2012/05/20

旭天鵬とPerfume

 旭天鵬が優勝した。
 泣きながらインタビューに答える姿に、その人柄のよさを感じて、思わず「相撲界のPerfumeだな」と呟いてしまった。

 どこが? とお怒りの方も多いであろう。説明するので読んでほしい。

1 まず、両者とも苦労人である。
 長い期間、(Perfumeは結成してからシングルオリコン一位を取るまでに9年。旭天鵬は優勝するまでになんと20年!)日の目を見ることがなかった。だが、周囲に支えられ、あきらめずに活動を続けてきた。そうしたら神様がほんのちょっと、チャンスをくれた。その数少ないチャンスを見事にものにして、日本一に輝いた。

2 両者とも、地方の出身である。Perfumeは広島の地方出身で、広島アクターズスクールが初めて東京に送り込んだグループ。旭天鵬も、初のモンゴル出身力士。両者とも、故郷に錦を飾らないと、帰るに帰れないという崖っぷちの立場であった。

3 両者とも、飛び抜けた才能の持ち主ではない。むしろ人柄のよさで、周囲に支えられて活動を続けることができた。

4 両者とも、涙もろい。

 え? 全然説得力ないって? 
 どうも失礼しました。  

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映画「宇宙兄弟」感想

 コミックは、3巻まで読んだところで、映画を観に行きました。
 原作は今も連載中。というわけで、長いなが~い原作をどうバッサリとカットするか。どこを削らすに残すのか。お手並み拝見というところです。
 結果から言えば、見事でした。
 まず、テーマをピンポイントに絞り込んできたところが成功の理由でしょう。ずばり、テーマは「純粋さ」です。宇宙に行きたい! 宇宙が大好きだ! というピュアな兄弟の気持ちが、びりびり伝わってくる作品となりました。ラスト近辺は、そのあまりの純粋さに、ぼろぼろ泣けてきます。周囲の客もみんな、すすり泣いてました。
 もちろん原作の兄は、もう少しお茶目で、もう少し計算高くて・・・つまり、もっと丁寧に、もっとリアルに兄の心理描写をしているわけですが、映画はそのあたり、思い切ってシンプルに構成。
 ネタバレになるので、詳しくは書きませんが、本作のラストの感動は、ていねいに伏線を張ってあるからこそだと感じました。見事な脚本です。絶体絶命のピンチを乗り切る時、最終的に必要なものは一体何なのか。ぜひ映画を観て、それを感じ取って下さい。
 ドラマの大半は、兄が弟宇宙飛行士になるため、5人のライバルとともに、宇宙ステーションを模した閉鎖施設で、長期間の課題に取り組む様子を描きます。SFマンガの名作「11人いる!」(萩尾望都)も、よく似た設定の作品でした。わざと思わぬトラブルを発生させ、テスト生がどう対処するかを試験官がチェックするというあたりも同じです。ただ、「11人いる!」は、宇宙船内でのテストであるため、しばしば背景に広大な宇宙が描かれ、スケールの大きさを感じさせてくれましたが、本作のテストは、地上にある宇宙航空研究開発機構 JAXA(ジャクサ)の施設内。ちょっと絵的に単調になりがちです。しかし、監督は同時進行として、月面探査に向かう弟のドラマを挟み込んできました。これによって、JAXAの閉鎖空間と広大な宇宙空間が交互に描かれる。という展開になり、これが構成としてなかなか素晴らしかったと思います。何度も言いますが、特にラスト近くのシーンは、理屈抜きに感動ものです。
 また、「11人いる!」では、女性作家らしく、きちんと恋愛の要素も入れてましたが、「宇宙兄弟」は、なにしろ兄弟の絆がメインですから、恋愛はばっさりカット。もちろんテスト生の中に、きれいで魅力的なお姉さん(麻生久美子)はいるのですが、そして、兄ちゃんはちょっとだけ、彼女の前でいいカッコしたりするんですが、それまでです。おかげで、雑味なし! 純粋に兄弟の純粋な絆がくっきりと浮かび上がる作品になりました。
 さらに、かつて人類初の月面歩行に成功したアポロ11号のクルー、オルドリンが出演していたり、宇宙飛行士の野口さんが出演していたりと、あちこちにサプライズがあるのもよかったです。
 本作を見ることで、周囲からちょっと変わった人間扱いされて、浮いていた理数系オタク人間たちが、多少なりとも明るい希望を持つことができたら、勇気づけられたらいいなと、そんなことを思いました。

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2012/05/12

川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」感想

 激しくネタバレあるのでご注意を。

注意!

注意!

注意!

注意!

注意!

 「真夜中はなぜこんなにもきれいなんだろうと思う?」

それは、汚いものを闇が隠してくれて、美しく光るものだけしか見えないから。と、私の妻が横からつぶやく。でも、本書では次のように、ヒロインの彼である三束が語る。

「きっと真夜中には世界が半分になるから」「昼間の大きな光が去って、残された半分がありったけの力で光ってみせるから」

で、ヒロイン冬子は「そうですね。なんでもないのに涙が出るほどきれいです。」

 冒頭のこの1ページ読んだだけで、もう読むのやめようかと思った。まあ、川上未映子なんだから、もう少し我慢して読んでみようかと思った次第。

 ヒロイン冬子は、いわゆる負け組の女。化粧せずおしゃれせず、自己主張せず、イヤなことはイヤと言わず、自分が何をしたいのか考えようともしない。彼氏ずーっといない。ある時、アルコールの力を借りて、カルチャーセンターに入校し自分を変えようとするものの、飲みすぎでゲロはいて挫折する。はっきり言って痛い女だ。読んでてイライラする。このあたりで、やっぱり読むのをやめようかと真剣に思ったくらいだ。でもまあ、そういうキャラとして描くのは、何か筆者なりの深い考えがあってのことだろうと思い、がまんして読み進める。

 冬子の友人聖のキャラクターは、その対極にある。いわゆるビッチとして描かれる。正しいと思ったことは、たとえそれが相手の気持ちを逆撫でするとしても、遠慮無く言うし、やる。彼氏はとっかえひっかえ。後腐れ無くつきあえる間柄。当然敵も多く、結構な人数から「彼女とはいっしょに仕事をしたくない」と言われたりする。はっきり言って、どっちもイヤな女だ。それにこういったキャラクター設定は、今までに何度もテレビドラマで出てきたのではないのか? 作者はこの両者の間の、どのあたりのポジションを理想と考えて書いているのだろう?

 冬子は高校三年の時、自分と同じく、クラスで全く目立たない同級生の水野君に声をかけられ、つきあい始める。そのつきあい方も、「好きだから」ではなく、「誘われたから」となっている。

 ところが、普段目立たない水野君が、実は「家族も家も親も学校もこの町も、何一つ僕が選んだものじゃない。僕はこの町を出て、自分で選んだものだけを生きるのさ」などと言う。「僕は僕のほんとうの人生をつくるんだ」とも。

 事が終わった後、冬子は聞く。「あなたはあなたの意志で私のことを選んだの?」それに対して水野君は「君は君の意志で僕の家に来たじゃないか」と答え、あげくの果てには「君を見ていると、ほんとうにいらいらする。自分の考えも自分の言葉も持たないで、ぼんやりして生きている」と言いはなち、二人の関係は終わる。まあ、確かにいらいらする女ではある。その点は同意する。でも、逆に、そんな冬子に声かけたあんたは、一体何のつもりだったの?

 さらに、水野君がその後人生で成功したかというと、筆者はそんな書き方をしない。それどころか、彼は志望校に落ちてしまう。「ほんとうの人生をつくる」などという、勘違いなセリフを言ってしまったばっかりに、彼のその後の運命については、ぷっつりと書かれなくなってしまうのだ。

 そもそも、「東京に行けば、ほんとうの自分になれる」などと考えるのは、一歩目から間違っている。どこにいても、自分の生きたいように生きる力がなければ、周りにあわせて(協調して)生きていくしかない。あるいは、周りに飲み込まれて(服従して)。 どこであろうと自分の居場所は自分で作るしかないのでは?

 冬子は物語の中盤から、50過ぎ中年男の三束(みつか)とつきあい始めるのだが、三束のどこがよくてつきあうのか、相変わらずはっきりしない。ただ、「きれいな字です」とか「あなたと話すのはいつも楽しい」とか言われて嬉しいだけなんじゃないのか? 自分から異性を求めるんじゃなく、異性から自分が求められていることに自己満足しているだけ? そんな描かれ方なのだ。

 他人から必要とされる悦びは、脳の快感回路を大きく刺激し、気持ちよくなれる。多くの女性が、好きでもない男に「俺はお前がいないとダメなんだ」と言われてずるずると付き合ってしまう理由はこの脳の仕組みにあると、脳科学者が言っている。まさしく冬子は、そんな状態なのである。そもそもこの三束、一体職業何? 奥さんや子どもさんは?

 さらに筆者は、冬子のもう一人の旧友、典子を登場させる。久しぶりに再会した典子は、結婚して子どももいるが、毎日の変化に乏しく、ダンナも自分もそれぞれに浮気している、という設定なのだ。ちょうど冬子と聖の中間的なポジションのキャラとして描かれる。そして、三者とも幸せではないように描かれる。一体、どういうスタンスで生きれば、女は幸せになれると筆者は考えているのだろう? 

 ある時冬子は、交通事故を目撃したことがきっかけとなり、三束の誕生日のお祝いに夕食の約束をする。聖からもらった勝負服を着込み、美容院でカットしてもらい、くっきりとしたメイクを施してもらったりする。まあ、交通事故がきっかけで勝負服きてデートする踏ん切りがついたってのは、どうなんだろうと思う。

 で、この後だ。冬子が食事から帰ると、アパートの前で聖が待っている。「食事の後、何もなかった」という冬子にズバリと言うのだ。「どうせ私があげた下着つけてるんでしょ? あなたを見るといらいらするのよ」だが、この後で聖は泣きながら告白する。「ごめんなさい。ひどいことを言ってしまった。わたし意地悪になって、いつもこうなってしまうの。それでいつもダメにしてしまうの。私はあなたの友だちになりたい。」 

 というわけで、一見勝ち誇っているように見せていた聖も、結局負け犬だと筆者は言うのだ。じゃあ、一体どう生きれば、女は幸せになれるのか?

 そしてラスト!! 冬子は突然あることばが自分を見つめていることに気がつく。「すべて真夜中の恋人たち

 なんだか、唖然とするラストである。結局筆者は、自分で自分の意志をコントロールできないがために、幸せになれない女たちを描いている。だが、タイトルはそんな女たちへの、筆者からのエールなのか? 筆者は、冬子も聖も典子も、女はみな、残された半分、ありったけの力で光ってみせようとしている。そう言いたいのだろうか? 

 

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2012/05/07

映画「テルマエ・ロマエ」感想

 コミックは三巻まで読んだところで、映画を見にいってきました。

 ちなみに塩野七生「ローマ人の物語」は、かつて全巻読破したような気がします(笑)。たしかにローマ人は風呂好き、というか、ローマ帝国の一員になれたら、ローマ人と同じ文化=上水道と風呂の恩恵にあずかれる、というので、周辺諸国は喜んでローマの属州になっていったみたいな読後感があったような気が・・・(笑)。

 本作、コミックもかな~り、おもしろいのですが、映画の方も負けず劣らず素晴らしいデキでした。

 ストーリーはコミックの三巻までを、だいたい丁寧に踏襲・・・と思いきや、1時間過ぎた辺りから、上戸彩が積極的にストーリーに絡みだして、そこからは映画オリジナルストーリーへと突き進んでいきます。これが、なかなかよかったです。特に、雨に濡れるローマ風衣装の上戸彩サービスカットは、なかなか魅力的なのですが、阿部寛演じるルシウス技師は、まったくそんなお色気にはびくともせず、自らの信念に従って行動するあたりの男気がよかったなあ。

 「平たい顔族」の、個人の業績よりも和を尊ぶ生き方などを、ルシウス技師が誉め称えるシーンは、「ああ、お願い、もっと言ってもっと言って」的に、日本人の自尊心を絶妙にくすぐってくれます。

 出演している日本人で、ローマ人を演じる役者さんは、阿部寛を筆頭に、3D系の、立体強調フェイスの方が多いのですね(笑)。ローマの町を歩くエキストラには、地中海系の外国人をたくさん使っているのですが、阿部寛も宍戸開も、その中に自然に溶け込んで、全く違和感ありません。むしろ、彼らが日本語で話し出すと「え?なんで字幕スーパーじゃないの?」みたいな違和感を感じてしまいました(笑)。

 でも上戸彩は、こうやって比べてみると、やっぱり平たい顔族なんだなあ、でも魅力的だなあと、あらためて確認した次第。

 エピソードの合間合間に、情熱的なイタリアンオペラが入るのも、その演出ともども楽しかったです。

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2012/04/30

Perfumeの性格に惚れた人たち

 先日(4/29)、 「Music Lovers」で、Perfumeと土田晃之が共演していたのだが、その時の土田氏の発言が、なかなか興味深いものであった。

 「以前番組やられてて、そこにちょこちょこ呼んでいただいて、その時、衝撃的に、収録してる時も、収録が終わった後も、合間も、変わらないんですよ。こんな芸能人見たことないっていうくらい、いい子3人だったんですよ、俺の中で。」

 

 土田氏は、2008年にも「レコ☆Hits!」という番組で、以下のような発言をしている。

 「番組でご一緒することになって、会った時に、チョーいい子たちだったんですよ。なんか、いるじゃないですか、うわべだけのクソアイドルグループみたいなの。局の中でも「ヒャハハハハ」みたいなの。そういうのがないの、この子たち。(中略) うわべだけの仲良しグループじゃないの。聞いたら小学校の時から一緒にやってるって言うから、兄弟みたいな感じで。番組でもがっつかないの。よくいるじゃない、アホアイドルで「ヒアハハハ」とかやってる。俺嫌いなの、そういうの。(中略) この子たちの素晴らしさを、世界中に知らしめたいと思ってます。」

 

 2011年に、Perfumeは映画「モテキ」に出演しているが、その時の印象を、大根監督はラジオ番組で次のように語っている。

「Perfume、おれちょっと、つい最近仕事したんです。初めて会ったんですけども、まあ~素晴らしい人たちでしたね。びっくりするぐらい。」
「え? 素晴らしいって?  どういうとこですか?」
「あの、ホントに普通なんですよ、来たときは。なんかホントそのへんのOLが  昼飯食いに来たみたいな。」
「あ~、厳しい」
「ぐらいな普通っぷり。」
「あ、そうなんですか。」
「あ、これがPerfumeかって。でもすごい愛想がよくって、で、挨拶よろしくお願いしますって言う三人の言葉にも、すごい嘘がないんですよね。ご一緒できて嬉しいですみたいなのが、最初から最後までその感じなんですよ。で、あの、もちろん衣装を着替えて、ヒール履いて、いわゆるあのPerfumeのパフォーマンスが始まると、まあ~、その輝きたるや!」
「へー、ほんとのアイドルですね。」
「いやアイドルでした、アイドルだな~っと思った。アイドル・・・Perfumeをアイドルって定義するのは、これはちょっと無理があるんで。」

 彼女たちの会話を生で聞いた大人たちの多くが、メロメロになってしまうらしい。

 

 本当に彼女たちの性格が、このように素晴らしいものなのだとしたら、そして、そんな3人が、日本の芸能界に存在しているのなら、まさしくそれは「衝撃的」であろうし、その存在自体がまさに「奇跡」であると言える。

 また、「世界中に知らしめたい」発言が、2008年前半、すでに土田氏によって公共の電波で全国に放映されていたという事に、今、驚きを禁じ得ない。なんという先見の明!

 彼女たちが、もっとも旬な時代に、自分が生きている、その幸せを、じっくりと噛みしめたい。

 

 

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2012/04/29

DVD「あぜ道のダンディ」感想

 若手最注目監督 石井裕也の新作とのことですが、普通の人はなかなか見ないだろうと思われる映画です。
 以下、激しくネタバレしますので、ご注意を!

ネタバレ注意報!ネタバレ注意報!ネタバレ注意報!ネタバレ注意報!ネタバレ注意報!

 50歳中年親父二人が主人公。光石研と田口トモロヲが演じます。
 オープニングで光石研が、競馬のシーンをイメージしながら、自分のおしりに、自分の手でぺしぺしムチを入れ、自転車をこいで職場に向かいます。これはもちろん伏線。
 光石研も田口トモロヲも、変な親父です。特に前半。居酒屋で二人が飲むシーンは、見ていて結構いらつきます。特に光石研、「ちょっと見ない間に変な帽子かぶりやがってよ」などと、親友の田口トモロヲに向かって、言いたい放題です。はっきり言ってイヤなやつです。
 ただ、これには事情があって、田口トモロヲは、このところ胃の調子が悪く、ガンではないか、自分は余命幾ばくもないのではないかと、不安でしようがないのです。おまけに大学受検の子ども二人とは、この所まともな会話がない毎日。
 というような設定部分を、いらいらしながらも、がまんして見続けることができれば、中盤からは、いきなりの弾けっぷりの連続が、すごく楽しい映画になります。

弾けるシーンその1
 たとえば、光石研の妻は40歳の時にガンで死んでいるのですね。光石氏、生前の妻が残しておいたカセットテープを発見して聴く、そんなシーンがあります。普通なら「これからは3人で仲良く暮らしていってね」とか、「ごめんね、みんなを残して先に死んじゃって」とか、湿っぽい話が入っているのでしょう。実際テープの最初の方は、そんな雰囲気なのですが、このお母さん、突然「お母さん、歌います」とか言って「タラッタラッタラッタ ウサギのダンス」歌い出すのです。

弾けるシーンその2
 娘の友だちが援助交際していることを知った光石氏、彼女に向かって
「やいメス豚! 親の身にもなってみろ。(中略)大人だって金のために何か大切な物を売り飛ばしているかもしれない。でも、言い訳する時間があったら、どーんと大志を抱け。大志を抱いて跳べ。メス豚。跳べ。」
 横でこれを聞いていた田口氏、「お前、言うなあ」「ああ、ひとんちの子どもにはな」

弾けるシーンその3
 二人の子どもたちが、東京の大学に合格し、引っ越していく。そんな状況の夜、光石氏は夢を見ます。この時、夢の中の息子の髪型が、なんと七三分け! いつの時代?
 さらに夢の中で、子どもたちに向かって光石氏が何か言おうとします。
「東京行っちゃうんだね。もう会えなくなりますが、一つだけ言わせて下さい。いや、やっぱりお父さん、歌います」
 そう、お父さんもお母さんの影響受けちゃってるんですね。それどころか、この夢の中では、子どもたちまで、母親の影響受けたらしく、父親と一緒に「ウサギのダンス」を歌い踊り出すのです。おまけに仏壇の中からは、死んだはずの母親までよみがえって、このダンスに加わります。・・・絶対変だぞこの映画!

 さて、光石氏は中卒で就職したという設定で、だから、50歳になっても会社では配送係で、安月給、そのように描かれます。でも人生の勝ち負けは、そんな所にはないというのが、この映画のテーマのようです。
 では、人生で大事なのは何か? それは、子どもがちゃんとまともな大人に育つことだと、この映画は言っています。
 映画の前半では、父親との会話が全くなかった二人の子どもが,実はものすごく父親思いの、とてもまともな感覚の、優しい気持ちの持ち主だったということが、徐々に描かれていきます。特に、田口氏と、光石氏の息子が、居酒屋で語るシーンは必見。ああ、二人は親子なんだなあと、しみじみ感動します。
 光石氏は、映画のラストでそれに気がつくのですね。自分は幸せなんだということに。エンディングはオープニングの伏線が生きています。
「宮田順一、依然として後方・・・」
 そう言いながら自転車をこぐ光石氏。確かに光石氏の社会的地位は、依然として後方かもしれない。けど、幸福度なら、はるか前方にいる。そんなイメージを残してこの映画は終わります。

 もっとも、どうやって育てたら、子どもたちがこんなにいい子に育つのか、そのあたりは、本作ではあまり具体的に描かれていません。もちろん本作は、教育啓蒙ムービーではないわけですから、当然と言えば当然。ただ、予告編では「男は弱音を吐かない! 男は見栄を張る! 男は陰ながら思いやる!」などと言っているのですが、見栄を張る親のせいで、やさぐれて育った子どもの例は、職業柄今までに沢山見てきたので、ダンディ気取ってるだけで、子育てうまくいくとは到底思えません。まあ、このあたりは作者の願望、ということで。

 あと、娘役の吉永淳、モデル出身とのことですが、ナチュラルな太眉の美人さんで、たいへん好印象を抱きました。今後の活躍が楽しみです。

 

 なんだかんだ書きましたけど本作、かなりおもしろかったです。

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2012/04/22

デボラ・L・ロード「キレイならいいのか ビューティ・バイアス」感想

 妙な表紙の本だからでしょう。「その本なんですか?」と聞かれました。

 「男は中年になっても、ナイスミドルとか、しぶさが魅力みたいに言われるけど、女はそういうこと、ほとんど言われないよね。それって、差別意識が根っこにあるからじゃないかっていう本なんだよ」と答えました。

 出勤途中、カーラジオでFMを聞くのですが、毎朝必ず流れるのが、ダイエット商品の広告。3週間で5キロ痩せたとか、体重が39キロのモデル体型になれたとか。「それって、下剤だろ? 39キロって、病気だろ。拒食症か?」と思わず突っ込み。

 さて、本書は、現在の女性がひたすら危険な美容整形やら、科学的に効かない、あるいはあきらかに人体に危険とわかっている妖しげな化粧品やらに高額の投資をするのは、メディアの洗脳のせいだと看破しています。特に効果抜群なのが、「真の自分になる」「最高の自分になれる」「自己実現」「自己決定権」といった言葉だそうで、向上心のある女性ほど、こういった言葉にくらっときて、美容とダイエットに多額の金と時間を(中年男の何倍~何十倍も)投じるそうです。でも、本当の自分って、何なんだろう?

 さらに本書は、美的外見を、雇用の条件としている業界体質にも切り込んでいます。

 かつて、私の友人が駅前のドーナツショップに通い続けていたことがありまして。理由を聞くと「店員さんに、可愛い子がいる」とのこと。しかもその店は制服がミニスカートで、「ガラスケースの下の方のドーナツを注文するとしゃがんで取ってくれるんだよ。その時さあ・・・」一発殴ってやりました。 

 若い女性の性的魅力を売り物にして、客を呼び込む業界はたくさんあります。収益をあげるのにはたいへん効果的だというのですね。

 魯迅の「故郷」という作品にも、豆腐屋小町のヤンおばさんという女性が登場します。彼女が若かりし頃、おしろいを塗り、口紅をさして店頭に座っていただけで、豆腐屋は繁盛したそうで。でも中年になったヤンおばさんは「まるでコンパスのよう」・・・。これって、ひどい比喩表現だよなあ。おまけに魯迅先生、作中でヤンおばさんのことを「コンパスの方はそれが気に入らないらしく・・・」いくら中国の大先生とはいえ、女性を道具の名前でそのまま呼ぶのはいかがなものでしょう? 彼女の人権は一体どこに? 普通に「ヤンおばさんの方は」って書けばいいのでは? 

 かように男性の心の奥底には、無自覚に中年女性を差別する意識があるものと思われます(自戒も込めて・・・)。

 さあ、それじゃあ、日本のAKBや韓国のKARAのような商売方法は、果たしてどうなのでしょう。

 最後に、妻の一言を。

「40過ぎてミニスカート履いて歩いてたら、後ろから石ぶつけられるわよ」

 

 

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2012/04/15

PerfumeのJPNツアー、愛媛武道館は音が良すぎ!

 PerfumeのJPNツアー、愛媛武道館。何に感動したかというと、その音の良さ!

 どういう具合にいいかと言うと、まずPerfumeですから、当然重低音は響きまくりな訳です。その重低音を体に浴びると、なんと全身の産毛が、さわさわさわっと、逆立ってくる。さらに、その逆立った産毛の、一本一本が、重低音のドン! ドン! という響きに合わせて、びりびり振動している。さざ波が立つように全身の産毛がざわついている。それが皮膚感覚でわかる! というくらいの、音の良さです。

 使用しているPA機材は、ツアー共通のものでしょうから、広島グリーンアリーナの時と同じものだと思うのですが、広島はこうじゃありませんでした。むしろ、広い会場全てを高い音圧で満たそうと無理したのか、やや歪みっぽい感じでした。

 対して、愛媛武道館(のっちはMCで「ぶるどうかん」と、あいかわらず噛んでましたが・・・)は、今回のツアーで、一番規模が小さく、キャパ6000人程度(広島の半分)! 音響機材に無理させることなく、十分な音圧を隅々に届けることができる環境。しかもこの愛媛武道館、愛媛産の高級な木材を随所に使った贅沢な造りになっており、もともとの音響効果も抜群であったようです。

 おまけに3人との距離感も、半端無く近かったし!

 たいへん幸せな音空間を味わうことができました。次回も、ぜひ愛媛武道館でライブしてほしいものです。

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「そんなに簡単にはいかない」仙石さんの発言

 4月15日のNHK19時のニュースで、日本の原発が全て停止する日が来る可能性が報道されました。それに対する仙石氏のコメントが

「『脱原発依存』と『脱化石燃料』を一緒にやるのは、現実の生産活動の中では、そんなに簡単にはいかないことですよ。」というものでした。

 いやこのコメント、まんまPerfumeの「Glitter」の歌詞ぱくったのかと、一瞬思っちゃいました。

 そうか、「なんでもきっとできるはず」=「脱原発もきっとできるはず」という意味だったのか。

「転ぶのは簡単で」=「原発に頼るのは簡単で」という意味でもあったのか。

いや、どうとでもとれますね。おそるべし「Glitter」・・・

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上田早夕里「ブラック・アゲート」感想

 上田早夕里と言えば、「華竜の宮」で第32回日本SF大賞を受賞されたばかりですので、本作も、超ハードな設定のバリバリサイエンスフィクションかと思って読んでみたら、まるで違いました。

 設定そのものはハードなんです。本の帯にはこうありますから。

「殺人バチの忍び寄る恐怖。私たちに残された時間はあと僅かしか、ない。日本各地で猛威を振るう未知種のアゲート蜂。人間に寄生し、羽化する際に命を奪うことで人々に恐れられていた。瀬戸内海の小島でもアゲート蜂が発見され、病院で働く事務長の暁生は,娘・陽菜の体内にこの寄生蜂の幼虫が生息していることを知る。幼虫を確実に殺す薬はない・・・」

 蜂と人間の闘いのドラマかと思うじゃないですか、普通。でも本書のテーマはむしろ逆。人間は蜂と共生するしか生き延びる道はないと言うのです。ドラマのほうは、蜂と闘うのではなく、蜂に寄生された人間を処分する組織(AWS対策班。武装しており、感染拡大阻止という大義名分のもと、現場の裁量で発砲してもよい権利を持つという、怖い設定)との闘いがメインです。さらにこういった設定のもとで、人が絶望的な状況に置かれた時、いったい誰が助けてくれるのか? という重い問いかけを投げかけてきます。

「あのとき、自分たちを助けてくれる者など誰もいなかった。病気流行の初期で、社会はとても混乱していた。助けないのが当たり前の社会に自分はいた。あまりの状況に、誰も他人など救えなかった。それは仕方のないことだった・・・蜂症は人間の弱さと醜さを徹底的に明るみに出した。どれほど悲しくてもこれが人間の本質なのだ」

「怖いのは人間のほうや」

「これは克服できる課題なのだろうか」

 AWS対策班の班長は、父親を蜂症で亡くすのですね。その最後は、蜂の幼虫が出す毒素によるものなのか、認知症と、ほとんど同じ症状を示します。看護疲れで、家族は次々に倒れていき、ついに・・・。

 これは、寄生蜂大発生というSF小説の体裁を借りて、現代の日本が抱える認知症患者の介護問題に切り込んでいると考えられる作品です。

 同時に、東北大震災の絶望的な状況を暗喩した作品だと考えられます。

 そんな中、筆者は、我々がどういう心構えを持てばいいのか、明確な形ではないにしても、いくつかのヒントを作品中で示してくれるのです。

「なのに、この島では違うというのか? ひとりの子供の命を救うために、この島の大人たちは少しずつ手を貸し・・・結果、それらが次々と連鎖反応を起こして、親子の逃亡を助けているのか?」

 ラストに至る疾走感は、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」をちょっと思い出させるような展開で、じーんときました。上田早夕里、ハードSF作家とばかり思ってたんですが、実はものすごくヒューマンタッチのドラマを書く方だったんですね。

 

 

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2012/04/08

石田秀輝監修「ヤモリの指から不思議なテープ」感想

 変なタイトルに惹かれて読んでみました。

 でこぼこの壁だろうが、つるつるのガラスだろうが、どこにでもお構いなしに、ぴったりくっつくヤモリ。別に指先が吸盤になってるわけではないし、粘液出してるわけでもない。
 ヤモリの足裏には、びっしりと細かい毛が生えているのですが、1本の足に、なんと50万本。しかもその毛先がさらに100本から1000本に枝分かれしているというのですから、すごい。4足合わせると億の単位です。ここまで細かいと、分子同士の間でファンデルワース力(分子間引力)が働くそうで。これが、ヤモリがどこにでもぴったりくっつく秘密なのだそうです。
 残念ながら、よく似たものを作っても、すぐにほこりが吸着して、粘着力が弱まってしまうらしく(ヤモリの指先には自浄作用がある)、スパイダーマン実用化は、もう少し先のようです。
 本書はこのような、最新のナノテクを中心に、生物が持つさまざまな秘密を解明し、新たな発明につなげていった例を集めた物です。
 妻が笑ったのが「ハコフグはイルカよりも速い!?」の部分。いやそんなんありえんだろ! と思って読んでみたら、「1秒間で体長の何倍の距離を泳ぐかを比較すると、イルカが4~5に対して、ハコフグはなんと6。つまり1秒間に体長の6倍の距離を泳ぐ」とあり、な~んだと納得。でも、ベンツがハコフグの形に注目、その軽量かつ空気抵抗の少なさを活用して、コンセプト・カーを発表したという所までは知りませんでした。 やるなハコフグ。今度釣ったら、少し敬意を払ってから海に帰すとしましょう。
 ただ、監修の石田秀輝さんは、自然界から自分たちに都合の良いテクノロジーだけを学ぶのではなく、自然のサイクルや再生速度をきちんと考えた、持続可能な社会を創るヒントにしてほしいと述べて、本書をしめくくっています。
 将来理数系を目指す子ども達に是非読んでもらいたい一冊です。

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2012/04/01

原田マハ「楽園のカンヴァス」感想

 著作権や知的所有権の意識が今ほど高くなかった一時代前、アンリ・ルソーの絵は、普通に中学校の美術の教科書に,代表作が載っていました。本書に出てくる「夢」(表紙絵)は、私世代の人間なら、たいてい見たことがあるはずの作品です。
 さて、本作のヒロイン織絵は、若かりし頃フランスで、ルソーの研究家としてブイブイ言わした方らしいのですが、しかも、かなりの美人であったようなのですが、道ならぬ恋に落ち、帰国して娘(私生児)を出産。今は倉敷の大原美術館で監視員を勤めているのです。ハーフの娘は道行く人が皆振り返る美人に成長したのですが、田舎っぽい岡山弁をしゃべるところが笑えます(「言うわけねえが」とか「でーれえ進んどるわ」とか)。
 本書は一応サスペンスの形式をとっています。織絵はある老コレクターの屋敷に招待され、屋敷の奥に飾ってある絵が、ルソーの真作が贋作かを見極める仕事を依頼されるのです。ただし、条件として、謎の手記を毎日一章ずつ読まされるのです。読み進めるうちに、絵に秘められたある人物の思いに気づくという筋立てですが、まあ、たいていの読者なら、途中でわかっちゃうと思います。あまりにストレートな謎解きなので、拍子抜けしました。
 まあ、本書の構成が、最初現在から始まり、いったん過去の回想シーンになり、そこからまた現在に帰るというパターンですから、「なるほど、今こうなっているのは、過去に大体こういう風にしちゃったからだろうね」等と、なんとなく筋立ての予想がしやすい展開ですから、仕方ない事なのかもしれません。それから、ピカソって、本当にこんなにいい人だったんでしょうか?
 ルソーが、過去、どれだけ評価が低かったか、本書を読むまで知りませんでした。そのあたりの知識が豊富になったのは収穫かな。
 あと、美術館の監視員のお仕事とか、キュレーターのお仕事が、どういうものかという雑学なんかも、おかげでよくわかりました。

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2012/03/24

垣谷美雨「七十歳死亡法案、可決」感想

 刺激的なタイトルに引き寄せられて読みました。

 表紙の装丁が面白いです。七十歳死亡法案についての、毎朝新聞の記事(架空)なんですが、かなり本格的に作り込んであります。なにせ、衆議院で法案が可決された時の写真付き(賛成128票、反対72票)という懲りよう。記事には、法案可決の背景として「社会保障費の増大による国家財政の危機」が挙げられています。もちろん「人権侵害」「民主主義に反する」などの反論も、載せてあります。まずはこの表紙をじっくり読んでから、本編を読むことをおすすめします。

 一人目の主人公は、義理の母の在宅介護に疲れ切った専業主婦。全国には、同じように介護で疲れ切った主婦がいるだろうと思われます。彼女は、可決された法案を聞いて、「あと2年でこの介護地獄から解放される」と安堵するのですね。さらに、法案に反対する人に対して、「じゃあ男達は、なぜ、介護を女にまかせっきりなのか?」男にとって、痛い問いかけをするのです。

 そして彼女の息子が、二人目の主人公。帝都大学(東大のことか?)出身で、大東亜銀行に就職、ところが人間関係のもつれから退職して、現在ひきこもり中という設定です。

 「七十歳死亡法案についてのアンケート結果、大手新聞の世論調査によると、賛成28%、反対68%、わからない4%。(中略)二十~三十代に対象を絞ったアンケート結果もあった。賛成87%、反対10%、わからない3%(中略)いつもそうだ。年寄りが圧倒的多数を占めるから、年寄りの意見が全体の意見となってしまうのだ。」

 こうして、作者は介護に疲れた主婦たちと、将来重くのしかかる社会保障費プラス就職難で、明るい未来像が描けない若者たちの、両者を味方につけるのです。

 もっとも、こういった刺激的な設定部分を除けば、ストーリーそのものは、家族の危機に対し、皆が真摯に向き合うことで解決していくという、過去にいくらでもあったホームドラマ的なものです。エンディングも少々肩すかしをくらったような感じがします。そんなに簡単にハッピーエンドにはならないだろ? と、誰もが突っ込みたくなるのではないでしょうか?

 個人的には、長生きにはこれっぽっちも魅力を感じていないので、この法案が可決されたら、大喜びしてしまいそうです。自分の幸せよりも、(長生きが幸せなのかどうか、それすらよくわかりませんが)自分の子どもたちの幸せを願うのが、人として当たり前のような気もするのですが、いかがなものでしょう?

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2012/03/17

津村記久子「まともな家の子供はいない」感想

 14歳の中学生セキコが、父親に怒りまくる話です。
 父が仕事をしない事が、プライドだけ高くて、仕事相手に対してへりくだった態度を取ることができないところが、そういう子供っぽいところが、嫌で嫌でしかたないのです。そして、仕事もせずぶらぶらしている、そんなダメダメな父を受容し、甘やかす母が、これまた許せないわけです。さらに、そんな二人の遺伝子を受け継いで産まれてしまった自分に対する失望感が、彼女に追い打ちをかけるらしいのですね。
 ちなみに「セキコ」という名前は漢字で書くと、「世規子」であるらしく、父親が「人から、変わった名前を娘につけたねと言われたい」という理由でつけたらしいのです。「ふざけやがって。そのために・・・」とセキコは怒ります。でも、最近は「黄熊」で「ぷう」とか、「今鹿」で「なうしか」とか、将来その子が苦労することがアリアリと目に見えるような名前を平気でつける親は沢山いるようですから、「セキコ」くらいなら、まだかわいいほうだと思います。

 ところで、現実の世界では、14歳の中学生女子が、ここまで明晰に親に対して怒りの理由を分析することはないと思います。もっと感覚的に「ありえない」とか「どゆこと」とか、そういう短い言葉でしか表現しないと思います。なぜいらいらするのか、自分でもよくわからない。自分の怒りの理由を、きちんと分析しようとしない。本作のように、ここまで冷徹に怒りの理由を言葉で表現できるとしたら、その中学生の国語力は相当なものです。

 作中では主人公セキコの国語の成績は、塾での会話から、まん中あたりと推察されますが、それはありえません(笑)。
 まあ、リアルに書いちゃうと小説になりませんから、黙認・・・。本作のように、思春期の中学生が主人公の話は、主人公の言語表現力が、たいてい書き手(今回の書き手である津村記久子氏は、芥川賞作家さんです)と同じハイレベルなものになってしまうようです。

 さて、タイトルにあるとおり、セキコの父母は、あまりまともではありませんが、ストーリーが進むにつれ、セキコの友人たちの父母も、みな、まともではないということが、徐々にわかってきます。離婚寸前だったり、離婚してたり、不倫してたり、通信販売にはまっていたり。主人公は「まともな家の子供はいないのか」とつぶやくわけです。でも、みんながそういう環境で生きているのだとすると、自分だけが親のせいで不幸なんだ、という理由付けが、できなくなってきます。
 こうして、セキコは「親がダメだから、自分は不幸なんだと思っていたけど、自分が不幸な理由は、なんでも他人のせいにする、自分の態度にもあるのか。自分ががんばれない理由を、家庭環境のせいにしていたのは、自分の甘えだったのか」という現実に徐々に気づいていくというストーリーになっています。

 夏くらいまでは「やさぐれた」雰囲気を濃厚に漂わせていた女子中学生が、ある時、何かをきっかけに、ひたすら勉強に励みだした例を目にしたことがあります。一体何が彼女をここまで変えたのか、どんなきっかけがあったのか、興味津々だったのですが、なかなか本人にそんなこと聞くわけにもいかず・・・。でも、本作を読んで、なるほど、こういうきっかけで、ある日突然勉強し出すこともあるのかと、ちょっと納得。

 きっと日本のあちこちにいるだろうセキコと同じ境遇の少女たちよ。環境なんかに負けるな。がんばれ!

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2012/03/16

「スパイス」PVの意味

 アルバム「JPN」の初回限定版を買うと、「スパイス」のPV(プロモーションビデオ)を収録したDVDが、もれなくついてくる。さて、このPVだが、どう解釈すればいいいのだろうか。

 まず、前半のシーン。
 三人はピンクベージュの世界に住んでいる。ふんわり柔らかい色彩。おいしそうなお料理がたくさんあったりして、幸せなのかと思いきや、三人は非常に退屈そう。のっちはナイフとフォークを握ったまま、食欲をなくしているし、、あーちゃんは放心したかのように、グラスの中身を床にこぼしている。かしゆかにいたっては、リンゴを後ろにポイと放り投げる。おいしそうなケーキを踏みつぶすシーンもあったりする。この味に、この世界に飽き飽きしているのだろうか。平和で優しい。だが、刺激(スパイス)のない世界・・・。

「知らないほうがいいのかもね」

 中盤、のっちはドアの存在に気がつく。
「扉が開けば すべては見えるわ」
 開けてみるとその向こうには、カラフルな世界が待っていた。
 ここで、メタファーとして、金魚鉢で泳ぐ金魚が出てくる。

 三人はドアの向こうにある禁断の果実(カラフルな菓子)に手を出す。すると、あら不思議。彼女たちの衣装に、鮮やかな色がつきだす。ピンクベージュの世界も、カラフルな世界へと一変していく。
 そして、三人は、金魚鉢の中で踊る。
 色鮮やかな金魚たち。でも金魚は、狭い金魚鉢から外に出ることはできない。そして一生人間に鑑賞される立場にある。
 刺激的な世界を手に入れると、その代償として、狭い世界に閉じ込められ、鑑賞される生活が始まる。Perfumeとしてカラフルな世界を手に入れたのはいいが、そこは、常に他人から見られている、プライベートのない世界でもあった、ということか?

「だけど 知らないほうがいいのかもね」

 カラフルで刺激的な世界に、あこがれたけど、そんな世界は、知らない方がよかったのかもしれない。元の世界に帰りたい。

 三人は、ラストで、ドアの向こうにピンクベージュの菓子があるのを見る。それは元の世界に、再び帰ることのできる菓子である。
 

 ということで、この後、再びピンクベージュの世界に戻るのでしょうね。振り出しに戻る。エンドレスリピートです。

 アルバムのラストにこの曲があると、なぜだか、もう一度最初からアルバムを聞きたくなってくるから不思議です。エンドレスリピートです。

 途中で「見ざる聞かざる言わざる」のポーズが入るのも、おもしろい。

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2012/03/13

Perfume「Glitter」の意味を考察する

 先日の3月7日、日テレ「音楽の祭典」では、震災復興を願う歌が、たくさんの歌手によって披露されました。
 Perfumeがこの祭典で選んだ曲は「Glitter」と「ポリリズム」
 あらためて「ポリリズム」を聞いてみると、リサイクルとしての意味だけではなく、震災復興を願う歌としても聞こえてきます。奥の深い歌詞ですね。
 そして「Glitter」
 この曲の歌詞も、いつもの中田ヤスタカらしく、二重、三重に意味が取れるようになっていますね。和歌の技法で言えば、「掛詞」と同じものだと言えます。

 ですから、この機会にもう一度この曲の意味を確かめてみたいと思います。
 それは違うんじゃないか というご意見がありましたら、どしどしお聞かせ下さい。

 まず曲タイトル「グリッター」の意味ですが、これは辞書によると「輝き」「キラキラしているもの」ですね。この楽曲は、キリンの缶チューハイ「氷結」のCM曲として創られました。従って、タイトルの意味は、表向きは缶チューハイの、銀色の缶の輝きを指していると思われます。他にも、キラキラ光る「現金」、つまり震災復興のための募金をさしているとも考えられます。ですから、身も蓋もない言い方をすれば「復興には いるの お金が(立ち上がるのには いるの Glitter)」という意味になります(笑)。

 次に一番の歌詞の一部を確認しましょう。
「なんでもきっと できるはず そんなに 簡単に言うけど だって でもね(中略)
 転ぶのは 簡単で 減んないし カロリーは」

 表向きの意味は
「ダイエットは やればできる 言うのは簡単だけど でもね 挫折するのは簡単 摂取カロリーは 減らない」
くらいでしょうか? 

 二番の歌詞はどうでしょう?
「白い箱 開けると いつもの 棚にあるの キラリ 光る そうさ グリッター」

 表向きの意味は
「白い冷蔵庫を開けると いつもの棚にある キラリと光る そうさ キリンの氷結」
・・・笑えます。 

 では、裏の意味はどうでしょう? 

 当初この曲は、ダンスオーディションの課題曲として、ユーチューブなどのネットで流れていましたが、歌詞は公開されていなかったので、耳で聞いただけでは不明な部分がありました。「へんないし カロリーは」の部分です。「転ぶのは簡単で」という流れから、「変な石」というとらえ方をしたリスナーが多かったと思います(「変な意志」「変な医師」「減んない死」など、他にも様々な読み取り方がなされていました)。また「カロリーは」ではなく「からには」とも聞こました。「変な石からには 立ち上がるのには キラキラ光るものが必要だ」という風に聞こえたのです。
 「掛詞」の技法の説明をする時、小野小町の歌がよく例として出されます。「ながめせしまに」の部分が、「長雨のふっている間に」という意味と「眺めている間に」という意味の、二通りに解釈できるようにしてあると言うのですね。「Glitter」も、同じような技法が使われていると考えましょう。

 そこで、まずは「変な石 からには」で、解釈してみようと思います。

 「変な石」とは一体何でしょう? 今回の大震災と、神戸のそれとの最大の違いは、もちろん原子力発電所の水素爆発による被害です。したがって「変な石」とは、原発の格納容器内にある「ウラン」を指すのではないでしょうか? 普通の石と違って何億年も生物に有害な放射線を出し続ける、まさに「変な石、ウラン」・・・。(ちなみにセシウムは半減期30年です。)

 「へんないし」を、ウランではなく「瓦礫(がれき)」と解釈することもできるかもしれません。「変な瓦礫」あるいは「減らない瓦礫」という意味にとれそうです。
 私は四国在住ですので、瀬戸内海の豊島で問題になった産業廃棄物については、現地の処理施設を三度ほど見学に行きました。ですから、島の一角にうずたかく積まれた産業廃棄物の処理に、既に十年以上の歳月を費やしていることを知っています。そこから考えると、東北の瓦礫処分が完了するのは、一体いつの事なのでしょう?  

 震災後数ヶ月して、全国から「がんばれ東北」「立ち上がれ東北」などといった曲を歌うミュージシャンが出てきたし、同様のメッセージも大量に現地に寄せられましたが、現地の一部の人からは「がんばれっていうヤツが がんばったら?」「俺ら、どうしたってがんばれないんだよ そんな気分じゃないんだよ」「どうせ 他人事だと思ってんだろ がんばれがんばれ言ってないで、どうやったら がんばろうという気持ちになれるか それを教えてくれよ」といった反発があったのを覚えています。初めてこれを知った時には、ハンマーで頭をガツンと殴られたような衝撃を感じました。

 未曾有の大震災、原発事故、そして瓦礫の山。終わりの見えない悲惨な現実から立ち上がるのには、「なんでもきっと できるはず」とか、「やんなきゃきっと 変わんない」とか、そういう月並みな励ましの言葉だけでは無理だと、この歌詞は伝えたいのではないでしょうか? 「そんなに簡単に言うけど」そんな簡単な問題じゃないと言っているように思えてなりません。

 我々は、もちろんボランティア活動や募金など、物資面などでの支援はできるでしょうが、彼らの心の闇を直接的に救うことはできないのかもしれません。そういった事を考えると、この歌詞からは、現実の厳しさを、強く感じさせられるのです。


 次に、歌詞どおり「減んないし カロリーは」という意味で考えてみましょう。

 「カロリー」を辞書で引くと、「熱量」と説明されています。
 今回の原発事故でもっとも深刻だったのは、圧力容器内の水温がいっこうに下がらない事態でした。注水しても注水しても、いっこうに炉心温度、熱量は下がらないのです。いつまた水素爆発が起こるかわからない。最悪の場合、メルトダウンするかもしれない。この曲は、そんな状況が何ヶ月も続いた時に発表されました。まさに「減んないし カロリーは」です。つまり、ダイエットに挫折したのではない。下がらない炉心温度(カロリー)という、あまりに絶望的な状況に、心が折れそうになった(転ぶのは簡単)というのです。

 そして、震災復興は、原子炉が冷温停止したとされた今も、遅々として進みません。「何でも順番がある」からです。「そんなに早くと言っても」まずは、広範囲にばらまかれた放射性物質の回収、そしてそれらの保管場所を決定し、それからやっと、コンクリートで固めた放射性物質を地中深く埋設する。これを地道に、順番に実行していくしかないのです。
 完了までに、気の遠くなるほどの時間と金と、そして様々な人たちの同意が必要であることが、容易に想像できます。誰しも、自分の住んでいる土地を、放射性物質の保管場所にされたくはないでしょうから。


 目に見えない放射性物質への恐怖。いつまでも処分できない瓦礫の山。子どもへの影響を考え、故郷を離れざるを得ない福島県民。

 せめて彼らの心の闇に、少しでも光(Glitter)が届きますように。そんな願いと祈りが込められた曲に思えてくるのです。


 聞くたびに涙がこぼれ落ちて止まりません。


 表向きは、ダイエットに失敗したり、仕事の後に缶チューハイをぐっとあおったり、そんなコミカルな内容に見せかけているのですが・・・。
 中田ヤスタカ、相当に性根のへし曲がった人物です。

(注「へし曲がっとる」=新曲に「音もの(Edge系)」をお願いしたのに、できあがった曲は「歌もの(VOICE)」だった時の、あ~ちゃんの中田氏に対する評価。 広島の方言と思われる)

おまけ

 「コンピューターシティ」「エレクトロワールド」「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」「 ポリリズム」「Baby crusing love」「Love the world」「Dream Fighter」の解釈はこちら。

「ワンダー2」の解釈はこちら。

「マカロニ」の解釈はこちら。

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2012/03/11

DVD「SUPER8」感想

 スピルバーグが、「E・T」の主人公の年齢を、もうちょっと高めに設定してリメイクしたらこうなりました、みたいな印象を受けました。ですから、当然主人公には彼女ができます。すると当然、母親離れもしちゃいます。ハリウッド映画ではよく描かれる「父と娘との和解」も、もちろん。

 「E・T」は、政府の機関に捕獲された異星人を少年が救い出す。両者の心の交流がある。E・Tは宇宙に帰って行く。という流れでした。本作もだいたい似たようなものですが、対象年齢がやや上がったこともあり、演出がかなり大人向け(衝撃的)です。
 まずは、列車脱線シーン。これだけでもかなりショッキングな映像です。しかし、それよりも衝撃的なのは、本作の異星人が、人を食うシーンです。しかもこの異星人、サイズがでかいです。なんだかエイリアンみたいです。でも顔はよく見ると、E・Tっぽい。
 異星人が人を食うのは、捕獲した政府の機関が、異星人に拷問を繰り返したためだという説明があります。我々を敵視している、我々に恨みがあるというのですね。この設定はショッキングだなあ。お子様は、トラウマになりそうなので、見てはいけません。
 少年たちは、地下で異星人に捕らわれていた人たちを、何人か助け出すんですが、追いかけられて結局・・・まあ、お約束な展開と言えばそうなんですけど、ショックです。
 生食しているので、いろいろ感染しそうなんですが、異星人が、地球の寄生虫や微生物、細菌やウイルスなどに対し、どうやって免疫や抵抗力を持ったのか、そのあたりは、深く突っ込んではいけません(ちなみに、E・Tは、病気にかかっていったん死にかけましたよね・・・)。

 時代設定が、ウォークマンの走りのころのようです。「世界の中心で~」と同じころですね。途中、少年たちが「ザ・ナック」の「マイ・シャローナ」を歌うシーンもあり、中年世代は懐かしさで一杯になるでしょう。これ、エンドクレジットでも、もう一度聞かせてくれます。
 あと、見逃してはならないのは、少年たちが作中で8ミリカメラを使って撮影した映画です。エンドクレジットの途中で、ちゃんと全編見せてくれます。必見!

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2012/03/04

角田光代「かなたの子」感想

 先日の日本アカデミー賞では「八日目の蝉」が最優秀作品賞を受賞しました。小説のほうの感想は、以前このブログにも書いたとおり、ラストの美しい描写があまりにも感動的でした。映画でそれがどこまで再現できるか不安でしたが、ものの見事にずっこけさせられたのを覚えています。角田光代ファンの方々は、あんなエンディングでよかったのでしょうか? でも最優秀作品賞とっちゃいましたね。不思議です。ラスト以外の出来はよかったから、そこが高評価されたのでしょうか?

 さて、本作、短編を八つ集めたものです。
 最初の二編くらいは、ホラー要素が強いエンターテイメント系と感じたのですが、三作目あたりから宗教が絡み出して、「八日目の蝉」序盤を思い起こさせます。さらに五作目からは、親子関係がメインテーマとなってきます。村が飢饉となり、しかたなく口減らしのために・・・など重い設定の作品が続きます。そして、この世に生まれてこなかった多くの赤ん坊。その子への負い目が、母親の心の奥にどのような傷を残すかが、繰り返し描かれます。例えば、一度堕胎を経験した母親は、二度目の子を身ごもった時、このお腹の子は、一人目の子の生まれ変わりだろうかと思ったり、堕ろした子が、あちらからじっとこちらを見ているような気がしたり・・・。
 さらに、主人公である母親が、自分に関する記憶が曖昧であるという設定が多く、ますます「八日目の蝉・番外編」的になってきます。
 男性は読めば読むほど、「すいません、男が不甲斐ないばっかりに・・・」と身の縮む思いがいや増すことでしょう。ただ、ラストは、「八日目の蝉」同様、やはり美しい描写でしめくくられるので、そこが救いかなあ。

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2012/02/26

高野和明「ジェノサイド」感想

 

 ジェノサイド、集団殺戮という意味である。 司馬遼太郎のファンならば、「項羽と劉邦」で、項羽が秦の大軍に勝利したものの、捕虜のほうが自軍より人数が多く、管理しきれないという困った事態に陥った時の話を思い出す。結局項羽は、人間の集団心理を巧みに利用する。夜、寝ている捕虜たちを三方から急襲、その時わざと一方向だけ開けておくのである。パニックに陥った秦の捕虜たちは、そちらに逃げた。そうして、闇の向こうの断崖絶壁を次々と落下し、20万人余りの捕虜が一夜にして地上から消えた。「項羽と劉邦」は、司馬遷の「史記」を参考資料として書いたのだろう。「史記」に書かれた数字が、どこまで信用できるかわからないが、もしこの20万人という死者数が事実なら、とんでもない大虐殺である。ヒロシマとナガサキの死者よりもずっと多いのだ。過去の惨劇は誇張されて伝えられると言うから、実際にはおそらくこの十分の一、2万人くらいが妥当な数字ではないかと思う。それでも2万人なのだ・・・。
 このエピソードは、開高健の「パニック」という作品を思い起こさせる。大発生したネズミが、町から町へと穀物を食い荒らしながら行進を始める。最後には海に向かって、自殺するかのように、死への行進をするというものだ。一度走り出したら止まらない。それは人間もネズミも同じ。生物は皆、遺伝子にそのようにプログラムされているのだろうか。
 虐殺というキーワードで、ここ十年近くで話題になったのは、チンパンジーがアカコロブスという小型のサルを狩って食べるシーンだろう。さらに、チンパンジーがチンパンジーの子ザルを殺すシーンも多数目撃されている。初めてその事実を知った時、我々人類は皆「性善説」が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じただろう。そう、サルの頃から我々は、同族を殺すように脳が作られていたのだ。
 さらに、我々の祖先がネアンデルタール人と共存していた時期があったこと。そしてネアンデルタール人の人骨が、無残にも大量虐殺された状況で発掘された事実は、人類性悪説を、さらに強固に補強してしまった。「人はなぜ殺し合うのか」その答えは「サルの頃から脳がそのようにできていたからだ」という事になる。
 本書はツチ族とフツ族の、無限に繰り返される殺しあいの他に、なぜか南京大虐殺も、大量虐殺の例としてあげている(南京で、本当に大虐殺があったのかどうか、未だに論争に決着がついていないのだが)。

 そして、もし我々人類よりも進化した種が誕生したら、我々は新人類にジェノサイドされてしまうのではないか? という仮説の元、アフリカの森林の中で、息もつかせぬアクションシーンが繰り広げられる。このあたり、最初から映画化を考えて書いたのだろうか?

 また、極秘任務を帯びた傭兵の一人に、日本人がいるのだが、残念なことに性格破綻者として描かれている。逆に、主人公を救うのは韓国人大学生となっていて、先ほどの南京大虐殺の件と言い、作者は何か人種的にバイアスのかかった見方をしているのか? と勘ぐりたくなる。こういった設定に、日本人蔑視のにおいを敏感に感じ取る人は、本書は手に取らない方がよいだろう。
 ドラマとしては、先ほど述べたように、映画的ハラハラドキドキな展開が主なのだが、それにプラス、人類性悪説を裏付けるショッキングな資料の数々、そして、我々もいつかはジェノサイドされる立場に回るのではないかという恐怖感が畳み掛けてくる。読者のほとんどは、それらに徹底的に打ちのめされるだろう。様々な資料を丁寧に取材してエンターテイメントにまとめた点は、高く評価したい。だが、裏返して言えば、本書のようなフィクションよりも、人が人を大虐殺するというノンフィクション事実の積み上げの方が、はるかに我々を、強烈に打ちのめすということになるのかも知れない。

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2012/02/19

辛酸なめ子「女子校育ち」感想

 本の帯に、こんな「女子校脳チェック」があります。

○女を出すことに抵抗を感じる
○女を惹き付けるツボがわかっている
○女らしい細やかな気遣いができない
○ヒゲがうっすら生えている
○変な男にひっかりやすい
○クリスマス礼拝などの儀式につい反応してしまう

 現役女子校生、その親、女子校出身のOLやその旦那、かつて女子校生とつきあったことのある若い男性など、多方面にわたって取材、足かけ七年の大作です。ただ、取材が長期に渡った弊害からか、同じ主張が何度も繰り返されるあたり、やや編集が不十分な感じも受けます。一方、筆者自身が、女子学院出身で、母親は白百合出身とのこと。自らの体験も豊富に語ってくれるあたり、読んでいてかなり楽しいです。

 特に笑えたのは、第一部と第二部のそれぞれの扉に「中学入学時、まじめ人間だった頃」と「三十代で女子校時代にコスプレ退行」の辛酸なめ子氏写真がある所。必見です。

 なにやら中央公論社の「新書大賞第5位」という賞もとったようで。各章とも、前半から中盤まで、どこかとぼけた筆致で書き進め、最後にいきなりズバッとブラックに切り込んできます。時々空回りしてる感もありますが、あちこちに「うーん」とうなずかされる部分もあります。いくつか抜粋します。

(ネタバレになりますので、気にする方は、ここから先は読みませぬよう)

 まずは女子校のデメリット
・自然体で女を武器にできない。女を出すことに抵抗を感じてしまう。
・女子のみの気の置けない環境で批判精神を発達させてきたので、可愛げのない女になってしまい、ふつうに率直な感想を述べているだけでも「キツい」とか言われる。

 次に女子校のメリット
・男子の視線が女子を不自由にする。男子のブサイク差別はあまりにも露骨で残酷。でも女子校ならそのような男子の目線を気にせず、多感な時期を伸び伸び過ごせる。
・共学では男子をめぐって女子同士はライバルという認識があるが、女子校では「女の敵は女ではない」と思えるようになった。女子の良いところを素直にほめたり認めたりできるようになった。
・多感な時期に、性エネルギーを、他のこと、例えば表現活動や勉強に向けられる。
・女子だけで何でもやるのでタフになる。

 また「女子校出身者は見分けられる?」という項目では次のように書いてあります。

『レディー・ガガはカトリック系の女子校出身と聞いて、なんとなく腑に落ちた感がありました。性を超越した存在感や男性受けを考えない個性的なファッションなど、女子校らしさが凝縮されています。』
 なるほど、めちゃくちゃ腑に落ちました。

 女子校の一部にはお嬢様系(学習院女子や聖心、白百合など)にカテゴライズされる学校があるとのこと。聖心の中学生の作文が紹介されているのですが、こんな内容です。

「おかかえの庭師が庭に新しく池を造ってくれた」

 その他にも、
「人間国宝の壺をもらったんだけど、お母さんが造花を挿しちゃって」とか・・・。

 妻の友人にも、思いきりアッパークラスのお嬢様がいて、こんなエピソードがあります。
「うちのトイレに飾ってある画家の美術館が、今度○○にできるんですって」
 いや~、世界が違うなあ。

 本書ではさらに、お嬢様系女学校に通うことのメリットが、次のように紹介されています。
『身分不相応な学校に通ってしまったら、六年間劣等感まみれになってしまいます。しかし、その六年間を耐え忍べば、卒業後、アッパークラスの人脈を作れたことのさまざまな恩恵にあずかることができます。友人の別荘に泊まったり、医者になった友人に体の不調を相談したり、トラブルに巻き込まれたら弁護士の友人に相談したり・・・遠くの親戚よりも近くの同窓生、秘密結社並みに頼りになる中高の友達は一生の財産です。』
 兼好法師も、第百十七段で、
「よき友、三つあり。一つには、物くれる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。」
とおっしゃってます。妻も,先ほどの友人の結婚披露宴では、ホテル「西洋銀座」でフルコースをいただく恩恵にあずかれたそうで。
 
 

 つらい仕事を進んで生徒にやらせる女子校の出身者インタビューもすごかったです。こんな感じです。

『「マリアさま いやなことは私が よろこんで」という嗜虐的な学園標語を掲げている東京純心女子。「受験前に標語の行間を読めば良かったです。あんなに掃除ばかりやらされるなんて」発作的に彼氏の部屋をピカピカにしてしまうことがあるそうで、六年間で刷り込まれた掃除精神は今も息づいています。中でもきついのはトイレ掃除。終わった後必ずシスターがチェックしにきて、なんと直接便器を手で触るそう。さらには「あなたたち、これをなめられるの?」と厳しく追及されることも。「今でも家のトイレを掃除しているとき、シスターの『なめられるの?』という声が頭の中で響くことがあります」
 高い学費を払っているのに、娘が掃除ばかりをさせられるのは理不尽かも知れないけど、親にとってみれば、娘が家の掃除をしてくれるようになるので、投資としてちゃんと見合っているような気もする』と筆者は述べています。参考にしたいと思います。

 あと、本書で激しく共感したのが、次の部分。

 『大人になった今、道で女子高生の登下校の集団とすれ違うことがありますが、一人で帰っている子の暗い雰囲気には身をつまされます。必要以上にみじめに感じているのが伝わってきて、大人になったら一人で帰るなんて当たり前なんだから! と声をかけたくなるくらいです。大人になったら何万回も一人で食事をして、一人で帰らないとならないのです。しかし、四六時中「友だち」に気を遣っていた頃に比べると「一人」のほうがはるかに気楽だし、第一いい年した女が群れていると異性との出会いを遠ざけてしまう結果になります。しかし、女子校時代は学校が世界の全部なので、どこかに所属していないと居場所がなくなってしまうのです。』

 ああ、この部分、この世のたくさんの、一人でがんばってる女の子に聞かせてあげたい、そう思いました。

 最後、女子校卒業後の章が、またかなりシビアです。要約すると、次のような感じです。

 『女子校においては「容姿において差別されない」というのが大きい。男子は驚くほど女性のルックスに厳しく、不美人には冷たい。共学ではブスのレッテルを貼られ、萎縮してしまいそうな人も、女子校ではのびのび過ごせる。しかし、快適な温室から出たら、厳しい現実が待っている。「努力すれば幸せが手に入ると思っていたのに、世の中は容姿重視なんですね」さらに、女子校内で普通にしていた振る舞いが、世間に受け入れられないことを知ってさらなる衝撃を受ける。例えば、人前でつい鼻をかんだり、かゆいから体をポリポリかいたりしていると、「えっ?」という男性の非難の視線にぶつかることがある。むだ毛除去やスカート、ヒールの靴、アクセサリーの必要性に気づくのも、共学出身者より遅い。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と言ったのはボーヴォワール(女子校出身)だが、女子校育ちの女性は大学や社会で男性と接するようになってから徐々に女になっていくのだ。』

 確かに、中学、高校、一般社会と、男どものほとんどは、今も昔も外見重視。ユーミンも「5センチの向こう岸」で「若い頃には人目が大事よ~」と歌ってます。がんばれ女子校出身者!

 

  おまけ

 雙葉学園の育ちの良さの一端を担っているのは、毎年のように出される「思いやり問題」と呼ばれるジャンルの問題だそうです。

問題
「春子さんは、となりの駅へ出かけるとちゅう、青葉駅のホームで、年配の女性から区役所への道順を尋ねられました。春子さんの立場になって、わかりやすく道順を説明しなさい。」

春子さん、という名前がまず素晴らしいですね!

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2012/02/11

DVD「少女たちの羅針盤」感想

 1年ほど前、ふくやま美術館に行きました。その時、美術館に置いてあったパンフレットの一つに、本作がありまして、興味を持った次第です。多分、ほとんど上映されていないと思います。ふくやま美術館でもロケしたそうで、美術館前の作品が印象的に使われています(赤いウニョウニョしたリンゴ型鉄骨がそうです)。

 ストーリーは、演劇を愛する女子高生たちの成長物語と、ミステリーを、無理矢理合体させたみたいな感じです。原作も読みました。作家は水生大海。2008年ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の優秀賞だそうです。ミステリー部分は、正直なんだかなあという感じです。昔「刑事コロンボ」というTVドラマがありました。状況証拠の積み重ねで、犯人に精神的ダメージをじわじわと与え、ついには自供させる・・・というパターンが楽しい刑事ドラマでした。強いていえば、まあ、そのパターンに近いかな。

 映画の方は、演劇女子高生成長物語としては、なかなか王道でよかったと思います。4人の女子高生を演じているのが、成海璃子、忽那汐里(ポッキーのCMの子です)、草刈麻有、森田彩華など、若手有望株ばかりで、フレッシュな演技が、たいへんすがすがしかったのもポイント高しです。草刈麻有は、後で知ったのですが、なんと草刈正雄のお子さんなんですね。驚きました。

 そして、彼女たちが演じる劇、「生死のサカイ」、これがなかなか面白いのですよ。4人の演技も素晴らしい。ピーンと張り詰めた緊迫感があり、熱い思いがビシビシ伝わってきます。シンプルだけど効果的な演出もGood! これだけでも、立派に作品として通用しそうなくらいです。セルDVDだと、特典として劇のフルバージョンを収録したDVDが、おまけで付いてくるらしいのですが、レンタルDVDにはなくって、すごく残念。

 あと、広島県福山市というと、Perfumeファンの方はピンと来ることでしょう。そう。「のっち」の故郷です。本作にはPerfumeは登場しませんが、随所にPerfumeを感じさせる仕掛けや演出があります。

 まず劇団名の「羅針盤」。4人の氏名の漢字に、それぞれ東西南北が含まれることから、命名されたことになっています。「Perfume」も、3人の名前にそれぞれ「香」という漢字が含まれることから、香水という意味のグループ名にした、というエピソードは、ファンなら皆知っています。

 また、ストリートライブでの熱演が、ネットによる口コミで徐々に広まり、人気が出てくるというパターンも似ています。

 リーダーが、他のグループから、才能のある子を引き抜いてくる所まで同じです(映画では、成海璃子が、他の高校演劇部の忽那汐里をスカウトする。Perfumeでは、あ~ちゃんが、のっちをスカウトする)。

 さらに、4人は劇の本番前に、不安を打ち消すため、手を重ね合わせて気合い入れをするのですね。これもPerfumeファンなら、「ああ、あれね」と思い当たることでしょう。

 原作は2008年に発表されたとのことですが、2005年にメジャーデビューしたPerfumeが、苦境を乗り越え、ついにオリコン1位を取り始めた時期と一致します。作者はPefumeのファンなのでしょうか(笑)。

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2012/02/05

鳥光宏「古文で身につく、ほんものの日本語」感想

 筆者は駿台予備学校の人気講師、ということで「ほんものの日本語が身につくんだ!」期待して読んだのですが・・・。

 いきなり「枕草子」の「いとをかし」は「チョーいい感じ」などとおっしゃるので面食らいました。それ、もうずいぶん昔に、橋本治氏が「桃尻語訳 枕草子」でおっしゃってますけど。ちゃんと橋本氏に断ってから書いてます?
 次に、説明がわかりづらい。「ら抜き言葉」の章など、「食べられる」だとア音が入って発音しにくいので「ラ」を抜いて、発音しやすくした・・・との説を、途中「可能動詞」に寄り道したりしながら、ぐだぐだと説明するんですね。

 あと、「ら」が省略される理由は、それだけでいいんですか? 「可能」の意味と「尊敬」の意味を区別する必要性があるからという意見を述べている学者さんも多いんですけど。
 「た」という助動詞の説明も、だから? って感じです。「~でよろしかったでしょうか?」の「た」に感じる違和感。なんで勝手に過去形にしてるんだというもの。しかし「た」には他にも意味があって・・・・というものですが、そんなの中学校の助動詞の授業で普通に習ってますよ。
 ここからしばらくは、感想ではなく、私個人の随筆。
 助動詞「た」については、私の知り合いに、こんなエピソードが。
 ある生徒が、電車をホームで待っていた時のこと。「あ、電車が来た」と口に出して、彼は、はたと気がついた。電車はまだ動いていて、ホームに到着してもいないのに、なぜ「来た」と、過去形になるんだろう? 生徒はこの発見を、担任の先生に得意そうにぶつけた。「なあなあ先生、『た』って、過去のくせに過去でないんやで。ホームに電車が来たって言うやろ? あれ、まだ来てる途中やんか」「残念。『た』には過去の他に、完了、存続の意味もあります。あんたの話の場合は、現在完了に近い「存続」の意味で使ってるの。だから、今電車は入ってきつつある、という進行形の状態であることを表します。そもそもこれって、国語の授業で習ったんじゃないの。さてはあんた、その時寝てたでしょ?」
 ちなみに高校の古典では「き、けり、つ、ぬ、たり、り」を過去・完了・存続・詠嘆の助動詞として学習します。さらに「き」は「き・し・しか」と活用することを暗記します。これくらい覚えておくと、新世紀エヴァンゲリオン第七話のタイトル「人の造りしもの」の意味もわかってくるというものです。
 

 本書で個人的に素晴らしいと思ったのは、後半に出てくるデータです。端的に言うと、古典で点を稼いだ方が、数学や英語で稼ぐよりも、ずっと高い偏差値をゲットできますよという裏付けなんですね。特に難関大学理系の生徒は、数学の点で他者と差をつけるのは難しい。差をつけるなら古典だ。だから幼少期の頃から、「野ばら」とか「こいのぼり」とかの、文語の唄を歌って、文語のリズムに慣れておけ。ついでに口語訳も知っておくことで、古典の基礎を小学校のうちに作っておけ、というのが筆者の論です。
 終わりの方に、「蛍の光」の口語訳も載っています。特に卒業のシーズンを控えた今、「蛍の光」の意味を確認しておくのも、いいかもしれません。あ、でも、今時「蛍の光」を歌う学校、ほとんどないですね。

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2012/01/29

映画「ロボジー」感想

 矢口監督の新作です。「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」と、立て続けに娯楽作品を提供してくれた監督さん、ボーイズ、ガールズの次は、なんとジイサンが主人公です。この調子だと、次の新作は「○○バーサン」か?

 本作でロボットおタクのヒロインを演じるのは、吉高由里子。

 最近「テルマエ・ロマエ」というマンガにはまっています(4月に映画化決定)。主人公はローマの温泉施設の建築技師なんですが、彼はアイディアに行き詰まると、なぜか必ず現代日本の温泉にタイムスリップするのです。そして、そこで見たことをヒントに、あらたな温泉施設をローマ人に提供するというストーリーが展開されます。で、なんで長々とそんなマンガの紹介をしたかというと、そのローマの建築技師が、日本人のことを「平たい顔族」と言うのですね。

 吉高由里子のファンの方、すみません。彼女を見ていたら、どうしても「それ」を思い出してしまいまして・・・申し訳ない。いや、場面によってはすごく健気で魅力的に見えるシーンもありましたし、逆に、思い詰めすぎてすごく不気味に見えるシーンもありました。いろんな表情を演じ分けることができる。それはきっと彼女に、それだけの演技力があるからなんでしょう、うん。

 さて、話を映画に戻しましょう。

 「木村電器の窓際社員3人組は、ワンマン社長から二足歩行ロボットの開発を命じられる。しかし、ロボット博まで1週間というところで、制作途中のロボットが木っ端微塵に大破! 3人は、ロボットの中に人間を入れて誤魔化す計画を立てる。ロボットの外装にぴったり収まる人間を探すため、オーディションを開き、独り暮らしの老人・鈴木重光(73歳)を選ぶ。しかし、この鈴木がとんでもないジジイで…。さらに、ジジイロボットに恋をしたオタク女子学生をも巻き込み、事態は思わぬ方向へ」 

 というのが、映画「ロボジー」の公式HPに紹介されているスト-リー出だし部分ですね。(ホントはもっと長いのですが、3割ほどカットさせていただきました。)

 まずは、ロボットを開発する窓際族3人組(代表濱田君)なんですが、毎回、トラブルが起きるたびに、お口ぽかーん状態で、為す術もなく最悪の結果を迎えるという、情けなくかつ歯がゆいキャラとして描かれます。最初から最後までです。まったく成長することなく、お口ぽかーん→最悪の結果・・・です。あまりにマンガチック過ぎて、リアリティに欠けること甚だしい。普通、途中で気がついて、なんとかしようと足掻くだろ? そこまで何もせず見てるだけって・・・。まあ、そういう映画なんだよと言われればそれまでですが、フィクションとはいえ、もうちょっと上手に観客を騙して欲しいなあ、っていうか、見ていて歯がゆすぎて、ストレスたまりましたよ。

 全体的になんだかテンポ悪いのも気になりました。特にロボジー失踪中の捜索場面。あんなやる気のない捜索でいいんですか? 「ウォーター・・・」や「スウィング・・・」の頃は、もうちょっと気持ちよくポンポンとドラマが展開してたような気がするんだけどなあ。

 あと、見終わった後、なんだか後味悪く感じます。それは、彼らが言うところの「詐欺行為」が、最後まで改められないからだと思います。

 いや、途中で、そっちの方向(詐欺)から脱出しそうなベクトルはあったんですよ。でも、結局ラストはまた元に戻っちゃう・・・。それ、表面的には面白いけど、やっぱダメだろ?

 ジイサンが出てくるのだから、「腰を痛めて、ロボットを演じられなくなったジイサン、このピンチを救ったのは、ロボット工学おタクの女子大学生。彼女の設計によって、ジイサン抜きでも、ちゃんと自律的に二足歩行するロボットを披露することに成功。こうして、またも不要になったジイサン。だが、人と人との絆が必要とされる場面が生じ、再びジイサンに出番が・・・。」みたいなストーリーになるのかな~・・・と勝手に想像してたんですが、そうはなりませんでした。 

 矢口監督、「ウォーター」や「スウィング」の頃がピークだったのかなあ・・・。ちょっと残念な一作でした。

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2012/01/21

DVD「127時間」感想

 一人で、ロッククライミングを楽しむため、キャニオンに向け出発したアーロン。だが、落石に右腕を挟まれ、谷底から一歩も動けなくなる。そして生命の限界を超えた127時間後、遂に彼は〈決断〉する――。

 というような宣伝を、公式にあちこちでしているので、誰もが「ああ、ラストは見なくてもわかりました」・・・な映画なわけです。で、まさしくその予想通りの結末となります。

 閉じ込められた空間から、いかにして脱出するか・・・というストーリーの映画となると、1年ほど前の「フローズン」が印象に残っています。吹雪の夜、誰にも気づかれることのない、停止したスキー場のリフトから、どうやって脱出するかという映画でした。両者とも、ただでさえ動きようがない画面で、絵的に単調にならざるを得ない。その上さらに今作は「フローズン」と違って、脱出方法すら、客にはバレバレなわけです。よくこんなハンデありの設定で、映画制作のゴーサインが出たものです。

 もちろんゴーサインを勝ち取っただけあって、絵的には様々な工夫がなされており、見る者を飽きさせません。特に面白かったのは、水(など)を飲むシーンです。なるほどそっちからカメラ撮りますか、と感心いたしました。

 「フローズン」との違いは、主人公が徹底して冷静さを保つという部分です。「フローズン」は、3人の男女が、浅知恵でなんとかなると判断し、結果次々に・・・という悲劇的なストーリーでした。

 本作の主人公アーロンは、飲み水がなくなることを予測して、尿を捨てずに取っておくのですね。以下にょごにょご・・・。また、後半は意識が朦朧として、幻覚が見え出します。しかし、アーロンは、持っていたデジタルカメラでそれを撮影し、幻覚であることを確認するのですね。なんとも強靱な精神力です。また、どんなに絶望的な状況に陥っても、彼は、泣き叫び取り乱し運命を呪い悪態をつく、という醜態を見せません。自らを鼓舞するように、テレビのクイズ番組のような実況中継を、手持ちのビデオに撮って残していくのです。自分が最悪の事態を迎えたときの遺書代わりなのか、はたまた、奇跡的に助かった時、あとからこの日の事を思い返すための記録なのか。

 死を目前にして、母をもっと大事にすればよかったとか、友人を、女の子たちをもっと大事にしとけば・・・などなどの後悔が、映像として描かれますが、このあたりのメソメソ感は、あってもなくてもどっちでも的な、中途半端な感じです。そんな道徳的なテーマの作品じゃないんでしょ?

 実話を元に制作したとのことですが、ラストに出てくるのは、どうやら、その本人のようです。なんだか人生をすごく楽しんでいるらしい様子が、ビシビシ伝わってくるエンディングでした(笑)。本作の魅力は、こういうカラッとドライな主人公のキャラクターにあるんじゃないでしょうか?

 
 

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2012/01/15

奥田英朗「純平、考え直せ」感想

 「空中ブランコ」などで有名な奥田英朗の新作です。

 本の帯には次のような惹句があります。

「坂本純平、21歳。原宿・歌舞伎町のチンピラにして人気者。心酔する気風のいい兄貴分の命令は何でも聞くし、しゃべり方の真似もする。女は苦手だが、困っている人はほうっておけない。そんな純平が組長から受けた指令、それは鉄砲玉(暗殺)。決行までの三日間、純平は自由時間を与えられ、羽を伸ばし、様々な人びとと出会う。」

 歌舞伎町で人助けをするヤクザというと、思い出すのはSEGAのゲーム「龍が如く」の桐生一馬です。組の抗争というメインストーリーとは別に、歌舞伎町で困っている人たちを助けるサブシナリオがてんこ盛りで、メインよりもそっちのほうが面白かったりするゲームなんですが、純平君もそんな感じで、三日間の自由時間に、いろいろ困っている人を助けまくります。そのせいか、いよいよ決行の夜、歌舞伎町のみんながやたらと純平君に声をかけてくる。「純ちゃん、ちょっと頼みごとがあるの。明日店に来てくれない」「純ちゃん元気?」「ハーイ、ジュンペイ」

 純平は思います。「これは神様の慰めなのか・・・こんなに人にかまわれ、あてにされたのは初めてだ・・・これまではずっと一人だった・・・常に虚勢を張り、馬鹿にされることを恐れていた・・・ どうして神様は、人間の生い立ちに差をつけるのか・・・もう少し愛されて育っていれば、極道にはならなかっただろう。最後の最後でこんなに温かい気持ちになると、正直未練がわく。案外世界はいいところかもしれない(抜粋)」

 「龍が如く」との最大の違いは、グレることに決めた元大学教授が、純平に説教をたれるあたりです。

「本当に価値のある人間は開き直ったりしない。開き直るのはいつも誰からも頼りにされていない価値の低い人間だ」「若いと大変だなあ。成功体験が乏しいから、待つことを知らない。今しか見えない。待った先に何があるかわからない」

 こういう、ちょっと哲学的なことを言う登場人物が出てくるあたり、名作「サウスバウンド」を思い出させます。おそらくこの老教授、作者自身の分身でしょう。

 「誰からも愛されない、誰からも必要とされない人間は、自分を大事にしない。そういう人間は、平気で自分の人生を捨てるような行為に走る。自尊感情の低さが犯罪者を生む温床となる。」というような話を、最近あちこちでよく聞くようになりましたが、本作の根底にもこれがあるようです。

 ラストは、肝心な所でぶった切ったように、突然終わります。この後純平君がどうなったかは、読者である我々のご想像にお任せ、というわけです。でも、作者の分身である老教授は、純平君の金で上カルビを食べながら、こんなことも言っているのです。

「ぼくは君の運を信じている」「どういう意味だよ」「考えなくていい」

 なんとなく、作者の願っているラストが、暗示されているように感じました。

 

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2012/01/09

映画「源氏物語 千年の謎」感想

 ズバズバとネタバレします。気にする方はこの後読まぬよう。

 本作は紫式部の「源氏物語」が原作ではなく、高山由紀子(日本画家高山辰雄の長女)の「源氏物語 千年の謎」が原作です。従って、源氏ファンの方は、「おいおい、そんな解釈おかしいだろ」と、突っ込みまくりながら本作を鑑賞するのがよろしいかと思われます。
 紫式部が藤原道長の誘いを断った話は紫式部日記にありますし、式部に続きを早く書けと催促したり、勝手に書きかけの作品を読んだりしたらしいので、二人の関係をいろいろ邪推していくと、本作のようなストーリーにもなるのでしょう。しかし、道長にやられちゃった腹いせに、「あんたのことを主人公にした本を書いてやる。」という怨念でできあがったのが「源氏物語」という作者の説は、おもしろいけど、紫式部の性格を考えると、ちょっと違うんじゃないかと思います。そもそも私の頭の中では、道長=お腹周りのたっぷりした中年メタボおじさん・・・的なイメージがあり、決して生田君(源氏)や東山君(道長)みたいな、すっとした体型ではないのです。
 次に六条御息所。本作は、彼女が怨念でもって、浮気しまくる源氏を苦しめます。しかも、直接源氏を苦しめるのではなく、源氏と関係を持った女を次々ととり殺していくという、いわば間接的真綿で首締め状態なわけです。紫式部=六条御息所、源氏=道長、そういう描き方をしています。作品の中で、道長に復讐する・・・そういう執筆動機って、ありえるのかなあ?
 おまけにラストシーンでは、藤壺に出家されて失意の源氏が、橋の上でなんと、作者である式部とすれ違うシーンがあります。この時、源氏は「どこまで私を苦しめれば気が済むのだ?」みたいな恨み言を作者に言うのですね。ごもっとも。あんたの情念のせいで、こんなに主人公は苦しんでいるわけですから。ところが、式部の返答は「あんたみたいなイケメンさんは、そういう定めなのよん」みたいな(笑)。いや、実際の道長はイケメンさんじゃないでしょ? でもって、源氏をイケメンさんに描いたのはあんたの勝手でしょ? そもそも、映画では藤壺のもとからシオシオ去ろうとした源氏に、必殺の一声かけて、あらぬ関係になだれこませちゃったのは藤壺さんの方でしょ? このシーン思わず「あんた、それ言っちゃダメだろ」と心の中で叫びました(笑)。ホントいいかげん許してやれよ。
 さらにトドメとして、式部との会話の後、源氏が自分の行く道を仰ぎ見ると、牛車の車輪が死屍累々といった感じでいくつもごろごろと・・・。要するに、これからも彼の人生は苦しみの連続ですよ、というメタファーらしいのですね。まったくもってお気の毒様です。
 次に安倍晴明。彼はなんと、道長の親友で、道長のピンチを救ったり、酒を酌み交わしたりするのです。でも、時代的にズレがあると思います。安倍晴明のほうが道長よりも40歳くらい年上です。まあ晴明は超能力者らしいですから、不老不死なんでしょう、きっと。さらに清明は、源氏物語の作中人物である六条御息所を調伏したり、「紫式部は、あんたにやられちゃった恨みを晴らすべく、物語に怨念をこめているぞ、気をつけろ」と道長に忠告するなど、現実を離れた世界を描いた、超エンタテイメント作となっています。っていうか、いたるところ突っ込み所ありまくりの怪作と言っていいでしょう。

 キャスティングはよかったと思います。
 光源氏を演じる生田君。二枚目だけど、ちょっとぺらっとした感じが実によろしいかと。
 道長を演じる東山君、これくらい男前なら、本作のように式部が怨念持つような物語にもなるでしょうね。納得。
 清明を演じる窪塚君、ミステリアスな雰囲気が、実にかっこいいです。こっちが主役? と思っちゃうほどです。
 六条御息所を演じる田中麗奈、怨念込めまくりです。怖かったです。今後彼女に、どんな役所が回ってくるのか、心配です(笑)。
 葵の上を演じる多部未華子、かわいいです。多部ちゃんって、こんなにかわいかったっけ? と思うくらいかわいかったです。上手に撮ってるなあ。でも、田中麗奈にとり殺されちゃう。
 あと、一条天皇を演じる東儀秀樹、作中で自ら笛を吹くシーンがあります。これ、なかなか感動的です。当時、楽器演奏が上手だった貴族って、きっとこんな雰囲気をまとっていたんだろうなあと思わせます。いやあ本職はさすが、違うよなあ。
  

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2012/01/02

堀江敏幸「なずな」感想

 堀江敏幸久々の新刊です。

 タイトルの「なずな」は、弟夫婦から預かった生後3ヶ月の女の子。弟は旅行会社添乗員として海外ツアーの仕事中、交通事故に遭い、全身打撲の重傷で帰国できず!!! 母親は原因不明の病気で入院中、父母は連れ添いが要看護状態にあり、仕方なく兄である主人公、菱山秀一のところに、育児のお鉢が回ってきたという設定です。今流行のイクメン小説ですね。ただし、年齢設定がちょっとすごいことに・・・(笑)。
 菱山秀一は、地方の日報新聞記者で、結婚歴なしの長身独身44歳。近くの内科医でしばしば「なずな」を診てもらうのですが、そこの先生の娘は34歳出戻り看護師、子ども無し。もうこの時点で、この二人は「なずな」の世話をきっかけとして、やがて・・・という成り行きが想像できてしまうわけです(笑)。
 主人公菱山秀一は、「なずな」をベビーカーにのせたまま、町内の碁会所やら造園会社やらに取材に行きます。この時、「なずな」の存在は、取材におおいにプラスとなります。ご老人たちも、おばさんたちも、小学生たちも、若いお母さんたちも、みんな「なずな」に笑顔で接してくれる。高速道路建設や風力発電、ゲートボール場などなど、その利権について、結構町政に関する、きなくさい取材もあるのですが、「なずな」のおかげで全く警戒されることもなく、すいすい取材は進みます。いやむしろ、町民の皆さんは、「なずな」と触れあうことでどんどん「いい人」になっていくような雰囲気。つられて主人公もどんどんいい人になっていく・・・。
 生後三ヶ月の赤ちゃんの世話は、44歳の中年男にとっては、睡眠時間がずたずたになり、目の下に隈ができるなど、肉体的にかなりきついのですが、代わりにそんな苦労など消し飛ぶほどの幸せを、彼は手に入れるのです。作中に挿入される「まど・みちお」や「吉野弘」の詩が、それを代弁します。

「ぼくが ここにいるとき
 ほかの どんなものも
 ぼくに かさなって
 ここに いることは できない」 (まど・みちお 「ぼくが ここに」より)

「なずな」の存在が、唯一無二の、大切なものだということを、雄弁に語っています。

「ああ
 手に すくいたい
 
 そのまま 手に
 たたえて いたい
 
 小さな空が おりてきて
 ほほずりするのを まって

 それから そっと
 もとに かえしたい」 (まど・みちお 「こおろぎ」より)

 44歳中年男菱山秀一は、「なずな」にほほずりする楽しみのため、きちんとひげを剃るのです。

 子育ての経験のある人なら、「赤ん坊」が、そこに存在するだけで周囲に幸せをもたらす不思議を経験したことがあると思います。本作はその不思議を、見事に文章化。作者は最近、実際に育児の経験をしたのではないか? そう思えてなりません。私は何度も、自分の娘が赤ん坊だった時のことを思い返しながら読みました。
 ラストは、弟夫婦が二人とも回復し、「なずな」との別れが近づいてきて、でもそれと入れ替わりに、例の彼女との距離がぐっと縮まってきたような雰囲気のところで余韻を持って終わります。
 幸せな気分に浸れる一作でした。  

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2011/12/25

DVD「ミスター・ノーバディ」感想

 近未来SFのようです。人類は科学の進歩によって不死となったのですが、たった一人、老衰で死ぬ男がいて、その最期の様子を全国に生中継されているというような始まり方をします。

 老人の名は「ニモ・ノーバディ」。自分のこれまでの人生を医者や取材記者に語るのですが、途中でいくつか人生の分岐点があるのです。まずは両親の離婚。母親について行くか、父親と暮らす方を選ぶか。両方の人生が語られます。まあ、どっちもそれなりに不幸なんですけど。

 で、次の分岐点は結婚相手。これはなんと三択になっています。贅沢な野郎だな(笑)。あの子を選ぶとこうなり、この子を選ぶとこうなる・・・っていうか、最初っから一番好きな子は決まってるんだから、素直にその子を選ぶ人生だけでよかったんじゃないの? なんで他の選択肢もいちいち語るわけ? どうせ不幸な結婚生活になるのがわかってるのにさ・・・というような、いわゆるパラレルワールドものです。

 で、結局、どれが彼の本当の人生だったのかは、わからずじまいで本作は終わります。っていうか、途中で本人こんなこと言ってました。いわく「選択したら他の可能性が消えてしまう。選択しなければ、無限の可能性が残る」ってことは、おいおい、これまで語った人生は、全部選択してない無限の可能性とやらですか? 全てじいさんの妄想なんですかい?

 でも、じいさん、ラストは結構幸せそうに死んでいくのですね。人生5~6回分はやりなおしてる感じですから、そりゃあ充実感もひとしおでしょう。よかったよかった。

 途中に出てくる火星移住船が、なかなか美しかったなあ。きっと、金かけて作ったんだろうなあ。

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2011/12/18

DVD[奇跡」感想

 邦画です。似たようなタイトルの洋画がたくさんあるので、ご注意を。

 あらすじは、「九州新幹線開業の朝、上りと下りの一番列車がすれ違う瞬間に、その場所で願い事をすると、奇跡が起きて、願いが叶う。そんな噂を耳にした小6の航一は、離れて暮らす弟の龍之介と共に、無謀な計画を立てる。別居中の父と母が、再び一緒に住めるようになることを願うため。そしてそれぞれの友人たちや、周囲の大人たちを巻き込み、ついに計画を実行する」というようなものです。映画の宣伝では「奇跡が起こる」みたいに書いてありますが、大丈夫、そんなだいそれた奇跡は一つも起こりません。巻き込んだ大人や友だちの心に少しばかりの変化を与え、さらには自分たち自身の心にも、ちょっとした変化がおきる・・・くらいのもんです。よくあるファンタジック系ではなく、リアル路線なので、完全に大人向けの作品となっています。

 おじいちゃんが、九州の銘菓「かるかん」人気を復活させようとするエピソードがありますが、本作も「かるかん」のように「なんやぼんやりした味やなあ」ですから、大ヒットはしないでしょう。でも「大人の味やから」ええんです。

 小学生の漫才兄弟「まえだまえだ」が主演です。弟のハイテンションぶりは、本作でも変わらず、甲高い声で常にワイワイ言ってます。そんな弟が、ある時突然、しんみりとしたセリフを言うのですね。このギャップがなかなか。ぐっときます。

 監督は「誰も知らない」で、出演する子どもたちにほとんど演技をさせず、ドキュメンタリータッチの手法で傑作「誰も知らない」を撮った是枝裕和。(おかげで、当時天才子役と騒がれた柳楽君は、その後、普通の演技が出来ないことがわかってしまい、苦悩するはめに・・・)今回の撮り方も、その手法に近いようで、子どもたちの、非常にナチュラルな表情が描写されます。

 奇跡と言えば、シナリオは「かるかん」のように、ぼんやり味ですが、出演者の方は、なかなか奇跡的です。

 まず、まえだ兄弟の父親、なんとオダギリジョーです。職業はフリーターで、プロのミュージシャンめざして活動中。このあたりが別居の原因となってますが、しかし、父親がオダギリジョーってあたりが、現実世界ならもうすでに奇跡。ちなみに母親を演じるのは大塚寧々。こんな美人のお母さん、なかなかいませんよ。

 出演者の奇跡はさらに続きます。兄が通う小学校、図書室の先生はなんと、長澤まさみ。おまけに保健室の先生も美人だし。こんなに美人揃いの学校、絶対ありませんから。

 弟は弟で、同じクラスに、とびきりの美少女が三人も。特に内田伽羅は、樹木希林の孫で、本作ではなんと共演。ほんと奇跡だらけです。

 そういうわけで、出演者がすでに奇跡的な本作、シナリオは「ぼんやり大人の味現実路線」ということで、バランスとっているのかも。

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2011/12/11

映画「怪物くん」感想

 「欲望渦巻くカレーの王国・・・今ワガママは伝説になる」というキャッチコピーの、娯楽映画です。

 怪獣ランドを飛び出た怪物くんたちが、竜巻に巻き込まれて着いた国。地図では明らかにインドの筈なのに、全然インドじゃありません。エンドロールを見ると、なんとインドロケをしたことになっており、びっくり。どこがインドだったんだ? と妻に聞くと、「象が出てくるシーンがそうなんじゃないの? 日本に象呼んで撮影するより、インドの象使いのところに行って撮影する方が安いでしょ」なるほど。

 ところで来年の干支は龍でしたよね。本作も怪物くんたちの乗り物として龍が出てくるんですが、怪物くんに「お前、山羊だろ」とか言われます。いや見事に情けない造形です(特に足)。その他あちこち、とにかく徹底的にリアルさを遠ざけた作りになっていて、潔いです。

 シナリオはわかりやすく、先の先まで展開が読めます。でもデモキンとデモリーナが、自分たちの世界にどっぷり浸かる辺り、ややもたつき感があるのは否めません。デモキン様、「勝手にやってろ」なんてかっこいい決めゼリフ言ったにしては、その直後ずいぶんと油断なさるのです。デモキン様ともあろうお方があのような失態・・・できればもっとスッキリとしたシナリオにしてほしかった。まあネタバレになるのでこのへんで自粛。

 残念なのは、川島海荷。テレビシリーズの時の美少女は一体どこへ? 年齢的に少女から大人の女性へと変化する過程にあり、ウェイトコントロールがもっとも難しい年頃なのでしょう。特にアゴの下のラインが残念。インド(じゃないけど)のお姫様役だから、ふくよかでもよいのだと言われれば、まあそうかなと。

 大野君の怪物くんは、まさにはまり役ですね。表向きワガママな、でもその内側にちょっとシャイな陰が見える表情が、最高です。 

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2011/12/04

松下良平「道徳教育はホントに道徳的か? 生きづらさの背景を探る」感想

 著者は金沢大学の人間社会学域学校教育学類教授。

 なかなか刺激的なタイトルです。筆者が自説を説得力あるものとするために、例として取り上げるのは、小学校高学年の道徳の教科書のほとんどに採用されている「手品師」。

 孤独な少年との約束「あすもきっとここに来て、君に手品を見せてあげるよ」を守るか。それとも友人からの友情「大劇場に手品師として君を推薦しておいた。ぜひ明日来てくれ」を取るか。手品師は迷わず少年との約束を守る、というストーリーです。この資料で教える道徳的価値は「誠実に、明るい心で楽しく生活する」、つまり、約束を守る誠実さだと言っているのですね。

 自分の社会的成功よりも、少年との約束を重視する、いわゆる自己犠牲の一種です。しかし、筆者はこれに突っ込みまくります。

「ほんとうに男の子のことを考えるなら、手品を見せることが解決策ではないはずだ」「少年も劇場に連れて行けばよいのでは?」「誰かに少年への伝言を頼めばいいじゃないか」「この手品師は、みすみす自分の自己実現のチャンスを棒に振っているが、そんなことだから、いつまでたっても一流になれないのではないか?」「せっかく劇場主に推薦してくれた友人の立場はどうなるのだ?」「明日の出し物を楽しみに、劇場にやってくる観客をないがしろにしてないか?」

 いや、おもしろいです。こういう授業なら受けてみたい。でも指導書では、そういった考え方はお薦めしない。あくまでも約束を守ろうとした手品師の誠実さを褒め称えよとなっているそうで・・・。

 以下、文科省が「道徳」で自己犠牲を第一に重視してきたのは、愛国心を育てるためという説が展開されます。

 ここまでなら、今までにも似たような論の展開をする人はいました。しかし、筆者はこの後、グローバル化された社会が必要とする道徳は、市場のルールを守ることだと、話を切り替えてきます。ルールを守らない人間は、国際社会で通用しないというわけです。その結果、今の道徳教育は、ルールをきちんと守るまじめさが、ことさら重要視されるようになった。ルールばかり重視するようになると、「呼びかけ、応える関係」いわゆる、人と人とのつながりが軽視されていく、それが今の社会の「生きづらさ」の背景となっている、と言うのです。

 筆者は「なぜ人を殺してはいけないのですか」という問いかけに対し、人間が他者の痛みに「共感」できるのは、他者との距離が「呼びかけ、応える関係」にある場合だという説を論じ始めます。見知らぬ外国でたくさんの難民が死んでも、我々のほとんどは平気でいられる。それは、彼らが「呼びかけ、応える関係」になく、共感できないからだ。ルール重視道徳教育によって、他者との心の距離が大きく隔たっているらしい最近の若者は、だから「なぜ殺してはいけないのか、現にたくさん殺してるじゃないか」と思うのではないか、と言うのです。

 後半は、哲学っぽい叙述も増え、ところどころ、首をひねりたくなる部分もあります。できれば、あと二つくらい、「手品師」のような例を載せてほしかったところです。

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2011/11/26

森山徹「ダンゴムシに心はあるのか」感想

 大学の講義で、ダンゴムシの迷路というものを教わりました。T字路の連続する迷路にダンゴムシを入れると、最初の曲がり角で右を選んだら、次は左、その次は右を選ぶ個体が圧倒的に多いというものです。「ダンゴムシが自然界でエサを探しに行くとしよう。石にぶつかるたびに、右にばかり曲がり続けたら、どんな不都合があると思うかね?」「同じところをぐるぐる回り続けて、新しいエサ場に行くことが出来ません」そんなやりとりがあったように覚えています。

 さて、本書はもちろんこのダンゴムシの迷路にも触れています。天敵に襲われた時、ジグザグに曲がらないと、敵から逃げることができないと書いてあり、なるほどと納得。しかし、本書の真の執筆目的は、タイトルにあるとおり、「ダンゴムシに心はあるのか」という、だいそれたものなんですね。いや、普通ないでしょ。脳みそ持ってないし。そもそも、昆虫の(ダンゴムシは昆虫じゃないけど)行動のほとんどは、あらかじめプログラムされたものなんじゃないの?

 そもそも、心ってなんだ? という問いかけから本書はスタートします。

1 表に出ている感情表現とは別の、うちなるこころ(顔で笑って心で泣いて・・・みたいな)。

2 本当はこうしたいけど、それをすると損だから、がまんして心の奥に抑え込む(受験のために、テレビを見たいという欲望を抑え込む。また、やさしさは、自分の行動を抑え、他人の行うことを受け入れる)。 

3 理由もなくある感情がわき起こる(旧友に偶然遭遇して大泣きする)。

 筆者は、生物は未知の状況に遭遇したとき、1や2で述べた、抑制していた心を解き放つと述べます。そしてそれが3の、「理由もなく」という現象だというのです。

 さあ、そこで、筆者はダンゴムシを使って実験します。ダンゴムシを、未知の状況に遭遇させるのです。その時のダンゴムシの行動が、抑制から解放されたダンゴムシの心の現れだというのです。

 その実験の一つを、簡単に紹介します。

 ダンゴムシの迷路の先を、行き止まりにすると、どうなるか? 数十回それを体験すると、左右に曲がることをやめ、なんと迷路の壁を上に登りだしたのです。本来障害物の上に登る行動は、自然界では、天敵から発見されやすくなる行動であり、回避されるべき行動であるとのこと。でも、この実験で、どこまでも行き止まりの迷路を体験したダンゴムシは、打開策として、危険なよじ登りを選択した。どうしようもなくなって、あがいてみせたというのです。これは、行動があらかじめプログラムされているロボットには、できないことだ。心の存在だというのですね。

 なかなかおもしろい主張です。心とは、こういうシチュエーションで誕生したのかもしれません。でも、それはダンゴムシの悪あがきの結果なのか、それとも、進路が塞がれていた場合には最終手段として「登れ!」と生まれつきプログラムされていたのか・・・? 

 今後のさらなる研究が待ち遠しい一冊でした。

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2011/11/20

歌野晶午「春から夏、やがて冬」感想

 「葉桜の季節に~」で、見事なドンデン返しを披露した歌野晶午氏の新作です。今回もラストにドンデン返しがありますが、残念ながら「葉桜~」のように、気分爽快になれるようなドンデンではありません。むしろ、ますます気分が滅入るような・・・。従って読後感はあまりよくありません。まあ、タイトルが「春から夏、やがて冬」ですから、そのまんまの読後感ですね。くら~い冬の気分です。

 主人公の娘は名前が春夏(はるか)。タイトルもここから取ったのでしょう。この春夏、17歳の時に轢き逃げ事故で亡くなります。やがて事件は時効が成立。主人公の妻は悲嘆に暮れて自殺。主人公も生きる意味を見失う。
 もしあの時、娘に「ヘッドフォンは危険だからやめろ」ときちんと言っておけば、娘は事故に遭わずに済んだのではないか。主人公は自分に落ち度があると思い込み、ますます生きていく意欲を失うのですね。だから、娘と妻、二人分の保険金があるのだけど、使い道が見つからない。

 そんな時に、春夏と同じ年齢の女性と知り合う。彼女は同居する若い男のDVに苦しんでいます。パチンコの金がなくなれば、女の保険証でマチ金から金を借りる。言うことを聞かなければ殴る。そのままマンガに出てきてもおかしくないような、ステレオタイプなダメ男を描いているものですから、読んでいて嫌になりました。この手の男って、そんなに世の中にゴマンと溢れているのでしょうか? で、主人公が彼女を救いたいと思うようになる所から、ドラマが動き出します。

 人はどうすれば罪を償うことができるのか。どうすれば、罪悪感から解き放たれるのか。その答えを示そうとした作品かと思ったのですが・・・。しかしながら、結局自己犠牲に折り合いを付けるしかなかった。そのために読後感が「冬」なのだと思います。

 ところで、2000万円の入ったコインロッカーの鍵は、誰の所に贈られたのでしょう? 姪? どなたか分かる方、教えて下さいませんか?

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2011/11/13

DVD「わたしを離さないで」感想

 時代設定が現在よりもちょっと前となっていて、しかも現在とは違う社会が描かれている。最初のシーンで、「難病を克服する医療技術が開発され、人類の寿命は飛躍的に伸びた」と、ナレーションが入る。臓器移植のことらしいというのは、映画を観ていると、じわじわとわかってくる仕組みになっている。このじわじわが、恐ろしい。
 隔離された学園で育てられている少年少女たちは、皆、将来臓器移植のために使われる人体として育てられているらしい。新任の先生は、人道的にそんなことは許せないという正義感があるらしく、この事実を生徒たちに伝えるのだが、それを聞いた生徒たちは、特に泣き叫ぶわけでもないのだ。むしろ、風で机から落ちた先生のレジュメを拾って机上に戻したりする。つまり、そんなこと、この子たちはとっくに皆知っていて、しかもそれを受け入れている。と思わせる演出になっている。
 学園内で流通しているプラスチックの貨幣は、普段のボランティア活動の対価として、生徒たちに支給されるらしいのだが、それは、おもちゃと交換できるという決まりになっている。そのおもちゃが、どう見ても廃品まがいのものなのだ。しかし、生徒たちは嬉々として、自分が手に入れたおもちゃの価値を友人たちに自慢し合う。
 授業風景がある。それは喫茶店で店員に注文するロールプレイなのだ。中学の英語の授業で、英語を使って買い物をする授業はある。しかし、これは外国語の授業ではない。なぜ、そんなロールプレイが必要なのか。それは映画の後半で明かされる。隔離された学園内でしか生活経験のない彼らは、一般社会に出た時に店員とのやりとりができず、固まってしまうのだ。
 生徒たちが手首に付けたブレスレットが、宿舎の出入り口のセンサーと反応するシーンが何度も出てくる。彼らが管理されていて、逃げ出すことができないことを映像で示している。
 生徒たちは、自分のコピー元となった人物を、この目で見てみたいと思う。ところが、どうやら、コピー元となった人物というのは、社会的に何か問題を起こした人物であるらしい。制裁として臓器移植用クローンを作られる。そういうゆがんだSF世界が、静かにじわじわと描かれる。恐ろしい世界である。彼らクローンたちは、肝臓や腎臓などの臓器移植に自分の体を提供する。多くて3回の移植手術をしたら、彼らはたいてい死んでしまう。彼らクローンは、自分たちの運命を静かに受け入れている。だが、それでもふとしたはずみに、耐えられなくなった心の揺らぎが、表に出てくるのだ。夜の一本道の真ん中で彼は絶叫する。その描き方が,実に静かで、哀しい。
 「猿の惑星」みたいに、人類に対して怒りの感情をむき出しにしたりするわけでも、ましてや反乱を起こすわけでもなく、彼らは彼らの人生を、精一杯生きようとする。その健気な生き様が、観ている者の心を揺さぶる。
 この、非人道的な設定が受け入れられない人には、本作は虫酸の走る作品であろう。だが、生まれたときから、自分の力ではどうしようもない定めを背負わされ、それでも懸命に生きようとする人は、今の地球上にも沢山いる。そういった現実を思いながら観るというのが本作の鑑賞の仕方なのかもしれない。

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2011/11/05

映画「ステキな金縛り」感想

 ややネタバレ含みます。その点承知の上でお読み下さい。ただ、後半の核心部分に触れるのは避けたつもりです。

 深津絵里は、「西遊記」のころから、面白い女優さんだと思っていました。当人は至極まじめに演技をしているらしいのですが、どこかとぼけた間があって、おかげで作品に独特の雰囲気を作り出すのですね。
 本作も、弁護士として、たいへんまじめにお仕事をしているのですが、その一生懸命の中に、普通の人とはちょっと違うテンポがあり、笑えます。天性のコメディー女優という評を、共演の西田敏行がされていましたが、全く同感です。
 2時間20分と、たいへん長い映画です。したがって、金縛りにあった被告を救うために、被告の上に覆い被さっていた落ち武者(霊)を法廷に立たせて、被告のアリバイを証言させて終わり、とはなりません。そこから、今度は本格的な法廷ドラマが始まります。中井貴一演じる検事が突っ込む突っ込む。
 例えば、「なぜあなたは、そんなに長時間、被告の上に覆い被さっていたのですか?」
 いや、これ、こう突っ込まれたら返す言葉ないですよね。西田敏行も「だって、おれ、落ち武者だもん・・・」ぼそぼそ言うしかできません。
 例えば、「あなたは裏切り者として処刑された。歴史の資料にもはっきり書かれている。そんな人物の証言は、信用に足る物でしょうか?」
 「それは濡れ衣だ!」と西田敏行が泣き叫んでも、彼の潔白を示す証拠がどこにも残っていないわけですよね。
 この後ドラマは、深津絵里の活躍により、意外な急展開を見せ、被告は無実となります。でも、なんとなく消化不良に感じるのは、落ち武者の無念が晴らせないままである、つまり彼は裏切り者ではないという事実を証明できぬまま終わってしまう点にあると思います。もちろん、彼の子孫が、これからがんばって、いろいろ資料を探し、ご先祖様の無実を明らかにするべく奮闘するっぽい終わり方はするのですけどね。
 笑える演出はあちこちにあり、長い作品を飽きずに見せてくれます。
 例えば、深津絵里が、落ち武者の出たという民宿を訪ねに行くシーン。バス停の近くにいたオヤジは「そこの道を入ればすぐ」とか言います。案内板にも「すぐそこ」とあるのですが、その案内板の上を、ムカデが這う。ここで観客は皆、嫌な予感がするわけです。案の定、深津絵里、いくら歩いても歩いても宿に着きません。かなり歩いてようやく着いた民宿の主人は、さっきバス停にいたオヤジ・・・。民宿の名前が「○○(内緒)」だったり、部屋の名前が「△△(内緒)」だったり、あきらかにふざけてます。
 さらに、落ち武者を見ることのできる人と、見られない人がいるという設定がよかった。ファミレスで食事を楽しむ落ち武者が、深田恭子演じるウェイトレスや一般客には見えない。ところが、客の中に一人見える人がいて、絶叫します。ちなみに、深田恭子のウェイトレスコスプレはなかなか素敵でした。彼女は最近、民放ドラマの「私はシャドウ」でも、毎回探偵の仕事のためコスプレしてますね。
 タクシーの運転手、客として乗せたのは、深津絵里一人の筈なのに、彼女がいきなり車内で落ち武者と会話を始めるものですから、非常に混乱します。でもそこは客商売なので、その会話の中になんとか入りこもうとするのですね。このシーン、髪型について語る部分は必聴です。
 全体的には、演劇によくある誇張された芝居がやや鼻につくような気も、ちょっとします。でも、上映中、あちこちで観客の笑い声や「おいおい」という突っ込みの声が絶え間なく、ラストはなんと拍手がわき起こるという、まさに演劇の観客のノリでした。楽しかったです。
 ちなみにラストは、西田敏行と深津絵里のデュエットで終わるのですが、深津絵里、なかなか歌うまいですね。
  

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2011/10/30

福田和代「迎撃せよ」感想

 先日、福田和代氏が、読売新聞の「日だまりカフェ」というコラムに「隣の職場は楽しそう?」というタイトルの文章を載せていました。
「今までにお会いして、驚いたのは航空管制官でした。~中略~突然何もない空を指差して、『今あそこの空間が歪んでいるでしょう。もうすぐ航空機が見えてきますよ』などと言われます。私がぽかんと見上げていると、数分後には本当に航空機の影が見えるという塩梅です。」
 眉唾な内容です。その航空管制官は、あらかじめレーダーで何分後にどこに航空機が来るか、わかっていたんじゃないのか? 『あそこの空間が歪んでいるでしょう』なんて、はったりに決まっている・・・と思うのですが、いかがなものでしょう(笑)。
 さて、そんな福田氏の新作がこちら、「迎撃せよ
 女性なのに、思いっきり軍事オタクな書きっぷりです。テロ組織が自衛隊の支援戦闘機F2を、しかも体艦ミサイル積んだ状態のやつを強奪する。彼らのテロ行為を、どうやって阻止するか、というドラマです。

 軍事オタクな書きっぷりなんですが、気になった点もあります。例えば、国産戦闘機F2は、アメリカのF16を参考にして開発された。だから操縦方法は同じはずだ。従って(F16に乗ったことのある)私にも操縦できる、とあります。 え? そうなの? 確かに外観はほとんど同じです。コクピットも似ています。けれども、翼の素材や構造が全く違う(カーボン使って一体成形している)から、操縦感覚にはかなりの違いがあるのでは? まあ、これは両方操縦したことのある人に聞いてみないとわかりませんね。

 他の方も感想で述べていらっしゃいますが、やはり犯人の動機がやや弱すぎる気がします。他に方法あるような気がしますね。なぜなら、これだけのことをやっても、結局一般民間人には何も伝わっていないんじゃないですか? 爆竹ならしてスクーターで走り回る若者の描写がありますが、そのレベルのままのような気がします。
 逆に言えば、どんな非常事態も、他人事としか捉えられない。ニュース画面の向こうでは、何だかすごいことが起きている、でも私には関係ない。今の国民の国防意識は、そういうレベルでしかない、そのことに対する警鐘として書かれた作品のようにも感じました。

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2011/10/23

DVD「トゥルーグリット」感想

 

 まず名作と言っていいと思います。
 ヒロインのマティは、14歳の設定。蒼井優みたいな女の子で、そのくせ、保証金の交渉で馬屋の店主を言い負かす、父の敵討ちのためなら、問題大ありの保安官でも平気で雇う。すごいやり手です。はっきり言って、もし目の前に実際にいたとしたら、かなり嫌な小娘です。

 保安官のコグバーン。描かれ方がちっともヒロイン助ける保安官っていう雰囲気じゃあありません。例えば裁判で、「保安官、あんた無抵抗の相手を撃っただろ?」検事にさんざんやりこめられますが、どこ吹く風。でも、マティはそんな男であることを承知で彼を雇う。お尋ね者を必ず生け捕りにする人道的な保安官が、他にいるのにも関わらず。そんな保安官よりは、多少性格に問題があろうとも、確実に相手を仕留めることのできるコグバーンを雇うのですね。しかもコグバーン、若い時や南北戦争では、相当ひどいことをやってたらしい。それが会話の途中でポロポロ露呈します。

 さらにマティは、ラスト近くで相当ひどい少女として描かれます。彼女は、自らの手で見事に父の敵をとるのですが、最後にカービン銃をぶっ放す時の、嬉しそうな顔ときたら。
 普通今風の映画なら、「彼にも彼の事情があるのでは?」とか、「犯罪者にも人権が」とか、「殺し合いは不毛だ。復讐が永遠に続くから」とか、そういった逡巡が出てきそうなモンですが、マティは、そんなもの、一顧だにしません。だからでしょうか? 本作は、彼女にとって、それなりに厳しい現実を突きつけられるエンディングとなっています。

 本作の魅力は何か? ずばりマティとコグバーンの心の交流でしょう。悪党保安官コグバーンが損得勘定抜きで、なぜ小娘にあそこまで肩入れするのか。1対4の決闘に臨んだり、小娘抱えて夜の荒野を駆け続けたり。本作のタイトルを訳すと「真の勇気」。それを彼女が持っていたから、でしょうか?

 14歳の時の煌めくような、満点の星空の下を駆ける夢のような体験は、彼女の一生の宝物になったことでしょう。大きなものを一つ手に入れるかわりに、彼女は大きな損失を被る。でも、ちっとも後悔していない。ああ、その潔さに、見ていてすっきり爽快になれた作品でした。

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2011/10/15

梨木香歩「僕は、そして僕たちはどう生きるか」感想

 「西の魔女が死んだ」の梨木香歩の新作です。

 タイトルでぴーんとくる人も多いと思いますが、吉野源三郎の名作「君たちはどう生きるか」を、現代版として書き換えてみました!という感じの作品です。

 そういうわけで、主人公のあだ名は、やっぱりコペル君です。 中学生がどう生きるかについて悩むストーリーは、道徳の教科書にも載っていたことがあるので、「コペル君」という名前を聞けば、「ああ、あれか」と思う人も多いでしょう。

 今回コペル君が悩む内容は、

「担任の欺瞞に気づくと同時に、集団に流されてしまった自分の行為が許せなくなり不登校になってしまった友だちの心をどう開くか」

とか、

「AV監督にだまされて心身ともにボロボロになり、人間不信に陥った女子中学生の心をどう救うか」

など、設定がやはり現代風です。

 しかし、その奥にあるテーマは、集団行動の中に時々出てくる洗脳システムの怖さです。そして、それとどう闘って、「それは間違っている」と言えるか、そう言える人間になれるか、それを問うてくる作品です。

「みんな言ってるじゃないか、これがいいって」「みんなが言ってるから正しいのか?」「それが普通なんだよ」「普通ってなんだ」「全体のために個を犠牲にする、その姿勢が美しいんだ」「でも、それはアリやハチでもやるじゃないか」というような感じです。

 最初の60ページくらい、コペル君の鼻持ちならない博学ぶりに嫌気がさして、読むことに苦痛を感じるかも知れませんが、そこを越えたあたりから、やっとドラマが動き始めるので、辛抱して読みましょう。

 本書のドラマは、実際の出来事をベースにしているようです。例えば、飼っていた豚を食べるかどうか、児童に問う授業がたしかありましたね。
 だとしたら、本作に出てくるインジャの事件のモデルって、実際にそういう本出した大手出版社あったんだろうか? ということになってきます。で、調べてみたら、本当にありました。理論社の職業紹介本シリーズの一冊「ひとはみな、ハダカになる。」バクシーシ山下著。この人、有名なAV監督のようですね。巻末の著者プロフィールを見ると、コペル君が指摘したとおり、確かに監督のメールアドレス載ってます。ここにメールして、だまされてAVに出演しちゃった女の子が、本当にいたということでしょうか。困ったことに、これ図書館で普通に貸し出しされていますけど・・・。
 さらにびっくりしたのは、その本の出版社が「理論社」であるということ。梨木香歩の本作も、実は理論社出版なんです。これってどういうこと? 理論社は自社の出版物を梨木香歩に批判させている?

 そこで、さらに調べてみると、このAV監督の本、どうやら「ポルノ・買春問題研究会」から回収・絶版を求める運動があったようです。
 理論社は良心的な児童書の出版社というイメージがあったのですが、どうやらこの絶版運動が会社のイメージダウンとなり、業績悪化に追い打ちをかけたのでしょうか? 2010年に民事再生法を申請、つまり会社つぶれたんですね。今年になって日本BS放送株式会社が事業譲渡、つまり「理論社」を買い取ったようで、梨木香歩の本作は生まれ変わった理論社、その記念すべき門出を祝う新作のようです。

 これって旧理論社の罪償いを、新理論社がやってるってことなんでしょうかね? よくわかりません。

 

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2011/10/08

映画「モテキ」感想

 原作が青年向けマンガ雑誌であるため、その手の非常にストレートなセリフや表現が、臆面もなくバンバン出てきます。中学生は教育上好ましくないので、観てはいけません。

 主演はセカチューコンビの森山未來と長澤まさみ。相変わらずヘタレ役がぴたりとはまる森山君。宣伝を見ると、今回は長澤まさみの他に麻生久美子、 仲里依紗、真木よう子にもモテるような雰囲気ですが、実際には、長澤まさみと麻生久美子の二人にモテる話です。

 その麻生久美子ですが、今回はイタイOL役を演じます。一人カラオケで盛り上がってみたりとか「私、重い女ですか?」と言って森山君にすがりついたりとか・・・(自粛)とか、かなりダメダメな展開です。

 当方、麻生久美子ファンだったので、今回の展開にはちょっとショック。ほぼすっぴんの麻生久美子も見れるのですが、さすがにお年を召されたなあと、しみじみ感じてしまい、ちょっとしょんぼり。

 映画の前半は、Perfumeとのダンスシーンもあり、たいへん楽しい出来映えなのですが、後半は上記のように、麻生久美子とのグズグズとひきずる展開に、一気にテンション下がってしまいます。さらにラストは、はっきり言ってそれ、ストーカー以外の何者でもないでしょ的な、いやそれ絶対犯罪だって的な終わり方。いいのか、あれで?

 今回の幸世のキャラは、かなりイライラさせられる設定となっています。「モテキ」のHP上に、5人のメインキャストインタビューがあるので、読んでいただけるとわかるのですが、役者さんたちから総スカン食ってます。当然、観客のほとんど皆さんからも、同じような感想を持たれるのでは? それを承知の上で、こういうキャラ設定にしたんでしょうけど。

 前半のPerfume登場シーンは、森山君の、本当に幸せそうな身体表現と表情が見ていて楽しくって、画面からなんだかふわふわ感が伝わってくるようです。きっと森山君、Perfumeが大好きで仕様がないんでしょうね。このシーンだけ、何度でもリピートかけて観てみたいと、心の底から思いました。

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2011/10/02

DVD「モンガに散る」感想

 台湾映画です。モンガというのは台湾の歓楽街の名前です。日本だと歌舞伎町?

 時代設定は、ウォークマンがまだカセットテープだった1980年代です。やんちゃなお兄ちゃん達が、スクーターに乗って暴走するシーンもありますが、そのスクーターが、1980年代の骨董品。懐かしい。よく見つけてきたな、という感じです。

 ストーリーはありがちなパターン。若者がヤクザの世界に足を踏み入れて、義兄弟の約束を交わす。ところが、大陸から新興勢力が介入してきて、彼らに対抗するため、やむなく仲間や親分を裏切ることに。そして悲劇的な結末が・・・という、粗筋だけ書けば、どこかで聞いたことのあるようなものになってしまいます。それなのに、本作に対する評論家の評価は皆一様に高い。なぜだろう? その疑問は、観ればわかります。

 ポイントはいくつかありますが、まずは役者たちの表情、これが第一でしょう。特に主役のモスキートと、義兄弟モンク、この二人が飛び抜けて素晴らしい。彼らのピュアな表情の美しさに、最初から最後まで、目が釘付けです。親分の一人息子ドラゴンも、前半はよかったんですが、後半は話の展開上、覇気のない演技になってしまったのが、ちょっと残念。

 次が、脚本と演出。観る者の心を揺さぶる仕掛けが随所に。

 ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんが、例えば仲間たちで酒を飲みながら将来について語りあうシーン。他の四人が、さんざん大きな夢を語った後での、モスキートのセリフ。

「お前は?」

「日本に行く」

「どうして?」

「桜を見る」

モスキートは一枚の、桜の絵はがきを差し出す。

「親父が日本から送ってくれたんだ。まさかそのすぐ後、死んじまうとは思わなかったんだろうな・・・桜、見たことあるか?」

皆、首を横に振り、そして・・・(以下自粛。ポイントは桜の花びらによる演出、とだけ言っておきます)

 ピュアすぎます。泣けます。いやホント。文字で書くとクサイ話だと思うんですが、彼らが演じると、本当にどこまでも純粋な心が伝わってくるのですね。ぐっときます。

 台湾映画なのに、なんだか日本人のハートを直撃するような脚本と演出です。こういう映画を撮るということは、台湾人と日本人の感性には、近いものがあるということなんでしょうか。

 ピュアな役者とピュアな脚本、そして演出。この三つが、本作の評価をいやが上にも高めていると思われます。ラストの演出(ポイントはやはり、桜の花びら)もまた素晴らしい。

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2011/09/25

DVD「塔の上のラプンツェル」感想

 ディズニー50作目記念のアニメだそうで、劇場では3Dで上映するなど、気合いが入っていたようです。

 もとはグリム童話ですが、そのグリム兄弟が元ネタにしたのは・・・とたどっていくと、泥沼にはまりますので、元ネタとの比較は今回いたしません(笑)。

 ヒロインのラプンツェルは長い長い金の髪を持っています。この髪は不思議な力を発揮します。たとえば、歌うとランプのように光り出すとか・・・(タイトルをランプツェルと間違えて読んだ人いるでしょ?・・・そう私です)

 魔女のゴーテルが、自分に若返りの魔法を繰り返しかけてもらうため、ラプンツェルを高い塔の中に閉じ込める、という設定でドラマは始まります。

 ここでポイントとなるのが、ラプンツェルは逃げようと思えば自力で逃げ出せるというところです。魔女は出かける時、特に鍵をかけてラプンツェルを閉じ込めるわけではない。ただ、繰り返しラプンツェルに言い聞かせるだけなのです。

「あなたのことを愛してるわ。外の世界はとっても怖ろしいの。あなたみたいな世間知らずのお嬢さんが出て行ったら、必ずひどい目に遭う。それがわかるから、私はあなたに出て行かないように言っているのよ」

 ラプンツェルは、塔の上の単調な暮らしに飽き飽きしているのですね。一度でいいから下界に出てみたくて、ゴーテルに許可をもらおうとするのですが、その度、ゴーテルの上記のような言葉にすっかり言いくるめられるのです。この後、ラプンツェルは、たまたま塔に逃げ込んできた盗賊フリン・ライダー(この男、女たらしという設定なんですが、フリン《不倫》という名前は偶然にしてはよくできていますね)に伴われ、下界に出るのですが、そこで、さんざんに葛藤するシーンがあります。

「ものすごく楽しい!(ヒャッホー)」「私って、ひどい娘ね、戻らなくちゃ(グスグス)」「絶対戻ったりしないんだから(ヒャッホー)」「私、ほんっとうに最低の人間よ(シクシク)」以下同じパターンの繰り返し・・・。

 この間フリン君、後ろで「やれやれ」みたいな表情して、ひたすら彼女の精神状態が落ち着くのを待ってるんですね。なかなか笑えるシーンであると同時に、背筋のゾクリとするシーンでもあります。ここまで魔女ゴーテルの言葉が、ラプンツェルの心を支配するとは。

 映画の後半でも、ラプンツェルを追いかける魔女ゴーテルは、巧みにラプンツェルの心を操ります。「あなたのことがとても心配だったのよ。それで後をつけて、あなたが襲われているのを見たの」「お母様の言うとおり、全部お母様が正しかった」「よくわかってるわよ、わかってる」

 このパターンって、人が人の心を支配する常套手段なのではないでしょうか?  他人を自分の思い通りにコントロールする、そのために使う言葉が「お前のためを思うから」「お前のことを愛しているから」「お前一人では世の中を生きていけないから」「お前がいないと私は生きていけないから」そして、自分の言うとおりに動かない時には、相手が失敗したタイミングを見計らって救いの手を差し伸べる。これでイチコロです。このパターンに捕らわれて、不幸な人生を送っている人が、世界にはゴマンといるような気がします。例えば

 「なんであんな暴力をふるう男がいいんだ?」「だって、彼は私のことを愛してくれてるのよ」

「なんであんな男に貢ぐんだ?」「だって、私がいないと彼は駄目になっちゃうもの」

 大丈夫、彼は他の彼女のことも愛してますし、あなたがいなくても、他の彼女が彼を援助してくれますってば。

 さて、ラプンツェル、魔女ゴーテルの、魔法じゃないんだけど魔力のかかったような言葉から、どうやって自由になることができるでしょう。そんな視点で見ると、別の楽しみ方ができる映画ではないかと思います。

 エンディングには賛否両論あるでしょうが、ネタバレになるのでそのあたりは自粛・・・。

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2011/09/17

辻村深月「本日は大安なり」感想

 ヒロインはウェディングプランナー。大安の日に、彼女が勤める結婚式場で同時に四つの披露宴が行われる。だがもちろん、それぞれの会場には、屈折した一卵性双生児の花嫁やら、超クレイマーやら、結婚詐欺師やらがいて、別々にとんでもないドラマが進行し、ヒロインは右往左往、でも4つのドラマには少しずつ、つながりがあって・・・みたいな話です。最初嫌なヤツと思っていた人物が、後半実は・・・みたいなパターンがいくつかあり、女の敵! みたいな男にも、天誅と同時に救済があり、全体的に、実にハッピーエンドな小説です。タイトルの「本日は大安なり」に偽りはありません。

 舞台設定が結婚式場なので、やや読者を選ぶかという気もします。おそらく男性はあまり読まないでしょうね。でも読めば、女性の視点から披露宴というものの本質を見直すきっかけになるかもしれません。近く結婚を考えている若い男性諸君、本書はお薦めです。

 また、ヒロインには実は、暗い過去があるのですが、そのあたりのドラマも、ありがちな話ではありますが、若い男性諸君はじっくり読み味わうとよいでしょう。「君は僕なしでも生きていけるだろ? でもあの子は、僕の助け無しには生きていけないんだ」みたいなことをおっしゃる男性って、今でもそれなりにいらっしゃるようですから。

 これから結婚しようという男性諸君は「あなたと一緒になれないくらいなら、私死んじゃう」的な女の子につかまらないよう、くれぐれもお気をつけください。いや、そういう風に言われたい願望が、男性の心の奥底にあるものだから、ころっと騙されちゃうのかな?

 当方25で結婚したのですが、結婚式よりも、新居のほうに投資したものですから、披露宴はかなりシンプルなものですませた記憶があります。本書に出てくる披露宴の相場は300万円以上・・・。ああ、世界が違うなあ。

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2011/09/11

青山七恵「わたしの彼氏」感想

 「ひとり日和」で芥川賞を受賞した青山七恵の新刊です。

 あいかわらず比喩表現はあちこち全開で、ひたすらため息ものです。「目から嘔吐しそうになったので、まぶたできつくふたをした。」なんか、もう、うわあっって感じです。

 帯には「大学2年の繊細美男子、鮎太郎。美人で怖い姉3人。女たちはみな彼に恋をする。けれどもいつも鮎太郎が振られてしまう。何もしていないのに包丁で刺されたり、貢がされたり・・・」などど書いてあります。設定がいいですね。モテモテなのに、なぜかいつも振られる。彼にはその理由がわからない。振られる度に彼は、真ん中の姉の家を訪ねるのですね。慰めてもらいたくて。でも、姉には理由がわかる。

 「あれはきっとわたしたちのせいなのだ。わたしたちが女ばっかりであの子をいじめて頼って愛したから、鮎太郎は今でもそんな女を求めているのだ。」

「大学生になった鮎太郎は、この姉を頼りにし慕ってはいたけれども、いまだに心の底で恐れて、うやまい、できるだけ役に立たなければと思っている。」

 つまり、鮎太郎が付き合う女性は、鮎太郎が心の底から好きだと思って付き合っているわけではなく、小さいころに姉たちにすり込まれた価値観に、無意識に引っ張られて、付き合っているに過ぎないのですね。

 彼は、年上の女性や、あれこれ命令をしてくるタイプの女性に惚れてしまう。でも、それは美しくて横暴な姉を恐れてうやまい、役に立ちたいと思ってしまう彼の、歪んだ性向の表れなのです。彼女たちは、姉の代役をさせられているわけです。

 姉たちは、鮎太郎と付き合っている女達がある日、彼に心の底から愛してもらっていないことに気づくのだ。だから、みな鮎太郎から離れていくのだと知るのです。

 

 さらに姉はこう思うのです。

 「どうして人は、育った家庭の影響をそんなに素直に受けてしまうんだろう。あの子だけじゃない、個人の好きこのみなんて、自分で選択できるものではなくて、結局小さいころ一緒に育った人間が、家が、近所が勝手に決めるようなものだ。」

 まさに「人の性格は環境が作る」説です。一時期「人の性格は遺伝子によって決定される」という説が有名になり、その後「人の性格は、遺伝子と、環境の両方によって決まる」という説が主流になりました。本作の主人公は、幼少期、姉たちによる「環境」によって、女性に対する嗜好が歪められた。そのせいで、美男子でありながら、不幸な青春を送るというストーリーなのですね。いや、素晴らしい。

 はたして主人公の鮎太郎君は、誰の影響でもない、何者の言動にも左右されない、自分の好みで選択した、本当に自分が好きな女性を見つけ、その子と幸せになることができるのでしょうか? 本の帯にはこうも書いてあります。「恋は理不尽。恋は不条理。鮎太郎には気の毒だけど、美男な彼の女難は最高に面白くって・・・」なんだか、うまくいきそうになさそうですねえ(笑)。いや、最後まで本当に楽しく読ませていただきました。

 がんばれ鮎太郎。姉の影響なんかふっとばせ。ひなたを走ってあたたかな気持ちをつかみ取れ。

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2011/09/02

蛇蔵&海野凪子「日本人なら知っておきたい日本文学 ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典」感想

 ベストセラー「日本人の知らない日本語」のコンビが、古典有名作品の突っ込みどころを紹介してくれます。主に絵を担当する蛇蔵さんは女性なのですが、本作では髪の房が蛇の形をしており、その蛇からマンガの吹き出しが出ているという描き方です。笑いました。

 高校の授業では、試験対策の知識詰め込みになりがちなため、突っ込みどころ満載の古典名作、そのおいしい部分に気づかぬままという生徒さんが多いようです。本作は古典の楽しさを再発見し、昔習った古典作品をもう一度読み直してみようという気に(ちょっとだけ)させてくれる一冊です。

 例えば紫式部。「漢文の教養があることを知られると、職場で嫉妬&いじめの対象になるのでは」と考え、漢字が読めないふりをする不器用な生き方をしたらしい彼女を「文章を書かせれば超一流だが、コミュニケーション能力は低かった」と斬って捨てたりします。菅原孝標女にいたっては、二次元文字世界に没頭して部屋から出てこないヒッキー(引きこもり)扱いです。ズバズバいっちゃってます。

 後半の今昔物語では、「人肉食うって、それ怖すぎだろ」みたいな突っ込みや、「ヒーロー戦隊もので言えば、金太郎はイエロー(力持ち担当)」みたいな、「現代物に置き換えると」的紹介があり、軽く笑わせてくれます。

 ただ、広く浅くという編集方針のようで、9つの古典作品のつかみの部分までしか描かれておりません。もっと深く勉強したい人は、この本を取りかかりにして、あとは自学自習を、と考えた方がよいでしょう。

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2011/08/27

DVD「君を想って海をゆく」感想

 フランス映画

 「イラクから歩いてフランス最北端の街へたどり着いたビラル。クルド人難民の少年がイギリスに渡る最後の手段-それは海を泳ぐこと」

 これがこの映画のキャッチコピー。

 

 クルド人少年ビラルには、つきあって3年になる恋人がいる。ところが彼女は家族と共に、すでに移民手続きを取り、イギリスに移住している。ビラルは彼女に会うために、はるばるイラクから、ある時は徒歩で、ある時は貨物列車に忍び込んで、ついにフランス北端の港町までやってくるという、なかなかに泣かせる設定なのだ。

 ところが本作、そんな泣かせる設定なのに、演出は抑制が効いている。ドラマティックな曲など一切流れず、「愛してるよ~」と海にむかって叫ぶシーンなどなく、ましてや「お前のために、おれは命を捨てる」的な自己陶酔チックな演出など皆無である。ビラル少年はひたすら寡黙に、まっすぐな目で、正直かつ真摯な表情で、厳しい現実を見つめるのだ。流れる音楽はピアノによるシンプルで寂しげなメロディー、ただそれだけ。「さあどうだ、泣ける話だぞ」的な作りではないのに、やたらと胸にぐっとくるのだ。

 ビラルは、その町でスイミングスクールのコーチをしているシモンという中年男性に、クロールを教えて欲しいと願い出る。

 このシモン、美人の奥さんと離婚調停のまっ最中という設定。「彼が海を渡るのは、恋人のためだ。4000キロ歩き、今度は海峡を泳いで渡る。僕は目の前の君すら手放すのに」というセリフが、これまたぐっとくる。二組のカップルの対比がこの作品に深みを与えるのだ。

 さらに、この後のシモンの矛盾した言動が、論理的でないぶん、リアルさがあるのだ。

 「いいか、水温は10度。そこを10時間。10分おきに巨大タンカーが通る。泳げると思うか?」そういってビラルに渡海を断念させようとするかと思えば、ウェットスーツを貸してやったり。そうかと思ったら、ビラルが海に出たと知ったとたん、海上警備隊に捜索願を出したり。 

 今フランスは、クルド人その他の難民対策として、難民を援助したり、炊き出しを行ったりする活動家は逮捕し、難民は国外に追放するという政策がとられている。そういう背景があることを、本作を見る前に知っておきたい。

 実際にフランスに旅行に行った人から聞いた話だが、とにかく治安が悪いらしい。団体からちょっとはぐれて一人でいると、とたんにロマとおぼしき一段に取り囲まれたそうだ。日本人旅行客は彼らにとって、カモカモーンwithポロネギであるらしい。フランス国家としては、彼らを野放しにするわけにはいかないのだろう。

 原題は「ウエルカム」つまり「ようこそ」。 これはシモンの隣人の玄関マットに印刷してある単語なのだ。隣人は、政府の政策どおり、難民に対し、差別的な言動をする。ビラル少年をかくまうシモンを、警察に通報するのだ。

 表向き「ウエルカム」と言ってはいる。でも、金を落とす日本人団体旅行客は歓迎するが、難民は追い返す。フランスは今、そういう国になっている。そこを風刺したタイトルと考えられる。

 島国日本に住んでいるため、難民問題に対しては対岸の火事的な感覚でとらえがちで、どうにも現実感がない。想像力を働かせて見る必要のある映画だ。

 

 

 

 

 

 

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2011/08/20

乙一「箱庭図書館」感想

 読者に送ってもらったボツ原稿を乙一がリライト(リメイク)するという企画でできあがった一冊。6つの短編からなる。当然まったく別の話ばかりなのだが、そこを乙一が、共通の登場人物を設定し、共通の町での出来事とすることで、見事にまとまりを作った。それぞれの登場人物がその町で、ある時はすれ違い、ある時は関わりながら、実際に生き生きと動いているように感じられるのだ。さすがにプロは違う。タイトルの「箱庭図書館」というのも、この本の内容を的確に捉えていると思う。まさしく「図書館」を中心に、この小さな町の中で、登場人物たちはそれぞれの小さな(大きな)悩みを抱えながら生活しているのだ。

 プロは違うと言えば、本書は巻末に元ネタをネットで読めるよう、サイトを明記してある。最終話「ホワイト・ステップ」が気に入ったので、元はどんな話だったのか気になり、読んでみた。悪い話ではないが、セリフのやりとりばかりでほとんどのストーリーが進行するので、切実感がなく、なんだか小さくまとまりすぎているように感じた。乙一のリライトは、本人が後書きでも述べているが、いくつかのアイデアを加えることで、登場人物に動きを作っている。実際にいろいろな体験をすることが、登場人物の心の変化を促すのだということがよくわかる一作になっている。

 これから小説家になろうとする者は、本書はよい手引きとなるだろう。アマチュアの作を、プロがどのようにリライトするか、逆に言えば、アマチュアの作には何が足りないのか、本書と原作をじっくり読み比べるとわかるのではないだろうか。

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2011/08/14

映画「ダンシング・チャップリン」感想

 「周防監督が草刈民代と結婚したのは、彼女の実家がとんでもない資産家だからだそうよ」

 映画を見終えた妻がそう言い出した。

 「この映画、ヒロインは別に草刈民代でなくてもよかったよね。ダンサーのルイジは、草刈民代の資産にものを言わせて、ローラン・プティを説得したんじゃない? ルイジは自分のダンスを映像に残したかった。周防監督はダンシング・チャップリンを映画に撮りたかった。草刈民代は自分を使って撮って欲しかった。今回、三者ともに利害が一致したわけね。周防監督と草刈民代、結婚してよかったんじゃない?」

 せっかくよい映像を観た後だというのに、身も蓋もないことをおっしゃるなあ。

 ドキュメンタリーの場面で、ローラン・プティが「そのまま何も小細工せず撮ってくれ。だってここに、こんなに素晴らしい二人のダンサーがいるじゃないか」と周防監督に言うシーンがある。なんだか、とびきりいきのいい魚を前にして、「そのまま活け作りにしてくれ」と言うローラン・プティ。「いやいや、これは下味つけてグリルして、特製ソースをかけて召し上がったほうがいい」と言うコック長周防監督の図・・・みたいであった。和食を主張するのがフランス人で、フランス料理を主張するのが日本人というところが面白い。まあ、最近のフレンチは和食の技法を取り入れているとも聞くし。

 監督にしてみれば、そのまま客席から撮ったのでは、監督の仕事がなくなってしまう。熟練のカメラマンがいればそれで終わり。それでは困る。そういうわけで、ローラン・プティには内緒で、二人の警官のシーンは屋外の公園で撮影したそうだ。試写会でローラン・プティ泣いて喜んだからよかったけど、完全な結果オーライである。その他にも、ズームやパン、さらには俯瞰で撮ったりと、映画的なカメラワークはそれなりに入っている。

 もし、本作をディスクで販売するのなら、マルチアングルカメラの機能を使って、正面客席カメラからの映像(和食ね)と、周防監督がいじくりまわした映像(フランス料理ね)の両方を見られるようにしてくれると面白いんだけどなあ。まあ、絶対しないでしょうけど。

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2011/08/06

DVD「きな子~見習い警察犬の物語」感想

 地元香川県の映画ということで観ることにしました。去年の夏、上映された作品です。

 香川県では「きな子」はローカルニュースにしょっちゅう出てきて、かなり有名な犬だったんですが、全国的な知名度はどうだったんでしょうか? 映画にするくらいだから、全国的にも一応知名度あったのかな?

 実話を元に制作された映画です。私も、きな子とその訓練士が、何度も警察犬試験に不合格になる記事は、新聞やテレビニュースで何度も見ました。「あ~、また落ちたか。まあでも、君はその愛嬌があるからいいじゃないか」そんな感じで見ていた覚えがあります。映画でも、きな子が試験の最中、チョウチョに気を取られて女性訓練士に怒られるシーンがありましたが、実際のきな子も、あんな感じの憎めないキャラでした。いやラブラドール・レトリーバー、本当にかわいいです。

 映画できな子を演じるのは、別のレトリーバーだそうですが、やっぱりかわいい。目が大きくてかわいい系じゃなくて、仕草が憎めない系のかわいさです。

 香川県の映画ということで、登場人物はみな讃岐弁をしゃべるわけですが、横で料理しながら観ていた妻が、「これどこの国の言葉?」と、一言。

 子役が二人出てきます。兄と妹。妻が「このお兄ちゃん役、ドヘタクソやな」・・・妹の方はまあ及第点? この妹、性格設定が、客観的かつ冷徹に現実を見つめ、さらにズバッと一言で斬って捨てる(つまり、素直に感情表現できない)というキャラであるらしく、「兄ちゃん、それ、恋やで」には、かなり笑いました。

 ロケには讃岐富士をバックに、美しい自然が効果的に使われていましたが、香川県人が見るから「ああ、美しいなあ」と思うのであって、県外の人が見たら「まあ、普通のちょっときれいな田舎じゃん」くらいのものではないのでしょうか? あと、後半に集中豪雨のシーンがあるのですが、やたらと照明を当てて天気雨っぽくなっていたのはどうしたことでしょう?

 あと、先輩訓練士が親の稼業のうどん屋を継ぐというサブストーリー。その後どうなったのか、知りたい人も多かったと思います。エンドロールで象徴的なシーンでも入るのかと思ってましたが、一切なし。中途半端感はぬぐえません。香川の映画だからって、無理にうどん屋の話をからめなくてもいいのに・・・。

 さて、本作を今観て、かなり複雑な気分になるのは、私だけではないと思います。この後、きな子と女性訓練士がどうなったかを、たいていの人が新聞記事を読んで知っているからです。以下その記事を要約したものを載せます。

 

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 「きな子」が、丸亀市内第57回県警察犬競技大会で初優勝。

 丸亀訓練所の訓練士見習いだった女性が、このたび正式に日本警察犬協会公認訓練士となり、訓練所から独立した。そこで今回「きな子」は、訓練所の所長と初コンビを組んで、においの選別部門に出場。高得点をマークして優勝した。

 所長は「結果を出せたのは女性訓練士との6年間の蓄積。」とコメント。

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 新聞記事だけでは、女性訓練士とその上司である所長、そしてきな子の、三者の関係がどのようなものであったのかがわかりづらく、いろいろ憶測してしまいます。単に女性訓練士が未熟だったのか。それとも女性訓練士との6年間の下積みが、7年目にやっと開花したと見るべきなのか。本当のところはどうなのでしょう? 本作、もう一度ドキュメンタリーとして作り直した方がいいのかも知れません。いやそれとももう、きな子たちは、そっとしておいてあげたほうがいいのかな?

 

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2011/07/31

カール・サバー「子どもの頃の思い出は本物か」感想

 人格を形成するのは、体験によってであり、つまるところ、記憶の蓄積がその人の心を作るのだと、ずっと思っていました。でも、幼い頃の記憶が曖昧であることも知っています。幼稚園に入る前、三輪車でどぶ川に落ちた記憶があるのですが、それは自分の記憶なのか、それとも母親から「あんたは小さい頃、三輪車でまっすぐドブに向かって走っていってね」という話を何度も聞いたせいで、そう思っているのか、そこがはっきりしないのです。

 「記憶の抑圧」について、本書は今までの一般的な説を否定しています。

 今までは、自分にとってあまりにショッキングでつらい記憶は、忘れる、あるいはなかったことにすることで、自分の心を護る働きが人の心にはあると言われてきました。母親から「あんたなんか産まなきゃよかった。あんたのせいで私は幸せになれないんだ」と言われた幼児は、自分が不必要な存在であることに、心が耐えられない。だから、そんなことは言われていない。そのように、心が自動的に記憶を消してしまう現象を「記憶の抑圧」と言うのですが、これが仮説の域を出ていないと言うのです。

 「抑圧された記憶」を扱った小説や映画は、今までにもたくさんありました。極悪非道の連続殺人事件、その犯人は、実は私だった・・・とか、最愛の彼女の死にうちひしがれる主人公、でも実は彼女の死因は自分にあった・・・とかですね。あれは全部フィクションということになりますね・・・ま、もともとフィクションですけど。 

 本書は今のところ、そのような現象が起こる科学的裏付けはないと結論づけています。ショッキングな出来事は、忘れるどころか、いつまでも深く記憶に残り、PTSDとなる。そう考えるのが自然であり、その逆の例がいくつも報告されているが、いずれも不自然だと。

 例として、一昔前にアメリカであった「私はUFOに拉致され、人体実験を受けた」という記憶を、ある時突然思い出した人たちの話をあげています。また、「幼少期に父から虐待を受けた記憶を、ある日突然思い出した」と言って、父親を訴えた娘の話も例として出てきます。しかし、具体的な証拠がない場合は、「抑圧された記憶」は、実はセラピストの誘導的な質問によって、「創られた記憶」である可能性が高いと言うのです。

 ただ、現在は海馬の研究が進み、トラウマとなるような記憶を忘れるメカニズムが存在する可能性も出てきました。また、「抑圧された記憶」とは別に、そのトラウマを経験しているのは自分ではないと自動的に思い込む自己防衛システム、いわゆる「乖離」現象のほうは、ちゃんと実在するようです。多重人格者が主人公の「24人のビリー・ミリガン」の話には裏付けがあるということです。

 ただ、アメリカにごまんといる心理療法家のうち、かなりの数が、実は妖しげな資格しか持っていない、という事実は怖ろしい。しかも、四人に一人は「前世の記憶」を信じているというのですから、アメリカでセラピストに心理療法を受ける際には、くれぐれも気をつけなければならないと強く思った次第であります。

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2011/07/24

映画「コクリコ坂から」感想

 監督が宮崎吾郎ということで、ゲド戦記アゲインか? とかなり不安でした。しかし、それは杞憂に終わりました。まず傑作といっていいと思います。
 まずは登場人物の名前から突っ込ませて頂きます。主人公、海の妹の名前が空、弟が陸・・・すいません、突っ込みます。軍隊ですか? 海軍、空軍、陸軍ですか? しかも海ちゃんのニックネームはなぜか「メル」・・・いやそれなんで? (原作によると、海→ラメール(フランス語)→メール→メルということだそうで)原作読んでないとわかんないじゃん(笑)。
 そもそもタイトルのコクリコ坂って何? 告(コク)る話ですか? 坂道で告白するんですか(笑)? そもそもコクリコって何だ? いやそれはポピーのことで、ちゃんと映画の中で咲いてたでしょ? ああ、なんか咲いてたな。あと、コクリコってのは、たしか与謝野晶子が短歌に詠んでたはず、君もコクリコ僕もコクリコって、習わなかった? ああ、どっかで読んだことあるな。おや? なんか、調べてみたらコクリコ=ポピー=ヒナゲシ=虞美人草ってなってるよ。虞美人草ってポピーだったのか? 「虞や虞や汝を如何せん」って、ヒナゲシだったのか。「おっかのうっえ ひっなげしっの はぁんなー」って唄は、虞美人草の唄だったのか・・・虞美人草って、もっと儚くて頼りなげな花かと思ってたよ。知らなかった。・・・すいません、己の無知さ加減を延々と語ってしまいました。

 ストーリーの展開は、さすが少女マンガが原作ということで、おいおい、そういう悩ませ方するんですか。お父さんが二枚目だと、娘はいつまでもファザコンから卒業できませんか? 二枚目の彼の登場で、やっとお父さんから脱却できますか。見ていてちょっとおじさん引いてしまいますよ。困るなあ・・・。

  カルチェラタンに出てくる男子生徒が、いずれもリアルさに欠けるのは描き手が女性だからでしょうか? むさ苦しい男子学生の巣窟に、いきなりかわいい女の子が二人も入ってきたら、あの年頃の男子生徒はまず、硬直します。次に誰か気の弱い生徒を犠牲にすることで、女の子と接触を図ります。さらに女の子が帰った瞬間、下ネタ話が始まります。まあ、女性から見た、理想的な男子学生を描いたフィクションということで、許容。

 ヒロインの性格がぱきっとしてて漢っぽい(おとこっぽい)ところが好感度大。まず大股でがしがし歩きます。家事をてきぱきこなしますが、動きに無駄がありません。自ら告白します(やっぱりコクる話だ・・・笑)。

 ヒロイン海の声をあてているのが、長澤まさみ。見る前は「大丈夫か? 例によって舌足らずな 子どもっぽい話し方になるんじゃないのか?」と不安でした。でもいざ始まってみると、全然気になりませんでした。すごくナチュラルだったと思います。よかったです。

 唄は今回も手嶌葵。途中カルチェラタンの学生が合唱するシーンがあるのですが、冒頭のソロを歌う女学生役を演じます。このシーンは感動的です。

 

 あと、下宿している画家の卵さんが描いた絵が、実に素晴らしい。原色を幾つも重ねて叩きつけたようなタッチで、その中に、本作で大事なキーとなる記号が描き込まれているのです。いい絵だと思いました。

 以下ちょっとネタバレ。

 演出はわりとオーソドックス。彼が海沿いの家に帰り、自室で写真を見るシーンがあります。なんのシーンだろうと思いながら見ていると、その後カメラは部屋の窓から、家の外へとスクロールし、海面に映る彼の部屋の灯りで止まります。そこへ船がやってきて、舳先で海面に移る窓明かりを真っ二つに引き裂く。ああ、なるほど、この後の二人の運命を暗示したいわけですね・・・みたいな。

 ところで、彼が本当は父の隠し子かもしれないという疑惑は、きれいに晴れたのでしょうか? 母に聞いてもわからないし、ラストに出てくる船長さんも、肝心な時には航海に出ていて知らないということだし、結局わからずじまいなんですけど。いいんでしょうか? 二人の頭蓋骨の骨格があまりにもそっくりに描かれているので、てっきり血のつながった兄弟なんだとばかり・・・。 きっとこれでいいんでしょうね、海の、晴れ晴れとした表情がそれを物語っています。

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2011/07/16

ベン・マイケルセン「スピリットベアにふれた島」感想

 平成23年度青少年読書感想文課題図書中学校の部の一冊です。
 
1 犯罪者が自分の犯した罪を、あるきっかけによって反省するようになる。
2 なぜ自分がそんな罪を犯したのか、その理由を考える。
3 自分の罪が、どうしたら許されるか考える。
4 被害者と向き合い、ともにこれからの人生をよいものにしようと模索する。

 というようなストーリーです。
 職業柄、いろんな生徒を見てきました。周囲の人間を敵か味方か、どちらかでしか見ようとしない、そんな生徒たち。彼らは、自分を馬鹿にする奴らを許そうとしません。そういうタイプの人間が、自分の罪を反省するということは、なかなかありえないのですね。常に「おれがこうなったのは、あいつのせいだ」という理論で動いていますから。まずその根本の部分がぐらりとひっくり返ってくれないことには、変化しない。
 本作の主人公は、家庭内暴力をふるう父と、それを黙認し、飲酒で現実逃避する母、その二人が主人公の心の中に「怒り」を常駐させ、学校での暴力行為へと駆り立てる、そういうストーリーになっています。よくあるパターンですね。家庭内で暴力にさらされた子どもは、大人になったら今度は自分の子どもに暴力をふるう。アダルトチルドレンとかDVとか、さんざん他の作家が取り上げてきたテーマです。では、過去の作品と何が違うか? 
 本作の前半で主人公は、無人島でとんでもない体験をすることになります。はっきり言って死ぬんじゃないかと思いました。全身にアブと蚊がたかるシーンなんか、心の底から「わわわ、死ぬ前兆だよこれ」と思いました。生死をさまようそのシーンが、実にリアルです。迫真に満ちています。特に前述の「俺がこんなところでこんな目に遭っているのは、誰々のせいだ」というあたり。まさしくそう思うことでしょう。自分の不幸は誰かのせいにしないと、人は運命の過酷さに耐えられない、弱い生き物ですから。

 ところが、ここで奇跡がおきます。ネタバレになるので伏せますが。そうして生き延びた主人公が、上記1から3のプロセスを経るのです。その時、ネイティブアメリカンの様々な知恵が彼の成長を助けるのです。やがて彼は4の、自分が傷つけた相手と和解に至るという、奇跡の連続のようなストーリーです。まあ、フィクションだからなぁ・・・。
 本作では、犯罪者を更正するため、サークルジャスティスという手法が紹介されます。加害者と被害者が、第三者の援助によって深く関わり合うきっかけを手に入れる。それによって、お互いの歩み寄り方を探るという、ネイティブアメリカンのこの手法は、たいへん興味深く読みました。が、本作で直接二人の溝を埋めるきっかけを作ったのは、タイトルにある、スピリットベアとの出会いであるというところが、じゃあ結局サークルジャスティスってなんなんだよ? と突っ込みたくなる要因となっています。奇跡的な体験がなかったら、和解はできないのかよ? 怒りの感情はコントロールできないのかよ?(笑)まあ、フィクションだからさぁ・・・。
 でも、日本みたいに少年院に入れて、果たして改心するかと聞かれたら・・・・・うう~ん。ムリかなあ。それに、日本では、被害者の救済は相変わらず未解決のままですし。
 読書が大好きな中学生は、多かれ少なかれ、すぐに暴力で白黒つけようとする同級生が同学年にいて、彼ら(彼女ら)によって多大な迷惑を被っている、そんな中学校生活を送っているのではないかと思われます。そんな読書大好き平和主義中学生が、この本を読んだ時、普段できればなるべく避けて過ごしたいと願っている、乱暴で怒りに満ちた少年と、本作の主人公が重なって見えるはずです。彼が改心するストーリーを読んで、一体どんな感想文を書くのでしょうか? ちょっと楽しみです。
 幼少期からずっと殴られて育った子どもが、学校で人を殴らない中学生に成長するためには、実際何が必要なのでしょうか? 長い年月をかけて蓄積された「怒り」の感情は、どうやったら彼らの心から消えるのでしょうか? どうもその答えは、この本を読んだ限り、簡単に手に入れることはできないようです。

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2011/07/10

DVD「チェブラーシカ(リメイク版)」感想

 ロシアの名作パペット映画を、日本人スタッフがリメイク
 サーカスに入団する少女マーシャはなかなかロシア人少女っぽくていいです。設定も旧ソヴィエト版を丁寧に踏襲。でも、できたらチェブちゃんとゲーナには、ロシア語でしゃべってほしかった。チェブちゃんの「ウラー」が聞きたかったし、アコーディオンを伴奏に歌うゲーナの唄も聞きたかった。
 ストーリーは普通・・・。すいません、正直に言います。途中で寝てしまって、巻き戻しました。

 ソヴィエト版には、我々の常識から外れた社会が描かれていました。それは北の凍てつく大地だったり、どこかで誰かに看視されているような雰囲気だったり、だから、一瞬たりとも目を離すことができなかった。そんな緊張感に満ちていました。だからこそ、癒しのキャラであるチェブラーシカとゲーナの存在がいとしいのです。しかし、制作スタッフが日本人になったリメイク版は、日本社会の常識の範囲内で作られた作品となってしまった。そこが大きな違いでしょうか? 

 その結果・・・

 ソヴィエト版にあった、自分の存在に対する不安感は3割減。
 ソヴィエト版にあった、社会に対する不安感も3割減。
 そんないろんな不安の中で、でも一生懸命よいことして、自分も社会に必要な存在になりたい、友だちを作って孤独から逃れたいと願う、そんなけなげさ、それに伴う哀愁にいたっては7割減。
 妻が「かわいいだけのチェブラーシカなんか、チェブラーシカじゃないやい」と申しておりました。
 つくづく、ソヴィエト版ってすごかったんだなあと、あらためて実感。

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2011/07/03

石黒浩「どうすれば「人」を創れるか  アンドロイドになった私」

 大阪大学基礎工学科教授の著書です。いかに人間そっくりのアンドロイドを創るか、アンドロイドの「見かけ」に、とことんこだわりまくったお方です。写真がいくつかあります。自分そっくりのアンドロイドと、自分が横に並んだ白黒写真。どっちが本物か、分かりません。若い女性そっくりのアンドロイドと、そのモデルが並んだカラー写真があります。こちらは髪の毛の不自然さで、こっちがアンドロイドとすぐに判別できます。また、照明の当たり方にもよるようですが、アンドロイドのほうが、肌の表面にのっぺり感が漂っています。
 普通、データをたくさんとって、それを分析してから「これはこうだ、ああだ」と言うのが学者さんだと思っていました。しかし、本書は違います。「無論、このあたりの議論は、私の想像の域を出ないものであり、脳科学的に検証されているわけではない。しかし、そんなにはずれたことをいっているとも思えない。」的記述がほとんどで、データらしいデータをほとんど取っていません。主観でものを言っています。「学者がこんなんで文章書いていいのか」とつぶやいたら、横で妻が「いいんじゃない? 別に研究論文ってわけじゃないんだから。エッセイと同じで、自分はこういうことをやって、こう感じた、こう思ったっていうことを書いた本なんだから」あ、なるほど。学術本じゃないから、これでいいんだ。だったら楽しんで読もう。と思った次第です。
 筆者はかなりおもしろい方のようです。本作の後半になると次々におもしろさが大爆発してきます。例えば、自分そっくりのアンドロイドを作ってから5年がたち、アンドロイドはほとんど経年変化がないのに、自分のほうはなんだか、太ってしまっている。そこで筆者は、アンドロイドと自分を近づけるために、アンドロイドを太く作り直すのではなく、自分を細く作り替える道を選ぶのです。「実はそれまでにも、痩せた方がいいだろうと思うことが何度もあり、」筆者は健康器具を買ったことがあるのですが、すぐに飽きてしまって続かなかったのです。だから当然今回もすぐに挫折する。そういう話なんだろうと思って読みました。ところが、筆者は腹筋運動用のベンチを買うと、毎日100回腹筋を続け、三ヶ月でウエストを10センチ細く、体重を10キロ落とすことに成功! 「アンドロイドよりスマートになりましたね」と周りから言われるのです。この人、のめりこんだら、とことんまで行く人なんだと、つくづく思いました。

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2011/06/25

DVD「カラフル」感想

 原作は言わずとしれた、森絵都の「カラフル」! あまりに有名な作品であるだけに、映画化もためらわれたであろう。今回アニメで映画化。
 最初の違和感は、案内役のプラプラ。原作ではもっとホストみたいな二枚目長身優男しかも天使の羽つきだったはず。しかし本作では、主人公の真とさほどかわらぬ低身長しかも半ズボン。声も変声期前の甲高い少年声。鉄人28号操縦するんじゃあないんだからさあ・・・おまけに羽生えてないし、いや、よく見れば髪型がなんだか羽の形してはいるんですけどね。さらにこのプラプラ、妙な関西弁のイントネーションでしゃべる。いや、もっと普通のプラプラでよかったと思うんですけど。なんでこうなっちゃうの?
 という、最初のショックをくぐり抜ければ、あとはなかなか原作に忠実でよかったです。その他で目につく大きな違いと言えば、父と母の真実の姿の描写が削られ、代わりに親友早乙女君の電車オタクぶりが追加されているところでしょうか。この早乙女君、実にほのぼの天然キャラとして丁寧に描かれており、好感が持てます。いやホントにいい人です。彼がいたから、真も受験勉強その他の現実から、逃げずに立ち向かうようになったのでしょう。でもまあ、母の本質をずばり指摘する真の台詞はやっぱりちょっと聞きたかったかな。「あんたは単に飽きっぽいんだよ」名台詞だと思うんだけどな。
 背景の映像は、実写をそのままアニメ絵におこしましたと言う感じがあまりに強く、それなら実写でやれよ。と言いたくなります。でも、町並みは本物そっくりそのまま書き写した風なのに、走っている乗用車はなんだか御座なりでリアルじゃないのはなぜ?
 時々、異常なまでに細部にこだわった描写があります。兄のメガネの曇りとか。一つひとつ止めながら見たら、もっといろいろな発見があるかもしれません。
 あとびっくりしたのが、声優さん。母の声をあてているのが、なんと麻生久美子。ええ~って感じです。この人、こういう使い方もありなの? 最後のスタッフロールで初めて知りました。

 映画を観た後、もう一度原作を読み直したのですが、やっぱり名作ですね。あらためてしみじみと感動しました。 

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2011/06/18

DVD「彼女が消えた浜辺」感想

 イラン映画です。宣伝文句には

「週末旅行を楽しもうと避暑地にやってきた男女グループ。しかし、2日目になってエリが忽然と姿を消す。残された者たちは半ばパニックに陥いりながら、さまざまな可能性を話し合うが、やがて意外な事実に気付く。エリの素性を知るものが誰もいないということに。そして3日目・・・スリリングな設定で描く心理サスペンス。」

みたいなことが書いてありましたが、はてサスペンスですか、これ? 

 イランでの、浮気をした女性に対する社会的、宗教的制裁が、どのようなものであるか、映画を見るうちに日本人である我々にも段々わかってきます。 男女グループは、消えた女性エリが婚約していたことを知っていたかどうかで、受ける制裁が、大きく変わるらしいのです。女性が浮気した場合、婚約者である男性には、浮気した者(妻となるはずだった女性と、浮気相手の男性両方)を殺す権利が与えられるらしいのですね。

 そういうわけで、映画の前半ではみんないい人達だったこのグループ、後半に入るとみんな保身のため、自分の身かわいさで、大嘘をつきまくります。悲嘆にくれる婚約者を欺こうとします。正直に真実を告げようとする者を殴り倒します。「こうするのがみんなのために一番良いんだ」「でも、それじゃエリの立場はどうなるの?」

 どう見ても、男に都合のいいようにできている、浮気女性に対するこのイランの社会的、宗教的制裁。 映画中盤、エリが砂浜で無心に凧を飛ばすシーンがあります。この凧のように、彼女も自由に空を飛びたかったのかも知れません。同時に、飛びたくても所詮凧は凧。糸で地上から操る者から逃れることはできないのですね。そんなメタファーとして感じられました。

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2011/06/12

大島真寿美「ピエタ」感想

 タイトルの「ピエタ」とは、孤児を引き取って養育する慈善施設の名前である。18世紀のヴェネツィアが舞台となっている。ヒロインはピエタで育ったエミーリア。ピエタでは、唄が上手な子や楽器演奏の上手な子を集めて楽団を作り、演奏会を開いて、その売上を施設の運営費の一部に充てている。実在のヴァイオリニスト、アンナ・マリーアが、エミーリアの親友として本作に登場する。彼女たちに音楽を教えるのが、あの有名なヴィヴァルディ。(ちなみにヴィヴァルディは「アンナ・マリーアのための6つのヴァイオリン協奏曲」という曲を書き残している。)もっとも、ヴィヴァルディが有名になったのはこの40年くらいのこと。たしか、イ・ムジチ合奏団が「四季」のLPをベストセラーにしたのがきっかけだったのではないか? イ・ムジチが「四季」を取り上げなければ、完全に忘れ去られたままの音楽家であったはず。本作でも、ヴィヴァルディ先生は時代遅れの作曲家として、ヴェネツィア住民から忘れられようとしている。そういう設定になっている。つまり本作は、たいへん史実に忠実に書いてあるのだ。

 余談だが、私が初めて買った「四季」は、イ・ムジチではなくドイツ人ミュンヒンガー指揮のものであった。「冬」のあまりに厳しい表現はまさしくドイツの冬で、特に出だしの部分は、こんな研ぎ澄まされた氷の刃のような冷たい曲が、あの時代に、もうすでにあったのだ、ヴィヴァルディは書いていたのだ! と驚嘆したのを覚えている。

 ピエタで、エミーリアたちと一緒に、楽器演奏を習うお金持ちの令嬢がいる。ヴェロニカという名だが、彼女は財力にモノを言わせて、たいへん高価な楽器を買うのだ。しかし、ちょっと弾いたら、「飽きた」とか言って、すぐ次の楽器を買う。鼻持ちならない行為のように見えるが、実は、後でこの楽器を全て「ピエタ」に「いらなくなったから」と言って寄付してくれるのだ。最初からそのつもりで買い換え続けたとしか考えられない。ヴェロニカは言うのだ。「ピエタには、私と違って、音楽の才能を持った子たちがたくさんいる。私には何の才能もないのよ。私は一体何のために生まれてきたの? 私にできることは、こうしてあなたたちに寄付をすることくらい。」

 赤ん坊の時ピエタに捨てられたエミーリアは、成人してから、残された手がかりをもとにして、自分の実の親を突き止める。だが、結局親は彼女に会おうとはしなかった。エミーリアは悟るのだ。「人間はどこまでもひとりだ」と。自分だけではない。それは、いくらヴェロニカのように金を持っていようと、いくらヴィヴァルディ先生のように才能があろうと、その点だけは変わりないのだと。

 だが、本作はラストでヴェロニカたちに素敵な神の思し召しが降り注ぐ。あまりに美しい描写と、美しい詩に、心が震えた。

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2011/06/03

森見登美彦「四畳半王国見聞録」感想

 森見登美彦氏「四畳半シリーズ」の新作(シリーズ・・・なのか?)です。当然、前作の登場人物が出てきますが、でもそれは、ほんのちょこっと顔見せする程度。新規に登場する人物たちが、みなキャラ立っていて、良い味出してます。

 その中でも、「大日本凡人會」が傑作。「妄想的数学証明によって現実世界に物質を出現させる」数学氏、ビデオからモザイクを物質化して除去するモザイク氏、精神的に凹んだ時、身近にあるものをも凹ませることのできる凹氏、マンドリンを弾き語りつつ、人の心に侵入する丹波氏。そして、いるのかいないのかわからない無名君。(実は敵に回すと怖ろしい(笑))。この五人の非凡な能力を持ったグループは、若かりし日に、その能力の使い方を誤ったため、大きなトラウマを抱え込み、以後「その能力を決して世のため人のために使うまい」という誓いを立てる、という設定がまず秀逸。ある日無名君が、己の持つ能力を「一日一善」に使いたいと言い出して、会を脱退したあたりから、ドラマは急展開。しかも初音さんという黒髪の美少女まで絡んでくるのだから。喫茶店の主人が六つのコップに水を注いで持ってきた時に気づけよ! そこに無名君がいるって。ちなみに表紙絵は彼ら五人を描いています。さらに裏表紙絵にはプラスアルファが。

 ラスト、四畳半王国の主が、四畳半の中に創りあげた自分の世界の中で、外の世界とのつながりを発見するという終わり方をします。これって、今流行の引きこもり君が、ネットの世界に入り浸り、やがてネットを通じて外の世界とつながっていくということのメタファー?
 いやそんなハイテクじゃ全然ないですよね。思いきりローテクだからこそ、本作にはこんなにも、ほのぼの感があふれているのでしょう。

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2011/05/28

DVD「ゲゲゲの女房」感想

 NHK朝の連続テレビドラマとは全く違った方向から作られた「ゲゲゲ」である。だが、たぶんこちらの方がより真実に近いのではないだろうか。

 まず主役の水木しげるを演じるのが、向井理ではなく、宮藤官九郎であるところからして、180度路線が違う。イケメン爽やか路線で、全国のお茶の間の奥様方のハートだけでなく、共演の松下奈緒のハートまでもを鷲掴みにしたらしい向井理。しかし、実際の水木しげるは、そんな爽やかイケメンでないことは皆知っている。彼の描く作品に登場する人物には、なにがしかの影がついて回るが、それは作者の心の闇の投影であろう。戦争で片腕失い、生死をさまよった人物が描くマンガは、おどろおどろしい怨念がついて回る。後にアニメ化されたゲゲゲの鬼太郎のような、可愛らしいキャラたちの世界では決してない。

 そういう雰囲気を、本作は、合間にモノクロアニメを入れる演出で、見事に表現している。また、宮藤官九郎が、若い頃の水木しげる作品に垣間見られる狂気を見事に演じている。

 テレビ版で描かれた「腐りかけたバナナを安く買いたたく」エピソードは本作にも登場するが、ほんわかほのぼのムードで描かれたテレビ版とは違う、切羽詰まった状況での窮余の策として描かれる。さらにその状況を、水木しげるは「生きてさえいればもうけもの」と笑い飛ばして乗り越えるのだが、その心の持ちようを、南方で現地人に支えられ生き延びた過去のシーンを想起させる妖しげな演出(非現実世界への逃避?)を入れることで表現している。

 そんなクドカン水木しげるに影響を受け、少しずつ逞しい女に変容していく布枝さんを吹石一恵が熱演。ついには、夫婦して墓場でヒトダマが見えるようになるまで成長(?)するのだ。

 音楽も、NHKでは「いきものがかり」が、思いきり爽やかな、「夫婦連帯して苦労を乗り越えたけど、すべてはお父ちゃんの人生訓のおかげ、お父ちゃんありがとう愛してるよ」ソングを毎朝流していた。しかし本作の音楽は180度コンセプトが違う。ムーンライダーズが、思いきり妖しげな曲を演奏しているのだ。いっぺん聞いたら耳にこびりついて離れないだろう。とにかく妖しい。ゲゲゲッゲッゲ ゲゲゲッゲッゲ ゲゲゲ~のにょおーぼー・・・

 ちなみにムーンライダーズの鈴木慶一氏、古本屋の主人として出演したりしている。

 映画は講談社が少年マガジンの連載話を持ってきて、暮らしがやっと上向きになってきたらしいことを象徴するシーンでエンディングとなる。「終わりよければすべてよし」と水木しげるは言っているが、「暗い」し「かわいくない」ため、子ども受けしない水木しげるの作品を、当時の講談社がよく採用してくれたものである。決断した編集長に拍手を送りたい。

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2011/05/21

西加奈子「円卓」感想

 西加奈子の新作です。

 主人公は小学三年生の琴子。その級友達が、みなさんキャラたちまくってすごいです。しかも、次から次へとたくさん登場するので、出版社さんも心得たもの、本の帯にちゃんと登場人物一覧表をつけてくれています。

 西加奈子は話が思考がぽんぽん飛びます。さっきまであれ考えてたのに、次の瞬間はこれ考えてます。関西弁しかも助詞を省きまくった文体により、ぽんぽんと話が進んでいきます。落ち着きなく登場人物の考えていることを中心にどんどんとストーリーを進めます。

 例えば琴子は、自分がこうだと思うことが世界のすべてなため、他人がどう思うか、そのあたりを想像する部分がぽっかり抜け落ちています。やや自閉症気味です。級友のぽっさんにそれを指摘されるシーンがあります。琴子の祖父は、琴子が将来それで無自覚に他人を傷つけてしまい、そのため、彼女の人生が困難なものになるだろうことを予感するのです。

 例えば琴子は「孤独」にあこがれ、不幸な境遇の級友を、ドラマチックでうらやましいと感じ、自分も不治の病にかかりたいと思い込み、不整脈の症状を演じたりするのです。決して世界が自分をどのように見ているかなど考えません。ちょっと多動症っぽいところがあります。現に小説中では、琴子のクラスは何度も学級崩壊の兆しを見せるのですが、ジビキというあだ名の担任が、そういう現象にびくともしないおおらかな心を持っているらしく、大事には至らないのですね。

 そうかと思うと「中学生時分のお洒落心は、ロクな結果をうまない。目立ちたいという思いだけが背中を押し、「個性」をはき違えさせてしまうからだ。」など、小学三年生が考えもしない、第三者的視点で書いた部分が時々あったりするため、書き手の視点に統一感がありません。

 魅力的な言葉たちが、あちこちに散乱しているような作品です。計算して書いているわけではなく、思いつくままに書いたらこうなってしまいました的なところが多々あります。しかし、西加奈子の作品では、丁寧に張った伏線とか、がっちりとした構成の見事さとか、そういったものを期待してはいけません。そういうドラマ構成を読むのではなく、感覚的な読み方をするべき作家でしょう。ですから、突然痴漢や鹿が出てきても、「なんでここで痴漢なんだ? なんで鹿なんだ?」などと理詰めで考えたりしてはいけません。痴漢や鹿の持つイメージを広げつつ、ざっくりとストーリーの進行を眺めましょう(いや、鹿もそれ以前に一応伏線は張ったつもりなんでしょうけど、はてさてあれを伏線と言っていいものやら・・・)。

 ラストの、言葉が次々に降り注ぐかのような仕掛けには感動しました。きらきらきらめいてます。

 

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2011/05/14

DVD「君に届け」感想

 コミック原作だそうで、しかもものすごく売れてるそうですが、読んだことありません。主演が多部未華子なので観ることにした次第です。最近は演劇でなにやらすごい賞を受賞したようで。また、テレビドラマ「デカワンコ」では、犬並みの嗅覚を持ち、ゴスロリファッションで事件を解決するという、なんだか弾けたキャラを演じ、視聴率もなかなかよかったようです。
 さてその多部未華子、本作では小学生の頃から長い髪で顔をほとんど隠し、同級生には「貞子」と呼ばれ、3秒以上目を見たらやばい などと言われ接触を避けられて、そのため人付き合いをほとんどしたことがない天然純真キャラという役所。これはちょっと現実離れした設定で、コミックならありでしょうが、いざ実写となるとやはり不自然さはなんとも仕様がありません。現実なら、「暗くてトロい」弄られキャラあるいは虐められキャラにしかならないと思います。
 多部未華子という女優は決して美人ではありません。確かに目は大きいでしょうし、顔の輪郭は彫りが深いでしょう。が、決して美人ではない。身長も低く、決してナイスバディではない(多部未華子ファンの方すいません)。だが、そんなことに関係なく、とても魅力的な女優だと思います。私は「ルート225」のころから彼女を見ていますが、最大の魅力は表情の変化でしょう。その瞬間、彼女の周囲の空気が一変します。本作でも、桜の花を見上げるシーンで、まるで奇跡のような表情の変化を見せてくれる。三浦春馬君がそれを見て彼女に一目惚れするのも肯けます。(もちろん、他にも、彼女が一日一善を健気に実行しているとか、今時こんな純情な子いないだろと突っ込みたくなる性格だとか、そういった部分も大きいんでしょうけど。)

 ストーリーは、天然純真良い人キャラなんだけど人生経験ゼロに近いヒロインを、周囲の友人達が、少しずつ成長させていこうといろんなお節介を焼く。ところがそうこうするうちに、彼女の性格の影響を受け、みんないい人になっちゃうという感じで、大変心温まるお話です。

  ちなみに「デカワンコ」を見ていて気づいたのですが、多部未華子は左右の眉を独立して自由自在に動かすことができるのですね。

 なんだかんだ書きましたが、本作は多部未華子ファン必見の一作です。

  

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2011/05/07

「かぜの科学 もっとも身近な病の生態」ジェニファー・アッカーマン

 本書は、人類が古代からおおいに苦しめられている風邪とは一体何なのか。実際に風邪を撃退することはできるのか。ほんとうに効く療法はどれでどれが効かないのか。かぜに、なぜ特効薬がないのか、などなどを解き明かしたものである。

 風邪って、ウイルスなんだから、基本的に抗生物質もアルコール消毒も効かない。言われてみればごもっとも。それなのに、公民館の入り口やスーパーマーケットの入り口など、あちこちにアルコール系消毒液が置いてある。実はこれって、インフルエンザウイルスには有効なのだそうだ。インフルエンザウイルスは、風邪の主流を成すライノウイルスと違い、外皮に脂質を含有するから、エタノールが効くのだそうだ。意味がないわけではないのだ。よかった。

 ところで、市販の風邪薬のほとんどはプラシーボ効果だという。つまり、「この薬を飲んだから大丈夫、だって高かったんだもの」と患者が思い込むことで、勝手に体の自己免疫力が高まり、その結果、実際に風邪が早く治るのだそうだ。まさに「病は気から」である。さらに、プラシーボ効果と思われる民間療法についても、本書は結構な紙面を割いていて、読者を楽しませてくれる。

 さて、これだけ人類を苦しめてきた風邪なのに、なぜいまだに特効薬ができないのか。実は、風邪のウイルスは一種類ではないそうだ。それどころかライノウイルスだけで100種類以上あるという。それなのに、ワクチン製造にかけられる予算はわずか。なぜなら、たかが風邪を治すために、わざわざ高い金を払おうとする人はほとんどいないから、高額の研究資金を投じても、回収できない。つまり商売にならないのである。だからいまだに研究が進まず、特効薬もできていない。っていうか、敵がどんなウイルスなのか、そもそもまだ十分にわかっていない。退治していいものなのか、共存を目指すべきものなのかもわからない。とりあえず、ほっといたら大抵治るため、大金を投じての研究がなされなかったというのが、実情らしい。

 ところで、空気感染はほとんどないというのが、ライノウイルスの特徴だそうだ。(インフルエンザは空気感染するからマスクは有効)ほとんどは接触感染で、患者が鼻水をかんだ手から、ドアノブや照明のスイッチに移り、それに触れた人が、手を目や鼻や口に持って行くと、感染するという。確かに我々は、一日に何回も、目や鼻に手をやる。

 本書はしばしば話題が脱線する。「鼻ほじりの研究」という、イグノーベル賞に関する話題には笑った。

 むずがゆいからといって、患者がいる場所で、無意識に鼻に手をやるのはやめましょう(笑)。

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2011/05/01

DVD「アウトレイジ」感想

 相変わらず、北野武監督の映画はシンプルに痛さが伝わってきます。

 (暴力シーンばっかりなので、お子様は観てはいけません。)

 ストーリーは、ヤクザ世界の理不尽な仕事たらい回しぶりを描いたものです。大親分そりゃないだろ的な展開が続きます。温厚な三浦友和君も、最後にはさすがにそう来るわなぁ。

 で、どのシーンが一番痛かったかというと、後半で北野武が殴られるシーンです。

 ヤクザ映画ですから、当然現職警官と裏でつながってるという設定なんですね。で、警官を演じるのが小日向文世。ヤクザの中間管理職的親分を演じるのが北野武。北野武は小日向文世の先輩という設定です。「あの刑事、もとボクサーだそうですね。強かったんですか?」と聞いてくる子分たちに「勝ったところ一度も見たことねぇよ」と言います。さらに、人払いした取調室では、小日向さんを好き放題ぶちのめして言うんですね。「相変わらすおめぇ、弱ぇなぁ」

 これが伏線となります。これがあるから、後半で二人の立場が入れ変わった時、あのシーンが説得力のある痛さを持つのですね。

 じゃ今まで 弱そうにしてたのは演技だったのかよ! ホントは強いじゃん。

 殴られた痛さにプラス、立場が逆転した現実が、北野武に追い打ちかけるのです。

 曲をムーンライダーズの鈴木慶一が担当しています。外見はすっかり中年親父になってしまいましたが、本作に乾いた空気感をプラス。特にオープニングにはしびれました。「座頭市」の時同様、相変わらずいい仕事してます。

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2011/04/24

三島浩司「ダイナミック・フィギュア」感想

 本の帯にはこう書いてあります。

二足歩行兵器の新たな基準作

「このジャンルを行くからにはいつかは巨大ロボットものを創りたい、3年ほど前から構想を練り始め、すべてのアイデアを絞り出したという感じです。(著者インタビューより SFマガジン)」

 日本のアニメ界には、「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」などの巨大ロボットものの傑作が、いくつもあります。さて本作、過去の名作とは違う新たな設定やテーマをどこまで打ち出すことができているでしょうか? 

 などという意地悪な見方で本書を読んだわけではありません。理由は別にあります。なんと本作、主戦場が香川県なのです。香川県人ならわかる地名が次々に登場、瀬戸大橋を渡ろうとする敵を、海から那須与一よろしく射落とすシーンなど、ああ、きっとあの辺りなんだろうなと、予想ができるのですね。おかげで臨場感たっぷりに読むことができました。

 設定はやはり過去の名作と、どうしても比較されてしまうと思います。司令室のオペレーターは切れ者の女性たちであるとか、対キッカイとして建造されたロボットが、実はたったの3体で世界を征服できる戦略兵器であるとか、ロボットを操縦する若い3人のうち、一人は美少女であるとか・・・。エヴァとの大きな違いは孤介時間の設定ですね。自我を守る(外敵を排除する)ATフィールドの、まさに正反対を描いています。皆の自我が一つになってしまった時、人は勝手にどんどん流れ込んでくる他人の感情と、秘めておきたいのに流れ出してしまう自分の感情の渦に耐えられず、死んでいくという設定は斬新でした。本作では、孤介時間を引き起こす物体が剣山に落下し、半径20キロ以内の住民は(動物も)一部を除きほぼ全滅するのです。

 大災害を生き延びた者たちは、目の前で人が次々と死んでいくのを見殺しにするしかなかった自分への罪悪感で、心に大きな傷を抱えているという描写があります。東北の大津波をくぐり抜けて生き延びた方達にも共通するのではないかと、読んでいて胸が痛みました。

 ラストの戦闘シーンは、果たして読者のみなさん、納得できるのかどうか、微妙ですね。そんなんでいいの? と突っ込む人も多いんじゃないかと思います。でも、訴えようとするテーマそのものは、悪くないと思います。

 主人公が何人もいて、多視点で描かれるのですが、主語、あるいは語り手の特徴を示す修飾語がしばしば省略されているため、誰のセリフなのか、とまどうことが多々ありました。

 上下巻あわせて800ページ近い大作ですが、ぐいぐい読ませる緊迫感があります。かと思えば、妙に学園ドラマ風な、天然ボケキャラ的ゆるーい描写もあったりして、緩急がほどよい感じです。香川県人でSF好きな方は、迷わず読みましょう。

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2011/04/16

DVD「ちょんまげぷりん」感想

 江戸時代の侍がタイムスリップして現代に出現。行き倒れになりかけたところを、子持ちバツイチOLに救われ、恩返しに主夫として見事な所作で家事を行うという設定です。

 ジャニーズ所属錦戸亮君が、見事なたたずまいのお侍さんを演じてくれます。ふすまの開け閉め一つとっても、その美しい所作にはホレボレ。突然身に降りかかったアクシデント、しかも二度と元の時代に帰れないかもしれないのに、取り乱すこともなく、淡々とおのが運命を受け入れていく、そんな雰囲気が実に素晴らしい。家の掃除をしていて、カーペットをめくった下から畳を発見したときの嬉しそうな表情が、これまた素敵です。

 バツイチOLを演じるともさかりえ。以前からアゴのラインが左右非対称なため、独特な雰囲気を持っていましたが、今回その外見は、演じるキャラクターに見事あてはまっているように思いました。なにせ、離婚の原因が「家事をしない夫に腹がたったから」「男なんてみんな役に立たない」という人でしたから。かなりアンバランスな考え方だと思います。仕事のできるOLさんなんだったら、どうして家事をしない夫に、家事をしてもらうよう交渉できなかったんでしょうか? クライアントとの交渉はできるけど、夫との交渉はできない? 夫の教育が面倒だったのでしょうか? そのあたり、離婚に踏み切る前に努力するべきなのでは? 仕事にがんばれる人ならできるはずです。それをしないで離婚では、失うもののほうが大きすぎます。

 錦戸亮は、やがて洋菓子職人として仕事に目覚めてしまいます。当然主夫業も休業となるのですが、ともさかりえはそこで再び過去と同じ過ちを繰り返すのですね。学習しない人だなあと、ややうんざり。バランス感覚の欠如。その象徴が、ともさかりえの不自然なアゴのラインに重なって見えたのです。

 タイトルになぜ不自然な「ぷりん」が含まれるのか? これは、ともさかりえの子どもが熱を出した時に、錦戸亮がぷりんを作って食べさせるシーンがあるのですね。「ああ、ここからタイトル持ってきたのか」と思ってたら、ラストに、本当の理由がありました。ネタバレになるので伏せますが、なかなかいいエンディングでした。

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2011/04/09

塩田武士「盤上のアルファ」感想

 親父ギャグの連続である。
 県警担当から、将棋担当へと左遷させられた三十三歳新聞記者、秋葉。
 年齢制限にひっかかり、将棋のプロへの道をいったんはあきらめた、三十三歳丸坊主年中黒のタンクトップ男、真田。
 ものすごく苦み走った中年男たちの話なのに、ださくて閉鎖的で、ファッションセンスゼロのオタク達の話なのに。
 なのに・・・次から次へと繰り出される情けない親父ギャグが、悔しいが、笑える。
こういうテイストの小説は初めてのような気がする。
 中高生向けのライトノベル「涼宮ハルヒシリーズ」なんかは、若者にターゲットを絞ったユーモアセンスが随所に炸裂する。例えば「おれにはメガネ属性ないし」とか。
 しかし本書は違う。あきらかに中年親父にターゲットを絞ってきている。例えば、新聞記者、秋葉が面倒をみることになるパグ犬の名前が「手筋(てすじ)」・・・。どんなネーミングセンスやねん。いかん、こっちまで関西弁になってもうたやないか。(そもそも手筋とは、将棋の世界でよく使われる言葉で、平たく言えば「指すべき有効な手」のことをいう。少しは犬の身になって命名しろ、と秋葉はお節介にも思った。・・・本文より)
 年齢をオーバーしたアマチュア棋士に、プロへの道を与える特例制度が数年前にできた。本作の真田も、再度プロを目指し、これにチャレンジするのである。真田のチャレンジに無理矢理付き合わされることになった秋葉、そして三十路男二人を励ます、小料理屋の女将、静。この奇妙な三角関係、なんだか変だなと、おぼろげに思ってはいたが、まさかラスト、そういう仕掛けがあったとは。まったく気がつきませんでした。見事にやられました。お見事です。(たんに私が鈍いだけ?)
 「あしたのジョー」のような、育児放棄、児童虐待、そして泥臭く汗臭い男の努力と根性と、奇妙な友情が、これでもかと描かれ、あきらかに時代錯誤な気がするのに、この親父ギャグセンスが、暗くなりがちな本作を、どこか救いのあるものへと昇華させている(のか?)。絶妙なバランスだ。もちろんクライマックスの将棋のシーンは、多少なりとも将棋のルールを知っている人ならば、手に汗握ること間違いなし。
 ちなみに真田君、振り飛車一辺倒で、序盤の研究が明らかに不足しているのだが、それを終盤の妖しげな差し回しと気迫で、逆転勝ちに持って行くという、近代将棋の正反対を行く棋風なのである。アンチだなあ。
 彼が黒のタンクトップを着続ける理由とか、唐揚げ弁当に涙する理由とか、あちこちに涙腺を緩くする仕掛けが施してあるのも、GOOD!
 こういう文体の小説、ライトノベルではなくミドルノベルとでも言えばいいのだろうか。この面白さ、若者にはわかるまい、ふっふっふ的な楽しさ満載の一冊である。

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2011/04/02

DVD「トイレット」感想

 私の母は去年亡くなりました。遺言により遺灰は散骨にしました。でも、一部はペンダントに封入し、車のキーホルダーに付けて、いつも持ち歩いています。どこかにドライブに行く時も、いつもいっしょです。
 本作の主人公も「いつもばあちゃんのそばにいたいから」遺灰をビンに入れて持ち歩きます。でも、灰にしてまいてくれということは、狭い場所に閉じ込められるのは嫌だという意志の表れなのでしょうか。ラストを見て、開放してあげた方がよいのかなと思ってしまいました。
 さて、その「ばあちゃん」を、もたいまさこが演じます。舞台設定はアメリカ。同居する家族は全員英語しかしゃべりません。当然もたいまさこも英会話するのかなと思ったら、まったくそんなことはありませんでした。身振り手振り、あるいは目線で孫たちに意志を伝えます。この無言の演技が、簡潔でぴしっと引き締まっていて、実にいい。
 言葉の通じない彼らが、ギョーザをいっしょに作って食べる。みんなで作ったギョーザを、「これは誰が作ったやつ?」とか会話しながら食べる。食事が家族の絆を深めるのですね。
 そんなもたいまさこが、ラスト近く、たった一言だけ英語でしゃべるシーンがあります。このシーンはたいへん静かで感動的です。また、そこにいたるまでの伏線が実に見事。
 パニック障害の兄が、後半で見事なピアノ演奏を聴かせます。エンドクレジットではその曲を、孫たちがエアギターで見事なアクション付けて聞かせてくれます。ピアノで聞くベートーヴェンもいいけれど、エレキギターでアレンジされたこの曲も、なかなかエネルギッシュで素敵でした。

 主人公に「日本にはウォシュレットがある」と教えてくれる研究所の同僚。「君の情報はすばらしい」と礼を言うのですが、それに対し「情報じゃない。知識だ。」と返してくるのです。妻がこのシーンをいたく気に入っていて、「いい台詞でしょ」と言うのですね。
さて、情報と知識の違いって何だろう? 
 情報=必要があって手に入れた知識。
 知識=すでに知っていること。
くらいな感じでしょうか?

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2011/03/25

DVD「キックアス」感想

 おもしろかった。痛快でした。
 一応R15指定ですので、中学生は卒業してから見ましょう。
 15歳以上の男の子も、彼女といっしょに見ることはお勧めしません。冒頭、絶対気まずくなるシーンがいくつかあるので(笑)。
 主人公は平凡なオタク青年。「なぜみんな、ヒーローにあこがれるくせに、自らヒーローにならないのか?」 友人の答えは「超能力がないからだろ」「バットマンは? 超能力ないけどヒーローだ」「誰もあんな金持ちじゃないからだろ」まさしくそのとおり。でもこの疑問に対する本当の答えは、映画の後半でわかります(ネタバレになるので自粛)。
 ある夜、コスプレしたまま捨て猫を探していた主人公はチンピラに追われる男を救うのですが、「その男は、お前とは何の関わりもないだろ? それなのになぜそこまでして助けようとする?」と聞かれて「みんながお前たちの暴力に、見て見ぬふりをする。それが許せないんだ」という名ゼリフをはきます。実際コンビニの客たちは、苦戦する主人公を助けようとせず、ケータイでムービーを撮ることに夢中なのですね。このシーンは実によかったです。この後、撮られたムービーはネットで流され、オタク青年は、キックアスという名のヒーローとして一躍有名に! ちょっと思い上がっちゃった主人公は、ダメダメなオタク度にさらに加速がついて、ちょっと、いやかなり危ない目に遭うのです。
 キックアスのつづりは「KICK ASS」。でも、「KICK US」(俺らのこと蹴飛ばして)という意味にも取れますよね。ダメダメさを自覚しているオタクたちの、自虐ネタっぽいところが、なんだか笑えます。
 そんなキックアスですが、映画の中盤から、どうやら本当の主人公は彼ではないらしい、そんな展開になってきます。そう、コスプレ美少女「ヒットガール」が登場するからです。無垢な美少女が、スラングをポンポン口にし、平気で殺人を実行するそのギャップのすさまじさ! 薙刀で薬の売人の片足ぶった切るシーンには、思わずゾクリとしました。プロに徹底的に武器の扱い方をたたき込まれる美少女と言えば、名作「レオン」のナタリー・ポートマンを思い出します。「レオン」以後、彼女は「スターウォーズ」でヒロイン役を射止めるなど、大出世を果たします。今作の「ヒットガール」役を演じるクロエ・グレース・モレッツも、ひょっとしたら・・・。最初に登場した時は「妙に右目のまぶたが重そうな女の子だな」とか、思ってたんですけど、後半のアクションシーンになると、もう思い切っり暴れまくるその切れ味の鋭さに、唖然とします。特にエレベーターホールで、西部劇の超有名曲をバックに登場するシーンときたら! あまりに格好良すぎます。この映画、絶対彼女が主人公です。
 たぶん続編出るでしょうね。今から期待大です。

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2011/03/19

佐藤多佳子「聖夜」感想

「一瞬の風になれ」で知名度全国レベルとなった佐藤多佳子の新作です。
娘によると、佐藤多佳子の作品は、
1 主人公は女性のほうが、よい作品になる。
2 主人公の年齢層は高校生くらいのほうが、よい作品になる。
のだそうです。「一瞬の風になれ」は、1の条件に反するので、娘にとってはベストの作品ではないらしい。そして、二つの条件を満たす作品は「黄色い目の魚」ということになります。どうやらそのあたりが、娘にとっての佐藤多佳子ベスト! であるらしい。
 おそらく高校生くらいの女の子が持つ不器用さと毒のようなものが描写されているかどうかが、評価の分かれ目になっているのではないかと、勝手に考えております。「一瞬の風になれ」の登場人物は、「今時こんなピュアな高校生どこにもいねぇよ」と多くの読者に言われたくらいですから、娘にとっては、毒性が薄すぎたのでしょう。
 さて、それなら今回の作品はどうなのかというと、
1 主人公は男
2 主人公の年齢層は高校生
ということで、残念ながら1の条件があてはまりません。ただし、今回の主人公鳴海君、佐藤多佳子の描く男にしては、かなりな毒と不器用さを持っています。後輩の天野という女生徒にしても、同級生の青木という女生徒にしても、周囲にいる女の子はみんなピュアなキャラなんですが、主人公は、彼女たちを困らせたいという欲望に囚われたりするのです。また、文化祭のコンサートでパイプオルガンを演奏する予定だったのを、勝手に連絡もなしにエスケープして、多くの関係者たちに多大な迷惑をかけたりするのです。はっきり言ってイヤなヤツです。
 その原因は、彼の家族歴に関連があるのですが、ドラマでそのあたりがじわじわと明かされていき、やがて、過去の心の傷を乗り越えるきっかけが見え始めたところで、この作品は唐突に終わります。
 はっきりとハッピーエンドになるわけではありませんので、「一瞬の~」と同じパターンを期待する人は、肩すかしを食らったような気分になるかもしれません。しかし、心の中に大きな毒を抱えた少年の成長記として見れば、このあたりで止めておく方がリアルかなと思います。ハッピーエンドを書いてしまったら、かえって嘘くさくなってしまいそうですから。
 時代設定は1980年代。しかも主人公はロックアーティストたちにも興味を持つので、ELPとかクリムゾンキングとか、今の若い人たちは知らないようなロックグループの曲が次々登場します。40代~50代の人でないと、ついていけないかもしれません。(佐藤多佳子さんは一体おいくつなんでしょうか・・・?)
 主人公が文化祭で弾く曲として挑むのは、バッハではなく、メシアン。かなりマニアックな人しか聞かない作曲家なので、これもほとんどの人にとって馴染みがないと思います。私も「トゥーランガリラ」くらいしか聞いたことありません。
 こういった設定部分が、若い読者層にとっては、ちょっと高いハードルになっているかもしれません。お若い佐藤多佳子ファンの方々は、気合い入れて読んでください。

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2011/03/12

角田光代「ツリーハウス」感想

 二週続けて角田光代さんです。
 表紙絵は一見、ビル街の屋上に木が植わっていて、それがピンクの花を咲かせているように見えます。それもあちこち、たくさん。桜にしては色が濃いから、これは桃? それとも梅? 
 妻が「それ、オスカールの絵じゃない?」と聞くので、扉を開いて確かめるとそのとおり。「じゃあ、この花みたいに見えるの、花じゃなくて、空襲、爆弾だよ。」 え? そうなの?
 タイトルが「ツリーハウス」で、表紙絵がこれだから、てっきり、ビルの屋上にみんなが木を植えて、その木の上に隠れ家でも作る話かと思ってました。全然違いました。

 たしかにツリーハウスは作ります。しかし、本書は戦後、満州からの引き揚げを経験した祖父と祖母、そしてその息子たち、孫たちの65年にわたるストーリーなのです。テーマは「逃げる!」 田舎の苦しい生活から逃げるため満州に渡り、徴兵から逃げるために脱走します。後でどうなるかなんて考えません。そして、そんな「逃げ」のDNAが、子どもや孫に脈々と受け継がれる。ツリーハウスは逃げ場所のメタファーとして、象徴として登場します。子も孫も、大事なことからはひたすら逃げて逃げて逃げまくって、そのため後で手痛いしっぺ返しを食らうのです。

 私の父も満州からの引き上げ組です。いまだに当時のことをほとんど語ろうとしません。あの世に行く前に、根掘り葉掘り聞き出してやろうか。それともパンドラの箱として、ほうっておこうか。

 小説の後半で祖母がのたまう言葉の数々に、とことん打ちのめされます。

「あんた、自分がやった馬鹿はね、ぜんぶ自分に跳ね返ってくるんだよ。」

「ここじゃない、どこか遠くにいけば、すごいことが待っているように思うんだろ。でもね、どこにいったって、すごいことなんて待ってないんだ。」

「逃げるってことしか、時代に抗う方法を知らなかったんだよ。」

「あんたの親たちにね、逃げること以外教えられなかった。あの子たちは逃げてばっかり。それしかできない大人になっちまった。だからあんたたちも、逃げるしかできない。それは申し訳なく思うよ。それしか教えられること、なかったんだからね」

 こうして孫は、自分の甘さと弱さを祖母から指摘される。ずばりと。まざまざと。そして、残された家族たちは新たなスタートを切る、そこでこの小説は終わるのです。

 素晴らしい読後感でした。

 東北、関東一帯を襲った未曾有の大地震。再起できるかどうかというこの日この時、「ツリーハウス」の家族のように、再び新たなスタートが切れることをお祈りします。

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2011/03/05

角田光代「ひそやかな花園」感想

 ややネタバレ含みます。納得の上お読みください。

 「八日目の蝉」で一躍有名になった角田光代さんの作品です。テーマは「産みの親か、育ての親か」ということで、「八日目の蝉」と非常に似通っています。
 「八日目の蝉」では、産みの親よりも、育ての親のほうに感情移入してしまう作品でした。ラストシーンの美しさは今も忘れません。
 本作は、父親側に問題があり、子どもを産めない夫婦が、精子バンクを利用するという設定となっています。一見ミステリー調のドラマ展開でありながら、扱っているテーマは、たいへん重いものとなっています。
 自分の遺伝子を次世代に残したいという本能は、地球上の生物が皆持っている、根源的な欲求です。母親にしてみれば、自分の遺伝子が半分引き継がれるのであれば、残り半分の遺伝子が配偶者のものでなくても耐えられるのでしょうか。
 しかし、父親側にしてみれば、自分の遺伝子を引き継いでいない、どこの誰の遺伝子かわからない子どもを育てることになる。最初はそういったことも覚悟の上で、出産に同意したのでしょうが、成長とともに、自分とは違う性質を徐々に発現させていく子どもを見た時、他人の子どもを育てているというそのプレッシャーに、男親はどこまで耐えられるのか。
 子どものほうももちろん、父親のそういった微妙な視線に何かを感じる。それが子どもの心の成長に、どのような影響を及ぼすのか。
 また、精子バンクに登録された精子に、遺伝的な問題があった場合、子どもは、誰から受け継いだかわからない自分の病気に、どう立ち向かうのか。
 そもそも、精子バンクに精子を提供した男性は、いったいどんなつもりで提供したのか。それを子どもたちは知ろうとします。知らない方が自分たちは傷つかないとわかっていながら。
 本作はこういった様々な問題に悩み、それに立ち向かおうとする家族や子どもたちの姿を、それぞれの登場人物の視点から描いています。
 有名な「秘密の花園」とよく似たタイトルとなっていますが、本作には、精子バンクを利用した結果産まれた子どもたちにとっての「秘密の花園」的な場所が登場します。この「花園」の存在が、次々に明るみに出る事実に衝撃を受け、闇に沈み込もうとする子どもたちの光となる、そんな小説です。
 一人、自分が不幸なのは、周囲の大人たちが自分の欲望のみを優先させて、勝手な行動をしたからだと主張する、イヤなキャラクターの女性が登場します。ラストで、この女性に対する救済がなされます。それが、重苦しいテーマを扱った本作の救いとなっています。

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2011/02/26

DVD「BECK」感想

 妻が映画館で観て絶賛した作品です。美形がぞろぞろ出てきて、ため息が出たそうです。注目はゲゲゲで一躍国民的存在となった向井君。本作では演奏中常に上半身裸で、引き締まった筋肉を思う存分見てください状態で、ベースをブンブン弾いています。でも、柱の陰に「お父ちゃん」とか言う布美枝さんが、隠れていそうな気がして困りました。ゲゲゲの影は、今後しばらくついてまわりそうです。
 妻のお気に入りはむしろ、後ろでドラム叩いている中村君。なるほど確かに、いい表情しています。が、しかし、私が注目したのは、この中村君を追いかける女子高生。演じるのは倉内沙莉。設定として、新体操部1年生となっています。すると当然、途中レオタード姿で中村君に話しかけるサービスカットが出てきたりするわけです。これがなんとも実に素晴らしい(笑)。ウエスト細いし、好きな男の子の前でがんばって精一杯の笑顔作ってます感がキュートだし。

 さて、本作、最近小説を書いて有名になった水嶋ヒロ君が主役です(読んでませんけど)。奇跡の声の持ち主として、ベックのメインヴォーカルの座を獲得します。その声を聞けば、その場にいる誰もが我を忘れ、その素晴らしさにうっとりとするという設定。でも、そうなると、いったい誰がその声を演じるのかということになります。水嶋ヒロ本人なのか? それとも、プロの歌手にあててもらうのか? 本作はこの部分の演出を、思い切った手法で乗り切っています。なんと、全編、ヴォーカル部分を、ヴァイオリンなどを使った倍音成分たっぷりのインストルメンタルで置き換えるというものです。さらにその間、映像に特殊効果を多用し、ヴォーカルの美しさを象徴的に観る者にイメージさせるのです。最初だけかと思っていたら、最後の最後までこの手法で押し通しました。二度目のシーンの時、これはきっとこんな声なんだろうなと、私の頭の中で声のイメージが出来上がってしまいました。だから、ラストのコンサート、もし本物の声を使っていたら、きっと私のイメージと食い違い、期待が裏切られたような気持ちになったかと思います。裏切られることがなかったのが、よかったです。
 ストーリーはマンガ原作なので、無理矢理ドラマチックをぎゅっと押し込んだ感があります。しかし、「世の中には、奇跡としか言いようのない出会いによってできてるバンドがある」というテーマは、しっかり伝わってくる仕上がりになっています。まさに奇跡の瞬間に立ち会うことができた。その幸せを、じーんと味わうことができました。よかったです。

 ところで、マンガの世界ではなく、リアルな世界で、これと同じように、奇跡の出会いから、成功を収めたアイドルグループがあります。3人組なんですが、3人の声があわさった時の倍音成分の豊かさときたら。しかもアイドルのくせに、この3年間、ライブハウスやロックフェスに出ては満員の会場でモッシュ(興奮した観客がリズムに合わせ体をぶつけあう)やクラウド(興奮した観客が、他の観客の上にダイブする・・・BECKでもおじさんがやってました)を発生させまくってます。BECKに負けてません。どなたか、こちらのほうを是非映画化してもらいたい(無理か)。

 もたいまさこ、特別出演ということで、一瞬だけ、写真で登場します。笑いました。

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2011/02/23

乾ルカ「蜜姫村」感想

 ホラー小説です。ホラー小説ならなんでもあり・・・なのかもしれませんが、しかし本作、設定にかなり無理があります。病を移し取る特技は、まあよしとしましょう。その特技を持つ一族を、わざわざ山奥の村に隔離する必要性もまあ、あるとしましょう。しかし、特殊能力の継承者は、義務教育を受ける必要なし。とのことですが、別に受けてもいいじゃないですか。そもそも、隔離するのはいいとして、なんでわざわざ400年も前の文化風習を守らなければならないのでしょう? ラスト、金糸銀糸の打掛でどーんと登場するのはいいんですけど、その格好で電車とか乗ってきたんですか? 別にユニクロの服着ればいいじゃないですか(サイズ的に無理?)。「いえ、これは映画のロケなんです」とか、お付きの人が言うんですかね? 家の照明も、ろうそくじゃなくて、LED電球使えばいいじゃないですか。地デジも見ればいいじゃないですか。学校行かなくても、テレビ見れば、いろんな勉強できますよ。NHK教育なんか、実に充実しています(受診料払うかどうかは謎ですが)。テレビ見て現代消費文明に毒されると、村民との約束を守れなくなるとでも言うのでしょうか? 都会に行って集団アイドルの一員としてデビューしたくなるとでも? う~ん・・・、あるかも(笑)。
 小野不由美の「屍鬼」に、少し似ているような部分もあります。しかし、一見ホラー作品と見せて、その実、閉鎖社会の人間のおそろしさを訴えた「屍鬼」とは、やはり方向性が違うように思います。本作は、ある種の才能を持つものは、その能力を全体の奉仕のために使用するべきだという、使命感のようものがテーマとなっているからです。
 ただし、その能力の使い方が、あまりに非道なものですから、山奥の閉鎖社会だけが、その特殊能力の恩恵に浴することになっていて、そのあたりがちょっと・・・です。
 比喩としては、牛の天然痘のかさぶたを、人間の皮膚に移植する、いわゆる種痘のような治療法を、より一層おどろおどろしいものにして、それを山奥の閉鎖社会だけが使用している、みたいなものでしょうか。あるいは、他人の犠牲の上に成り立つ、生体肝移植などに代表される臓器移植のメタファーでしょうか。だとしたら、そういった特殊な治療法にたよってまでして生き延びようとする村民は、はたして幸福と言えるのでしょうか?
そのあたり、本作は消化不良の感じで、残念です。  

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2011/02/19

映画「あしたのジョー」感想

軽くネタバレあります。気にする方は以下読まないように。

ネタバレ注意報! ネタバレ注意報! ネタバレ注意報・・・・

まずは妻が観に行きました。
以下夫婦の会話その1。
「ジョーの役の山下君、悪くはなかったんだけど、力石君に比べるとちょっとね。力石役の伊勢谷君が思いきり体絞り込んでてすごかったよ~。もう減量のしすぎでミイラ一歩手前なんだけど、でも筋肉が半端じゃないの。それからジョーのパンチをもらった時の顔面のスローモーションなんか、CGなんだろうけど、作ってる方がこれでどうだって、楽しみながら作ってるのがよくわかるのよ。そもそも、伊勢谷君の顔って、ああいう表情を表現する素材として最高だよね。ところで、原作の「あしたのジョー」って、力石君との試合の後、ジョーはどうなるんだっけ? 私のうろ覚えのと、映画のラストはなんか違ってたんだけど。」
「え? 原作はね、力石を死なせてしまったのは自分のせいだってのが、トラウマになっちゃって、ジョーはその後の試合で相手の顔を殴れなくなっちゃって、ひたすら負け続けるんだよ。ところがそこに、ベネズエラの野生児カーロス・リベラが登場して、ジョーに再びボクシングの楽しさを思い出させてくれるのさ。」
「あ-、じゃやっぱり映画のラストは違うんだ。なんかね、ジョー行方不明になっちゃうんだよ。で、1年たって帰ってきたところで、続くみたいな終わり方だったよ。」
「何? それ不自然だな。ところで白木葉子役の香里奈はどうだった? ちゃんとお嬢様役できてた?」
「あー、それはうまく演じてた。お嬢様だったよ。でもね、丹下段平役、あれは香川照之よりも竹中直人のほうがよかったかも。」
「あー、どっちもアクの強い役者だけど」
「うん、でも竹中直人のほうが声が存在感あるじゃん。香川照之の声はちょっと軽いのよね」
「あーなるほどね」
ということで、私も観に行きました。
以下夫婦の会話その2。
「いやよかったよ。原作にかなり忠実でさ。そもそも原作は梶原一騎とちばてつやなんだけど、そのおかげで、マンガには心をゆさぶる名ゼリフがあちこちにあるんだよね。で、映画もそれがきちんと再現されててさ。」
「ああ、それはセリフだけじゃなくて、ストップモーションなんかも、アニメのシーンをそのまんま再現しましたって感じでよかったよね」
「そうそう、よくぞここまで忠実に再現してくれましたって感じで、よかった」
「でも今回はこれ、完全に主役は力石君だよね。ジョー役の山下君、完全に伊勢谷君に負けちゃってる。」
「そう、あの体の作り込みは半端じゃなかった」
「できれば、ジョーは、同じくボクシング映画の「BOX」で主役やってた高良健吾君とかにやってほしかったかな。」
「でも高良君は結構身長あるよ。伊勢谷君と同じくらいあるんじゃないの? それだと原作みたいに違う階級にはならないよ」
「あーそっかー。ところでラスト、あれはやっぱりよくない。」
「やっぱりそう?」
「うん、なんか香里奈のセリフが説明的になっちゃってる。リアリティがない。あれならむしろ力石戦ですぐエンディングにしたほうがよかった。でも、続編作るとなると、今度は誰をカーロスにするか、困っちゃうな~」
「それこそ高良君にしてもらったら」
「いや日本人じゃだめだよ」
さて、続編のキャスティング、今から楽しみです。

 

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2011/02/12

DVD「フローズン」感想

 密室に閉じ込められた者たちが、知恵と勇気を絞ってそこから脱出するパターンの映画は「キューブ」を筆頭に結構いろいろ制作されてきました。今回は男二人、女一人の計3人が、脱出に挑戦するドラマです。ただし、これまでとの最大の違いは、密室に閉じ込められたという設定ではない点です。彼らが閉じ込められたのは、誰にも気づかれることのない、停止した夜のスキー場リフトの上です。ナイターを楽しもうとして、リフトの最終便に乗った3人。ところが、リフトの運転士が途中で交代、そのときの引き継ぎが「3人降りてくるまで、運転を止めるな」というもの。交代した運転士は、違う3人が滑り降りてきたのを見て、もうこれでリフトの乗客は全員滑り降りたと思い込み、電源を切ってしまうのです。

飛び降りるにはあまりに高い地点でリフトが停止。
山奥なので、ケータイの電波は届かない。
いくら大声で助けを呼んでも、誰にも聞こえない。

さらに悪条件として、
夜になって吹雪が3人を襲う。
オオカミの遠吠えが響き渡る。
女の子が「おしっこに行きたい」と言い出す。

そのうち凍傷にかかったり、仲間割れを始めたりと、撮影場面のほとんどがリフトの上であるにも関わらず、ドラマが次々に展開します。

救助が来るのを待てず、ついに現状打開のため、彼らは自ら動き出すのですが・・・ここから先はネタバレになるので、自粛。

 ちなみに私だったら、スノボをリフトのワイヤーにひっかけてぶらさがり、鉄塔のある場所まで滑り降りる・・・かな? あるいは、3人分のウエアをつなぎ合わせてぶらさがり、少しでも地面に近づいてから飛び降りる・・・とか?

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2011/02/05

映画「グリーンホーネット」感想

 以前、ブルース・リーの自伝映画「ブルース・リー物語」を観たことがある。その時に初めて「グリーンホーネット」というアメリカのテレビ番組の存在を知った。町のギャングを倒す二人組の男の話なのだが、実際に相手を倒すのは、もっぱらボスの助手兼運転手である、カトーというカンフーの使い手なのだ。ボスが「カトー、やれ」と命令すると、ブルース・リー扮するカトーが、瞬く間にカンフーで敵を倒していく。そのあまりの早業に、命令した方のボスが「え、今何がおこったの?」と目を丸くする。
 ブルース・リーは、この番組を通して、世界にカンフーの素晴らしさを広めようとしていたらしいのだが、ハリウッドでは当時、まだ黄色人種に対する人種差別が根強く、「燃えよドラゴン」に至るまで、表舞台に出ることはできなかったようだ。

 さて、今回その「グリーンホーネット」がリメイクされるということで、カトー役のジェイ・チョウが、どんなアクションを見せてくれるのか、楽しみにして観にいった。
 設定として、カトーはピンチになり心拍数があがると、周囲がスローモーションになったように見える、となっていた。映像の演出としては、ピンチになると、ストップモーションになり、その間にカトーはきょろきょろと目玉を上下左右に動かして状況判断をするのだ。そして、最善の動きを決断するやいなや、ストップモーションは解けて、一瞬でカトーは敵の懐に飛び込む。ここで再度映像はストップモーションになり、カトーのカンフー技が決まる。まるで日本の有名なマンガ「ジョジョの奇妙な・・・」に出てくる、時間を止める能力を持ったスタンドの格闘シーンを映像化したような感じなのだ。いちいちストップかけずに、流れるような技の素晴らしさを一気に見せて欲しいような気もするのだが、それでは以前のテレビシリーズのように、観客が「え、今何がおこったの?」状態になってしまう、そのことを懸念したのかもしれない。
 カトーのボスであるブリットの役はコメディー俳優セス・ローゲン。彼は、父が死んだために新聞社の社長を引き継ぐものの、経営の知識などこれっぽっちもない。また、カトーが様々な才能に溢れているのに対して、何の取り柄もない、金持ちで自己中心的な社長の息子という設定である。はっきり言ってイヤなヤツなのである。傲岸不遜という四字熟語にぴったり。だから、カトーに対して一方的な命令を出し続ける。やがて、二人の人間関係にヒビが入っていくという流れになっている。実にわかりやすいストーリーだ。さらに本作が素晴らしいのは、このイヤなボス、ブリットが、さまざまなドラマを経験しながらも、結局人間的にほとんど進歩していないというところにある。いちおう、正義感に目覚めてがんばるようなドラマにはなっているのだが、それでも彼の根本的な部分に変化は見られない。いやむしろ、あれくらいのドラマで、いきなり心を入れ替えていい人になってしまわれたんでは、いかにも嘘くさいというもの。本作のような流れのほうが、いかにも自然だ。なにしろシンプルな娯楽作品なのだから、余計な人間成長ストーリーなんかは入れない方がいい。本作はその、思い切りの良さがすばらしい。
 対する悪役のキャラ、チュドノフスキーも、なかなか笑える。冒頭、街に後から進出してきた若い麻薬取引グループに対し、自分の傘下に入るよう親切に助言するシーンがある。この時のやりとりがなかなか笑えるのだが、さらにこれが伏線となって、ラストシーンでの彼のイメチェンにつながり、またまた笑えるのだ。本当はものすごく怖い人のはずなのに、自分のビジュアルを気にし出すあたり、とってもチャーミングなのである。

 本作、主役はボスのブリットではなくて、実は運転手のカトーだと思うのだが、ブリットにしてもチュドノフスキーにしても、あまりにキャラが濃すぎて、カトー君、影が薄くなっている。おもしろかった。  

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2011/01/28

DVD「エスター」感想

 ホラー映画です。お子様にはおすすめできません(R15指定です)。
 我々には、「子どもは生まれつき無垢で善良」「性善説を信じたい」という思い込みがあるためか、子どもが犯罪を平然と行うというドラマに対して、拒絶反応を示します。本能的に受け入れがたいのですね。
 本作では「エスター」という名の少女が、次々に極悪非道な犯罪を重ねます。しかも周囲の人間の心理的弱点をうまく探り出し、それを活用することで、意のままに操っていくのです。
 エスターを養子としてひきとる夫婦。一見何の問題もなさそうな、仲の良い夫婦に見えます。しかし、ストーリーが進行するにつれ、妻にはアルコール中毒の過去が、夫には浮気の過去があることが徐々にわかってきます。エスターは、巧みにそこを突いてくるのですね。
 結果、夫婦は互いを信じられなくなります。「おまえ、また、酒に手を出したんじゃないのか?」「あなた、また浮気をしたんじゃないの?」互いが疑心暗鬼に陥る。エスターは、二人を仲違いさせることで自分の身を安全地帯に置き、さらなる犯行を積み重ねるのです。
 ああ恐ろしい。

 夫婦には二人の子どもがいるのですが、当然彼らも手玉にとられます。まったく手も足も出ません。兄はびびっておしっこちびるし、妹に至っては、犯罪の片棒担がされる始末です。
 ああ怖ろしい。

 なぜ10歳前後の少女が、ここまで周囲の人間たちの心を手玉に取れるのか? その理由は後半で明かされます。ネタバレになるので書きませんが、なかなかショッキングな設定です。(伏線として、お風呂に入る時に内鍵を閉め、母親を中に入れようとしないシーンがあります。)
 ああ恐ろしい。

 伊坂幸太郎の「マリアビートル」では、大人の弱みを握って命令を続ける小生意気な天才中学生に対して、誰がどうやってお仕置きをするのか、わくわくしながら読んだ記憶があります。本作はホラー映画ですから、そういった爽快感はなく、ひたすら背筋の凍るような恐怖感と嫌悪感を感じるように仕上がっています。
 ああ、これが映画で本当によかった。

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2011/01/22

上田早夕里「華竜の宮」感想

 長編SFです。
 三人称で書かれています。
 で、主人公がめまぐるしく変わります。
 最初の数ページ、「鴻野は~した。」とか書いてあるわけです。したがって読者は当然、この鴻野教授がこれからのドラマの中心的な人物であろう、と思って読むでしょう。しかし、作者はあっさりそれを否定。なにしろ、いきなり時代がぽんと飛びますから。河野教授、ほとんどドラマらしいドラマもないままに出番は終わり、地球環境激変! 大陸平野部のほとんどが水没します。原因は別に二酸化炭素による地球温暖化というわけではありません。地殻変動が原因です。本作は、わずかに残された地上と、地球表面のほとんどを占めることになった海で、それぞれがんばって生き延びた人類たちのドラマが本編となっています。
 本当の主人公はセイジ・青澄。
 でも、登場人物多すぎます。200ページ読んだあたりで混乱して、仕方なく一覧表を作りました。でも、これって普通、編集者が巻頭あたりにつけてくれるものなんじゃないですか? 500ページを越える長編、しかも上下二段組みなんだし。

 SFなので、世界設定がまさしく近未来。海上生活に適応するべく、人体改造された海上民。彼らのパートナーは魚舟と呼ばれる、遺伝子操作によって生まれた生命体。30メートルに達する巨大生物が、海上民とコミュニケーションを交わし、アシストをします。
 また、地上民は地上民で、iプローブという、アンドロイドのようなアシスタント知性体がいて、主人のアシストをしてくれるという設定です。
 それぞれのアシスタントが、主人のためにけなげに働く姿が実に魅力的です。
 でも、ドラマのほうは、バリバリの政治の駆け引きが主となっています。繰り返しますが主人公の名前はセイジ・青澄。政治、青二才、不正を嫌う澄んだ心、この三つが名前に込められているみたいです。
 前半は海上民と地上民の対立がメインドラマとなっています。複数の国家が互いの利権を主張して絡み合い、それぞれにハイテク技術を使った裏工作を仕掛けてくるのですね。セイジ・青澄君が、パートナー・マキの助けを借りて、国家間の利益を超え、苦しんでいる現地民たちに有益な方向へ交渉を導こうと奮闘するドラマです。
 ところが、途中から、別のドラマが始まります。地殻調査により、50年以内に地球環境が再度激しく変化することがわかり、地球表面のちまちまとした利権を巡って対立しているどころの話ではなくなってくるわけです。人類存亡の瀬戸際で、登場人物たちはお互いの損得勘定を捨てて、人類全体にとってベストの選択をしなければならない。ただならぬ緊迫感で一気に読ませる本格SFです。楽しかった。

 以下に、これから本書を読もうと思っている人のために、登場人物一覧表を載せます。プリントアウトするなどして、お役立てください。ただし、ラストのクライマックスに登場する人物は、ネタバレ防止のため削除してあります。

◎ 地殻変動以前の主な登場人物

鴻野と星川=地殻変動による大陸水没(リ・クリティシャス)を予言した学者。

◎ 地殻変動後の主な登場人物

○ 日本所属
 セイジ・青澄=主人公。日本の外洋公使。海上都市エア01勤務。
 マキ=セイジのアシスタント知性体
 ケイジ・青澄=セイジの兄
 クニヒロ・青澄=セイジの父
 タケモト=海上都市エア01の駐在武官、1等書記官。
 スペード=タケモトのアシスタント知性体
 神崎少尉=タケモト武官の同僚。潜水艇の責任者。
 桂大使=エア01の大使
 青猫=桂大使のアシスタント知性体
 桜木=日本公安庁からエア01に出向の情報収集官
 R・R=桜木のアシスタント知性体
 間宮ユウイチ=セイジ・青澄が尊敬する人物。外交官、故人。
 錦邑局長=日本の公安管理局よりエア01に出向。後に本省に戻る。
 桝岡・クロウ=日本の外務省事務次官代理。後に錦邑局長の後任としてエア01の局長となる。
 スコープ=桝岡局長のアシスタント知性体
 藤堂外相=桝岡局長の恩師、上司。

○ 海上民とその周辺に所属する人々
 オサ・ツキソメ=第二の主人公。海上民をしたがえるオサ(長)。
 ユズリハ=ツキソメのパートナー魚舟
 エド・ウォレス=ツキソメの育ての親。故人。
 リンディ=ウォレスの友人。
 ハニ=幼いツキソメを受け入れた海上民
 アサギ=ツキソメの夫。病潮ウイルスで死亡。ユズリハをツキソメに譲る。
 サガイ=ツキソメ船団の中で一番若いソエオサ(副長)。
 ムラノ=ツキソメと交流を持つサルベージ業者。
 サリス=ダックウィード(海上で商売をして暮らす人)。青澄の性格をツキソメに報告。
 ソナムーン=汎アの画策をエア01に上告する。
 ヨーワ=海上民を診療するドクター
 キツルバミ=ツキソメ船団のソエオサの一人。
 ウェイ・ミンチュ=シガテラ(海賊)の首領。

○ SOE(ネジェスの特殊公館)所属
 ケネス・ミラー=SOE副総括官
 ナンシー=ケネスのアシスタント知性体
 ニコラス・ナゼル=ミラーの上司。SOE統括官

○ 汎アジア連合所属
 ツェン・タイフォン=第3の主人公。シガテラ(海賊)討伐をする武装海上警察。
 燦(ツァン)=タイフォンのアシスタント知性体。
 月牙(ユエヤー)=タイフォンのパートナー魚舟
 ツェン・リー=タイフォンの兄。汎アジア連合政治院上級委員
 ジンニェン=タイフォンの父
 イーフェイ=タイフォンの母
 ケイファ=タイフォンのいとこ、夫を亡くしている。
 オサ・ハイラン=タイフォンの友人で汎ア海上民たちのオサ
 ユアン=タイフォンに心酔する若い海上警備隊員
 サルドニカ=ユアンのパートナー魚舟
 デン=タイフォン隊の副隊長
 ヤオ将校=タイフォンの上司
 ナチン・シュエラン=汎ア連合政治上級委員。ツェンと親しい。
 ドゥアン=シュエラン上級議員の知人

○ 国際環境研究連合(IERA)所属
 春原教授=IERA日本支部。人類絶滅の大規模災害を予測し、L計画を提案。
 イハラ・トミオ=病潮ウイルスをばらまくムツメクラゲを調査する研究員。

 

○ 用語
 ネジェス(NODE)=アメリカ、ロシア、アフリカ、オーストラリア、ヨーロッパの一部、日本などの連合。テティス、ネレウス、プロテウスの三部門に分かれる。SOEという特殊公館を持つ。
 汎ユーラシア連合=中東とヨーロッパ一部の連合
 汎アジア連合=中国以南、樺太、朝鮮、台湾、インドシナ、インドの連合
 シャドウランズ=IERAが所有する環境シミュレータ
 SSAI=アシスタント知性体たちが交流するネットワーク

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2011/01/15

眉村卓「僕と妻の1778話」感想

  「毎日を明るい気持ちで過ごし、よく笑うようにすれば体の免疫力がつく、という話を耳にした」
 悪性腫瘍で余命1年あまりと診断された妻のために、眉村卓が毎日一話書き続けたショートストーリー。全部で1778話。その中から52話を選んだものが本書である。

 気負ったところがないのがよい。さらに、作品を書くにあたって自らに設けた制約が素晴らしい。

①妻が第一読者
②原稿用紙三枚以上
③病人の神経を逆なでするような、病気や人の死、深刻な問題、上から目線のお説教、知識のひけらかし、効果を狙うあまりの後味の悪い話、は書かない。元来苦手なラブロマンスや官能小説のたぐいも敬遠する。
④できるだけアハハとかニヤニヤとかの笑いを心がけ、どんなに荒唐無稽でも、どこかできっと日常とつながっている。

・・・先週紹介した伊坂幸太郎なんか、ギャと言って逃げ出したくなるような制約だ。

 さらに、各ショートストーリーの後に、筆者が当時置かれていた状況や、それを書いた時の心理状態、あるいは作品のねらい、さらには第一読者である妻の感想などが書き添えられている。
 年齢を計算すると、妻も作者も、この当時結構高齢だったことがわかる。だから、近々上映される映画版のような、若い夫婦(草彅剛と竹内結子)というイメージでは決してないのである。でも、後書きの部分に、夫婦の間柄、お互い相手のことをどう思っているかが、よくにじみ出ている。
 例えば、妻の感想のほとんどは「妻がどんな反応を見せたか、全く記憶がない」とか「何も言わなかった」「黙って読んでいた」「反応らしい反応はなかった」なのである。「あははと笑った」とか「にやにやして読んでいた」とかいうのは三つくらいしかないのだ。・・・これは本当にそうだったのかもしれないし、作者の照れ隠しなのかもしれないし、よくわからないのである。だが、余命1年と診断された妻が、毎日夫の作品を読むことで、5年もがんばったのだ。その事実が、何かを物語っているのではないだろうか。

 中盤まではひねりの効いたSF調ショートショートが楽しいのだが、終盤になるにつれ、作者の精神状態が徐々に重苦しい物に変わっていく。それが作品に反映されているのがわかる。最終回直前あたりからはもう、涙なくしては読めない。

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2011/01/08

伊坂幸太郎「マリアビートル」感想

 「グラスホッパー」に続く、殺し屋さんたちのお話です。当然たくさん死者が発生しますが、娯楽作品ですので、目くじら立てずに読みましょう。

 本書は、読売新聞10月19日の「エンターテイメント小説月評」で紹介されていたのですが、その書評がたったの13行。他の作品(例えば北方謙三の「抱影」は38行、須賀しのぶの「神の棘」は34行)に比べて圧倒的に短いのはなぜ? と思いながら読んでみました。理由はすぐにわかりました。ネタバレになっちゃうから書評書けないんですね。たとえば、タイトルの「マリアビートル」・・・何の意味か書いてしまうと、最後に誰が生き残るかわかっちゃうので、書けません。

 伊坂氏の作品は、途中で出てくる何気ないセリフや、どうでもいいような小道具の一つひとつがすべて伏線で、それらが終盤にきて一気に収束していくという黄金のパターンを持っています。

 ところで私も、歳をとったものですから、短期記憶力がずんずん衰えていく今日この頃なのです。読んでいる時に「あ、これは怪しいぞ」と思っても、20ページも読み進めるとすっかり忘れてしまうなんてことはしょっちゅう。

 ですから、私は今回、読みながら「これはきっと後々のための伏線だぞ」と思ったところには、付箋紙を貼りながら読んでいくことにしました。

 全体の5分の1も読んでいないうちに、付箋紙が15枚を越えてしまい、本からワサワサとはみ出しています。「・・・もうやめよう。とにかく今は先を読みたい。」

 今回は悪役として、小憎らしい天才中学生が登場します。「どうして人を殺したらいけないんですか?」彼の質問に対し、殺し屋たちはそれぞれの見解を述べるのですが、いずれの答えにも少年は納得しません。この小生意気な少年をぎゃふんと(古いオノマトペだなあ)言わせるのは一体だれ? とにかくそれが知りたくて知りたくて、一気に読んでしまいました。

 伊坂氏の作品の、もう一つの特徴は、普通の人が知らないような知識をひけらかす登場人物たちが、やたらと多いという点です。今回も、人を殺してはいけない理由の他に、アル中に関する知識、ルワンダ大虐殺、セイヨウタンポポ、機関車トーマスなどについて、入れ替わり立ち替わり様々な人物たちが雑学を披露してくれます。おかげでずいぶん物知りになれます。(ちなみに、なぜ今回トーマスネタが使われたかですが、娘の情報によれば、伊坂氏の子どもさんが夢中だからだそうです。)

 逆に言えば、こういった雑学の部分を削ったら、本作には一体何が残るのか? ということにもなります。まあ、主にアクションシーンと、前述の伏線がほとんど、ということになりますか?

 人によっては「サラリーマンが、酒を飲みながら『おい、知ってるか、セイヨウタンポポってのはなあ・・・』などと自慢そうにひけらかす知識と、どう違うってんだ」ということになるかもしれません。

 ちなみに「人を殺してはいけない理由」についてですが、私も私の娘も「それは本能だろう。仲間を殺すことで興奮する猿もいるし、その逆の猿もいる。ただ、ヒトの場合、人殺しを本能的に嫌う集団のほうが、殺しの好きな集団よりも、社会的結束が強くて、結果的に長い氷河期を生き延びるのに適していただけなんじゃないのか。ただ、遺伝子には多様性ってものがあるから、殺す方が好きな本能を持つ人もいるってだけのこと。それがこの中学生だろ」というあたりで意見が一致しました。

 P368の、押し入れを開けるシーンで「あ、ラスト読めた」と思って娘に自慢したら、「私はp114でもう気がついてたよ」と返されました。悔しい。

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2010/12/31

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」感想

 2010年は、小惑星探査機ハヤブサが、見事にイトカワの砂を持ち帰ったというニュースに、「宇宙戦艦ヤマト」ファンは、みな(たぶん)涙を流した年でした。

 なぜなら、両者には、共通点がありまくりだからです。
 地球を離れ、まだ誰も肉眼で見たことのない、はるか遠くの未知の目的地に向かうという設定。さらに、誰も助けてくれる事のない状況で、あるものを地球に持って帰らなければならないという使命が課せられているという点。
 一時は音信が途絶え、宇宙で行方不明になっていたハヤブサ。それを、スタッフたちがあきらめない不屈の精神力で、迷子のハヤブサを発見し、無事交信が回復。しかし、バッテリー残量が不足し、メインエンジンも壊れ、帰還はほぼ絶望視されていたのに、太陽電池パネルを帆の代わりに使って姿勢を制御し、エンジンの問題も回路の工夫でクリアして地球に帰ってくるという、奇跡的なドラマ。これが実話だというのですから驚きです。しかもラストシーンの美しさときたら。
 ハヤブサは、大気圏に突入して燃え尽きつつも、無事カプセルを切り離し、地表に送り込むという、もう健気としか言いようのないシーンでした。しかもカプセルの中には、ちゃんとイトカワの砂が入っていたという奇跡のご褒美まで!

 アニメ版ヤマトも、ハヤブサと同じく、次々に起きるトラブルの数々を、最後まであきらめない不屈の精神力と、知恵と勇気と決断力で一つ一つクリアしていくドラマ展開。時には人力でガミラスの設置した宇宙機雷を取り除くという驚きの展開。「人の手で動かすのだ。」のちにエヴァンゲリオンで、このセリフはオマージュとして使用されましたね。
 ラストシーンもハヤブサと同じく印象的でした。赤茶色く汚染された地球が、ヤマトの持ち帰った放射能除去装置のおかげで、元の美しい青さを取り戻すという演出で幕を閉じるのです。あれはよかった。

 アニメ版ヤマトにはさらに、別のよさもありました。
 当時としては斬新な、フルオーケストラ演奏によるテーマ曲。実に重厚な、ヤマトの巨体を見事に表現した音楽でした。さらに広大な宇宙の中、たった一隻で未知の星へ行かなければならない不安感を見事に表した女性ボーカルによるスキャット。
 毎回ラストで入るナレーション、「急げヤマトよイスカンダルへ。人類滅亡まであと○○日、○○日しかないのだ」という、いやがうえにも悲壮感を高めてくれる演出。当時の受験生は、このナレーションを我が事に置き換えて受験勉強に励んだでしょう。「○○高校受験まで、あと○日、あと○日しかないのだ」
 松本零士氏による、戦闘メカのデザインの素晴らしさ。スターシャの、現実的にはありえないデッサンが生み出した、人間離れした美しさ。
 しかも、設定として素晴らしいのが、放射能除去装置を、イスカンダルまで取りに来いという所。スターシャは、送ろうと思えば、波動エンジンの設計図といっしょに放射能除去装置の設計図も地球に送れたはずです。そこをあえて、「自分たちの未来を手に入れたいのなら、自分たちの力で取りに来なさい」と突き放す厳しさ。この設定が最高に素晴らしい。ただで手に入れた物に、人はありがたさを感じることはありません。自分の力で手に入れてこそ、そのありがたみがわかるし、人は前向きに生きようと努力をする。与えられることが当たり前と思っている人間は堕落するだけだと、塩野七生先生もおっしゃっていました。

 そんな「ヤマトファン」兼「ハヤブサファン」であるわたくし、「スペースバトルシップ ヤマト」12月30日、13:00上映の部を観に、ワーナー・マイカルシネマに行ってまいりました。

 以下ネタバレ多く含みます。これから観ようという方は、映画をご覧になってからお読み下さい。

・・・・・ネタバレ注意報・・・・・ネタバレ注意報・・・・ネタバレ注意報・・・・ネタバレ注意報・・・・

 客の入りは七割ほどか。私の右には優しそうなお父さんに連れられた、小学校低学年のお子さんが二人、左には品のいいおばあちゃんに連れられたお孫さんが一人。

 まず、感動した部分。
○ 曲。例のメインテーマは、オリジナルを丁寧に再現、重厚なオーケストラでずずーんと劇場全体を響かせてくれます。
○ 広大な宇宙空間を感じさせる美しいスキャットも、もちろん素晴らしい。そこへささきいさおのナレーションで「無限に広がる大宇宙」と来た日にはもう、これだけで感動ものです。
○ さらに、随所にかつてのオリジナルアニメの名セリフが散りばめられており、思わずにやりとするシーンがいくつも。声優さんも、かつてのあの人たち(伊武雅刀とか)が登場します。
○ ヤマトのCGは、ほれぼれします。主砲の連動するシーン、波動砲発射シーン、いずれも素晴らしい。コスモゼロの造形も見事です。このCGデータ、ウインドウズ上で動くソフトにして販売できないものでしょうか?
○ アナライザー、かっこよすぎます。こんなにかっこよくていいんでしょうか?  でも声優さんはアニメと同じ方というところが涙!
○ 登場人物のメイク、アニメ版を忠実に再現しようと、かなり努力しています。真田さんなんか、あれで眉毛なかったら完璧なのでは? しかも、脇を固めるキャストがものすごく豪華だったりします。山崎努やら西田敏行やら高島礼子やら緒形直人やら橋爪功やら柳葉敏郎やら・・・NHKの特別番組「坂の上の雲」に負けていません。

 次に、おいおい! な部分。
○ 「イスカンダルまで放射能除去装置を取りにきてください」ってセリフはどこへ行ったの? なぜこの部分をカット? すごく大事な部分なのに・・・。
○ 困ったらすぐに「波動砲」「ワープ」「自己犠牲」の三点セットに頼るって、いいんですか? まあ映画は短いから仕方ないんでしょうけど、でも、知恵で難関を切り抜けるのが「元祖ヤマト」のよさっだったのでは?
○ 主人公もヒロインも、なんであんなにすぐ他人を殴るんでしょう? 特に最初のシーンなんか、必然性もないのにいきなり殴っちゃってます。忍耐力や想像力が欠片もない、ただのバカに見えます。しかもヒロイン、しょっちゅう酒飲んでますし。脚本家は一体誰だ? (佐藤嗣麻子です。)こんな脚本でゴーサイン出した監督は一体誰だ? (山崎貴です。)
○ ガミラスが人間じゃない。なんで? 一つの星を滅ぼしてしまった後の、古代進のあの悲痛な叫びはどこへ? そもそも人間じゃないのなら、地球の環境を変えて移住するために、人類を滅ぼすという、戦争の大義名分ありまくりの秀逸な設定が、まったくの無駄になってしまうのでは?
○ いきなりラブシーン勃発。え、ここで? ずいぶん唐突ですね。アニメの古代君はもっと奥手だったと思いましたけど。両隣のお子さんたち、いかにもつまらなそうでした・・・。まあ、つまらんよな。
○ ガミラスがミサイルを発射しているのに、それを食い止めるための手立てを実施するために、どうでもいい(失礼)ドラマを延々十分以上・・・それだけ時間あったら、ミサイルとっくに地球に落ちてますよ。映画ではなぜか律儀にヤマトを待ってくれていましたけど。ちなみにこのシーン、両隣のお子さんたちにとってはラブシーン以上に退屈だったらしく、ひたすらポップコーンをぼりぼりかじってました。まあ、つまらんよね。

 上映中、落雷による停電で上映が一時中断されました。帰り際に「不手際でご迷惑をおかけしました。」と言って、劇場スタッフがサービス券を一枚くれました。ラッキー! これで正月に何を観よう!
 原作が名作だと、たいていリメイクは不満だらけになるものですが、本作もその例に漏れず。まあ、ただで観れたと思えば、腹もそんなにたたないかな。

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2010/12/27

塩野七生「日本人へ リーダー篇」感想

 「ローマ人の物語」の著者として有名な塩野七生氏が、2003年から2006年にかけて、「文藝春秋」に連載していたエッセイを一冊の本にまとめたものです。したがって、今読むと、ああ、ブッシュがそんなことしたっけなあとか、そう言えば、どこぞの政治家が、そんなヘマやってましたねえとか、懐かしく思い出せます。

 なにしろ小泉さんが、郵政民営化で思い切りリーダーシップを発揮していた時代のこと。あのころの自民党は一枚岩で、本当に強かったなあ。

 でも、あれからたった5年で、なんでここまで日本の政治が迷走してしまったのかと、愕然としてしまいます。しかも、今の迷走ぶりを、塩野七生氏は、5年前にすでに予言しているのですね。

「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない。」

 この部分を読んでどきりとしました。まさに今の日本の姿そのものではないでしょうか? 短期間で次々に総理大臣が変わり、それで危機が打開できるどころか、外交も内政も、失敗続きです。巧言令色。マニフェストでは、よいことばかりを述べていますが、一つ手に入れれば一つ失うのです。何を失うのか。普天間基地問題はその象徴のように感じます。手に入れるものだけずらっと並べた公約に、うっかり乗せられた国民にも責任はあるのでしょう。しかし、代わりに我々は何を失うのか、それをはっきり述べることを怠ったのは、政治家の責任でしょうか。それともマスコミの責任でしょうか?

 「人は、見たいものしか見ようとしない。」ローマ人カエサルの有名なことばだそうです。まさに今の日本人がそうなのでしょうか? 

 「朝三暮四」という故事成語もあります。朝飯が少ないことに腹を立てる猿をなだめるため、飼い主は晩飯のえさ四つのうち、一つを朝にまわすという話です。朝飯は増えるのですが、代わりに晩飯は減るのです。でも目先の欲に目がくらんだ猿は、大喜びするというお話。なんだか「子ども手当」がそのまま当てはまる話のような気がします。目の前の「子ども手当」で喜ばせておいて、その子たちが成人した時の国民の幸福をまったく保証していないのですから。たぶん、国債が嵩みすぎて、国際的信用を失った日本は、世界から見放されるのでしょう。見たくない現実に、しっかり目を向けるよう、誰かが声を上げなければ、日本はかつてのローマ帝国のように、滅亡してしまうのかもしれません。

 思わず声を出して笑った部分もあります。イタリア海軍が、国会の承認なしに、さっさとイラクへ国際貢献部隊として出港した時のこと。「なぜ命令が出ていないのに出港したのですか」「決まるまでに何週間もかかる。それから出港したのでは、間に合わない」「もし、イラクに着いても、まだ結論が出ていなかったら?」「イラク近辺の公海上で待機する」「それで、軍を出さないと決まったら?」「そのままUターンして帰る」・・・なんて柔軟な運営なんでしょう! 

 このエッセイ、まだまだ続きがあるはずなので、どんどん出してほしいものです。

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2010/12/19

DVD「RAILWAYS」感想

 四十九歳のエリートサラリーマンが、出世の道を自ら捨てて、小さいころの夢だった、電車の運転士になるという映画。ストーリーは、まさに想像通り進んでいきます。

 運転士になるまでの主人公は、たいへん嫌な奴として描かれます。冒頭のシーンでは、会社の存続のために、血も涙もないリストラを敢行します。それも、工場まるごと一つです。

 また、彼には本仮屋ユイ演じる素敵な一人娘がいるんですが、彼女がこんなセリフを言うんですね。「お父さんったら、そうやって人が話してる時にすぐ時計を見る」

 ところが、電車の運転士になったとたん、やたらと素敵なおじさんに早変わり。ひじを壊してプロ野球入りをあきらめ、電鉄会社に入社した、ちょっとひねくれた新入社員がいます。彼に対し、いかにも年の功ですって感じの、柔らか~いお説教をするのですね。また、レール上に荷物を落とした客が居れば、ダイヤの遅れもいとわず、すっ飛んでいって助けるお人好しぶり。あまりに素敵なお父さんになっちゃったので、ちょっと面食らいました。どっちが本当の主人公の姿なんだ?

 これに対する回答は、ちゃんと映画中盤で、主人公の妻が言ってくれました。

「あなた、今までずっと無理してた。」

つまり、運転士をしている時の、お人好しな姿が、本来の彼の姿なんですね。

 会社勤めに疲れた世のおじさんのほとんどが、「うらやましいなあ」と思うであろうストーリー展開でした。

 島根の自然美を、色をことさら誇張せず、自然に丁寧に撮影しています。特に宍道湖をバックに走る電車の美しさ、ため息物です。私の地元にも、ちょっと前までは本作の電車に負けないくらい古い車両がガタゴト走ってたので、鉄道マニアではないのですが、少しばかり感情移入しながら見てしまいました。

 夫婦別居問題の解決、ああいうエンディングでよかったのかなあという疑問は残りました。あと、エンドロールのユーミンの歌、あれは、一体どうしたのでしょうか。監督さん、たとえ相手がユーミンでも、駄目なモンは駄目と、はっきり言わなくちゃ。

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2010/12/12

DVD「食堂かたつむり」感想

 原作は以前読んだことがあります。まあまあおもしろかったような記憶があるのですが・・・はて、どうだったかな?

 さて本作ですが、名作? いや迷作? いきなり故郷の山(おっぱい山とかいうんですけど)が、そのまんまおっぱいの形して出てくるって・・・。しかもご丁寧に乳首の形まで繁みで型作ってくださってる・・・。ありえんでしょう。飲んだ人の心が温まるジュテームスープ、その器がそのまんまハート型って・・・。これもありえん。演出がストレート過ぎます。お茶漬けに対する感謝の気持ちが一万円札、ありえん。しかもその時、ヒロインは客の反応を気にしすぎだろ。あんなおっさん、無視して超然としててください。

 ・・・などなど、部分的にはいい演出もあるのですが、がっかりな演出も多く、やっぱり迷作です。ヒロインの柴崎コウが結構すっぴんで(完全にではない)がんばっているのはよかったし、料理で未亡人が生き返るシーンもよかったんですけどねえ。

 オープニングはミュージカル調にスタートします。ヒロインが田舎での自分への風評に耐えきれず(「あなたは不倫の子だから倫子~♪」とか歌うんですね)、都会に出て行き、おばあちゃんに料理を教わり、インド人と料理店を開くため貯金したはいいけど、全額だまし取られ、ショックのあまり声が出なくなる。というあたりまでが、ミュージカル調で進みます。不自然に強調された色づかいもあり、なんだか「嫌われ松子の一生」ですか? などと思ってしまいました。

 冷静に考えてみれば、母親の、娘に対する屈折した愛情表現が、そもそも間違ってるような気がします。本作は、母娘の和解というハッピーエンドで終わってますからいいようなものの、普通あんなふうに娘を育てちゃいかんだろ。と思うのですがいかがなものでしょう? 

 あと、1日に一組の客しか受け入れないレストランという設定も、なんだかなあ。お代としていくらいただいたら赤字にならずにすむんでしょう? ていうか、魯山人じゃあないんだから、そんな商売しちゃいかんだろ。一体何様のつもりだ?

 これって、映画よりもむしろ原作のほうに問題があるのでしょうかね???

  なんだか「ありえん」「いかんだろ」だらけの感想になってしまいました。すいません。

 

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2010/12/05

道尾秀介「月と蟹」感想

 何度も直木賞候補になりながら、なぜか毎回落選する道尾秀介氏の新作です。ミステリー要素に走りすぎが原因?

 そこで今回はミステリー色を薄め、文学的に比喩表現を多用してきました。さて、直木賞ゲットなるか?

 タイトルからしてもうすでにバリバリの比喩です。まあ、多くの作家がそうしてますけれども。

 蟹には二つの意味がかけてあります。一つはキャンサー(癌)。主人公の父親は癌で死んで、今はいません。さらに祖父も、転倒による頭部打撲が原因で、脳内出血をおこすのですが、その、脳の中でじわじわ広がっていく出血のイメージが、そのまんまキャンサーです。

 もう一つの意味は、主人公が級友と行う 儀式に関係あります。なんと、ヤドカリをライターであぶり殺す儀式です。ある時、遊びでヤドカリをあぶりながら、何気なく金持ちになりたいと言ったら、500円玉を拾う。ひょっとしたら、ヤドカリの死の瞬間にお祈りをすると願いをかなえてくれるのではないか。だから少年たちはヤドカリのことを「ヤドカミ」と呼びます。

 さらに、海で捕まえたヤドカリを飼ううちに、あるペアが交尾を始め、やがて小さなエビのような子どもをたくさん産みます。これまた比喩であり、この先の伏線でもあるのですね。 

  タイトルのもう一つの名詞である「月」。月と蟹、とくれば、満月の夜に大潮を利用してメス蟹大量産卵! のイメージがわいてきたりします。

 主人公の祖父は、漁船の操船ミスで、船に乗っていた女性を死なせてしまう。祖父自身も海に落ち、スクリューに片足を持って行かれてしまう。祖父は、自分が小学生だった時、神が住むと言われる山に探検に行きます。その時、突風にあおられ谷に落ちた友人を、助けずに逃げ帰ったことがトラウマとなって残っているのです。自分がこのように片足になったのは、その時の罰だと言うのです。自分が犯した罪は、いつか必ず自分に返ってくると。

 さらに、祖父が事故で死なせてしまった女性には娘がいるのですが、なんとその娘と主人公はクラスメイトという設定。娘にしてみれば、「母親を死なせた人物の孫と同じ学級だなんて!」というところでしょうが、彼女はそういった私怨を乗り越えた「大人」になりたくて、あえて主人公に語りかけてくるのです。主人公は次第に彼女に心惹かれていく。ところが、さらにさらに作者はややこしい設定を用意するのです。すなわち、主人公の母親と、娘の父親が恋仲になる。娘はそれを知りつつも、必死で大人の対応をしようとあがきます。主人公も、母親の相手が誰かを知り・・・「そしたら私たち、兄妹になるのね」おいおい、一歩間違ったら、親子そろってカップルの誕生か・・・などとホンワカ考えて読んでいたら手痛いしっぺ返しを食らうのが本作です。

 もう一人、祖父が女性を事故死させてしまったため、ほぼクラス全員から無視されている主人公に、声をかけてくる少年がいます。ところが彼は、日常的に家庭内暴力にさらされているという設定。本当に、とことん暗~い設定です。でもなぜか先が読みたくなる。この3人が、それぞれどんな思いで付き合っていたのか。そして、一体ヤドカミ様にどんな願をかけたのか。願いは果たしてかなうのか。もしかなったら、3人はどうなってしまうのか。ドキドキしながら読みました。

 狭い、閉ざされた水たまりの中で主人公たちに飼われているヤドカリたちは、実はこの3人の立場を表しているようです。ヤドカリたちは何の落ち度もないのに、理不尽にも少年たちに火炙りにされる。そして少年たちも・・・。

 この世の理不尽さと闘いながら、それでも必死に大人になろうとする彼らを、はたして「月」は明るく照らしてくれるのでしょうか。

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2010/11/28

ダニエル・J・レヴィティン「音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか」感想

 自分がある一定のジャンルの音楽を好むのは、なぜなのか、また、どうして音楽の好みが人と違うのか、今までずっとそういう漠然とした疑問を持ち続けてきました。

 当たり前の旋律を、当たり前の歌詞で歌う曲は、どうしても買う気になれません。先が予測できる歌なら、わざわざ金を出して買わなくても、自分の脳の中でイメージできてしまうからです。それなのに、プロの歌手が、私がイメージした通りに歌ってしまった日には、本当に、心の底からがっかりしてしまいます。それでもお前プロか? 少しはこっちの予測を裏切って、斬新なリズムとか、メロディーとか、歌詞とか、聞かせようと思わないのか?

 最近の日本でセールス的に成功した曲のうち、かなりの曲が、意外にも紋切り型の進行で書かれた曲のように思います。なぜなんだろう。それが私の疑問でした。なんでみんな、こんな当たり前の曲で感動するのだろう? 満足するのだろう?

 本書はある程度、その答えを示してくれたように思います。

 人間は二十歳までに聴いた音楽のジャンルによって、好みが決まっていくというのです。各ジャンルの音楽には、それぞれに独自のルールや形式があり、音楽を聴けば聴くほど、それらのルールが記憶の中で具体性を帯びる。それが将来にわたって音楽を理解していく土台になるんだそうです。

 さらに本書は過去の名だたるアーティスト、作曲家たちが、いかにして聞き手の期待を裏切る工夫をしてきたかが書かれています。

 「作曲家は聞き手の期待を裏切り、その期待をいつ満たすか、いつ裏切るかを意図的にコントロールすることによって、音楽に感情を吹き込む。」

 古くはハイドンの偽終止。このテクニックはビートルズの「フォー・ノー・ワン」、スティーリー・ダンの「チェイン・ライトニング」にも使われていると言うのです。

 「何年たっても思い出す曲というのは、いつでも多少驚きを感じるくらいに、期待をはぐらかしている」

 先が予測できない曲を聴きたいと思うのは、どうやら私だけではなく、筆者によるとむしろそれが名曲の条件だと言うのですね。ほっとしました。 

 ついでに、本書は以下のようなことにも触れています。

「ワールドクラスのエキスパートは皆一万時間以上練習している。これは一日3時間を10年間継続することに等しい。ワールドクラスと言える本物の専門技術を、これより短い時間で達成した例はいまだにない」
「成功した人は成功していない人より多くの失敗を経験している。大切なのは失敗の後にどうするかだ。」

 つまり、成功するかどうかは、一万時間練習する前にあきらめてしまわない、継続することのできる心の強さを持っていることが大切らしいですね。飽きっぽい人はどんなに才能があっても、ワールドクラスにはなれないようです。そのほかにも、次のような言葉が・・・

「歌と踊りは言葉より先に文化としてあった。遺跡から発掘された打楽器は、五万年前のもの。」
「歌と踊りが上手な男ほど、女は子孫を残す相手として選ぶ傾向があった。」

 ちなみに、なぜ人が歌うようになったかについては、岡ノ谷一夫「言葉はなぜ生まれたのか」で、以下のような仮説を述べています。
 「外敵におそわれない安全な場所で子育てが出来るようになる。→赤ん坊が泣いても外敵におそわれる心配がなくなる。→赤ん坊は泣くことで自分の要求を親に伝える。→呼吸をコントロールできるようになる。→声まね、つまり発声学習ができるようになる。→歌が歌えるようになる。→歌の一部に共通の意味が生まれる。→単語の意味が生まれる。」

 どうやら、言葉より先に歌があったらしいんですね。万葉集や古今集を「和歌集」と言うのも、当時は本当に歌うように詠んでいたからだと言います。

 そうだとすると、人間以外で今後進化によって言語を使えるようになるのは、ひょっとしたら、猿よりも鳥の方かもしれません。 

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2010/11/21

朱川湊人「太陽の村」感想

 「花まんま」で直木賞を受賞した朱川氏の新作です。

 主人公の名前は龍馬。今年の○HK大河ドラマの主人公と同名です。おかげで小さい頃からいじめにあいます。結果、他人との接点をなるべくもたない生活をおくるようになり、30代になってもコンビニの深夜バイトと自室を往復し、ネットゲームで吟遊詩人になりすます毎日。ろくに運動もせず、ジャンクフードを大量に食べる毎日を過ごしたため、思い切りメタボ体型に。

 そんな龍馬君が、ハワイへの家族旅行の帰り、飛行機事故で、どうやら江戸時代にタイムスリップしてしまったという設定。さて、メタボな龍馬君、どうやって厳しい農耕生活になじんでいくのか・・・。

 主人公の設定といい、江戸時代にタイムスリップする設定といい、まさに2010年の世相を反映しています。

 まず、主人公の設定。ひきこもりの若者がネットゲームにはまり、メタボに・・・なんて、あまりにもありそうな、いわばステレオタイプ。でも、そんな彼が、タイムスリップした村で、自分が周囲に必要とされる場所を発見するストーリーは、なかなか感動的です。太宰治の「走れメロス」が実に効果的に使われています。教科書で「メロス」にはまった人は、ぜひ本作にも目を通してみてはいかがでしょう。

 さらにすごいのは、本作がTPP、つまり関税を撤廃し、安い農作物を自由に輸入できる条約を推進していくことになりそうな雰囲気をすでに予測しているところです。もちろんTPPに反対する意見も多いのですが、じゃあ、鎖国して自給自足しようと思ったら、どんな生活になるのか、龍馬君がタイムスリップした村では、まさにそういう世界が描かれています。

 細部にいくつも甘さ(たとえば、村長が「走れメロス」のラストを変更させたのは何のため? とか、序盤にあれだけ思い入れたっぷりに描かれた妹が、結局そういう結末なんですか? とか、ろくに勉強もせずネットゲームばかりしている龍馬君が、やたらといろんな知識を持っているのはなぜ? とか・・・まあこれは作者の雑学知識をそのまま龍馬君の知識にしてしまったからなんでしょうけど)があるため、終盤は「なんじゃいそれ」的な話になってしまっています。おまけに表紙の絵も、かなり怪しい。こんな絵で、だれか買う人いますかね? 

 でも、中盤のおもしろさはこの作者らしいもの。すいすい読めるので、ちょっとした暇つぶしに読むにはよいかもしれません。

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2010/11/15

DVD「時をかける少女」感想

 ①NHKの連続ドラマ「タイムトラベラー」 ②原田知世主演の尾道ロケ版 ③アニメ版 と来て、本作は実に4作目となります。

 ヒロインの仲里依紗、表情がくるくる変わります。目を大きく見開いて涙をぼろぼろこぼすシーンでは、ものすごい美少女に見えます。でも、銭湯のマッサージチェアでくつろいでいる時の表情なんかは、そこらのおばちゃんそのものです。笑えます。役柄上、あえて変な顔をしているらしい部分もあるようです。

 ちょっとがさつで、でも恋愛に対しては奥手、根は純情でいい奴、というキャラをうまく演じていると思います。このキャラ、なんだかアニメ版とかぶってるなあと思って調べてみたら、アニメ版のヒロインの声を演じていたのは仲里依紗でした。・・・道理で。

 たとえ記憶を消されても、心のどこかに何かひっかかるものがある。一体何だろう? と首をかしげるヒロイン。シリーズ作に共通するこの大事なパターンは、本作でもきちんと踏襲されます。人気グループ「嵐」の「モンスター」も、そんなテーマの歌でしたね。さらに、重要人物とのすれ違いシーンなんかは、尾道版のラストシーンを彷彿とさせ、胸がきゅんとなります。

 今回は昭和にタイムトラベルする話なので、随所に昭和を感じさせる小物が出てきます。路上にさりげなく駐めてある自動車が、「ルパン三世カリオストロ・・・」に登場する昔のフィアットだったりします。

 エンドロールの歌は、できれば名曲「時をかける少女」で締めくくってほしかったかな。オープニングで使っちゃったから、2度は使えなかったんでしょうか? 尾道版のエンドロールはつくづくよかったと思います。映画の回想シーンだと思っていたら、突然そこから原田知世が歌い出す、という驚きの演出。

 ・・・やっぱりついつい過去の作品と比べてしまいました。すみません。

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2010/11/06

DVD「書道ガールズ!!私たちの甲子園」感想

 以前愛媛県川之江市に住んでいたことがあります。本作の舞台となった四国中央市、製紙工場の煙突が立ち並ぶ風景を、懐かしく思い出しながら見ました。ただし、私が住んでいたころは、今みたいに消臭装置がなく、町じゅうがパルプの腐ったような独特の臭いで覆われていましたが・・・。

 半年前に映画館で観ようと思ったら、そこはワーナーマイカルシネマの、7つある劇場のうちの、一番小さなところでした。なんて可哀想な扱われよう・・・。地元の映画なんだから、もっと大きいところで上映してやれよ(でも、それで見るのをやめてしまった私が言うことじゃないですよね)。

 ストーリーは「フラガール」の書道バージョンみたいです。さびれた町を活気づけるために自分たちに出来ることは何かを考える女の子たち。娘の活動を理解しようとしない親。家庭の経済事情で書道をあきらめる部員。挫折経験のある指導者の登場などなど。つまり、安心して見ていられます。

 ヒロインの成海璃子がすばらしい。気むずかしそうな表情の役がぴたりはまっています。「あなたの、一本ぴしっと筋の通った、芯のある字が好き」と友人に言われるシーンがあるのですが、まさしくそういう雰囲気の女子高生を見事に演じています。また、映画の中の9割近くのシーンが気むずかしい顔、でも残り1割でふわっと見せる表情の、なんと柔らかく美しいことか。さらに驚いたのは、書道パフォーマンスのかなりのシーンをどうやら吹き替え無し、本人が書いているらしいところです。なかなか見事です。

 友人役の山下リオも、あいかわらずスラリと長い手足と小顔で、たいへん魅力的です。しなやかな字を書く女子高生の役なんですが、まさにその字のイメージにぴったり。病気の母親のために自分の高校生活を犠牲にする健気な役でもあるんですが、そのイメージにもぴったり。

 残念なのは若い書道部顧問の先生。「永」の字をなめるなとか、中学1年の書写の授業で初心者に対して言うようなことしか言いません。書道部員たちには役にたちそうもない指導ばかり。このあたりはコミック「とめはねっ!」(NHKでドラマ化もされました)の先生のほうが、リアルだったと思います。

  エンディングは、実話を元にしただけあって、リアルでかつ抑えた演出で、よかったです。

 

 

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2010/10/31

岡田斗司夫「世界征服は可能か?」感想

 筆者はアニメオタクとして有名な人物。かって(株)ガイナックスを立ち上げ、NHKアニメ「ふしぎの海のナディア」を制作し、1992年に退社。その後、ガイナックスは1995年に制作した「エヴァンゲリオン」で、一躍有名になりました。

 本書はタイトル通り、「世界征服は可能か」について、筆者がかつての名作マンガや名作アニメ、名作(迷作?)ヒーロー物などに出てくる悪の組織をネタにして、好き放題描きまくったものです。

 前半はおもしろかったです。「第1章 世界征服の目的」では、悪の組織ショッカー(仮面ライダー)は、世界征服をした後、何がしたかったのかがさっぱりわからない。聖帝サウザー(北斗の拳)なんかも、子どもたちにピラミッド作らせて、その結果何を手に入れようというのか、さっぱりわからない・・・と、かなり手厳しく批判されています。

 比べてガミラス帝国(宇宙戦艦ヤマト)が地球人全滅を目指すのは、ガミラス人移住のため、と目的がはっきりしているところがいいそうで。

 第2章では、過去の悪役を4タイプに分類、読者はどのタイプかを問うてきます。この中で最高におもしろいのがヨミ様(バビル2世)。ヒトラーと同じく独裁者タイプに分類されています。能力が高く、責任感も強くて働き者だそうですが、おかげで、常にすべての判断を自分がしなければ気が済まない。おかげで過労死した独裁者の例(ローマ皇帝ティベリウス)もあげています。ヨミ様も、バビル2世との闘いではなく、過労のために、なんと三回も死んでいるそうです。「大変だ、寝ているヨミ様を起こせ!」というセリフ、たしかに昔、読んだ記憶があります。あらためて読み直してみると、なんと哀しいセリフでしょう。 付録の「ヨミ様人生すごろく」などは、涙なくして見ることができません。

 ところが、後半になるにつれて、本書はなんだか説教臭くなってきます。「世界征服は金ばかりかかるわりに、もうからない」「実はルールを守って商売した方がはるかにもうかる」「独裁者Kは、自分のための娯楽を外国から買っている。なぜなら本当におもしろいものは、自由競争社会でないと生まれないからだ」などと、世界征服がいかにつまらないか、次から次へと理屈で攻めてきます。ゆ・・・夢がないよう・・・。

 現在も、独裁政治をしている国家は現実にあるわけなので、そのあたりをモデルに、今後もその国家運営を継続していくためには何が必要か? とか、正義の味方がその国家を転覆させようと思うなら、どうすればいいか? とか書いてくれたらおもしろかったかもしれません。

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2010/10/24

森見登美彦「四畳半神話大系」感想

 2005年初版となっていますから、もう5年も前の作品です。昔の作品をなぜ今? 
 本作は2010年にアニメ化されました。森見氏の作品に心酔し、京都の大学に進学した娘が、このアニメを高く評価したので、それでは、と私もレンタルで見てみました。
 ・・・おもしろい。第1話と第2話しか、まだ見ていませんが、非常に個性的な作品です。まずキャラデザインが個性的。昨今の萌え系キャラとは一線を画します。そして、ほとんど主人公の超高速モノローグでストーリーが進むところも個性的。

 毎回一話完結形式。主人公が京都の大学に進学し、たくさんあるサークルの一つに入り、悪友小津と知り合うことで、いろいろと不毛な大学生活を送る筋立てです。ところが第2話になると、なぜか主人公は大学入学時の時間に戻っている。そして、前回とは違うサークルを選ぶ。違うサークルを選ぶことで、少しずつ細部は変化するのだが、なぜか悪友小津とは毎回関わることになり、結局はほぼ同じレールの上を歩くことになる主人公、いわゆるパラレルワールド。それがどうやら延々と続くらしいところもおもしろい。

 エンディングの曲もすばらしい。やくしまるえつこの声が、いやがうえにも脱力感を醸します。たしか彼女は、別の曲で「そして世界はぱられるぱられるぱられるぱられるぱられるぱられるわーるど」などと歌っていたような記憶があります。偶然なのか、本作も、パラレルワールドを描いたもの。また、エンディングアニメもおもしろい。四畳半がうにょうにょ蠢きながら次第に増殖していくのですが、まるで「たばいも」系の現代アートを見ているよう。

 というわけで、あらためて今回、原作を読みました。
 ヒロインの明石さん。キャラがなんだか、うちの娘とかぶってます(うちの娘は、蛾はまったく平気でつまみますが)。「能ある鷹は爪を隠さない」雰囲気とか「なんでそんなことあなたに言わなくちゃならないの?」と、その場を凍らせる発言をするあたりとか、性格がすごく似てるような気がします。「明石さん、そのまま君の道をひた走れ」思わず声に出して読みそうになりました。
 エンディングアニメの意味も、原作最終話を読むと明かされます。パラレルワールドが何度も描かれる意味が、はっきりとわかります。
 いつまでも続くと思われたパラレルワールドが、最後にほんの少し変化して終わる。ラスト、それまでずっと「そんな汚いもん、いらんわい」というセリフで終わっていたのが、ちょっとだけ変化して終わります。文字ではほんのわずかなその変化、実はとても感動的な変化だったりします。

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2010/10/17

DVD「K-20 怪人20面相・伝」感想

 江戸川乱歩の怪人二十面相を下敷きに、北村想が新たな解釈で書きあげた「怪人二十面相・伝」を原作としています。

 松たか子が令嬢役で出てきます。あと10歳若ければ令嬢・・・。
 で、明智小五郎をお色気で引き留めようとするシーンがあるのですが、悲しいほどにお色気が感じられません。したがって、小さなお子様も安心して見ることができます。

 シナリオがなかなかよくできております。二転三転しますが、伏線も含め、納得できる展開です。
 前半は金城武の、一歩先を予測せずに行動してしまう、その馬鹿さ加減、プラス、他人の気持ちを踏みにじるような言動の数々に、見ていて嫌気がさしました。しかし、後半、松たか子が絡んでくるようになると、作品に変化が生じ、さわやか感が高まります。自分よりも非常識な人物が登場したため、相対的に金城武の非常識さが薄まったような気がしただけなのか、はたまた、金城武が、松たか子の非常識さを反面教師として、人間的に成長したのか、ちょっとそのあたりは微妙です。微妙ですが、後半はすがすがしく、気持ちよく見ることができました。 監督さんは、本作を撮る上で、松たか子が演じる天然キャラを、どこまで計算に入れていたのでしょうか? よくわかりませんが、松たか子のキャラクターがなければ、本作、ここまでおもしろくはならなかったでしょう。

 金城武のアクションシーンは爽快です。でも、スパイダーマンのパクリです。なるべく気にせず見ましょう。松たか子のオートジャイロは、ルパン3世カリオストロの城のパクリです。物理的にありえない動きを見せますが、これも気にしない気にしない。

 エンディングはまあ、ちょっと微妙ですね。義賊として生きることを選んで、本当によかったんでしょうか? 二十面相ではなく、明智小五郎の側の人生を選ぶ、というのもありだったのでは? このあたり、あまり書くとネタバレになるのでほどほどにしておきます。

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2010/10/10

大竹文雄「競争と公平感 市場経済の本当のメリット」感想

 筆者は大阪大学経済学の博士です。

 経済学の博士は、金の動き方の予測や分析をするため、こんなにいろいろなアプローチをするのかと驚きました。

 例えば、職場の男女間格差が生まれる原因として、

 「男性の方が競争が好きである」

というデータを出してきたと思ったら、

「女性ホルモンの分泌が多い時期には、女性は競争を避ける」

「育った文化や環境が違えば、女性でも競争を好むようになる」

(男女共学よりも女子校の方が、女性は競争的になるとか、母系社会のカシ族の女性は競争が好きとか)

というデータを出してきたりします。医学的アプローチやら、社会生物学的アプローチやら、一見経済学とは関係のなさそうな、あちこちの分野からデータを引っ張ってくるのですね。そのうえで、優秀な女性の力を職場で発揮させるためにはどうすればいいかを提案しています。

 ついでに、男性ホルモンが濃いと、競争を好む人間になるのですが、同時に薬指が長くなる傾向が報告されています。草食系男子が好きな女性は、薬指の短い男性をチェックしましょう。

 四、五歳の子どもに対し、将来のハイリターンを期待して、今がまんすることができるかどうかを調べる「マシュマロテスト」というのが紹介されます。また、お菓子の分配方法で、平等が好きかどうかを調べるテストも紹介されます。両者の結果が示すのは、遺伝子よりも環境、つまり幼児期のしつけの重要さです。就学前の教育の有無が、子どもたちの将来の経済格差に大きな影響を与えると言うのですね。

 選挙制度にも触れています。高齢者ほど投票率が高いので、高齢者に有利な政策ほど支持される傾向になるのですが、それでは若者や将来世代はたまったものではない。子どもの数だけ、親に投票権を与えてはどうかと提案しています。でも、それだと子だくさんの親には(そういう親はどういう嗜好を持つのか、よくわかりませんが)有利な政策になるけど、子どもを作らず頑張って働いている人には不利になりますよね。いいのかな?

 長時間労働について、ワーカホリック(仕事中毒)の長所と短所が述べられます。長所は、いくら残業しても、それをストレスと感じない人が職場にいれば、周囲はそれで助かることが多いということ。ただし、ワーカホリックの人が管理職になると、残業を皆に平気で強制するようになります。すると、部下のストレスが高まり、職場の生産性は低下するというのです。

 こうならないよう、「部下の健康管理は管理職の責任」というシステムを導入することを、本書は提案しています。ううむ、勉強になります。

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2010/10/03

穂村弘「絶叫委員会」感想

 ぱっと目について、思わず手に取りました。白い表紙に赤い文字でこう書いてあったのです。

「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!」

「日本人じゃないわ。だって、キッスしてたのよ」

「噛みつきますから白鳥に近づかないで下さい」

 作者は歌人、短歌評論集「短歌の友人」で伊藤整文学賞を受賞したそうですが、当方ぜんぜん読んだことありません。本作がはじめての穂村弘との出会いになります。

本書は「町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。不合理でナンセンスで真剣で可笑しい、天使的な言葉たちについての考察。」だそうで、 表紙にあったような、思わず「え?」となるような言葉の数々に、笑ったりうなったり感心したり。でも一番多いのはつっこみ系です。

 「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか?」なんかはつっこみ系の代表。客の前言撤回的理不尽な要求に対し、敬語を使って懸命に自分の立場に踏みとどまろうとしながら、「じゃねえか!」本音がほとばしる。おいおい、こんなセリフ言っちゃって、仕事もらえるのかよ? いや、もらえるわけないよな(反語表現)。でも言わずにはおれない。そんなきらめく言葉の数々が収録されています。これはもう、読むしかないでしょう。

 さらに、つっこみ系だけじゃなく、本書には、鳥肌が立つような超リアル系もあるのですね。

 悪役レスラーに向かって、母が聞きます。

「リングの上の怖ろしいお前と、私の知っている優しいお前と、どっちが本当のお前なの?」

「どちらも本当の私ではない」

おお! 思わずうなりました。「もちろん優しいほうが、本当の私だよ」ではなく、「どちらも本当の私だ」でもないところに、すごみがあります。母の期待する答えをあっさり拒否し、自分の本心に忠実であろうとする態度に、なにやら崇高さすら感じます。 

 それから擬態語(オノマトペ)系。 「北斗の拳」の「ひでぶ」や「へうげもの」の「のぺえっ」などが例としてあげられていますが、日本の漫画はすぐれたオリジナル擬態語の宝庫だと思います。いずれも臨場感たっぷり。世界に誇れる文化の一つではないでしょうか。

 本書では、歌人らしく若い女性の投稿作「謝りに行った私を責めるよにダシャンと閉まる団地の扉」という短歌を例に挙げています。この「ダシャン」が素晴らしい。作者も書いていますが、これが「ガシャン」ではおもしろくない。「ダシャン」だからリアルなんですね。

 「学生の頃、クラスに新鮮なオノマトペを次々に繰り出してくる女の子がいた。こんなのを覚えている。『先っぽがトッキントッキンに尖った鉛筆』」

こんな子がクラスにいたら、毎日がすごくどきどきしそうです。今日はどんな新しいオノマトペと出会えるのかな? とか。

 歌人らしい鋭い言語感覚、その新鮮なシャワーを浴びたような読後感です。

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2010/09/27

杜康潤「坊主DAYS」感想

 臨済宗のお寺に生まれた兄が、あとを継ぐため僧堂に修行に行くというので、漫画家である妹がそれを取材して、知られざる坊さんの修行の世界、坊さんの生態を活写したというタイプのマンガです。帯の部分には、「日本初の坊主コミック・エッセイが登場!!」などと書いてあります。

 しかし、待てよ? なんだかよく似たようなマンガを遠い昔に読んだ気がしたので、倉庫を捜したら、出てきました。岡野玲子「ファンシィダンス」! 初版発行1985年となっています。ロックバンドの兄ちゃんが、家を継ぐため入山して修行を積むというストーリー。本作との違いは、同じ禅宗でも、永平寺が(作中では明軽寺となっていますが)舞台となっているところですね。

 でも、ネタは大部分似通っています。修行は1年から長くて3年ほどかかるため、その間に、彼女にふられてしまうというエピソードなども同じです。やっぱり遠距離恋愛はうまくいかないみたいですね。

 「ファンシィダンス」は、すでに25年も前の作品ということで、スティーブ・ペリーやらデュランデュランやら懐かしいアーチスト名がぽんぽん出てくる作品です。はたして本作「坊主DAYS」の作者は、当時何歳だったのでしょうか? こんなにネタかぶってるなんて、知らずに描いたのかもしれません。担当さんもきっと気づいてないんでしょう。 ただ、最後で描かれる住職の結婚式は、本作オリジナルで、これだけでも読む価値ありと言えます。

 あ、でも一番の違いは「ファンシィダンス」が文学的シリアス路線(小学館漫画賞受賞)なのに対し、本作はコミック路線なところですね。そういうわけで、帯の「日本初の坊主コミック・エッセイ」という謳い文句も、間違ってはいないということになります。

 あと、巻末部分に「すぐに使える! お役立ち仏教マナーガイド」なるものが収められているのですが、これがなかなか力作で、お布施はいくら、墓石はいくらなど、金額に関して細かい部分まで書いてあり、いざという時、かなり役に立つ内容となっています。

 

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2010/09/18

西加奈子「炎上する君」感想

 短編集です。玉石混淆ではないかと思われます。

 西加奈子は、いい時と悪い時がはっきり別れる作家だと思います。過去の長編作品では、作品の前半と後半で、主張が正反対の方向に行ってしまっていることもあり、おやおやと思ったことがあります。(自分の欲望に正直に生きて何が悪い、とうそぶいていたヒロインが、後半でしおらしく、そんな自分の態度が周囲の人たちをいらつかせていたのかも、などと反省したり)方向性がきちんと固まっていないうちに書き始めてしまっため、途中で苦悩に陥る。そんなパターンが文章の隙間からちらほらと見えたりします。で、この短編集も、うまく小説が書けない作家の苦悩をテーマにしたものがいくつかあります。

 表題作の「炎上する君」は、文句なくおもしろいと思います。西加奈子の勢いある文体がプラスに働いています。本作のように、なまじ後のことなんか考えずに突っ走り切れれば、傑作になるのではないでしょうか? 外見は全くいけてないんですけど、事務処理能力はやたらと高い二人の若い女性が、ある日バンドを組む話です。周囲がどう思おうと、自分たちは自分たちのスタイルで突っ走ってやる。そんな潔い爽快さがみなぎっています。バンドで成功した二人が、今度は友情にヒビが入ることもいとわず、炎上する君への恋に突っ走るという筋立てです。常にこれくらい疾走感のある作品が書ければ、もっと高い評価を得られる人だと思うんですけどねえ・・・。

 今回は挿画も西加奈子本人が描いたそうで、怪しげな炎がゆらめいています。

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2010/09/12

坂東眞砂子「やっちゃれ、やちゃれ! 独立・土佐黒潮共和国」感想

 高知県が日本から独立したらどうなるか、という、とんでもないフィクションです。高知新聞に連載されていたものが、この度出版されました。親戚が高知にいるので、興味深く読みました。

 国の財政が逼迫しているため、地方切り捨てが残酷なまでに進められていますが、高知は、全国一の貧乏県であるため、国の公的資金がないと成り立ちません。それなのに独立して、やっていけるのか?

 ストーリーは第一部「独立」と第二部「騒乱」の二つに別れます。第一部では、独立したら、どんな難問が県民、いや新国民に押し寄せてくるかを描いたもの。第二部は独立した高知に対し、日本政府はどのような対処をしてくるかを描いたものとなっています。

 登場人物は

・一般の県民(のちの黒潮共和国国民)が3組ほど。

 一人目は山間部に住む老婆、二人目はサーフィン大好きな宅配業者、三人目は普通のちょっと気の強い専業主婦。この三人の日常生活が、高知独立によってどのように劇的に変化するかが描かれます。

その他に

・高知新聞の新聞記者

・県知事および周辺の人々

・テロ実行犯

等が登場し、後半は高知弁丸出しで、思い切りエンタテイメント路線へと突っ走ります。ハラハラドキドキです。

 さて、高知が独立するとどんな変化が起きるか、小説から抜粋します。

・公共事業が軒並み中止となり、県内企業がバタバタ倒産する。

・大手スーパーや量販店が軒並み高知から引き上げ、生活必需品が流通しなくなる。

・電気代が高騰し、日常生活で電気製品は使えなくなる。

・同じくガソリン代も高騰し、自動車は使えなくなる。

・若者達は、今まで自分を装飾したり、遊びに使ったりしていたさまざまな消費財(ファッションやゲーム)をあきらめなければならなくなる。

 つまり、高知は独立すると、戦争直後の生活レベルに戻ることになるのですね。食料は自給自足。農作業はすべて人の手や牛を使うことになる。移動手段はもっぱら自転車。

 成功の前例として、小さな島国キューバがソ連の崩壊後、自給自足により見事に国を再建した件をあげています。

 問題は防衛です。太平洋に面しており、どこからでも上陸できる地形なため、テロや密輸(麻薬)に弱い。それらを防ぐため、海岸線を守る自警団を作りたくても、その予算がない。

 日本政府が、高知独立を認めない理由がここにあります。日本を混乱に陥れようと思うのなら、まずは入国しやすい高知から、ということになってしまうわけです。

 沖縄、島根、秋田など、高知独立が成功するかどうかを、我が事のように見守る県がたくさんあるというのも、リアリティがあります。実際、沖縄が独立したら、基地問題は米国と沖縄との対話、というとてもシンプルなものになります。すごい話です。

 夢中で本書を読んでいると、妻が横からぼそっと言いました。

 「高知はな、優秀な人材もようけおるけど、そういう人たちはみんな、高知から出て行ってしまうんや。坂本龍馬もそうやろ。高知に残っとったって、なんもええ仕事ないもん。優秀な人がみんな抜けてしもうてる高知県が、独立みたいな大きなこと、できるわけないやん。漫画家で成功した西原理恵子もそうやろ。高知から出て行った口や。だいたい西原さん、こんなこと書いとったで。坂本竜馬が偉いんやない。偉いんは、それを書いた司馬遼太郎やってな」

 冷水を浴びせられるようなお言葉でございます。

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2010/09/05

DVD「南極料理人」感想

 今、日本は9月であるにも関わらず、猛烈な残暑ですが、本作の舞台はマイナス50度の南極ど真ん中。よく冷えてます。

 とにかく、南極らしいとんでもない舞台設定がてんこもりです。

 まず、一日中太陽が沈まない季節と、一日中夜の季節が半年周期でやってくる。

 標高がなんと3000メートル越えてる。おかげで気圧が低く、お湯が80度くらいで沸騰するらしい。夜中、コックにこっそりラーメン作って食べる隊員たちが、「しんが残ってるんだけど・・・」と情けない顔をする。

 日本にKDDI経由で電話をかけることはできるが、1分700円以上かかるらしく、電話機の前に「長電話は破産」みたいな恐ろしい注意書きが貼ってある。

 マイナス50度の世界ではウイルスも生存しないらしく(正確には結晶化して活動休止状態なのでは?)「熱があるんです。風邪ひいたかも」「ここには風邪のウイルスはいませんよ」という感じで、仮病も使えません。

 食材は基本的に缶詰中心。生野菜は室内で育ててみたものの、カイワレくらいしか育たない。

 水は貴重。材料(雪・氷)はいくらでもあるが、それをドラム缶に詰めて基地に運び込むという重労働は、隊員8人で毎日協力してやらなければならないから。

 毎日が単調で退屈。耐えきれなくなって「帰る」と叫び、氷の上を走り出す隊員も時々いるが、「死ぬよ」の一言で冷静さを取り戻す。

 約1年半、8人のおっさん(青年一人含む)たちだけで生活しなければならない。

 こんな舞台設定だけでもう十分ドラマとして成り立ちそうなんですが、さらに、8人の親父隊員(一人青年含む)たちが、暇つぶしのために様々な、あほらしくもおかしい工夫を凝らす姿が加わって、ほのぼの笑えます。

 主人公の西村氏の立場がまた微妙。南極行きが決まっていたコックさんが交通事故に遭い、急遽代役として任命されるのですね。「あの、家族と相談させてください」「おめでとう」「家族と、相談させて、ください」「おめでとう」「家族と、相談、させて、ください」「・・・おめでとう」みたいな、無理矢理南極行きを押しつけるシーンがありますが、この押しつける役が、嶋田久作。見事にはまってます。

 さて西村氏、家に帰って8歳の娘に「こんな所にパパ行っちゃったら寂しいだろ」「ううん、全然!」と返されたり、節分の日に「パパがいなくて我が家はみんなのびのびしてます」などというファックスが来たり、どうやら家での居場所がなさそうな設定。

 そんな西村氏、南極では、限られた食材を、まるで一流レストランみたいな食事に仕上げて出します。冒頭のシーンはまさにシェフそのもの。皿の周辺部にこぼれたソースを、ていねいに布巾で拭き取るのです。それなのに、誰も「おいしい」と言ってくれない。絶妙のソースをかけてあるその上から、醤油をドボドボかけられたり。苦労がまったく評価されません。

 そんな西村氏、ある日、大切にしていた娘の乳歯を、隊員達の騒動に巻き込まれて、南極に掘った海底2500メートルへと届く深い穴に落としてしまいます。「あ、下の歯なのに・・・」ショックで寝込む西村氏。隊員達が謝っても部屋から出てきません。お腹がすいた隊員たちは仕方なく自分たちで鳥の唐揚げをつくるのですね。やっと部屋から出てきた西村氏に食べてもらい「どう?」と聞きます。この部分は伏線が前の方に貼ってあって、感動的です。「ああ、自分はこの人たちのためにがんばらなくちゃなあ。自分はこの人たちから必要とされているんだなあ」と、しみじみと感じる。いいシーンです。

 8人のおっさん隊員の中に一人、青年が混じっています。演じるのは高良健吾君。「フィッシュストーリー」や「ボックス!」でイケメンを演じた彼が、本作では遠距離恋愛の末、彼女に振られる情けない青年役を演じます。妻が「あー、もったいない。こんなイケメン捨てるなんて」とつぶやいておりました。ラスト、彼にはちょっとしたご褒美があるんですが、これはさすがに実話じゃないですよね?

 笑いの壺はたくさんありますが、個人的には「伊勢エビか、それじゃあ今夜はエビフライだな」「や、伊勢エビなら、刺身とかでしょ」「いいか、西村君。俺たちの心の中じゃあ、もうすでに今夜のおかずはエビフライだからな」「エッビフライッ」「エッビフッライッ」合唱しながら雪をドラム缶に詰める隊員達。で、その夜の食事シーンがかなり壺にはまりました。西村氏、かなり茶目っ気ある人なんですね。

 今、南米チリでは落盤事故で、やはり閉鎖空間の中、3ヶ月以上おっさんたちだけで暮らさなければならない状況のようです。南極では、西村氏が毎日おいしい料理を作って、隊員達の心を元気づけてあげていたけど、チリではどうも、そういうわけにはいかないようです。直径15センチのパイプが地上とつながっているそうだから、せめて時々おいしい食事を、パイプを使って地下に届けてあげられたらいいかもしれないなどと、本作を見て思ったりしました。

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2010/08/29

中島京子「小さいおうち」感想

 直木賞受賞作です。

 同じ題名の有名な絵本があるそうですが、残念ながら当方読んだことがありません。

 本作は、昭和5年から昭和19年の東京を舞台にした小説です。主人公は女中のタキ。東北から上京後しばらくして、22歳の若奥様、時子に仕えます。この時子奥様が、どうやらものすごい美人であるらしいのですね。睦子さんという時子さんの旧友も、ご主人の会社の青年社員も、時子さんの魅力にメロメロ! でも、本作はそういう慕情を思い切り抑制の効いた語り口で語ります。このあたり、語り手が禁欲的な女中のタキであるという設定が生きています。

 ところが、最終章が近づくにつれ、語り手タキの語り口が乱れ始め、ついには「私は、何を書きたいのか」と、途中で終わってしまうのです。小説はこの後、残された資料を追いかける甥が語る形式へと変わります。戦中を生き抜いた賢い女性の、抑制の効いた語り口がこの時、ごく普通の現代の大学生の語り口へと変わる。同時に、物語の奥底に秘められた登場人物達の本当の気持ちが表に出てくる、という構成はたいへんすばらしいと感じました。感動ものです。

 時子奥様のお住まいは、坂の上の、赤い屋根の小さなおうち。本書の表紙絵は、表も裏も、作品を読み終えた後、もう一度じっくりと眺めると、その絵の意味がしみじみとわかってきます。

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2010/08/22

森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」感想

 主人公は小学4年生の男の子。いきなり『一日一日、ぼくは世界について学んで昨日の自分よりもえらくなる。・・・(中略)・・・えらくなりすぎてタイヘンである。みんなびっくりすると思う。結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。』という、たいへんえらそうなモノローグで始まります。そして、この小説は、少年が大好きな歯科医院のお姉さんとの、冒険と別れの話なのです。ラスト『泣くな、少年』『ぼくは泣かないのです』とか、『アキヤマ君、泣いてるの?』『ぼくは泣かないことにしているんだ』とか、少年の主観視点で書かれた小説ですが、客観視点で読めば、少年アキヤマ君がぼろぼろ涙を流していることが丸わかりで、胸がキュンとします。

 そしてどうやら、少年アキヤマ君のことを好きであるらしい同級生ハマモトさんの気持ちも、少年はさっぱり気がつかない、いや知っているけど気がつこうとしないようにしているあたりも、やっぱり胸がキュンとします。

 そしてどうやら、少年アキヤマ君にとって、ハマモトさん(描写によると、どうやら知的な雰囲気の漂う美少女であるらしい)と歯科医院のお姉さんとのもっとも大きな違いは、おっぱいがあるかないかであるらしい。お姉さんと会う度に少年は『まるで丘のようにもりあがっているなあ』とか『なぜ彼女のおっぱいは母のおっぱいとは違うのだろうか』とか、読んでいて赤面してしまうようなことを臆面もなく考えたりするのですね。ハマモトさんに対しての感想ときたら『彼女はまだ大人ではないから、おっぱいは存在しない。』ですから。子どもが言うから許されるけど、それ、大人が言ったら絶対セクハラだろ(笑)!

 少年が、そういった世界の謎(おっぱいも含むらしい)の一つ一つに真摯に取り組む態度が、また健気です。同時に読者であるこちら側も、なぜ、人はある特定の人を好きになってしまうのだろう? 永遠に解けそうもない難問であるため、いつしか考えるのをやめてしまった例のあのことなんかを、もう一度考え直したりしているわけです。 

 この世に存在しないものが次から次へと出てくるので、一応ファンタジー系の小説に分類できると思いますが、でも本作、本当はファンタジーの要素はどうでもいいのかもしれません。

 少年の、切ない成長物語です。

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