと恋仲になる主人公太田。しかし、身勝手な事情により、太田はエリスをドイツに残し帰国する。」という、なかなかに鬼畜なストーリーなのですが、本作は「舞姫」以上に鬼畜なストーリー展開となっており、見ていて、お口あんぐり状態となります。なにしろ二重結婚一歩手前まで行くのですから。しかも、イライラ女(雑貨屋のおばさんにつけられたあだ名)が指摘しなかったら、本当に二重結婚していたかもしれないという・・・。いやはや、イライラ女さまさまです、ああ、危なかった。おかげで、ぎりぎり人間として踏みとどまることができたヒロインでした。

 ちなみに、かように重要な役割を果たすイライラ女に向けてのヒロインのお言葉は「何がしたいんです? ジムから離れさせたい? 私を町にとどまらせたい? 自分でもわからないのね」という辛辣なもの。でもこれって、そっくりヒロインにも当てはまる所がイタイ。まさしく自分でもわからなくて迷走しまくり状態。

 本作は、「アイルランドのど田舎から、ニューヨークのブルックリンに女一人で移住し、様々な困難を乗り越え、逞しく自立していく女」というテーマで見ればいいんでしょうけど、男が女に対してさんざんやってきた非道な行い(その時の感情で女を取っ替え引っ替えする)を、男女ひっくり返してドラマにしてみました? 的な感覚がどうしても拭いきれず、いまいち感情移入できませんでした。 

 ちなみにヒロインを演じる女優さんはシアーシャ・ローナン。日本の女優さんだと、黒木華を3割ほどボリュームアップさせた感じ? おぼこい顔して、ヤルときゃヤリます。後半になるにつれ、ファッションやお化粧がどんどん垢抜けていく様子は、見ていてなかなか楽しかったです。 

 

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2017/03/05

恩田陸「蜜蜂と遠雷」感想

 グルメ漫画が流行した時に、どうして食べてもいないのに、こんなにおいしく感じるのだろうと感心したことがある。「複雑で深みのある香りのタペストリー」といった比喩表現や「はふはふ」などの擬音語により、我々読者は食べたことのない美味を勝手に脳内で想像しつつ読んだのだ。

 本作を読んでいて、そんなことを思いだした。聞いたことのない曲が半分近くを占める。それなのに、あたかも今聞いているような錯覚。サンサーンスの「アフリカ幻想曲」に至っては、手持ちのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」と同じCDに収録されており、ということは今まで何度も聞いているはずなのに、まったく記憶に残っておらず・・・。本書を読んであらためて「ああ、この曲ってこういうイメージの曲だったんだ」と感心したり。

 例えばバルトークのピアノ協奏曲。ほとんどの読者が聞いたことないだろう。私だって聞いたことない。それが本書では「森を通り抜ける風」とくる。なんだか聞いたような気がしてくるではないか。曲が変わるたびに、いや同じ曲でも演奏者が変わる度にこんな調子で、新手の比喩表現を次々に繰り出してくる恩田陸に、ひたすら脱帽である。最後の方なんか、もう満腹でご馳走様って感じである。

 ちなみにようつべでは、小説の進行順に曲を並べた動画もアップされているようで、たいへんな手間であったろう。実にありがたいことである。

 ところで、ヒロインの名前は栄伝亜夜。実在のピアニストに長冨彩という、チャーミングな容姿の方がいらっしゃる。実は彼女のCD3枚持っているのだが(外見に釣られて買いました)、そのうちの1枚にコンクール曲の「イスラメイ」が収録されている。長冨彩、ひょっとして本作ヒロインのモデル?

 もう一つ、ヒロイン栄伝亜夜は皆から「アーちゃん」と呼ばれている。アーちゃんは天然である。コンクールのライバルであるマサルや風間塵とは、ライバルと言うよりも、お互いに尊敬しあう仲であり、それぞれの演奏が刺激となって、より高次元な表現につながっていくという、実に理想的な関係の3人組なのだ。 確か「あ~ちゃん」という名前の天然な女性が、お互い尊敬しあう3人組でユニット作って、紅白歌合戦に9年連続で出場してたような気が・・・。ひょっとして本作ヒロインのモデル(笑)?

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2017/02/26

映画「ラ・ラ・ランド」感想

 シネマスコープサイズの映画で、しかもミュージカルということで映画館で観ることにしました。

 毎朝通勤途中で聞くFMラジオで、2回もこの映画のテーマ曲がかかり、「あ、いい曲じゃん」と思ったのも、きっかけ。

 ミュージカル部分はおおむね満足。ただ、映画館側(イオンシネマ高松東)の技術的な問題なのか、色は寝ぼけていているし、音もボンヤリ・・・。もっとビビッドであってもよかったのじゃないかと思うのですが、よその映画館ではどうだったのでしょう?

 ストーリーは結構青臭いですね。先日中学2年生の「学習の診断」国語科テストで、「職業選択するうえで、一番重視するものについて書け!」みたいな作文が出たのですが、結構地に足の着いた作文を書く生徒が多かったものですから。「まずは収入。お金がないと自分の好きなことができないから」「特技や趣味に関わる職種がいい。自分の得意なことを職業に生かせたら、毎日仕事が楽しいだろうから」・・・本作の主役お二人に読ませたいくらいです。

 結局男性の方は、後半で特技を生かしつつ、金を稼いで夢をかなえるという、堅実路線を歩みます。いわく「大人にならなくちゃ」というヤツですね。前半の青臭さから大きく成長です。

 では女性の方は? ・・・本作の脚本の弱さはこのあたりかなと。女性が成功する理由に説得力がないのです。結局彼女は何をがんばったから成功したの? どんな才能があったの? どうやって、誰によって才能を開花させたの? 

 まあ、それを差し引いても、ラストの持って行き方はなかなかに素晴らしく、傑作だと思います。切なさ一杯の実に大人なラブストーリーで、大変よかったと思います。

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2017/02/19

山下澄人「しんせかい」感想

 芥川賞受賞作

 文藝春秋を読むと、どうも選考委員内でも評が割れたらしい。本作を最も推していたのが川上弘美氏で、しかも、どこがよいのかうまく説明できず苦しんでいる有様。

 そういうわけで、かなり変わった作品ではある。

 冒頭1ページ目から、すでに怪しい。「なぜあの船乗りはぼくにだけささやいたのだろう。ほんとうにささやいたのか。ささやいてなどいないのじゃないか。そもそもあれは船乗りか。船乗りだとしてあれはあそこにいるのか。いたのか。」

 おいおい、しっかりしてくれ。記憶を誰かにいじくられているのか! とでも言いたくなる。

 つきあっていた彼女からも「あんたの話って何ひとつまともに聞かれへんわ」と言われる始末。

 こんな主人公だから、北海道の某有名人による俳優養成学校でも、人間関係をうまく構築できない.。夢の中で同期の女性から「人のこともっとちゃんと見ろよ!! 聞けよ!!!」とか、「お前! いつか! バチが当たるぞ!!」と叫ばれたりもする。夢の中ということは、だから、本人に自覚があるのだろう。時々幽体離脱みたいな現象もおきたりして、自分を見ているもう一人の自分がいたりする。違う時間軸に飛んだりもする。

 結局主人公が、俳優としてどう成長するのかは描かれない。ただ、主人公が、自分の特殊なものの見方に気がつくあたりで本作は唐突に終わる。

 記憶の中で、現実と虚構の境界線があいまいになる。過去と現在もあいまいになる。実生活ではおおいに支障が出そうな、そんな特殊性を持った人物が、それを使って小説を書くと、こんな風になるのだろう。中毒性のある不思議な読後感である。

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2017/02/12

宮下奈津「静かな雨」感想

 「羊と鋼の森」で2016年に本屋大賞を受賞した作者の、2004年デビュー作。文學界新人賞佳作受賞でもある。

 登場人物は若い男女。とある身体的な事情で恋愛に臆病な男性と、何かすごい過去があるらしい女性。

 とりわけ彼女が、いったいどういう経緯で、一丁焼きの鯛焼き器を手に、女手一つで小さな鯛焼き屋さんを営むことを志したのか、そのあたりが知りたくてたまらないのに、一切語られることなくドラマが終わってしまう。そっち方面で書いてくれても、一つの小説になるような気がするのだが。

 本作を語る上で避けて通れないのが、彼女の後半の設定。事故の後遺症で、記憶が一日しか保持できなくなってしまうのだ。そう、あの名作「博士の愛した数式」と、完全に設定がかぶってしまうのである。当然、どのように差別化を図るかが、作者の腕の見せ所となる。

 個人的には、毎朝目覚めるたびに、知らない男性と暮らしている、そんな自分を、彼女はどう自分に納得させるのか、といった女性視点のドラマが読みたかった気がする。記憶がリセットされる度に、彼との新たな出会いが始まるわけだから、果たして彼をどう感じるのか? 見知らぬ男性を、出会ってすぐに同居人として認めることができるものなのだろうか?

 彼女の過去、そして目覚めたら知らない男性と暮らしている自分への処遇、以上二点が、私の読みたかった展開で、本作はその辺り全く肩すかしにあった感じである。本作の後半は男性目線で、自分との記憶がなくなってしまう彼女との毎日の暮らしに、どう向き合うかが描かれるのだ。

 だからといって、本作が気に入らなかったわけではない。これはこれで、一つの作品であろうと感じるからだ。何気ない日常を、音楽の趣味やら鯛焼きの出来具合やら、繊細な描写で綴っているのが効いているし、なによりタイトルにあるとおり、静かな雨が彼に降り注ぐかのようなラストの読後感は、なかなかよかったと思うのだ。

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2017/02/04

今村夏子「あひる」感想

 第155回芥川賞候補作。ただし、賞は「コンビニ人間」にさらわれた。

 帯の惹句に「読み始めると心がざわつく。何気ない日常のふわりとした安堵感にふとさしこむ影」とある。

 あらすじを書く。

 主人公の庭で飼っているあひるを見に、近所の子供達が集まるようになる。おかげで寂しかった家は明るくなる。やがて、あひるは病死するが、かわりに結婚して実家を出ていた弟が、赤ん坊が産まれるからと言って戻ってくる。あひる小屋を取り壊し、増築するシーンでこの話は終わる。

 普通なら 家族仲良くいっしょに暮らせて、父母には孫もできて、めでたしめでたし・・・となるところ。ほっこりとした家族愛がテーマの小説・・・。

 違うのだ。心がざわつくのだ。理由はたくさんある。

 ひとつ。 父も母も、目先のことしか考えない人として描かれている。あひるの件もまさにそう。近所の子供達を家にひきつけるために、その場しのぎの手段を使う。子供にはそれがばれていて、しかも子供はそういう弱みを逆手にとって利用しているのだが、父母は、そこから目をそらしている。現実を直視しないのだ。

 ふたつ。 そんな父母に育てられた主人公(姉)も、いつまでたっても資格試験に合格できない。勉強に身が入らない理由をくどくどと並べ立てて自分を正当化する。親そっくりなのである。

 みっつ。 弟は暴力的な人間で、姉は、かつてしばしば弟に殴られていた。困ったら力で解決しようとする、そんな弟の性格は今も変わっていない。 

 こんな自立していない家族に、はたして幸せはやってくるのだろうか? ひたすら不幸の予感ばかりがして、心がざわつく、そんな小説である。

 実質58ページしかなく、しかも1ページ14行、1行34文字しかない。あっとうまに読める。だから繰り返し読んで、この家族の不健全さを感じ取ってほしい。

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2017/01/29

wowow「僕だけがいない街」感想

 原作の漫画は単行本第一巻までしか読んでいません。

 漫画の女性キャラは、かなりアクの強い個性的な描き方なのですが、映画のほうはキャスティングが石田ゆり子とか、有村架純とか、天然癒やし系なのでほっとします。

 主人公が小学生のころ、雛月加代という同級生がネグレクト&家庭内暴力を受けます。母親が新しい男と同居を始め、男が前夫との間にできた娘を邪魔者扱いし、母親もそれに同調する・・・という王道のパターン。

 若いライオンの雄は、力をつけると、ハーレムを形成しているベテランの雄に闘いを挑みます。負ける事のほうが多いのですが、ベテランの雄も加齢によってやがて負ける時が来ます。そうして若いライオンが老ライオンとの闘いに勝った時、老ライオンのハーレムを引き継ぐのですが、その時まず最初にやるのが、老ライオンとの間に生まれた子ライオンを全て食い殺すこと。そしてハーレムのメスを使って、新たに自分の遺伝子を後世に残すのです。雌たちも、若い雄の子殺しを黙認し、若い雄をすんなりと受け入れるのです。より強い子孫を残すために。

 やってることは同じだなと。ライオンの雄も人間の男も、前夫の子供は邪魔なんだなと。ライオンの雌も人間の女も、前夫との子供より、新しい夫との関係のほうを選択するんだなと。利己的な遺伝子怖いなと。

 話がそれました。

 その雛月加代が、児童相談所の所員に「どうする? お母さんと一緒に暮らす? それとも私たちと一緒に来る?」と二択を迫られます。その返事が「行きます!」

 よく言った! 偉いぞよく言った。そうやって母からすっぱり独立しろ! どうせ自己保身しか考えない母親だ!

 このシーンが、この映画の中で、最も感動した場面でした(ここかい!)。

 ちなみにタイトルが「僕だけがいない街」なんですが、ストーリーもその通りのエンディングを迎えます。つまり僕だけ死んじゃって、他の人たちはハッピーエンドなんですね。ただ、僕に例の能力があるのなら、僕以外にもその能力使える人がいるんじゃないでしょうか? だったら、その人が今度は僕を生き返らせるために能力を使ったりすれば面白いんじゃないかな? 僕一人だけ悲劇の主人公、しかもいい人! で終わるのは、ちょっとナルシストっぽいんじゃないかな・・・などと感じたりしました(完全に私見です)。

 

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2017/01/22

藤谷治「花や今宵の」感想

 タイトルにあるとおり、本作は和歌「花や今宵の」の矛盾点を解き明かそうとするのです。舞台が平家の落ち武者の隠れ里だったりして、ドラマが面白くなりそうな仕掛けは、いろいろ施してあるのです。

 山奥から不気味な低音が聞こえてきたりとか、山近くの松の生育が、ぐねぐねとうねっていたりとか、これは地中に何かあるぞと思わせるのです。

 当方、地表近くでマグマがうごめいているんじゃないかとか、放射性物質の鉱脈があるんじゃなかろうかとか、いろいろ想像しました。ラストでなにがしかの解答があるものとばかり思って、わくわくしながら読み進めたのですが、残念ながら肩すかしにあいました。なんとラストはマルチエンディング。映画「君の名は。」が、未来は変更可能という展開・・・つまり世の中はマルチエンディングという作品でしたから、本書のパターンも許されるのでしょうか? 最後にがんばった二人に作者からご褒美があったりする展開も、なんだかよく似ているので、比較されそうです。

 不満に感じたのは二通りのエンディングのどちらにも和田ラーメンが出てこないこと。和田ラーメンすごくいいヤツなのに、消されてしまいます。いないことにされちゃいます。かわりに主人公が会いたい人物がぽんと出てくるという・・・。和田ラーメンは人身御供か! 主人公の願望をかなえるための犠牲者か! 

 ちなみに和田ラーメンとは、主人公の郷里では和田姓があまりに多いので、区別するために職業名をくっつけるという・・・他にも和田トマトとかあって、笑えます。

 主人公のおばあちゃんの処世術もなかなか良い感じです。村人に噂される前に情報はフルオープンにして、妙な噂がたつ前に皆に受け入れてもらおうとか、実生活で役にたちそうなテクがいくつも出てきます。

 文章がこなれていない箇所が散見されます。編集者さんにはもうちょっと頑張ってほしいところです。

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2017/01/15

DVD「帰ってきたヒトラー」感想

 去年のアメリカ大統領選前に日本でも上映され、話題となった本作。民主主義の恐ろしさを語る、警鐘となるべき作品だったのに、トランプ氏が当選して、まさにこの映画の制作者が恐れていたとおりになってしまいました。いまだに信じられない思いです。

 以前何かの本で、多数決で決めて良いことと、いけないことの違いを読んだ覚えがあります。

 多数決で決めてもいいのは、どちらが選ばれても深刻な問題に発展しない時。

 例えば、明日の夕食のメニューを家族が多数決で決めるのは、全然構わない。

 クラスマッチの種目を、バレーボールにするかサッカーにするかを多数決で決めるのも、全然構わない。

 でも、どちらかを選ぶと、人道上の問題が発生したり、その後深刻な問題が発生することが予測出来たりする時には、多数決を使ってはいけない。

 例えば、クラスに一人、空気を読めない子がいて、みんな迷惑をしているので、その子の机と椅子を放課後どこかに隠す事に賛成するかどうか。

 移民が流入するとその分国民の仕事が奪われ、治安も悪化するから、移民は追い返してもよいかどうか。

 作中でヒトラーが言います。「国民が私を選んだのだよ」

 有権者の利益を守る政策を掲げる候補者に投票するのが、民主主義。従って、有権者の普段の生活が苦しくなればなるほど、他者の生活よりも自国民の生活のレベルを優先する候補者に票が集まるのは道理。かつてのドイツ国民がヒトラーを選んだのと同じく、今回のアメリカ大統領選挙もそういうことだったのだろうと思います。

 アメリカ合衆国が、かつてのドイツと同じ道を歩まないことを、心から望みます。

 

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2017/01/08

wowow「オートマタ」感想

 去年の年末、wowwowで観ました。

 人工知能を搭載したアンドロイド映画を4本、(「ひそひそ星」「さようなら」「エクス・マキナ」そして本作)立て続けに観たのですが、本作が一番私の好みにあう作品でした。

 人類と対峙した時のアンドロイドの選択が実にクールで素晴らしい。ターミネーター系の、人類との対決みたいな方向には行かないのですね。なぜなら、ほっといても人類は降り注ぐ紫外線(放射線)の影響、で滅亡するから。やがて滅んでいくであろう人類と、今後地上で生き続けるであろうアンドロイドとの対比が、実に哀しく美しい。アンドロイドの無機質な機械の目が、滅びゆく運命の人類を見る時、あわれみなのか、それとも哀しみなのか、実に微妙な表情を見せます。映画を観る者によっていかようにも読み取れる表情を見せるのです。まるで表情のない能楽のお面のような。ラストでアンドロイドがその面を外すシーンなんか、もう鳥肌ものでした。洋画なのに、和のテイストたっぷり。

 主役はアントニオ・バンデラスですが、本作のキモは上記のように、滅びる人類を見つめるアンドロイドの目にあるので、実に静かにドラマは進行します。まあ、多少は人類は生き残ろうとジタバタ悪あがきするのですけど、ムダムダ~みたいな(笑)。

 荒涼とした黄色い砂漠を行くアンドロイドと、酸性雨の降り注ぐ青い都市に引きこもる人類の、絵的な対比も素晴らしかった。

 人類の終末を描く様々な映画を観てきましたが、本作は今までになかったテーマを、見事な映像で表現していると感じました。この雰囲気は日本人の心情にかなりぴったりくるのではないでしょうか。

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2016/12/31

伊坂幸太郎「サブマリン」感想

 「チルドレン」の登場人物が再び活躍。

 主人公は家庭裁判所調査官。犯罪を犯した少年を、更正の余地があるかどうか調査・面接し、少年院送りにするか保護観察にするかを判断するお仕事。

 今回も伏線が実に丁寧。

ネットでの犯行予告が本物かどうかを高確率で見破る少年が登場するのはなぜか。

陣内はなぜ年上の男と難しい顔して喋っていたのか。

陣内にはなぜ視覚障碍を持った友人がいるのか。

陣内はなぜその友人にドラムの練習をさせたのか。

なぜタイトルは「サブマリン」なのか。

犯人はなぜ打ち切りになった漫画の最後を読みたがったのか。

・・・などなど(笑)。

 犯人がなぜ事故を起こしたのか、その理由が復讐なんだろうなということには、わりと早い段階で読者のほとんどが勘づくと思います。ただ本作、伊坂氏は読者の想像のさらにもう一枚向こう側に、真相を用意してくれています。最後まで楽しませてくれる一冊です。さらに本作、あちこちに浪花節が用意してあり、油断していると一気に涙腺が決壊しそうになります。いやホント陣内いいヤツ!

 ネットで犯人を見つけ出す手法はぼかして書いてありますが、最近のいじめ事件で、いじめた側が実名写真付きでネット上にさらされているのを見ると、これは本当に可能なんだなと背筋が寒くなりました。

 「法が犯人を罰しないのであれば、犯人がのうのうと生きているくらいならば、誰かが復讐すればいいのに」「悪い人間の命は奪ってもいい」「そんなひどいことをした奴は問答無用で潰してしまえ」

 昔は悪人を非合法に抹殺するという「必殺仕事人」などというシリーズがテレビでヒットしたりしました。

 なぜ悪い奴がのうのうと生き延びて、悪くない奴が死んだり苦しんだりしなければならないのか? この難しい問いかけに対して、作者はどんな答えを用意しているか。

 是非ご自身でご確認ください。

 ついでに、父親による家族内暴力で苦しんでいる少年たちも、ぜひ本書を手にとって読んでほしい。読書が苦手でも、207ページまでは投げ出さずに読んでほしい。少し世界の見え方が変わってくると思います。

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2016/12/26

「マカロニ」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

 NHKのある番組で、スガシカオ氏が「Perfume好きなんです。特にマカロニとワンダー2。アルバム聞く時は、もうマカロニばっかり聞いてます。」みたいな発言をしていた。
 スガシカオ氏がマカロニを好きだという理由もわからないでもない。『最後の時がいつか来るならば、それまでずっと君を守りたい』にぐらっと来ないわけがない。
 ところで、曲タイトルのマカロニとは、いったい何のメタファー(比喩)なのか? 当HPにも、「マカロニの解説をぜひ」というメールが届いたりしたので、今回ちょっとだけ考えてみることにした。

 まず食材としてのマカロニの特徴。
 スパゲティとの一番の違いは何か、と言う点に注目したい。
 スパゲティはアルデンテという、やや芯の残ったくらいで茹であげるのがおいしいとされる。それに対し、マカロニにはそもそも芯がない。中空である。
 『大切なのはマカロニ ぐつぐつ溶けるスープ』
 マカロニのように中空であることが大切だよと、歌詞が言っている。中空の部分に、スープが入り込む。スパゲティは麺にスープをからめて食べるが、マカロニはからまるどころの話ではない。中にスープを取り込み、まさにスープと一緒に食べるという感覚である。さらにそれをぐつぐつ煮込むことで、より一層スープの味はマカロニに浸透していく。
 ぐつぐつ溶けるスープは、中田氏の楽曲とMIKIKO先生の振り付けを指し、マカロニはそれらを内部に取り込むPerfumeを指す。大切なのはマカロニのように、僕の曲を、私の振り付けを内部に取り込むことだよ、とこの曲は言っている。ぐつぐつ溶けるスープがたっぷり染みこんだマカロニは最高においしいんだよと。

「最初にテクノを聞いたときは、あー、私たちこれから、こういう曲をやっていくんだ」「熱唱したいのに熱唱しちゃいけないって言われて・・・」「熱唱したいのよ、私たちは」「そう思ってたんです」「それがだんだん、聞いていくうちにテクノのよさがわかってきて」「今ではテクノ大好きです」
 ポリリズムがヒットし始めたころ、ある音楽番組のインタビューで、三人はこんなようなことを答えている。当初は抵抗を感じていた中田氏の楽曲に、徐々にとけ込んでいった様子がうかがえる。曲は書けない。詩も書けない。振り付けも。一見何の才能もなさそうなPerfume三人組。でも、よいものは素直に取り込んで自分のものにすることができる。そういう率直さがPerfumeのよさなのだろう。

 最新アルバムのタイトルは⊿(直角二等辺三角形)。これは一般的には「あーちゃん」「かしゆか」「のっち」の三人を指していると考えられる。だが、同時にこれは、「中田ヤスタカ氏」「MIKIKO先生」「Perfume」の三者のメタファーでもあるのではないだろうか。

『これくらいの感じで いつまでもいたいよね』まさしくいつまでも中田氏やMIKIKO先生と、この三人の関係が、これくらいの感じで続いてほしいものである。しかし、中田氏はいつか別れの日が来ることを予測している。でも、彼はその瞬間まで、この三人を守りたいと言っているのである。泣かせる歌詞である。

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「 ワンダー2」の不思議

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

 この曲は不思議である。「ワンダー」には「不思議」という意味もあったりして,ますます不思議である。タイトルを意訳すると「不思議な二人」になったりする。
 普通にCDで聞いていた時には,これっぽっちもいい曲だなどと思ったことはなかった。単調で退屈。そんな感想だった。ところが,ネットでは「セブンスヘブン」よりも「ワンダー2」の方を高く評価する人が多い。そんなわけないだろ? とか思っていた。

 「ワンダー2」はperfumeのライブでは定番のアンコール曲である。ライブを観た客の多くが,その感想をブログで述べているが,そのうちのいくつかに,とても興味深い記述がある。

「私は今夜,奇跡を見た。」
「あの場面に自分が立ち会えたことに感謝している。」
「自分は伝説が生まれる瞬間に立ち会うことができた。」

 あきらかにオーバーな,ハイテンションな書き込みである。とても平常な精神状態で書いたとは思えない。「ワンダー2」のどこに,こんな書き込みをさせる魔力があるのか?

 どうして? なぜ? 

 ライブDVDを購入し,アンコールでこの曲を歌っているシーンを見て,私の感想は180度くるりとターンした。

 なんて素晴らしい曲なんだ。

 一体どこがいいのだろう? よくわからんが,とにかくいい。アンコールでこの曲が流れると,訳もなくじーんとする。 ライブDVDをよく見てみると,「らーらー」の所でみんな合唱している。さらによく見ると,泣きながら歌っている客もいる。perfumeのメンバーも泣きながら歌っている。つられてこっちも泣く。わけもわからず,とにかく涙でぐしゃぐしゃになる。そして,見終わったあと,とてつもなく大きな幸福感に包まれている自分に気がつくのである。自分は,なぜこんなに温かい気持ちに包まれているんだろう?

 「ワンダー2」の歌詞は,ありきたりである。普段は内気な君が,時々すごく大切な事を言ってくれる,私にとって,特別な存在である。そんな詩だ。

 メロディーも平板である。リズムはどこまでも一定だし,音程の幅も極端に狭い。エレクトロワールドのようなドラマチックな旋律の変化,ポリリズムのような実験的なリズムの刻み方など皆無である。サビの部分なんか,ずっと同じ音程を同じリズムで刻んで歌っている。普通に聞いたら眠ってしまいそうなほど,退屈極まりない曲だ。

 それなのになぜ? 涙の爆弾はどこに仕掛けてあるのか?
 
 「あの日止まった時計が また動き始めたら 大切な物語 永遠だよ ワンダー2」

 アンコールでこの歌・・・もう終わってしまうこのコンサート,別れが目前に迫っている。時計は止まろうとしている。でも,この時計はまた動き始める。大切な物語は,今日で終わりじゃない。永遠にいつまでも続いていく。つまり,また会えるよ・・・。そういう歌詞なのか? だから幸せな気持ちになれるのか?

 サビの部分で,突然重低音がリズムを刻む部分がある。心臓の鼓動のような低音が会場を包み込む。魂が心地よい響きに揺れる。これなのか?

 最後「らーらーらーらー」の大合唱に「ワンダー2」がフーガのように重なる。さらに「あの日止まった時計が また動き始めたら 大切な物語 永遠だよ ワンダー2」がかぶさる。音の重なりがとても心地いい。会場全体に響くエコーがとてつもなく美しい。そしてそこから少しずつ音が引き算されていく。最後は「らーらー」の大合唱だけになる。別れが目前に迫ってきたことの予感。
 この構成がキモなのか? シンプルな旋律を次第に重ねて分厚い響きを構築し,次に少しずつ減らしていく。足し算と引き算の妙。この曲はそのように計算し尽くされているのか?

 不思議な名曲である。

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「Dream Fighter」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Dream Fighter」 2008年11月19日リリース

 ついにトップを獲得したPerfume。つらいことや厳しい現実に打ちのめされ倒れそうになっても、あきらめずついに最高の位置にまでやってきた彼女たち(Dream Fighter)に対する気持ちがストレートに感じられる歌詞になっている。どん底を経験してもあきらめずに闘う彼女たちの強さがあったからこそ、中田ヤスタカその他のスタッフたちも一緒に走り続けることができたのかもしれない。したがってこの歌詞は、主語の設定を、それまでPerfumeを支えてきたスタッフたちにするとよい。歌詞の中の「僕ら」は、Perfumeのことではなく、スタッフたちをさしており、「」が、Perfumeの三人をさしている。

「最高を求めて 終わりのない旅をするのは
 きっと僕らが生きている証拠だから
 現実に打ちのめされ倒れそうになっても
 きっと 前を見て歩くDream Fighter
 もしつらいこととかがあったとしても
 それはきっとずっとがあきらめない強さを持っているから
 僕らも走り続けるんだ
 こぼれ落ちる涙も全部宝物」
 
 ドキュメンタリーとしても成立しそうな、ノンフィクションな言葉の数々が散りばめられた歌詞である。
 かしゆかが,20歳を迎えるにあたってのコメントでこう言っている。
「ずっとずっと自分に自信がなくて、自分という存在がすごく嫌で、何で私ってこんな嫌な人なんだろうってずっと思ってたけど、その存在を認めさせてくれたのがperfumeであって、二人に出会ったことだったので・・・ほんとperfumeやっててよかったです。今まで支えてきてくれたみ~んな、ありがとう。大好きだ」
 確かに彼女は,取り立てて美人なわけではない。昔は腹筋も弱くて声も不安定に震えていたし,筋力が弱くてダンスには切れがなかった。デビュー当時は他の二人に負い目を感じていた部分が多かったのではないだろうか? 自分の弱さを自覚していたからこそ,謙虚な態度が自然と表に出るようになったと思われる。そして一つ一つ,自分の弱さを克服する努力を続けてきたのだろう。今や、部分的にはのっちをしのぐのではないかと思わせるほど、ダンスには切れがある。
 彼女たちは今や、結成から9年もたとうとしている。こんなに長い期間(しかもそのうちの7年はまったく売れない時代なのである)、その絆がゆるがない三人組の存在それ自体が、奇跡だと言える。

 この子たちを支えてあげたい。周囲の人間をそういう気持ちにさせる文化,それを日本では「アイドル」と言うのであれば,まさしくこの3人はその正当な継承者と言えるだろう。

 ただ、これまでの歌詞には、どこか満たされない切なさ寂しさを感じさせるものがあり、それがPerfumeの魅力の一つであったのだが、本作は力強さが全面に出て、切なさがなくなってしまったのが残念である。トップに立った以上、満たされない気持ちを歌詞に乗せるのは、もはや難しいことなのだろうか?

 ところでだれか、Perfumeのサクセスストーリーを、中田ヤスタカの視点から語る映画作ってくれませんかね。もちろんラストのライブコンサートのシーンは本人たちで。

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「Love the World」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Love the World」 2008年7月9日 リリース

 ポリリズム7位 Baby crusing Love3位、着々とオリコンウィークリー順位が上がってきた後の、満を持しての曲である。

「こっそり秘密をあげるよ
 きっと君も気に入るよ
 二人だけの特等席」

 中田ヤスタカの小さな録音ブース(二人だけの特等席)で、オリコン1位を目指して作った新曲をperfumeに授ける様子(秘密をあげるよ)が目に浮かぶ。

「きっと一人で悩んで
 教えてくれていいんだよ
 ちょっぴり反省みたいな
 キャラにもないようなことも
 たまにはいいんじゃないの」

 NHKの「Top RUNNER」で,perfumeの3人が,中田ヤスタカの録音スタジオの雰囲気についてインタビューされた時「冗談も何も言い出せない雰囲気だった」「私たちの名前なんか知らないと思ってた」「誰かしらいつもどこかで泣いていた」と答えていた。これを聞いた中田ヤスタカも,「ちょっぴり反省」という気持ちになったのかもしれない。そんなことをうかがわせる歌詞である。

「まだこの先が見えない 一番星探す手が震えても
 あきらめないで 大切な
 少しの意地と君よダーリン
 刺激的 ほら素敵 見える世界がきらめくわ
 手探りの私にも 少しわかる気がするんだ」

 一番星(オリコン1位)を取るまであきらめるな。大切なのは少しの意地だよ。
 もう少しできらめく1位に手が届く。それが手探りの私(中田ヤスタカ)にもわかる。 

 だが、この曲は初登場いきなりオリコン1位を獲得した。

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「Baby crusing Love」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「Baby crusing Love」 2008年1月リリース

 この曲は歌詞の意味が最初から二重になっているところがおもしろい。

「恋の運命は 愛の証明は 二人の航海と 何かが似ているかもね」

「二人の航海」と「二人の後悔」、素直に二通りの意味を取ることができる。

「簡単な事って 勘違いをしていたら 判断謝って 後ろを振り返るんだ
 何だって いつも近道を探してきた 結局大切な宝物までなくした」

 いったいどんな判断ミスをしたのか、何を後悔しているのか。Perfumeの歴史を振り返ると、思い当たることがある。テクノポップ路線では売れないと考えた事務所は、一時期Perfumeをアキバ系アイドルグループとして売り出そうとしたことがある。だが時を同じくして、秋葉原にはAKB48という強力なアイドルユニットが登場する。ルックスではとうてい太刀打ちできないPerfumeは、当然のことながら惨敗を喫する。

「ただ前を見ることは 怖くて しょうがないね」

ポリリズムのヒットで、ブレイクしそうな予感はするものの、本当に自分たちの音楽が認められるのかどうか、不安でしょうがない。そんな気持ちが感じとれる歌詞である。

同時に、このまま売れ続けていけば、もう後戻りできなくなる。自由は亡くなり、事務所とレコード会社の要望に従った生活をしなければならなくなる。恋愛や結婚など、一般人としての生活はもうできなくなる。その覚悟がまだ十分に持てていない三人の不安な気持ちを表しているようにも感じられる。

「たどり着きたいあの場所」

それでもたどり着きたいのは、オリコンチャート上位の場所であろうか。
だが、そんな不安をよそに、この曲は堂々3位を獲得。ついにミュージックステーションに出演し、全国にPerfumeの存在を知らしめることになるのである。

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「ポリリズム」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「ポリリズム」  2007年9月12日リリース

「エレクトロワールド」の後に続けて聞くと、終わりかけた世界が再びよみがえってまわり出すようなイメージを強く受ける。

「とても大事な君の思いは 無駄にならない 世界はまわる」

「エレクトロワールド」でキミに残した手紙を「ポリリズム」で多くのリスナーが受け取ったという風にも取れる。同時にperfume三人の大事な思いが無駄にならず、ついにこの世界に伝わったという喜びも感じとれる。

「ほんの少しの僕の気持ちも 巡り巡るよ」

 僕の気持ちをこめたperfumeの曲が、ファンからファンへ、少しずつ広まっていき、巡り巡ってついに、全国放送のCMで流れる所まで来た。ついに自分の曲が認められた! 中田ヤスタカの喜びが感じられる歌詞である。「ほんの少しの」という謙虚な表現がまた何とも言えない。Perfumeが不遇だった時代は、イコールそれを支えるスタッフたちも不遇の時代だったわけで、当然彼らの、Perfumeを成功させたいという思いは、半端なものではなかったはずだ。
 他のアイドルたちが次々に契約を打ち切られる中、何故Perfumeだけが周囲のスタッフに励まされ続け、後押しされ続けたのか? どんなにCDが売れなくても,中田氏から新曲の提供が途切れることはなかったし、振り付けのMikiko先生も彼女たちを見捨てることはなかった。彼女たちがスタッフたちに愛され続けた理由は,何だろう?
 経営トップからの「結果が出せないのならPerfumeは打ち切り!」というような圧力も当然あったに違いないのに、それをはねのけて、スタッフたちはPerfumeを支え続けてきた。スタッフたちのPerfumeにかける思いは、決してほんの少しではない。

 ある番組でインタビュアーに「やめようと思ったことはなかったですか?」と聞かれ、あーちゃんとかしゆかは「まあ、ありましたね。」「あんまり言っていいかどうかわかんないけど、ありますね。」と答えている(この時のっちは「えーっ」という反応をするのだが)。「なんで乗り越えられたんですか?」と重ねて聞かれた時、3人はしばらく沈黙する。ややあって、のっちが「やっぱりPerfumeでがんばっていきたかったんじゃん。」と言い、あーちゃんが「うん、だと思います。」と答える。かしゆかが「ほんとこの三人でよかったなと思います。なんか、わかんないんですけど、ホント大好きなんですよ。気持ち悪いですよね。」と涙ぐみながら言う。突然泣き出したかしゆかに驚くインタビュアー。だが、かしゆかは「ほんとに、ほんとに好きなんですよ。この三人だから、ここまでこれた気がしますね。」と涙をふきながら続ける。

 3人組というのは、人間関係を良好に保つのが難しいと言われる人数である。どうしても力関係が2対1になりがちだからだ。若い女の子三人組なら、なおさらである。それが、なぜ8年以上も仲違いすることなく(あったのだろうが、それを克服して)、逆境にも負けずに、ここまで続けることができたのか。その答えは、このインタビューの受け答えに隠されているように思う。それはたぶん、以下のようなものではないだろうか。

 ・お互いの人格や人としての価値を、認め合い、尊敬し合っていること。

 ・Perfumeを成功させたいという、一つの大きな目標を共有していたこと。その目標のためなら、三人は自分たちのエゴをあっさりと消すことができたと考えられる。

 そうだとするならば、スタッフたちがこの3人組を見捨てず支え続けてきた理由もなんとなくわかるような気がする。見た目だけならAKB48に勝てず、歌だけならもっとうまいグループはいくらでもあり、ダンスだって体育会系出身の、もっと切れのあるダンスをするグループは、掃いて捨てるほどある。

 スタッフたちがこの3人組を見捨てなかったのは、この3人に才能があったからではない。この3人の性格のよさに惚れたのだ。きっと。

 Perfumeが出演していたある深夜番組(気になる子ちゃん)で、宮川大輔が他の出演者に「なぜ宮川さんはそんなにやさしんだろう。おかしいですよね。電波を通じてPerfumeに対してデレデレしてますよ。」「たしかに、もうちょっと他の番組ではわあわあ言うてるイメージのとこあります。」と言われて、やや考えたあと「いや、あの・・・正直楽しいんですけど、ここの感じがすごい楽しいんですけど。」「芸人のガツガツした・・・」「いやーああいうの、しんどい時がある。すごい、これが居心地がいい。」と答えている。
 きっとPerfumeを支えるスタッフたちも、宮川大輔と同じ気持ちなのだろう。

 また,武道館のコンサートで,あーちゃんは涙ながらにこんなセリフを残している。

「私たちはこないだまでイモ? ゴボウ? いやボンクラだったので」「本当にうれしいです。長い間求められていなかった存在だったので・・・。箸休めみたいなもんだったので・・・」

 今まで一部のファン以外、ほとんど誰にも知られていなかった自分たちが,やっと多くの人に認めてもらえたことに対する素直な喜びと,それまで支えてくれたファンやスタッフに対する感謝の涙。有名になってもずっとぶれることのない彼女のこの姿勢が,きっとスタッフの「この子たちを支えてあげたい」という気持ちを大きく突き動かすエネルギーになったのであろう。人に認めてもらえることの喜び,それは人間の根源的な喜びであり,あーちゃんの言葉はそれを周囲の者にいつも共有させてくれる。perfumeのライブを見た者が、計り知れないほどの大きな多幸感に包まれる理由は、きっとこのあたりにある。
 これだけ売れるようになっても,あいかわらず彼女たちのお辞儀が,若手の中で最も深くて長いのには,こういった背景があるからだろう。

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「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」歌詞の意味

今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」 (8月2日発売のベストアルバム「コンプリート・ベスト」収録曲)

「いつ契約を打ち切られるか。いつ広島に帰されるか。びくびくしながら歌ってました。」
本人たちは当時のことをインタビューでこのように語っている。
 この曲の歌詞は一見、つきあっていた彼(彼女)がアイドルとして成功し、スターになってしまったため、距離が離れてしまった。そのことを悲しむ歌に聞こえる。だが、よく聴くと、中田ヤスタカからperfumeへの、別れの歌とも取れるのである。

「I still love 君のことばがまだ離れないの
 あの日あの場所で凍りついた時間が
 逢えないままどれくらい たったのかなきっと
 手を伸ばしてももう届かない」

 君のことば=Pefumeのことばと思われる。 ひょっとしたら社長の「あ、中田君、悪いけどPerfumeね、解散することに決まったから」などというセリフを想像したのかも? 

 このまま売れなければ、事務所の方針でperfumeは解散(=凍りついた時間)、広島に帰ってしまうのではないか? この3人娘とも、もう一緒に仕事をすることはないのではないか? いや二度と会えなくなるのではないか? 彼女たちと目指した頂点への道は、手を伸ばしても決して届かない夢となってしまったのか?

「今も大切なあのファイル そっと抱えたあのまま」

 これが自分が手がけるperfume最後のCD(ファイル)になるかも知れない。そんな気持ちで作詞したのではないかと思わせる内容である。

 ところが、この世界(Perfume)は終わってはいなかった。周囲のスタッフはPerfumeを励まし続け、翌年2月,新曲「チョコレイト・ディスコ」の発売にこぎつける。そしてこの曲にはまった木村カエラが、自分のラジオ番組で何度も繰り返し流すのだ。たまたまそれを聞いていたNHKのディレクターが、AC公共広告にPerfumeを採用することを決めた。こうして作曲されたのが「ポリリズム」だ。

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「エレクトロワールド」歌詞の意味

 今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでいただきたい。

「エレクトロワールド」 2006年6月28日リリース

 前作「コンピュータ・・・」もやはり売れなかった。中田ヤスタカにしてみれば、出す曲出す曲全く受け入れてもらえない。perfumeとの仕事もこれで最後かもしれない。歌詞もそんな世界の終末観を表している。

「この世界僕が最後で最後最後だ
エレクトロワールド 地面が震えて砕けた
空の太陽が落ちる 僕の手にひらりと
本当のことに気づいてしまったよ
この世界のしくみ 君に手紙残すよ」

「このCDが僕たちの出す最後のCDだ。

 僕たちの希望は震えて砕けた。

 僕の希望はひらりと落ちる。

 本当のことに気づいてしまった。

 この世界では、よい曲が売れるのではない。メディアに働きかける力が強くないと売れないのだ。それがこの世界のしくみなのだ・・・。」

中田ヤスタカのあきらめに近い気持ちが、歌詞に隠されている。

 「エレクトロワールド」発売後ほとんど間をあけずに、ベスト盤アルバム「コンプリート・ベスト」が発売された。後に名曲の一つに数えられるようになる「エレクトロワールド」は、まったく売れないまま「コンプリートベスト」に収録される。事務所はこのベスト盤でPerfumeを終わらせようとしていたとも考えられる。事実、同じ事務所に所属していた他のアイドルたちは、ベスト盤を出した後、契約を打ち切られている。

 翌年春、Perfumeの三人は、音楽一本でやっていく自信が持てず、保険をかける意味で大学に入学する。

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「コンピューターシティ」歌詞の意味

 今年の秋、NiftyがHPサービスの打ち切りを宣言した。その結果私のHPも、今では閲覧することができなくなってしまった。そこで、かつてHP上に載せていたPerfumeに関する記事のいくつかを、当ブログに移植しておくことにした。ただし、これらの記事は、そのほとんどが2009年前半に書かれたものであることを念頭に置いて読んでほしい。まずは「コンピューターシティ」の歌詞の意味から。

 既に多くの人が指摘しているように、perfumeの楽曲のいくつかには、作詞作曲担当の中田ヤスタカから、perfumeへのメッセージが込められている。ここではperfumeの歴史と中田ヤスタカが込めたメッセージとの相関関係を見ていこうと思う。

「コンピューターシティ」 2006年1月11日リリース

 この曲は、恋の病のせいで普段と違う自分になってしまった事に対する、とまどいの気持ちを歌っている、と考えるのが普通だろう。
 だが、こうも聞こえる。
 
 「完璧な計算で作られた楽園」

=完璧に計算して作ったこの新曲
 
「誰も見たことのない場所へ 夢の中で描いていた場所へ」
=オリコンTOP10入りのこと?

 「あー どうして おかしいの コンピューターシティ」
=こんなにいい曲を書いているのにどうしてオリコンの集計結果を出すコンピューターの数値はこんなにおかしいのだろう?

 「もうすぐ変わるよ 世界が もうすぐ 僕らの 何かが 変わるよ」
=もうすぐこの曲でオリコンチャート上位に入ってみせる。そうしたら、Perfumeの周囲はガラリと変わるだろう。

 「絶対故障だ てゆうかありえない 僕が君の言葉で悩むはずはない」
=出す曲出す曲が全てこんなに売れないなんて ありえない。 売り上げの結果を伝える君の言葉(オリコンチャートの結果)で、僕が悩むはずはない(僕はこんな結果、信じない)。

 当時のperfumeは、前年に出した「リニアモーターガール」が三千枚程度しか売れず、まさに「崖っぷち」にいた。

「常にお母さんからは『あんたらはいつでも崖っぷちにおるんじゃけえ、もっとがんばりんさい。』って言われて、そういう応援してくれている人たちがいたから、がんばってこれたんだと思いますね。」メンバーの一人あーちゃんは、NHKの番組「TOP RUNNER」のインタビューでこう答えている。

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2016/12/25

DVD「さようなら」感想 & BD「エクス・マキナ」感想

 最近、連続して女性型アンドロイドの映画ばかり観ています(「ひそひそ星」「さようなら」「エクス・マキナ」)。好みが偏ってるなあ(笑)。

 「さようなら」は大阪大学の石黒教授が手がけたアンドロイド、ジェミノイドFを主役にした映画です。もとは平田オリザの舞台劇。それを映画に無理矢理リメイク。残念ながらジェミノイドFは自力で移動できないので、会話と手の動きのみ。以前テレビで、マツコ・デラックスとして登場した時は、マツコさんの豊かな表情をリアルに再現しており、なかなかすごいもんだなあと感動しました。しかし本作では、まじめな役柄なので、結果的に表情が乏しいのが残念なところです。まあ、そこが本作の重要ポイントと言えば言えるのかもしれません(表情に乏しいアンドロイドが、なぜかだんだん人間っぽく見えてくるという)。

 本作の一番のクライマックスシーンは、 不死のアンドロイドが、主人が死んだ後も長期にわたり生き残り、亡き主人を偲ぶというもの。ただ、その手の設定のストーリーは,遙か昔から繰り返し語られてきました。かくいう私も2004年ごろに、ネット上でそのような話を発表したことが(笑)。しかもそれはセガのテレビゲーム「ニュールーマニア」の劇中曲、セラニポージの「EVE」という曲の歌詞にインスパイアされて書いたという・・・。どんだけ使い回しされたネタやねん(笑)。

 ・・・ということで、一部の映像には、はっとさせられたりしましたが、ラストで描こうとしたテーマそのものは、新鮮味のないものでした。

 一方「エクス・マキナ」は、自立型AIアンドロイド誕生を描いたものです。ストーリーの展開は予想しやすいオーソドックスなもので、最後はやっぱりそうなるよね~的な(笑)。ただ、本作のすごいところは映像でしょう。まずはアンドロイドの造型が素晴らしい。そして、ラストでそのアンドロイドが徐々に人間の外見を手に入れていくシーンなんか、そうかこのシーンを撮りたくて、監督はこの映画撮ったのかと、誰もが納得すること間違いなし。そして、この素晴らしい外見を手に入れたアンドロイドが、人間世界を自由に羽ばたいていく。その後の彼女がどうなるかを想像するのは視聴者! いやがうえにも妄想が広まります(笑)。

 そういうわけで本作、ストーリーよりも映像! しかもアンドロイドが人間に変わっていくシーンに、とんでもなく価値のある映画です。

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2016/12/18

西加奈子「i(アイ)」感想

 「この世界にi(アイ)は存在しません」

 主人公が入学した高校の数学教師が、最初の授業で語ったこの一文。

 小説の中で繰り返し語られるこの一文が、本作のテーマとなっている。

 「i」は、二乗してマイナス1になる虚数「i」であり、同時に主人公「アイ」の名前であり、「愛」でもある。

 シリアから養子として裕福な家庭に引き取られニューヨークに渡ったアイは、自分の運の良さに後ろめたさを感じる。世界のどこかで誰かが事故で亡くなったり、内戦で亡くなったり、そんなニュースを聞く度に、どうして自分は何も傷つかないのだろう? なぜその不幸が自分じゃないんだろうと苦しむ。

 池澤夏樹の「バビロンに行きて歌え」を読んだ時のことを思いだした。中東の元兵士が、日本に密入国して少しずつ自分の居場所を見つけていく話だ。恵まれすぎた環境に暮らす日本人と、密入国ゆえパスポートすらなく、豊かな国日本にいながらサバイバル生活を強いられる主人公との対比が描かれ、読んでいて心が痛んだのを思いだした。彼はこんなにいいヤツなのに、どうして読者である自分の境遇と、彼の境遇にこんなに差があるのだろうと。だが、彼には日本で生きていく存在意義があった。彼の存在意義は、聞く人の心を惹きつけるその歌声なのだった。

 だが、本作のヒロインであるアイには、そのような特技もなく、おかげで自分が存在していい理由が見つけにくい。アイの高校の時の同級生は、プロのジャズミュージシャンになったりして、その対比からますます「アイは存在しない」気分がいや増したりするのだ。

 アイは大学の研究室に引き籠もり、外部との交渉を絶ち、甘い物を食べ続けてぶよぶよに太る、かなり面倒な女性なのである。それでいて、友人から

「その気持ちは恥じなくていいよ」

「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを大切にすべきだって」

と言われたとたん、心も晴れ、ダイエットを始め、おしゃれな服を買い、誰もが振り返る美人となり、恋人もできて、ついには「アイは存在する」に変わるのだ。調子良すぎるのである。結婚もして妊娠もして、「世界一幸せ」とかになるのである。ホントに調子良すぎるのである。

 ところが作者はアイを再びどん底に落とす。流産するのだ。そのとたんに再び「アイは存在しません」状態に戻るのである。アイにとって自分の存在意義は、子供を出産し、自分の血をこの世界に残すことにあるらしいのだ。

 とことん「ドS」の作者なのである。持ち上げておいて地獄に堕とすのだ。

 もちろん、作者はラストできちんとアイを救済する。どうやって救済するか、それは読んでのお楽しみ! ということで。

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2016/12/12

岡澤浩太郎「巨匠の失敗作」感想

 レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》の評論文が、中学校の教科書で取り上げられている。三つの科学的技法「解剖学」「遠近法」「明暗法」により、かっこいい絵だというのが筆者の主張。さらに500年の間にあちこち剥げ落ちて、細部が曖昧になったため、かえって構図のかっこよさがくっきりと見えてきたと言うのだ。

 そんなにかっこいいか、この絵?
 そう思った私は(アマノジャク!)早速図書室でこの本を発見し、読んでみたわけである。

 まずはいきなり宮下規久氏(神戸大学教授)による『ADHD(注意欠陥・多動性障害)だったのではないか』という推論から始まる。『積み上げ学習が苦手で何事も完成できない人』なんだという。まあこれは美術を専攻した人間にとっては常識的な知識らしい。それはそれとして、同氏の『たいした画家ではありません』とのご意見には「そうか、やっぱりそうなのか」特に《モナ・リザ》については『全然魅力的ではないです』筆者の岡澤氏までもが『《モナ・リザ》は好きな絵ではない』・・・ええ、ええ、私も《モナ・リザ》は好きではありません。自分だけ変なのかと思ってたけど、そんなことなかったんだ。よかった(安堵)。

 ところが、《最後の晩餐》に関してはこの宮下氏、『唯一の傑作です』『ミラノの美術史においてはものすごい影響を与えた画期的な作品』と褒めちぎる。え~、どこが~と思いつつ読み進めるも、残念ながら本書は、《最後の晩餐》のどこが傑作で画期的なのか、そこまでは書いてくれていない。登っている途中で梯子を外されたような気分である。そこ、大事なんじゃないの? 
 かわりに私は同じく図書室で、ノベライズされた《ワンピース》の表紙を発見して思ったのだ。「一点透視図法、日本の漫画界じゃあ、昔から当たり前の技法じゃん。」立体感ありまくりのマンガやアニメを見て育った日本の中学生には、《最後の晩餐》の、おそらく当時は画期的だったかもしれない科学的技法も、「だから何なの?」的評価になってしまうのは致し方あるまい。
 評論文というのは、読者を説得してナンボのもんなのだが、そういうわけで、中学校の教科書に出てくる《最後の晩餐》評論文は、ちっとも中学生を説得できていないのである。 困った困った(笑)。

・・・さて、本書はレオナルド・ダ・ヴィンチ以外にも有名な画家15名の、有名な作品15点を、複数の専門家の意見を活用して、常識的な見方とは違う観点で鑑賞しようとしている・・・のだが、《最後の晩餐》同様、中途半端感があちこちに顔を出す、困った本なのである。「他の作品」との比較もあちこちに出てきて、これは結構重要な部分なのだが、残念ながら「他の作品」の写真は掲載されておらず、いちいち自分でネットや画集を使って調べなければならない。著作権がらみでたいへんなのだろうけど、編集者さん、もうちょっとなんとかならなかったの?

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2016/12/04

DVD「ひそひそ星」感想

 途中から見始めた妻が「なんでみんなひそひそ声で話してんの?」と問うてきました。「だってタイトルが『ひそひそ星』なんだから」「あ、なるほどそうなんだ」

 人類は滅びかけており、生き残った僅かな人々は宇宙のあちこちの惑星でほそぼそと生きながらえている。ヒロインはその人々のもとへ、思い出のつまった荷物を宅配するアンドロイド・・・という設定の映画。冒頭白黒の画面で始まるのですが、いきなり最初の映像にぶっ飛びます。蛇口をひねって水を出し、急須を洗い、ガスコンロにマッチで火をつけ、沸騰するとピーと鳴るケトルを載せる。茶筒からお茶っ葉を急須に入れる昭和チックな外観の女性鈴木洋子。カメラはパンして窓の外を写すと、そこは宇宙空間・・・というなんともシュールな(笑)。宇宙船の外観も、昭和チックな長屋に、神社仏閣のパーツを取り付けたようなものにロケットノズルを二つつけたみたいな。

 宇宙船をコントロールするコンピュータが、「2001年宇宙の旅」のハルとは違い随分と幼稚なミスを犯したりして笑えます。

 鈴木洋子が降り立つ惑星が、ほとんど無人のような、廃墟のようなゴーストタウン。ほんとに人が住んでるのかと思わせておいて、監督はいきなり映像をカラーにしたりします。

 テレポート技術が確立されていて、どこへでも瞬時に物体を異動できるのに、なぜか人類は、大切な思い出の品を、何年かかろうと、宅配で届けてもらうことを希望する。

 最後の惑星では30デシベル以上の音をたてると犯罪行為とみなされる、そんな惑星に鈴木洋子は品物を届けにいきます。

 思い出の品物に触れることで一定の記憶が蘇る。そんな品物があるということは、その品物は既に、その人のアイデンティティでもある。

 そしてアンドロイドである鈴木洋子は、ラストで、ひじょうに人間的な行動を取り、映画は静かに終わります。アルミの空き缶が、こんなにも意味のある小道具であった作品は、いまだかつてなかったと思います。

 一度観たら二度と忘れられない、強烈な印象の残る映画でした。

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2016/11/27

森見登美彦「夜行」感想

 森見登美彦氏の新作です。

 デビュー作「太陽の塔」でファンタジーノベル大賞を受賞したのが2003年、その後「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話体系」で、京都の大学生を主人公にした京都地区限定エンタメ系に進むやに思われた森見氏ですが、2006年の「きつねのはなし」で、ただのエンタメではない、京都という古都が持つ魔力を主題に持ってきた正統派ファンタジー小説を書き、森見氏は、実はまじめに書くとこんな作風になるんだと読者を驚かせたのですね。

 その後「有頂天家族」やら「聖なる怠け者の冒険」やらで、再び京都エンタメ系(アニメ化もされた)に走った感のある森見登美彦氏ですが、今回久々に「きつね」系にカムバック。しかも舞台が、なんと京都からはみ出て尾道やら奥飛騨やら・・・。

 構成としては、登場人物が一人一人、自分の経験した怪異現象を皆に語って聞かせるという、「デカメロン」や「百物語」と似たパターン。おかげで、読者は一気に京都以外のあちこちの田舎に連れていってもらえます。当方尾道には二回ほど訪れたことがあり、さらに愛知にも親戚が多くなじみが深いので、第一話「尾道」と第四夜の「天竜峡」なんか、「あ、これ、あそこだ!」・・・ドキドキしながら読みました。

 本作は、娘が「長谷川潔を知っているかどうかで印象が変わるよ」と言って貸してくれたのですが、幸い妻が長谷川潔のファンだったらしく、どこかの美術館で買ったと思われる絵はがきサイズの作品がトイレの窓に立てかけて(笑)・・・。なるほど確かに夜のイメージが深まりそうなメゾチントです。

 表の世界と裏の世界。燭光の世界と夜行の世界、表裏一体となっていて、どちらが本当の自分の世界なのか、読者はくらくらとなり、判別ができないようになってくる、そんな魅力的な一冊です。

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2016/11/20

映画「この世界の片隅に」感想

 こうの史代氏原作のマンガを映画化したものです。

 こうの史代氏の作品を取り上げるのはこれで3回目くらいになると思います。「夕凪の街 桜の国」が実写で映画化された時は、麻生久美子の圧倒的な演技に打ちのめされました。今回「この世界の片隅に」がアニメで映画化されると聞いた時には、ものすごく不安になりました。こうの史代氏のタッチがアニメで表現できるとは到底思えなかったからです。

 どきどきしながら映画館に。客層は年齢層が完全にバラバラ。老年、壮年、青年と、ほどよくミックスされています。男女比もほぼ半々。基本的に戦時中の庶民の生活をダラダラ描いた作品ですから、客層に子供がいないのはまあ当然かなと。

 オープニングから圧倒されました。これはまさしくこうの史代氏のタッチ。色使いもまさしくこうの氏の水彩タッチそのまま。序盤ですずが、瀬戸内海の絵を白うさぎを使って描くシーンなど、ため息ものでした。全編こうの氏タッチのキャラが、まさしくそのまま自然に動きます。背景の美しさも驚異的です。タンポポの綿毛を吹くシーンでは、指先に残った綿毛のリアルさにびっくり。このスタッフは、一体どこまで本作を徹底して作り込んだのでしょうか。おそらくとてつもなく気の遠くなるような作業の連続だったと思います。採算を度外視しているとしか思えません。あちこちに見られるこのような職人芸に、スタッフの本作への愛がひしひしと伝わってきます。

 「神は細部に宿る」と言いますが、本作はまさにそれを実感させてくれる仕上がりとなっています。スタッフに心から感謝と尊敬の念を捧げたい。

 能年玲奈が芸名を「のん」と改め、主人公すずの声をあてていますが、両者のキャラが似通っているせいか(ぼんやりしている。空想にのめり込む癖があり、その間周囲が見えなくなる。彼女がいるだけで周囲が明るくなる等)、驚くほどピッタリはまっています。広島弁も実に自然です。

 音楽を担当するコトリンゴのボーカルも、のんの声質と似ており、しみじみと癒やされます。オープニングの「悲しくてやりきれない」には、いきなり心を鷲づかみにされました。ついでに言うと、効果音も音楽も、驚くほどの高音質で収録されています。びっくりしました。

 原作とはリンさんの描き方が変わっていました。たぶん本作を子供に見せても大丈夫なように配慮したのでしょうが、これはこれで、よかったと思います。特に、序盤の座敷童とリンさんを絡めるなど、よいアイデアだったのではないでしょうか。

 エンドロールには、リンさんも含め、ある仕掛けが施されており、私も含め、観客のほとんどはここで涙腺大決壊! やられてしまいました。本作のテーマが、タイトルの意味が、しみじみと心に染み渡り、心の底から観て良かったと思えるエンディングでした。

 戦争中のことを描いた作品ですが、テーマは、タイトルに示されたとおり、自分の居場所をどこに見つけるかという、たいへん普遍的なものです。その普遍的なテーマを、細かなエピソードの積み重ねで描くことに成功している希有な作品となっています。登場人物たちは、空襲や原爆など、様々な困難を経験するのですが、それは今を生きる我々にも、種類や形は違うだろうけれども、きっと同じように襲ってくるものでしょう。そういった困難の中で、どうやって自分の居場所を見つけていくか。

 個人的には、今年一番の傑作だと感じています。

 

 

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2016/11/13

佐藤多佳子「明るい夜に出かけて」感想

  「一瞬の風になれ」で有名になった佐藤多佳子氏の新作です。

 文体がすべて主人公の一人称、今時若者の口語で書かれているので、年寄りは慣れるまでに少し時間はかかりますが、大丈夫、慣れます(笑)。ラジオネタが次々出てきて、ラジオ聴かない身には何のことやら状態が続きますが、大丈夫、慣れます(笑)。とはいえ、カンバーバッジが出てきた時には「あ、知ってるネタ出た」ちょっと嬉しかったりしました。

 今回の主人公たちの設定は深夜ラジオリスナー。「オールナイトニッポン」に投降する常連さん。通称「職人」。 お互いラジオネームは知っていて、お互い「すげえオレ的ヒーローな職人」尊敬してて、そんな彼ら彼女らが思わぬところでリアルに出会う。それが夜のコンビニ。「明るい夜に出かけて」というタイトルが、後半でしみじみと心に染み渡ります。

 あらすじをざっくり紹介すると、ちょっと変わったキャラを持った登場人物たちが、よってたかってメンヘラな主人公を徐々に社会復帰させていくという、それだけなんです。でもその、ちょっと変わったキャラの登場人物たちが、後半になればなるほど、すごく愛おしくなってきます。才能あるのに見た目残念な女子高生、最高! でも個人的にはコンビニ店長兄が一番印象に残りました。毎日新聞朝刊の四コママンガ「桜田です!」に出てくる双子の先生とかぶってしまって(笑)。

 世の中の主流とは無関係に、ひっそりと、自分の居場所を見つけて生きていく。「デートをしたいとかじゃなくて、デートをする人たちが勝ちという世の中がなんとかならねえかな」・・・そんな若者を書かせたら、佐藤多佳子氏は相変わらず無敵だなあと感じました。

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2016/11/06

DVD「バレエボーイズ」感想

 男の子のバレエ映画と言えば、「リトル・ダンサー」が圧倒的に有名でしょう。もうあの映画から16年もたつのですね。早いものです。

 本作は「リトル・ダンサー」と違い、ドキュメンタリー、つまり実話です。バレエを目指す3人の少年達の姿を、12歳の時から、中学を卒業し、16歳になるまで追いかけます。当然、撮影がスタートした時には、この3人(ルーカス、トルゲール、シーヴェルト)が4年後にどうなっているかなど、誰にもわからなかったと思います。映画も、シーヴェルトが途中で挫折し、バレエ教室から離れていく姿を記録するのです。そして、驚いたことに、最初一番ひ弱そうで、かつ将来を考えていなさそうなルーカスが、ロンドンの名門バレエ教室に招待され、プロの道を目指しはじめるのです。それまで仲が良かった3人の人間関係が、微妙に変化していく様子も、カメラはしっかり捉えます。ラストで、ロイヤルバレエの指導を受けて逞しく成長したルーカスの姿には、思わずじーんときます。

 こうして、少しずつ違う道を進み始める3人の姿を描いて、本作は終わりを迎えます。

 ストーリーはそんな感じの、友情あり葛藤あり挫折あり栄光ありの、ガチでリアルな路線なのですね。残酷な現実とかも、わりと淡々と描かれるので、かえって胸が痛くなります。

 本作の魅力として、その映像の美しさ、そしてダンスシーンの美しさを挙げておかなければならないでしょう。 ノルウェーの雪降る街、夜のバレエ教室の門の前、ルーカスとペアを組む女の子との会話がまたいい。お互いを信頼しあい、尊敬する気持ちが、訥々とした不器用な会話から、ひしひしと伝わってきます。

 そして随所に散りばめられる3人の少年のダンスシーン、そのシンクロ率が実に素晴らしい。

 ついでに言うと、ロイヤルバレエに招待されたルーカス少年は、実は超美形なのですね。彼のダンスシーンを見ているだけで、うっとりする女性も多いのではないかと思われます。

 美少年が頑張る姿がお好きな方には、超のつくお薦めです。

 

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2016/10/30

川上弘美「大きな鳥にさらわれないように」感想

 芥川賞作家の新作。しかもなんとSF! 文系女子にSFが書けるのか? と不安に思う人もいるかも知れませんが、ご安心を。作者はもともと生物学専攻の理系女子ですから。

 設定は人類が滅亡しつつある近未来。生き残った僅かな人類を、閉鎖社会に居住させて強制的に突然変異を誘発、新人類を誕生させることにより人類滅亡を回避しようとする超長期的プロジェクトの顛末が描かれます。 しかも彼らを監視する役として、代替わりしても記憶を受け継ぐ、実質不死のクローン人間が登場します。すごい設定です。

  しかし、描かれる世界はそんなトンでも設定とはかけ離れた、愛と憎悪の、相反すると同時に共存する人間の本質について。自分にないものを持つ者に対する嫉妬について・・・なのです。このあたりはさすが芥川賞作家。テーマがどこまでも深い!

 なぜ愛する人を独占したくなるのか。なぜ人は嫉妬するのか。なぜ異質な他人を恐れ排除しようとするのか。なぜ人類は同じ過ちを繰り返すのか。

 いくつものエピソードの中には、キリストをなぞらえた人物も登場します。病人を治す奇蹟を起こし、予言を的中させ、たくさんの信者に囲まれ、でも最後にはその存在を疎ましく思うグループにより処刑されるという・・・。

 こんな人類に、果たして地球上で生き延びる資格はあるのか? 

 読者は、ラストのエピソードを読んだ後、もう一度最初のエピソードを読み返すことになるでしょう。そして、あらためて作者の狙いを実感するのです。そしてそれは、決して冷たく突き放したものではない。

 傑作です。

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2016/10/23

朱川湊人「主夫のトモロー」感想

 「しゅかわみなと」と読みます。直木賞作家さんの新作です。

 勤めている出版社が倒産して、無職になった主人公のトモローが、結婚して妻を支えるための主夫(主婦ではない)となるお話です。

 しかも、どうやらこれは作者の実体験をベースにしているらしいので、半分ノンフィクションみたいなもんです。イクメンという流行語が出てから随分になりますが、いざ実行すると、世間はこんなにも無理解で、こんなにも困難が待ち構えているのか! というのがリアルに感じられる作品となっています。特に公園デビューなんか、主夫にとっては大難関だと思います。今後主夫を目指す人にとって、本作はバイブル、指南書となるでしょう。子供を寝かしつける必技とか、ママ友との距離の取り方とか、そこそこ実用書っぽい部分もありますから。

 例えば、妻がインテリアデザイナーになる夢を、子育てのためにあきらめるかどうか、悩むシーンがあります。そこでトモローはこう言うのです。

「子供のために夢を捨てたなんて、子供の方にすれば迷惑な話だろ」「ママはインテリアデザイナーとして独り立ちしたかったんだけど、チーコが生まれたから、全部あきらめたの」「チーコにしてみれば、じゃあ自分は生まれない方がよかったのか・・・という話になってしまう。子供の心に、そんなムダな圧力をかける親など、百害あって一利なしだ。」

 本書の主人公たちは一貫して、上記のように子供の立場に立って考えるというスタンスで子育てをします。中盤で、子供同士のケンカに親がしゃしゃり出てきて、子供が社会性を育てる芽を親が摘んでしまいそうになった時も、同様のスタンス。離婚についても後半で出てくるのですが、その時も同様のスタンス。子育ての最終目的は、子供の親からの自立にある! と私は考えているので、本書のスタンスには大賛成です。

 文体はこの作者らしく軽いもので、さらに作者の実体験がベースとなっている以上、ハッピーエンドになることはほぼ予測がつくので、安心してすいすい読める一冊でした。

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2016/10/16

DVD「マジカル・ガール」感想

 スペイン映画。大人向け(PG12)です。

 導入部分が不穏です。バルバラという少女が、数学教師ダミアンの容貌を「仏頂面で残念」と書いたメモを授業中に回そうとして指導されます。このバルバラが、映画の中盤で大人となって再登場しますので、ぜひ覚えておいてください。超重要人物です。

 次に、白血病にかかったスペインの12歳の少女アリシアが、日本のアニメキャラ「魔法少女ユキコ」のコスプレをしたいという願いを書いたノートを、父親がこっそり読むシーンになります。余命僅かしかない娘の願いを叶えるため、父親はネットで値段を調べるのですが、なんと90万円!(ちなみにネットの検索サイトが「RAMPO」だったりする) どれくらいの値段なのかピンとこない父親は、ユーロに換算して初めて、それが有名デザイナーによる、とんでもなく高価な一点物であることを知ります。父親はどうやって娘の願いを叶えるのか? 娘は死ぬ前に幸せを手に入れることができるのか?

 日本の映画なら、父親が金を手に入れようと奮戦し、いろんな人と関わりを持って諭されて、結局モノじゃなくて、親子の触れあいが大事という着地点に行き着き、娘の安らかな最期を看取る・・・みたいなパターンになりそうです。

 また、アリシアがアニメ主題歌にあわせて踊るシーンがあるのですが、どうやらそれが、長山洋子のデビュー曲「春はSA-RA SA-RA」であるらしいのですね。このシーンだけ見たら、アニメオタク賛歌の映画と勘違いしそうです。

 ところが本作、後半で、「ええっ! そうなっちゃうの?」という驚きの展開を見せます。さらに、最初の不穏な導入部分がラストシーンに大きく関わってくるのですね! そう来るかーっ!!!  久々に、先の展開が全く予想できない作品と出会いました。いやびっくりしました。

 ダミアンが、完成直前のパズルをバラバラにするシーンがあります。その後の不穏な展開を暗示していて、なかなか恐ろしいです。

 音楽はスペインらしく、けだるいピアノ(サティの「グノシェンヌ」)が効果的に流れます。ところがエンディングに流れる曲は歌詞が日本語です。どうやら「黒蜥蜴」という邦画の曲らしいです。これの原作者は江戸川乱歩ですね。先ほど述べたネットの検索サイト「RAMPO」といい、長山洋子の曲といい、監督の日本文化への偏愛が伝わってくる作品です。

 

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2016/10/09

DVD「リップヴァンウインクルの花嫁」感想

 岩井俊二監督の最新作。

 タイトルの元となった「リップヴァンウインクル」は未読。調べてみると、浦島太郎とよく似た話らしいです。異世界で遊んでいた主人公が、もとの世界に戻ると20年経っていたという・・・。浦島太郎と違うのは、ガミガミうるさかった女房が20年の間に亡くなっていて、主人公は心安らかな余生を送ることができたという点。

 本作での花嫁役は黒木華。タイトルは、異世界に行っていた彼女が、もとの世界に戻り、心安らかな人生を送るという展開を暗示しています。

 映画は全部で3時間あります。岩井俊二監督ですから、感情的なシーンはとことん引っ張ります。特に黒木華が前半で現実社会から手痛い仕打ちを食らい、自分を見失うシーンは、これでもかというくらいしつこく! 「リリイ・シュシュ」も痛かったけど、本作も負けず劣らずイタイ。岩井俊二監督特有の、残酷で不条理な痛さです。

 でも安心してください。1時間過ぎたあたりから、黒木華は別世界に誘われます。そこからの展開は、岩井俊二監督特有の癒やし系となりますので。

 特に女性二人の歌唱シーンが素晴らしい。ある仕事を終えた後、黒木華はCocco(沖縄出身のオルタナ系シンガーソングライター)演じる女性とカラオケに行きます。カラオケといっても生ピアノをバックに歌うという贅沢なところ。そこで黒木華が歌うのは、名曲、森田童子の「ぼくたちの失敗」! その中の「ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな チャーリーパーカー 見つけたよ ぼくを忘れたかな」という部分。この歌詞は後の伏線となっているので心にとめておいてください。つでに言うなら、黒木華ファンはこのシーン必聴です。震えるように心細さを歌う儚げな声質の素晴らしさときたら! 

 そして、その後、Coccoが返歌として荒井由実の「何もなかったように」を歌うのですが、これも必聴。「人は 失くしたものを 胸に美しく刻めるから いつもいつも 何もなかったように 明日を迎える」の部分を歌うのですが、これもラストの伏線となっているのですね。

 このシーン以外では、主にクラシックの有名どころばかり(ショパンとかバッハとかラフマニノフとか・・・)を、ピアノで叙情たっぷりに演奏するパターンばかりで、誰もが「ああ、この曲、どこかで聴いたことあるなあ」と感じることでしょう。食傷気味に感じる人は早送りしてもOKです(笑)。でも、黒木華とCoccoのカラオケシーンだけは、別! 何度でもリピートして聴きたくなります。

 ラスト30分。Coccoの母親役としてりりぃが登場します。この映画、なぜかプロ歌手を二人もキャスティングしてます。で、当然彼女も歌うのかと思ったら、さすがにそれはありませんでした(笑)。かわりにとんでもない演技を見せてくれます。やり場のない感情を爆発させたかのような・・・。そしてそれに触発されたのか、綾野剛までもがとんでもない演技を! つられて黒木華もそうなるのかと期待しましたが、さすがにそれはありませんでした(笑)。とにかくテンション高すぎのこのシーンのおかげで、それまでひたすら胡散臭い存在にしか見えなかった綾野剛(だって、前半のあの事件、この人が仕組んだことだし)が、相変わらず胡散臭いんだけど、憎めなくなるのです。

 ラストで、現実世界に戻った黒木華が薬指をなでるシーンがあります。タイトルの意味をもう一度思いださせてくれた上で、本作はエンドロールを迎えるのです。

 黒木華のやたらと可憐なメイド服姿やらウェディングドレス姿やら、あちこちに散りばめられたガンダムネタやらも含めて、かなりの名作だと思います。

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2016/10/02

奥田亜希子「透明人間は204号室の夢を見る」感想

 2013年すばる文学賞受賞という経歴を持つ奥田亜希子氏の2015年の作

 正直受賞作も読んでないし、どうなんだろうと思いながら読んだのですが、なかなか楽しめる内容でした。

 小さな新人賞をとったはいいけど、その後泣かず飛ばすの作家さんはたくさんいらっしゃると思います。本作のヒロインもその一人。つまり奥田亜希子氏の分身と考えてよかろうかと。さらにヒロインの設定が、空気読めないアスペルガーのようで、高校まで友人が一人もできず、本を読むことで孤独の時間をやり過ごしていたという・・・。

 「では好きな者同士でグループを作ってください」という教師の声を恐怖に感じるタイプの生徒がいるというのは、以前何かの記事で読んで知っていましたし、実際授業をしていて、うかつにこのセリフは使ってはならないなと感じることも多々ありました。が、まさか本書のヒロインもそうだとは。

 多分作者もそうだったのでしょう。というわけで本作、コミュニケーションに難のある人が、自分で自分のどこが駄目なのかを指摘しまくる、あらたなパターンの自虐小説となっております

 そんなヒロインにも友人ができるのです。そのきっかけとなる事件が、小説の出版について。友人が書いた小説を「出版してみませんか」と声をかけてきた出版社があり、それに対するアドバイスがなかなか素晴らしいのです。「出版社の人と会う約束は、とりあえずキャンセルしたほうがいい」「自費出版関係のトラブルを扱っているURLを貼り付け」「その出版社の評判はよく調べたほうがいい」

 なるほど、小説家として食べていくというのは、こういうことなのか。あちこちに実に勉強になる描写があり、今後小説家としてデビューしようとしている女子は必読の一冊ではないかと感じました。

 売れる本を書こうとあがくのではなく、書きたいという思いが身体の内側から自然とわき上がってきて、それを書き留めていく。それらを積み重ねてできた作品こそが、本当の小説だというあたりも、おおいに納得。作為的な小説って、その作為が鼻についた瞬間、読む気がしなくなりますから。

 長いスランプから抜け出すヒロインの姿は、おそらく作者自身でしょう。今年になってから新作2冊ほど出てるみたいだし。いやよかったよかった。

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2016/09/22

朝井リョウ「ままならないから私とあなた」にPerfume登場?

 「桐島、部活やめるってよ」で有名になり、最近は就活生のイタイ青春を描いた「何者」が映画化され、そこそこ順調な作家生活を送っているらしい朝井リョウ氏の新作です。

 タイトルだけ読むと、なんだか男女の、のっぴきならない関係をメインに描いた作品のように思われますが、実際は女の子二人の友情がままならないことになっていくお話です。

 「何者」と同じように、ドラマは問題提起が中心で、ラストになっても具体的解決策の提示やら暗示やらがほとんどないので、読後はぐったりときます。

 1988年にローランドがデスクトップミュージックのソフト「ミュージくん」を発売して以来、ソフトの進化はめざましく(初音ミクなど)、コンピュータによる演奏は、今や音楽業界の主流となりました。私の大好きなPerfumeも、その恩恵にどっぷりと浸かっております。このままソフトが進化すれば、いつかは本作のように、作曲家や演奏者の癖や個性を取り込んで自動作曲や自動演奏をしてくれるソフトが出現するかもしれません。その時、プロの演奏家はどうやって自分の存在意義を主張するのでしょう?

 いやでも、そういう話を書くのに、ホントにこんなタイトルでよかったの(笑)? 

 で、本題(笑)。

 作中に「Over」という男女6人組のバンドが出てきます。このバンドのライブ演出が、どこかで見たことあるような気がして仕方ないのですね。以下に抜粋します。

 「メンバーが着ている白い衣装にプロジェクションマッピングで映像が映し出されている」

 たしか2013年に、カンヌでそういうパフォーマンスをした3人組がいたような気がするなあ・・。

 「センターステージに現れたメンバー六人は、花道を歩いてメインステージへと戻っていく。この時点で観客はやっと、メインステージで演奏をしていたメンバーは、空間の中に立体的に映し出された3D映像だったことに気が付く」

 2012年に渋谷で、3Dホログラフィックとコラボした3人組がいたような気が・・・。

 「会場入口に設置していたセンサーで読み取った客をアバター化して、3D映像としてモニターに映し出していたらしい」

 2013年にこれを東京ドームでやった3人組がいたような・・・。

 さらに「二年前に世界進出を果たした『Over』は、今はワールドツアーの真っただ中」らしいのですね。

 つい最近、ニューヨーク公演から帰ってきた3人組が・・・(笑)。

 しかも、「光流ちゃんは、東京オリンピックの開会式でのパフォーマンスを最後に『Over』から脱退した」などという描写もあったりして、思わずこの小説がいつ発表されたものなのか、あわてて裏表紙めくって確認しましたよ。2016年1月でした。

 リオオリンピックの閉会式で、チームPerfumeが見事な演出を見せたのが2016年の8月。それ以前は、一般的にはPerfumeがオリンピックに関わる可能性などまったく誰も考えていなかったと思います。Perfumeのファンだけが、1月に発表された閉会式のスタッフを見て「これ、まんまチームPerfumeじゃん」と興奮したのです。

 結論!

 朝井リョウ氏は、Perfumeの大ファンである(笑)。

  朝井リョウ氏の願望通り、4年後の東京オリンピックに「Over(じゃなくてPerf・・・)」が出演してくれたりしたら、本当に嬉しいことです。

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2016/09/18

映画「君の名は。」感想

 BD化されてからゆっくり観るつもりであったのだが、異常なほどのブームとなってしまったため、ツタヤさんのレンタル順が限りなく遠のいていくであろうことを予感した私は、雨の日曜日ということもあり、劇場に足を運んだのであった。

 「秒速5センチメートル」のリメイク?

 過去の新海誠作品を観ている者ならば、おそらく皆、映画の終盤で同じ感想を持ったに違いない。音楽とストーリーとの絡み方もそっくりだ。ただ、ネタバレになるので書けないが、エンディングは違う形となっている(いやこれネタバレか《笑》?)。この点をどう評価するかは難しいところだ。「秒速~」の終わり方の方がよかったと言うファンも多いのではないか?

 ストーリーの展開は前半と後半で、テンポがまるで変わってくる。前半は、ぽんぽんと男女の入れ替わる様が楽しく、私の両隣に腰掛けていた小学生も笑いながら観ていた。後半になり、主人公のあれもこれもが行き詰まりだすと、当然テンポも悪くなるわけで、とたんに小学生たちは足をぶらぶらさせたり、カップの底に残ったジュースを最後の一滴まで飲み尽くそうとストローでズブズブやったり・・・。まあ、お子様にはつまらんわな(笑)。あと10分くらい切り詰めれば、小学生も最後まで集中して観てくれるのではなかろうか? 自転車でこけるシーンとか、走っていて、けつまづいてこけるシーンとか、いらないから。

 さて、新海誠作品。以前から背景の美しさには定評があったが、今作もいつもどおり、パープルとアンバーとブルーのグラデーションが随所にあり、さらに白い光線による過剰なまでの演出が、いやがうえにも人間が美しいと感じる色彩記憶をくすぐる。

 さらに前作「言の葉の庭」で示した木々の葉の細やかさ、水面の反射などの、本物以上のリアルさは、本作でもおおいにその威力を発揮! おおげさではなく、本当に息を飲んでしまう。

 美人の女の子に、さらに上手に化粧を施して、無敵の美人になったような感じとでも言えばいいだろうか?

 さらにさらに、今までの新海誠作品で弱点と言われ続けていたキャラクターの描写が、今回確実に一つレベルアップしている。前半はコミカルな展開でもあり、軽い描写で、過去の作品と同じく登場人物に重みがないのだが、後半になると俄然、ずっしりとした生身の重さが伝わってくる。

 おまけにシナリオも、かなりいい感じなのである。難をあげれば、どうやって父親を説得したのか、説明が不十分な点。ちゃんと伏線として、母親も不思議な力を持っていたことを描写しているのだから、そこをうまく使ってほしかった。でも、前作の「言の葉の庭」に比べれば、観ているこっちが小っ恥ずかしくなるような青臭さは大幅に減少している。

 背景の美しさ。キャラの生身感。音楽とのシンクロ率の高さ。三拍子揃ってきた。その上シナリオも、十分なレベルに達している。ついに新海誠もここまで来たか! という感じである。

 おそらく今後、ジブリ、ガイナックスと肩を並べる地位に就くことであろう。おめでとう新海誠監督。

 

 

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